第六章『龍面の男(二)』
玄龍の姿を眼にすると青龍派の面々は声を失った。
それは玄龍が着けている滑稽とも思える龍面のせいばかりではない。細くしなやかなその体格から仮面の下の素顔は少年のものだと思われたが、その身に纏う空気はまるで歴戦の猛者のようであった。
「格好いいお面だな! 俺が勝ったらお前たちの正体と合わせて、どこで買ったのか教えてくれ!」
突然、正剛が眼を輝かせながら沈黙を破った。皆の視線が一斉に正剛に集まり、次いで玄龍へと向けられた。
「…………」
「おいおい! 俺たちはお前たちに馬を殺されたんだぞ⁉︎ それくらい教えてくれてもいいだろう!」
「……分からない。気付いた時には荷物の中にあった」
ここで初めて玄龍が口を開いた。仮面越しではあったが、その声はやはり少年のものであった。
「そんなことがあるのか! 不思議だな! だが、それを着けたまま俺と闘うのか? 視界は大丈夫なのか⁉︎」
「問題ない」
「ハッ、蘭陵王にでもなったつもりかい。その仮面の下は大層見事な御面相なんだろうねえ!」
正剛の問いかけに玄龍が静かに答えると、横から秀芳が吐き捨てるように言った。
「……玄龍の顔が、何だって……⁉︎」
玄龍の素顔に話が及ぶと、先ほどまで無表情だった玄豹が突然、満面に殺気を漲らせた。だが、元来短気で鉄火肌の秀芳は怯むこと無く応戦する。
「別に? ただ、仮面を着けて素顔を隠すべき者は他にもいるんじゃないかって話さ!」
「林姉さま、それは————」
玄豹の頬の痘痕を当てこすった秀芳の言葉だったが、いくら刺客とはいえ、それも同じ女性の身体的特徴をあげつらう言い様に凰蘭が思わず口を挟んだ時、突如玄豹の姿が揺らめいた。
「————林姉さま!」
「…………ッ⁉︎」
再び凰蘭が口を開いた時、秀芳は右頬に鋭い痛みを感じた。手を頬に当てるとヌルリとした生温かい何かが指先に伝わる。
————開いた手のひらは紅く染まっていた。
秀芳の右頬には四本の爪痕が走り、流れ落ちた鮮血がポタリと地面を濡らした。
背後からピチャリという音が聞こえ、秀芳が振り向くと、玄豹が自らの爪を舐めている姿が眼に入った。それはまるで、豹が獲物を仕留めて爪研ぎをしているようであった。
油断していたこともあったが、通り抜けざまに頬を傷つけ、背後まで走り抜けるとは恐るべき軽功である。だが、玄豹がその気ならば頸動脈を断ち切ることも可能だったはずだ。秀芳は今頃自分が地面に倒れて失血死していたかも知れないと思うと動悸が治まらず、声も出せずにいた。
ほどなくして玄豹が口元から爪を離し、舌舐めずりをした。鮮血の紅を引いて歪んだ笑みを浮かべるその様に、秀芳は思わずゾッとした。
「……これでアンタの頬にも消せない傷が残ることになったわね……⁉︎」
嬉しそうに言う玄豹の言葉に秀芳は逆上した。自分は誰もが振り返るほどの美人ではないという自覚はあったものの、肌のきめ細やかさには些かの自信があったのだ。
自慢の肌に一生消えない傷痕を付けられた秀芳は、先ほどまでの恐怖もなんのその、眼を血走らせて玄豹へと斬りかかった。
「————殺してやる‼︎」
「やってご覧よ。その前に今度は左の頬に爪痕を付けてあげるわ……!」
応戦するように玄豹が構えるのを見た玄貂が慌てて声を掛ける。
「おい待て、玄豹! その女は俺が————」
しかし玄豹と秀芳は聞く耳を持たずすでに手を交えており、今更止めることなど出来そうもない。
「チッ、しょうがねえ。一つ貸しだからな、玄豹」
玄貂は頭を掻きながら凰蘭へと向き直ると、満面に下劣な笑みを貼り付けて口を開いた。
「……それじゃあ、俺はこっちのお嬢ちゃんに相手をしてもらおうかね……!」
「やれるものならやってみなさいよ! あなたなんか怖くないわ!」
凰蘭は額に汗を浮かべながらも、自らを鼓舞するように叫んだ。
『————蘭‼︎』
正剛と迅雄が同時に声を掛け、凰蘭の元へと駆け寄ろうとしたが、それぞれ行く手を龍と狼に遮られた。
「貴様の相手は俺だと言ったはずだ」
玄狼があくまでも冷静に言うと、迅雄は声に怒気を込めた。
「玄冥派と言ったな! いいだろう、まず貴様から片付けてやる!」
刀を手に迅雄が玄狼に襲い掛かったその隣では、玄龍が無言で正剛の前へ立ちはだかっていた。
「確か玄龍だったな! お前はなかなか面白そうな奴だが、蘭が危ないんでな! 全力で行かせてもらうぞ!」
「……『蘭』……?」
玄龍は『蘭』という名前が気にかかるようだったが、一刻も早く凰蘭を助けに行きたい正剛は構わず槍を突き出した————。




