第七章『代償(二)』
常人では眼を開けていられぬほどの猛烈な吹雪の中、四頭の黒き獣————狼、貂、豹、龍が真っ白な雪原を迷いなく進んでいく。
「チッ、面倒くせえとこへ引っ込んでくれやがるぜ」
「止せ、玄貂。滅多なことを言うな」
玄貂が恨めしげにつぶやくと、前を進む玄狼がたしなめた。
「さすが兄貴だ。このうざってえ吹雪の中で俺のつぶやきが聴こえるとは恐れ入りますぜ」
「この距離なら師父の耳にも届くかもね」
背後から玄豹が口を挟むと同時に玄貂の顔から表情が消え、ほどなくして前方に巨大な怪物が顎を開けて待ち構えているのが見えた。
「……着いたぞ。お前たち、これ以上無駄口を叩くなよ。命が惜しければな」
玄狼が死地に赴くような決死の表情で氷穴に足を踏み入れると、後の三人が無言で続いた。
氷穴の内部は天然の氷壁がキラキラと幾重にも乱反射を繰り返し、白昼のように眩い。それはまるで氷の迷宮といった情景であった。
鏡張りのような通路を何度も折れ曲がり進んでいくと、やがて練武場のような開けた空間にたどり着いた。
その奥では一人の老人が座禅を組み、内功の修練をしている姿が見える。玄狼たちは静かに老人の前に歩み寄ると、一斉にひざまずいた。
「————師父、弟子四名戻りましてございます」
玄狼が恐る恐る声をかけると老人はゆっくりと眼を開き、眼前に居並ぶ弟子たちを見据える。老人の氷のような視線をその身に受けた玄狼たちはガタガタと震えだした。ただ一人、玄龍を除いて————。
「……玄狼、首尾はどうだ……?」
おもむろに老人が声を発した。シワだらけの外見とは裏腹に、その声には芯が通っており、とても老人のものとは思えなかった。
「……は。二日前、玄州と蒼州の境にて青龍派の者、四名と交戦いたしました」
「ほう。では例の物、しかと手に入れているだろうな」
「……師父に授けられた『玄冥氷掌』により二名を始末し、さらに使い手一名に手傷を負わせましたが…………」
玄狼の舌の回りが鈍ると、老人の眉が吊り上がった。
「————が、なんだ……⁉︎」
「……青龍牌を奪う直前になって、発作が起こってしまい————」
「そのまま、おめおめと逃げ帰ってきたという訳か……!」
「は……‼︎」
老人の眼光が鋭さを増すと、玄狼たちは額を地面に突かんばかりに深々と頭を下げた。
「……つきまして師父、いただいた『陽丹丸』が尽きてしまいましたので、新たに授けていただけないでしょうか……?」
「…………」
玄狼の申し出に老人は頬杖を突いてしばし沈黙した後、ようやく口を開いた。
「よかろう」
『————ありがとうございます‼︎』
玄狼、玄貂、玄豹の三人が一斉に謝辞を述べた。しかし老人はなんの表情を浮かべるでも無く、無言で懐に手を入れた。
「ここに陽丹丸が四十粒ある。受け取るがいい」
老人が手を開くと掌の陽丹丸が十粒ずつに分かれて、四人の前に飛んで行った。
恭しく手を差し伸べ薬を受け取った玄貂は眼にも止まらぬ速さで懐にねじ込み、愛想笑いを浮かべた。
「師父、それでその……、例の呼吸法はいつ授けていただけますでしょうか……?」
「……百枚だ」
「へ?」
玄貂が素っ頓狂な声を上げると、老人————崔玄舟が突然立ち上がった。
「青龍牌と玄武牌を合わせて百枚持ってきた者には呼吸法を伝授してやろう。牌の内訳はどうでも構わん」
この言葉にその場の全員が息を飲んだ。
各派の牌は門人の証であるため他人においそれと渡せる物ではない。つまり、牌を手に入れるには持ち主を殺して奪い取るしかないのである。
「どうした、玄貂? 急に黙り込みおって」
「い、いえ師父。その、できればもう少し多く陽丹丸をいただけないかと……」
「何故だ? 陽丹丸一粒で十日は玄冥氷掌の発作を抑えることが出来る。一日一人殺せばよいのだ、玄冥氷掌を会得した貴様らならば造作も無いだろう?」
玄貂は再び黙り込んだ。
玄舟は事もなげに言い放ったが、青龍派と玄武派は多士済々である。いくら絶技『玄冥氷掌』を会得したとはいえ、百日で百人を殺すなど簡単であろうはずが無い。
「一つ条件を加えてやろう。掌門の首はそれ一つで牌百枚と同等とする。どうだ、嬉しいか?」
「は、はい……」
玄貂は引きつった笑みを浮かべた。
一派の掌門が都合よくその辺りを一人でうろついているはずも無く、首を獲るためには相手の本拠地に乗り込むしか無い。結局その道中、何人もの門人を打ち倒さなければならないのである。
「では、なぜ浮かない顔をしている?」
「いえ、浮かない顔だなんて……」
命の期限が百日と迫った人間が明るい表情など出来るものでは無い。これ以上顔色を読まれぬよう、玄貂は顔を伏せた。
「玄冥氷掌を教えてくれと言ったのは貴様らだ。違うか?」
「……その通りです」
「玄冥氷掌を会得した者は定期的に体内に蓄積された『寒氷真氣』を散らさねば全身が凍りついて死んでしまう。何事にも代償はあるということだ」
(このクソ野郎……! そんなふざけた代償があるって先に知ってたら、習いてえなんて口が裂けても言わなかったぜ……‼︎)
玄貂は顔を伏せたままありとあらゆる呪詛の言葉を心中で師父にぶつけていたが、玄舟には全く通じていないようで言葉を続けた。
「だが、特別な呼吸法を行うことで代償を支払うことなく、思うままに絶技を振るうことが出来るのだ。武術家ならばこの誘惑には何人たりとも逆らえまい……!」
玄舟は虚空を見つめながら語った。それは自らに言い聞かせているかのようだった。
「……師父、では我々はこれで————」
これ以上懇願しても望みは無いと判断した玄狼が辞去を告げると、
「待て。玄狼、貴様にはまだ話がある」
玄舟は去りゆく玄龍の後ろ姿を睨みつけながら口を開いた。




