第六章『龍面の男(四)』
玄龍に槍の間合いを潰され接近戦に持ち込まれた正剛だったが、長槍を双短槍に持ち替え意表を突くことに成功した。
————ガキィィィンッッ。
槍が肉に食い込む音を想像していた正剛の耳に予想外の金属音が響き、次いでその眼が見開かれた。
正剛の短槍は玄龍の腹で受け止められ、突き刺すことが出来ずにいた。それはまるで永久凍土のような堅牢さで、通常の硬氣功では断じてない。
『————こ、これは『霜甲練氣功』‼︎』
その時、青龍派の二人が同時に驚愕の声を上げた。
迅雄の刀は玄狼の首に、秀芳の剣は玄豹の胸に、やはりそれぞれ受け止められていたのである。
「貴様ら、玄武派か⁉︎」
数多の妖怪を屠ってきた己の技が、まるで紙のように受け止められている。迅雄の声は内心の動揺を反映したかのように震えていた。
硬氣功を超える『霜甲練氣功』————すなわち玄武派は青龍派門下にとって天敵とも言える存在であった。
だが主に道士で構成される彼らは自派の研鑽を積む事を第一として、他派と敵対も友好も積極的に結んでは来なかった。それは白虎派と青龍派が敵対していたこの数十年間、どちらにも与しなかったことからも窺える。
そんな玄武派が今になって牙を剥いて来るとは————。
研鑽に研鑽を重ねた己の技が通じぬ衝撃は大きく、その逃避行動からか、迅雄は戦闘中にも関わらず思考を対手から一瞬外してしまった。その隙に玄狼の手がゆらりと蠢き、そっと迅雄の肌へ触れた。
(————何だ、この冷たさは⁉︎ これでは、まるで死人の……!)
そのあまりの手の冷たさに迅雄がハッとすると、
「……我らは玄武派にあらず————」
玄狼が口を開いたと同時に玄龍は正剛の右腕を掴み、残った手をその胸に押し当てた。
「言っただろう、我らは玄冥派だと……‼︎」
玄狼の言葉の終わりと共に押し当てられた玄龍の掌から、骨に滲み入るような耐え難い冷気が押し寄せるのを正剛は感じた。
(————これは、まずいッ!)
正剛は血相を変えて玄龍の顔へと左腕を振るった。玄龍は顔を逸らして躱そうとしたが正剛と密着していることもあり、短槍の穂先が龍面の留め具をかすめてしまった。
龍面がずり落ち、玄龍の素顔の一端が月明かりで照らし出される————。
玄龍は素顔が晒されることを恐れた様子で、落ちる仮面を素早く左手で止めた。正剛は一瞬、呆けた表情を浮かべたが掴まれていた右腕が解放された瞬間に前蹴りを放ち、その反動を利用し後方へ宙返りして距離を取った。
着地した正剛は全身がガタガタと震え出し、上手く呼吸が出来ない。思わず胸に手を押し当てると、正剛は眼を見開いて驚愕の声を上げた。
「————なんだ、こりゃあ‼︎」
なんと、玄龍に触れられていた部分が凍りついているではないか! ハッと何かに気付いた正剛は顔を上げて声を荒げる。
「張師兄‼︎」
視線を送れば、迅雄が玄狼の足元にひざまずいている姿が映った。
————その上半身は首を残して完全に凍結されており、まるで雪だるまのようであった。
続いて秀芳の方へと顔を向ければ、やはり迅雄と同じ格好で氷の彫像と化していた。
「……林師姉……‼︎」
兄弟子たちの惨状を眼にした正剛は顔を歪めて片膝を突いた。助けに行きたくとも胸からかつて感じたことのないほどの悪寒を感じ、全身に力が入らないのである。
その眼前に龍面を押さえた玄龍が立ちはだかり、魔性の右腕が再び突き出された。
————凰蘭の渾身の双掌打を胸に食らった玄貂だったが、全く意に介していない様子で長い舌を出して見せた。
「……ケッケッケッケッ」
完璧な形で攻撃を当てた凰蘭は驚いた様子で間合いを空けた。
「そんな、どうして……⁉︎」
「俺さまに生半可な攻撃は効かねえんだよ、お嬢ちゃん」
一段と際立った醜悪な笑みを浮かべて、玄貂が歩み寄って来る。凰蘭がジリジリと後ずさると、玄貂が意地悪そうに口を開いた。
「おいおい、どこへ行くってんだ? それじゃあ、親父とお袋の行方は分からず終いだぜえ?」
この言葉に凰蘭の足が止まり、キッと玄貂を見据えた。
「……気に入らねえなあ、その眼つき。おめえの親父のせいで俺さまの頭と首は雨が降るとジクジクと疼きやがるんだよ。この落とし前はガキのおめえに付けてもらうぜ……!」
「父さまと闘ったのね! 父さまと母さまはどこにいるの⁉︎ 教えなさい‼︎」
「ケケッ、おめえに遊び飽きた時に教えてやるよ」
玄貂が右腕をゆるりと突き出した時、突然顔を歪めて胸を押さえつけた。
このあまりにあからさまな苦しみように、凰蘭は身構えた。これはこの下衆な小男の演技かと疑ったのである。なにしろ、うずくまって呻き声まで上げているというのに額に汗が一滴も浮かんでいないのだ。
「……クソッタレが、こんな時に……ッ‼︎」
だが玄貂は真に迫った様子で悪態をついた。敵ながら心配になった凰蘭が思わず手を伸ばしかけたところ、玄貂は胸を押さえたまま跳躍して林の外へと姿を消して行った。
————正剛の頭部に玄龍の右腕が迫った時、その動きが突然ピタリと止まった。
「…………⁉︎」
不思議に思った正剛が顔を上げると、玄龍は右手を己の胸に当て苦しみ悶えていた。首を振ってみれば、玄狼と玄豹も同じく胸を押さえて声にならない声を上げている。
「……おい、どうした! 何かの病なのか……⁉︎」
自らの危機を差し置いて正剛が声を掛けるが、玄龍はそれには答えず仮面と胸を押さえながら闇の中へ溶け込んでいった。
気付いた時には、いつの間にか玄狼と玄豹の姿も消えており、夜の街道に動くモノは正剛だけになった。
———— 第七章に続く ————




