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第八章『毒矢(二)』

 不意に声を掛けられた凰蘭オウラン正剛セイゴウは同時に天井へ視線を送った。

 

 はりの上にはいつの間に侵入したものか、一匹のてん胡座あぐらをかきながらニヤニヤとこちらを見下ろしている。

 

「————お前は『玄冥派』の……ッ!」

 

 頭上から下卑た笑みを浮かべている男は玄冥派の玄貂ゲンチョウであった。

 

「俺様を覚えておいてくれて、ありがとうよ」

 

 玄貂は音も無く着地すると、依然衣服が乱れたままの凰蘭へ濁った両の眼を向けた。

 

「……惜しい、惜しい。もう少し早くお前らを見つけてたら、眼福だったのになあ」

下衆ゲスな勘繰りはやめろ! ランは俺を看病してくれただけだ!」

 

 凰蘭の名誉に傷を付けるわけにはいかないと考えた正剛は即座に否定の声を上げた。

 

「ケエッケッケ、そんなに慌てねえでも分かってるさ。玄龍ゲンリュウの野郎の詰めが甘かったおかげで、なんとか『玄冥氷掌げんめいひょうしょう』で死なずに済んだんだろう? だが————」

 

 玄貂は正剛へ指を突きつけ言葉を続けた。

 

「おめえはまだ病み上がりのように全身が気怠くて、小娘の方は野郎を温めるために真氣を消耗してるはずだ。違うか?」

 

 玄貂はまるで見ていたかのように二人の状態を正確に言い当てた。衣服を直した凰蘭が向き直り、玄貂をキッと睨みつける。

 

「……どうしてここが分かったの……⁉︎」

「ケケッ、時間稼ぎのつもりか? まあいいや、お優しい俺様が教えてやるよ」

 

 玄貂は得意げに笑うと表に繋いでいる星河セイガに顎を向けた。

 

「俺様はまずお前らと戦った街道に戻ると、道に残ったひづめの跡をよーく観察したのさ」

「蹄の跡ですって? そんな物、街道に幾つも残っているはずよ」

「お前は星河の蹄をまじまじと見たわけではないだろう。見分けがつくはずが……」

 

 凰蘭と正剛が相次いで疑問の声を上げると、玄貂は指を振って見せる。

 

「ところがつくんだなあ。確かに街道には何十と馬の蹄が残っちゃいたが、俺様はその中で一際大きく、一際深い物を探したのさ」

 

 この言葉に正剛はハッと何かに気付いた表情を浮かべた。

 

「————そういうことか……!」

「ほお、おめえこの前見た時は随分頭のゆるそうな感じだったが、今はネジが一つ締まったようじゃねえか」

「星河は普通の馬よりも馬体が大きく、蹄も同様だ。そして俺と蘭の二人を乗せて走った分、深く蹄が沈み込んだということだな?」

「ご名答! よく出来ました!」

 

 正剛が話し終えると、玄貂は大袈裟に拍手して見せる。

 

「付け加えると、ここは俺たちが使っていたヤサだったってわけよ。まあ、何だ。運が悪かったな。雨でも降りゃ、痕跡が消えて俺様の追跡を躱せたってのによ」

「……それで、これからどうするつもりだ……?」

「おいおい! 急に間抜けに戻るんじゃねえよ。弱ったお前らをぶっ殺して青龍牌をいただくに決まってんだろう!」

「青龍牌を奪ってどうする⁉︎」

 

 正剛のこの質問には、先ほどまでニヤついていた玄貂の眼が据わった。

 

「……おめえの知ったことかよ。とにかくお前らの青龍牌は俺様のモンだ」

「蘭は青龍派じゃない! 狙うのは俺だけにしろ!」

「何い⁉︎ そんじゃ手に入るのは三枚だけかよ!」

「いいや、貴様に渡す物は()()だけだ……!」

 

 言い様、正剛は手中に槍を握った。

 

 その凛としたたたずまいと鋭い眼光に玄貂は一瞬怯えた様子を見せたが、すぐに口の端を歪めた。

 

「……フヘヘ、格好つけても無駄だぜ。立ってんのがやっとってトコだろ。『芯』が揺らいでるぜ?」

 

 全てを見透かしたような玄貂の言葉には答えず、正剛は槍を構えたままジリジリと凰蘭の前ににじり寄った。

 

「……蘭、お前は星河に乗って逃げろ。この男は俺がなんとかする」

「何を言っているの! 私も一緒に戦うわ!」

「駄目だ。お前は今、真氣を消耗している。それに柳家リュウけの男が二対一など誇りが許さん‼︎」

 

 正剛は気合いの声を上げて玄貂へ槍を突き出したが、閃光のようだった突きは見る影もなく、いとも簡単に玄貂に躱されてしまった。

 

「なんだいこりゃ? 十のガキでも、もうちょいマシな突きを放つぜ?」

「くっ!」

 

 苦悶に満ちた表情で正剛は続け様に槍を振るうが、玄貂は散歩するような足取りで口笛を吹きながら悠々と攻撃を外していく。

 

「————くそッ!」

 

 焦りで正剛が大振りになった隙を見逃さず、玄貂の蹴りがその腹に深々と突き刺さった。

 

「柳兄さま!」

 

 廃屋の壁まで吹き飛ばされた正剛のそばに凰蘭が駆け寄った。

 

「……蘭、俺に構うな。早く逃げろ……!」

「そんなこと出来るわけないでしょう⁉︎」

 

 口から鮮血をこぼしながらも立ち上がる正剛を凰蘭が支えていると、近づいてきた玄貂が怪訝な表情を浮かべていた。

 

「……んん? 『柳』……? 『青龍派の槍使いの柳』? おめえ、もしかして柳怜震リュウレイシンの身内じゃねえだろうな?」

「叔父上を知っているのか⁉︎」

 

 玄貂の口からこの世で最も尊敬する叔父の名が出ると、正剛は戦闘の最中であるにも関わらず我を忘れた。玄貂は玄貂で正剛の口から叔父という言葉を聞くと、最高に下卑た笑みを浮かべた。

 

「……こいつは面白え……、『凌雲飛虎りょううんひこ』のガキと柳怜震の甥が乳繰り合ってるとはな……!」

「どういう意味よ!」

「どういうことだ!」

 

 意味ありげな玄貂の物言いに、凰蘭と正剛が同時に声を上げた。

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