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第六章『龍面の男(三)』

 醜悪な面構えの玄貂ゲンチョウが下卑た笑みを浮かべながら、ゆっくりと近づいて来る。

 

 危険が迫った時には星河セイガに乗って逃げるよう迅雄ジンユウに言われていた凰蘭オウランだったが、飛んで逃げるどころかあぶみから足を放して地面へと降り立ってしまった。父親譲りの負けん気の強さと、母親譲りの優しさが仲間を見捨てて逃げ出すことを拒否したのである。

 

「いい心掛けだぜ、お嬢ちゃん。その白馬は俺が貰うからな、巻き添えで脚でも折られちゃかなわねえ」

「星河はウチの馬よ。野盗なんかに盗られるわけにはいかないわ」

 

 毅然とした態度で凰蘭が言うと、先ほどまでニヤついていた玄貂の表情が険しさを帯びた。

 

「……お前、なーんかムカつくツラしてやがんな。眼元とかが、あの忌々しい『凌雲飛虎りょううんひこ』の野郎に似てやがる」

「————ッ父さまを知っているの⁉︎」

 

 玄貂の言葉に凰蘭は血相を変えた。

 

「何い⁉︎ お前まさか、あの野郎のガキかよ⁉︎」

「そうよ! 私は凌拓飛リョウタクヒ石凰華セキオウカのひとり娘、凌凰蘭よ! 父さまと母さまの居場所を知っているなら教えて!」

 

 凰蘭が懇願すると、玄貂は再び眼を細めて歯を見せた。

 

「……面白え。こんなところで、あの野郎のガキと巡り合えるなんてな……!」

 

 

 

 ————神速の突きが横殴りの雨のように容赦なく玄龍ゲンリュウに襲いかかる。

 

 しかし、その突きは肉体には届かず、服の端をわずかに傷つけるに留まった。

 

「大した奴だな! 俺の槍がここまで躱されたのは叔父上と師父以外では、お前が初めてだ!」

 

 驚いた表情で正剛セイゴウが言うと、距離を取った玄龍が答える。

 

「……お前の方こそ、ここまで間合いに入れないのは初めてだ。見事な『引き』だな」

「おっ、分かるか! そうだ! 槍は突きと同じ速さで引き戻すことが肝心なんだ!」

 

 正剛はどこか嬉しそうに槍を引いて見せる。

 

「とはいえ、いつまでもこうしている訳にはいかない。次は『入る』」

「そうだな! お前と手合わせを続けるのは面白いが、ランや師兄たちの加勢をしなければならないんだ!」

 

 今まで無構えだった玄龍が両腕を上げると、応えるように正剛が槍を中段に構え直した。

 

ッ!」

 

 気合と共に正剛は再び槍を突き出した。

 

 正面から向かって来る()()は相対する者にとって光の点でしかないが、玄龍は冷静に、そして正確に捌きながらジリジリと間合いを詰めていく。

 

 次の一手で正剛の懐へ飛び込むかと思われたが、突如腰から上のみに狙いを定めていた槍の一突きが玄龍の左腿へと軌道を変えた。

 

 上半身のみに神経を尖らせていた者にとって、突然下半身を攻められては堪ったものではない。この叔父直伝の『剣山裏針けんざんりしん』の手を初見で躱した者は皆無である。

 だが、玄龍はまるで軌道を読んでいたかのように腿を上げると、その勢いのまま遂に正剛の懐へと侵入した。

 

「やるな‼︎」

 

 相手の攻撃を躱す動作と踏み込みが直結した見事な体捌きに、正剛は自らが窮地に陥ったというのに喝采を送った。

 兵器の王と称される槍は自らの間合いにおいては無敵を誇るが、間合いを潰されればかえってその長さがあだとなる。

 

 腕を伸ばせば当たる間合いで玄龍の拳が繰り出されたその時、突如正剛の槍のが中心で二つに割れ、両の手にそれぞれ短槍が握られた。

 

 これにはさしもの玄龍も意表を突かれた様子で、拳の勢いが乱れたところを正剛は見逃さず思い切り短槍を突き出した。

 

 

 

 ————玄貂と相対した凰蘭は正剛たちと離れて林の中へと身を隠していた。

 

「おーい! どうした、お嬢ちゃん? 急に林ん中へ逃げ込みやがって! 威勢がいいのは口だけかあ⁉︎」

 

 玄貂はこれ見よがしに両腕を広げて挑発したが、真っ暗な林の中から凰蘭の返事はない。

 

「愛しの父さまと母さまの行方ゆくえを俺から訊き出すんじゃねえのかよ⁉︎ かくれんぼしてねえで俺と遊ぼうぜ!」

 

 再び呼び掛けたものの、やはり凰蘭は姿を現さず、その気配すら感じることも出来ない。

 

(……まさかあのガキ、逃げやがったのか……?)

 

 玄貂は顔を動かし、大木のそばにたたずむ白馬へと視線を向けた。星河セイガは樹に繋がれている訳でもないが、小さな主人が戻って来ることを理解しているかのように悠然と構えていた。

 

(————いや、逃げるなら馬を置いていくはずもねえし、何よりさっきの様子からすると、親父とお袋の行方はどうしても知りてえはずだ。となると……)

 

 玄貂が考えを巡らせていると、眼の前の闇の中が一瞬キラリと光を発した。玄貂が数寸首を動かすと、背後の樹にブスリと鋭利な刃物が突き刺さった。掴み取ろうと手を伸ばした時には、刃物は煙状になり瞬く間に霧散してしまった。

 

「……なるほど、青龍派の中には暗器術に長けた奴も居るって話だったな」

 

 醜悪な笑みを浮かべて歩き出すと、第二、第三の光の矢が飛んで来る。玄貂は冷静に指で挟み取り前進を続けるが、続く攻撃は南西の方角から撃ち出された。

 

(林の中を迂回しながら放ってきてやがるな。だが放つ時に光を発してりゃ、俺に居場所を教えてくれてるようなモンだぜ!)

 

 玄貂は南西に向き直ると、姿勢をてんのように低くして林の中へと走り出した。その間も凰蘭は移動しながら暗器を放っているようだったが、玄貂は飛来して来る暗器を受けるのも面倒とばかりに必要最小限の動きで躱しながら、確実に射手との距離を詰めていく。

 

 徐々に暗器の撃ち出される間隔が短くなってきた事を感じた玄貂は口の端を歪めた。獲物は眼と鼻の先という証である。

 

「————見いつけたあっ!」

 

 奇声を上げて跳躍した玄貂はやぶを飛び越え、ひらけた場所へ着地したが、そこには樹々が茂っているのみで生物の姿はない。

 

「…………あ?」

 

 気の抜けた顔でつぶやいた時、かすかに背後から風を斬る音が聴こえ、玄貂は瞬時に亀の如く首を引っ込めた。次の瞬間には何かが凄まじい勢いで頭上をかすめ、眼の前の樹にドスッと突き刺さった。

 

 この攻撃でまげを落とされた玄貂は脂ぎった前髪の隙間から樹に刺さった飛来物を確認する。それは先ほどまでの矢のような暗器ではなく、三日月みかづき状のものであった。

 

「……なんだ、この形は……」

 

 再び玄貂がつぶやいた時、東北の方角から澄み切った声が耳に心地良く届いた。

 

「————残念。真っ直ぐ飛ばすだけが暗器じゃないのよ」

 

 驚いた様子で振り返った玄貂の鳩尾みぞおちに、凰蘭の渾身の双掌打がめり込んだ。

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