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第八章『毒矢(一)』

 長い間突っ伏して慟哭していた凰蘭オウラン正剛セイゴウだったが、夜が明けると同時に正剛がすっくと立ち上がった。

 

 曙光しょこうを浴びたその頬にはいまだ涙の跡がキラキラと輝いていたが、決意を秘めた眼光は鋭さを増しており、どこか残っていた気の抜けたような子供っぽさは微塵も感じられない。

 

リュウ兄さま……?」

「……ラン、お二人を埋葬しよう」

 

 正剛は静かに言うと凰蘭の返事を待たず、槍を用いて街道の端に墓穴を掘り始めた。凰蘭も涙を拭いて無言で手を貸した。

 

 

 

 ————二つの土饅頭が出来上がり、墓前の前では凰蘭と正剛がひざまずいて熱心に祈りを捧げている。二人はそれぞれ別れの言葉を口にした。

 

チョウ兄さま、リン姉さま、お二人の魂が極楽浄土へ行かれますように…………」

「張師兄、林師姉、安らかにお眠りください。お二人の青龍牌は師門へ返還致します。そして————」

 

 ここで正剛は一息ついて、

 

「俺が必ずお二人の仇を取ります……‼︎」

 

 力強く宣言するとゴツンと三度叩頭した。

 

「柳兄さま……」

「行くぞ、蘭————」

 

 正剛が立ち上がろうとしたその時、突如身体が震えだし、再びその場に崩れ落ちた。

 

「柳兄さま⁉︎」

 

 凰蘭が血相を変えて倒れ込んだ正剛を抱き起こすと、触れた肌が氷のような冷たさを帯びていることに気付いた。

 

「……失礼します!」

 

 一瞬躊躇した後、正剛の胸元をくつろげると、先ほど見た時よりも胸を覆う氷が広がっている様が眼に入った。

 

「こ、こんな……!」

「……この程度平気だ、心配するな……」

 

 あまりの衝撃に凰蘭が言葉を失っていると正剛が口を開いたが、言葉とは裏腹にその声は弱々しく、身体を起こすことすら困難なようである。

 

「で、でも兄さま……!」

「いいから構うな……、俺は早くお二人の仇を…………ッ」

 

 おのれの身体を支える凰蘭の手を振り払おうとした正剛だったが、力を込めた拍子に意識を失ってしまった。

 

「に、兄さま……⁉︎」

 

 正剛はかろうじて息をしているが、その呼吸はか細く、体温はどんどん下がっていく。

 

(どうしたらいいの、このままじゃ柳兄さままで……‼︎)

 

 才能はあるものの場数の足りない凰蘭は恐慌を来たしていたが、しばし眼を閉じた後、自らの頬を思い切り張った。

 

「————星河セイガ、力を貸して! 柳兄さまをどこか休める所へ運ぶわ!」

 


 凰蘭の声に近寄ってきた星河は、主人の意を汲んだように真っ白な馬体を伏せて正剛を背に乗せたが、ひづめをコツコツと鳴らすばかりで飛び立つ気配がない。


「星河、どうしたの? 以前まえみたいに飛んでちょうだい!」

 

 急かすように凰蘭が声を掛けるが、星河は申し訳なさそうに小さくいななくばかりである。凰蘭は星河が妖怪の血を引いていることを思い出した。


「あ、星河、お前もしかして夜じゃないと上手く飛べないの?」


 再び凰蘭が声を掛けると、星河はやはり申し訳なさそうにうなずいた。その様子を見た凰蘭は星河の首筋を優しく撫でた。


「謝らなくて良いのよ、星河。それじゃあ、走って私たちを助けてくれないかしら?」


 今度は穏やかに凰蘭が頼み込むと、星河は大きくいななき朝陽の中を駆け出した。



 ————しばらく駆けた凰蘭は林の中に運よく一軒の家屋を見つけた。


(天の助けだわ。これで柳兄さまを休ませることができる)

 

 星河の背から降りた凰蘭は扉を叩き声を掛けてみたが、いくら待っても中から返事は無い。

 落ち着いて見回してみると、どうやら住宅ではなく何かの倉庫のようである。それも使われなくなって久しいようであった。

 

 人が住んでいる家屋であれば正剛を休ませやすいと思っていた凰蘭はいささか落胆したものの、すぐに気を取り直し倉庫の中に足を踏み入れた。

 

 正剛を床に横たえると、凰蘭は何か使えそうな物はないか廃屋の中を見回した。

 内部は所々、天井や壁が朽ち果てており、やはり長年放置されているように見える。しかし足元にはつい最近煮炊きが行われたような形跡があった。

 

 この不釣り合いな様子に凰蘭が首を捻った時、背後から正剛の呻き声が聞こえてきた。瞬時に凰蘭は思考を止め、燃え残っていた薪で火を起こした。

 

 仄暗い廃屋の中を穏やかな灯りが照らし出し、心地よい暖かさが冷え切った身体を優しく包み込む————。

 

 凰蘭は正剛を火のそばに寝かせると自らの上着を正剛の身体にかぶせ、その手を握った。

 

「柳兄さま、もう大丈夫よ。私がついているわ」

 

 正剛の手は凍りついているかのような冷たさで、握っている凰蘭の熱が奪い取られるほどであったが、凰蘭は歯を食いしばりその手を放さない。

 

「……蘭……」

「気が付いたのね、兄さま!」

「手を放せ……、お前まで凍りついてしまうぞ……」

「良かった……! 私なら平気よ」

 

 凰蘭は強いて笑みを浮かべて内功の運用を始めた。握られた手から暖かな真氣が送り込まれ、正剛は骨までみ入るようだった寒さがやわらいだ心地になった。

 

「……すまん、蘭」

「いいの。兄さまも真氣を巡らせることは出来る?」

「ああ……」

 

 返事をした正剛は自らも真氣を巡らすべく内功を運用しようとしたが、丹田から湧き出た真氣は胸のところでつかえたようにき止められてしまった。

 

「……くっ」

「ごめんなさい、無理しないで楽にしてて」

「……すまん……!」

 

 申し訳なさそうに眉根を寄せる正剛に対し、凰蘭は笑顔のまま首を振って、再び真氣を送り出した————。

 

 

 

 こうして二日ほど静養に努めた正剛の容態は徐々に快方に向かって行ったが、三日目の夜————、

 

「……張師兄、林師姉……ッ!」

 

 眠っていた正剛が突然呻き声を上げ、右腕を天井に向けて伸ばした。そばでウトウトしていた凰蘭は即座に駆け寄り声を掛ける。

 

「柳兄さま! どうしたの⁉︎」

 

 しかし、正剛の眼は堅く閉じられたままで返事は無い。それでも右腕は溺れる者がわらをも掴むかのように尚も虚空を彷徨さまよっている。

 

 凰蘭は正剛の手を握ると、顔を近づけ再び呼び掛けた。

 

「柳兄さま! 安心して、私がついているわ!」

 

 正剛の手は数日前のように冷たくなっており、何度呼び掛けても意識が戻らないが呻き声を上げ続けている。

 

「……その顔……、まさか、お前は師父の…………ッ」

 

 凰蘭は両手で正剛の手を握り直し、再び真氣を送り出した————。

 

 

 ひび割れた廃屋の壁から朝陽が差し込む頃、正剛はゆっくりと眼を覚ました。

 

 眠っている間に汗をかいたようで胸元がびっしょりと濡れている。全身に重く倦怠感が残っているが、どうやら体温が戻ったようである。

 

 身体を起こそうと首を動かすと、おのれを抱きかかえている半裸の女の姿が眼に入った。

 

 スウスウと寝息を立てている凰蘭である。

 

 この娘のことは妹のように思っており男女のへだてを感じたことはないのだが、同じとこで眠っているのは流石にまずい。フラつく身体に鞭を打って飛び起きた。その衝撃で凰蘭が身動みじろぎだし、やがて顔を上げると正剛と眼が合った。

 

「————柳兄さま! 起きられるようになったのね!」

「……あ、ああ、お前のおかげだ。ありがとう、蘭……‼︎」

 

 満面に喜色をたたえる凰蘭に正剛は礼を述べたが、まるで柿のように真っ赤になり、普段とは真逆の消え入るようなか細い声で続けた。

 

「……その、すまんが、合わせを直してくれ。眼のやり場に困る……」

「え……?」

 

 正剛の指摘の意味が分からず、しばらくキョトンとしていた凰蘭だったが、視線を下げると自らの衣服が乱れていることに気が付いた。瞬時に凰蘭も正剛に負けぬほどに真っ赤になり、慌てて背を向けた。

 

「こ、これは、その……、いくら手から真氣を送り込んでも兄さまが眼を覚まさないから仕方なく……」

「あ、ああ、分かっている。お前には感謝しかない……!」

「……向こうを向いていてください」

「え……? あ! そ、そうだな! すまん!」

 

 凰蘭に温められたせいか正剛は頭の血の巡りが良くなったようで、すぐに察して背を向けた。

 

 静かな廃屋に衣擦きぬずれの音が響き、正剛は胸の鼓動が治まらない。

 

 気を紛らわそうと正剛が口を開き掛けた時、はりの上から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「……おやおや、見つけるのがちょいと遅かったようだなあ……!」

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