第八章『毒矢(四)』
玄貂の放った『毒矢』によって胸を貫かれた正剛は苦悶の表情を浮かべた。
「……嘘を……ッ」
「ああ? なんだって?」
「————嘘をつくなッ‼︎ 師父が弟子を手に掛けるものかッ‼︎」
「なにい?」
正剛が怒号を上げると、玄貂は右手で顔を覆って高らかに笑い出した。真氣によって増幅された笑い声が廃屋の屋根を揺るがすほどで、いったい何がそれほど可笑しいものか凰蘭と正剛は訳が分からず声も出せない。
玄貂は一頻り笑うと満足したように手を放し、怪訝そうな表情の二人を見据えた。
「……こいつは傑作だ。世の中には自分の弟子に百日の呪いを仕掛ける残酷な師父もいるってのによ」
「なんの話だ……⁉︎」
「……へっ、まあいいや。とにかく、信じるも信じねえもおめえ次第ってヤツだな」
玄貂の思わせぶりな口調に、正剛の脳裏に今回の任務の前の情景が蘇った。
(師父はあの時確かに、叔父上の話になると押し黙った。俺に伝えることがあるとも言っていた。まさか、この男が言っていることは本当なのか……⁉︎)
「————待ちなさい!」
静寂を破るように凰蘭の凛とした声が廃屋に響いた。
「どうして青龍派と無関係のあなたがそんな話を知っているの? あなたが言っていることには何の証拠もないじゃない!」
「……そ、そうだ! 貴様の言うことなど信用できるものか!」
心強い援軍を得たように正剛は凰蘭に追従した。
「……証拠、証拠ねえ。確かにそんなモンはねえなあ。俺様も人伝てに聞いただけだからなあ。十六年前、青龍派は凌拓飛一派によって、あわや壊滅寸前まで持ってかれたってな」
「————!」
これには凰蘭の胸がざわめき、押し黙ってしまった。
「まあ、こいつは十六年も前の話だ。お前らが知らなくても無理もねえさ。それに四大皇下門派の筆頭を自負している青龍派サマが、たった三人の男にボロボロにされちまったなんて恥は面子に懸けて絶対に外に漏らせねえだろう」
この言葉を聞いた凰蘭は瞬時に理解した。なぜ自分が、ある年代の青龍派門弟たちに目の敵にされているのかを。張迅雄が今際の際に言い掛けたことを。
十六年前の事件を知る者は自分に父親である凌拓飛の影を見ていたのだ。父がなぜ青龍派と敵対していたのかは分からないが、彼らは父を憎んでいた。しかし父は母と結婚して青龍派と縁を結んだため、表立って敵意を向けることが出来なくなってしまった。そして父と母は行方不明となり、ぶつけるあての失くなった敵意は回り回って娘の自分へと巡ってきたのだ。
「————だから、どうしてその話をあなたが知っているのよ!」
どうしようもない苛立ちをぶつけるように、凰蘭は玄貂に怒鳴り声を上げた。
「ケケッ、人の口に戸は立てられねえとはよく言ったモンでよ、どこにでも口の軽いヤツってのがいるモンなのさ。そいつは掌門の黄志龍に不満を持っていたらしくて、訊きもしねえことをベラベラ喋ってくれたぜ。『師父はいつからか別人になったかのように性格が変わってしまわれた。元々ご自分にも弟子にも厳しい方だったが、些細なことで弟子を手に掛け、他派を殲滅するとまで言い出した。とてもついて行けなくなり、凌拓飛の件のドサクサに紛れて俺は青龍派を抜けた』ってなあ」
玄貂は声色や仕草さえも変えて青龍派の弟子の言を語り出した。その様子は真に迫ってある種の真実味が感じられ、二人は思わず聞き入ってしまう。
「そいつはこうも言っていたぜ。『師父は忠心から諌めようとした柳師兄をも手に掛けてしまった。まるで父親のように慕われていたと言うのに』ってよ」
「…………ッ‼︎」
「兄さま————」
二の矢が胸の傷を広げ、正剛はガクリと膝を突いた。凰蘭は支えようと手を伸ばしたが、その手は正剛の身体に触れる寸前でピタリと止められた。
すでに故人で会ったこともないとはいえ、己の外祖父によって尊敬する叔父を殺されたかも知れないと言うのだ。後ろめたさで正剛に顔向けが出来ず、宙空で止まっていた手はさらに引っ込められた。
次の瞬間、凰蘭は全身の力が抜けてしまい、気付いた時には男の手によって抱きかかえられていた。
「————蘭! 貴様、その手を離せ!」
「おっと、ノコノコと近づいて来るんじゃねえぞ。さもねえとお嬢ちゃんの首が胴体と永遠にオサラバしちまうぜ?」
ボンヤリとしていた正剛が顔を上げた時には凰蘭が玄貂に捕まっており、点穴されてしまったのか凰蘭はグッタリと玄貂にもたれかかっている。
「卑怯者め、人質を取らないと俺と闘えないのか!」
「やれやれ、やっぱアタマ悪いな、おめえ。この状況でボロボロのおめえ相手に人質なんか要るかよ。そら、さっさと出しな」
「…………」
正剛は懐から青龍牌を取り出し、無言で玄貂に放った。
「チッ、つまらねえ時間を取らせんじゃねえよ。残りの二枚も渡せ」
「…………!」
ギッと歯噛みしながら、今度は迅雄と秀芳の青龍牌も放り投げた。
「……俺に何をさせるつもりだ」
「そうそう、アタマってのは使わねえと意味がねえんだぜ? いいか、お優しい俺様はおめえのお手伝いをしてやる」
「手伝いだと……⁉︎」
眉根を寄せる正剛とは対照的に、玄貂は得意の下卑た笑みを見せた。
「九十日以内に青龍派の掌門、黄龍悟の首と青龍牌を持って来い」
「————な、何を言っている貴様、そんなこと出来る訳が……‼︎」
「何で出来ねえ? おめえの叔父サマは奴の親父に殺されたんだぜ? 親父の不始末は息子につけてもらえばいいじゃねえか。それに奴は柳怜震の死の真相をおめえに黙ってやがった。そんな野郎はぶっ殺されて当然さ。そうだろう?」
「…………!」
「ダメよ、兄さま! そんなこと————」
「おめえは黙ってな」
玄貂が力を込めると、凰蘭は気を失ってしまった。
「一つ大義名分をくれてやろうじゃねえか。黄龍悟を殺してきたら、このお嬢ちゃんを返してやるよ。人助けだと思えば気が咎めねえモンだろう?」
「…………しかし、俺の腕は師父には遠く及ばない……」
「んなこたあ知ったことかよ。寝込みを襲うだの、毒を盛るだの、泣き落としだの、いくらでもやり方はあるだろうが。ちっとは自分で考えやがれ」
言うだけ言うと、玄貂は凰蘭を抱えたまま梁の上に跳躍した。
「それじゃあな。九十日後ここで待ってるぜ。どうしても師父を殺せねえってんなら、ヒラの青龍牌を残り九十七枚でも勘弁してやるよ。ゲハハハハハァッ!」
玄貂は耳障りな笑い声と共に去って行き、一人残された正剛は苦悩の表情で床に拳を叩きつける他なかった。
———— 第九章に続く ————




