第六章『龍面の男(一)』
妖怪『鴆』の退治を終えた凰蘭たちは夜の間に付近の鎮に向かうべく、街道を馬で進んでいた。幸い今夜は天高く月が昇っており、足元を照らす明かりは確保出来ていた。
正剛は先頭を走る迅雄の隣に轡を並べて不思議そうに話し掛けた。
「張師兄! どうしてこんな暗いうちに馬を飛ばすんですか?」
「鎮には宿がある」
「寝るだけなら野宿でもいいじゃないですか!」
「野宿なんて嫌よ」
「ええ⁉︎ 野宿くらい今まで何度でもしたじゃないですか?」
横から口を挟んできた秀芳に正剛が言い返すと、何かに気付いた凰蘭が手を振りながら言う。
「私なら大丈夫です! 気にしないでください!」
「別にあなたのためじゃないわよ。私はちゃんと寝台で眠りたいの」
秀芳は顔を背けながら突き放すように言った。その言葉は表面上は冷たいものだったが、奥底には温かいものが感じられ、凰蘭は胸が熱くなった。
「……ありがとうございます……!」
「あ! だったら今からでもさっきの村に戻って一晩宿を借りればいいじゃないですか!」
凰蘭の礼の言葉は、まるで隠された財宝を見つけた時のような正剛の声にかき消された。
「……正剛、お前は腕は立つがもう少し頭を働かせることを覚えろ。我々が宿を借りれば住民にいらん気を遣わせることになるだろう」
「ああ! なるほど、そうですね! 頑張ります!」
迅雄の言葉がどれだけ響いたかは定かではないが、正剛は拳を握って高らかに声を上げた。その様子を見た迅雄と秀芳は無言で首を振り、凰蘭は優しく微笑んだ。
しばらく走り、左右を林に挟まれた道に差し掛かった際、不意に星河が脚を止めた。
「蘭? どうした?」
「いえ、急に星河が…………」
迅雄たちも馬を止めて声を掛けてみるが、星河はキョロキョロと首を振って落ち着きがない。
「星河、どうしたの?」
凰蘭は星河の首を撫でながら話し掛けるが、星河は何かを思い出したように鼻を鳴らすばかりで凰蘭の声には反応を見せない。その時、正剛が先ほどまでとは打って変わった様子で口を開いた。
「……蘭、俺の後ろへ隠れてろ……!」
「柳兄さま……?」
正剛のただならぬ様子に凰蘭がつぶやいたと同時に、
『ヒヒーンッ‼︎』
馬たちが一斉に大きくいななき、脚を折ってその場に崩れ落ちた。異変に気付いた乗り手は一瞬早く鎧を外して宙へ舞い、馬と共に転倒することは免れた。
「こ、これは……⁉︎」
凰蘭が星河の背に乗ったまま口を開くと、正剛・迅雄・秀芳の三人が華麗に宙返りして着地した。続いて視線を倒れた馬たちに送ると、喉に深々と小刀が突き刺さっており、三頭の馬はすでに事切れていた。
「へー、あの白馬、俺の暗器を躱しやがったぜ」
西の林の中から下卑た男の声が聞こえてきたと思うと、音も無く三人の男女が姿を現した。
男たちは闇夜が溶けたような漆黒の衣服を纏っており、同門の者と窺い知れた。
「何者だ? 何故こんな真似をする……⁉︎」
突然襲撃され馬を失った迅雄は腸が煮えくり返っていたが、相手の素性が定かではないこともあり、まずは怒りを収めて少しでも情報を得ようと試みた。
「……先ほどの手並は観せてもらった。貴様ら、青龍派だな?」
しばしの沈黙の後、先頭に立つ痩せた狼のような男が口を開いた。先ほどの退治の様子を隠れ観られていたと思うと迅雄はあっと声を上げかけたが、表情には心中の動揺を見せずに言う。
「質問しているのは俺だ。もう一度言うぞ、貴様らは何者だ⁉︎」
「……我らは『玄冥派』……」
「玄冥派だと……?」
「貴様らに恨みは無いが命を貰おう……!」
狼を彷彿とさせる男————玄狼が静かに宣言すると、青龍派の面々は得物を抜き、秀芳に至っては剣を玄狼に突きつけ怒号を上げた。
「命を貰うだって⁉︎ やれるものならやってみなよ!」
下卑た声の持ち主————玄貂は秀芳の剣幕に舌舐めずりをする。
「玄狼兄貴、この威勢のいい女は俺に譲ってくださいよ」
「いいだろう。俺はこの刀使いを相手しよう」
玄狼が迅雄を指差し答えると、玄貂はそばに立つ女に顔を向けた。
「お前にはあの乳臭えガキをくれてやるよ。ただし、あの白馬は殺るんじゃねえぞ。あいつも俺が貰う」
「……お好きにどうぞ」
頬に豹を思わせる痘痕を持つ女————玄豹は冷めた声で短く返事をした。
ここまで黙って玄冥派のやりとりを聞いていた正剛が、突然槍を振り回して声を上げた。
「『厳命派』だか『言明派』だか知らんが、勝手に話を進めるな! お前らのような卑怯者共は俺一人で充分だ! まとめて掛かって来い!」
「お前の相手はこの男がする」
玄狼が乾いた声で言うと周囲の空気がピンと張り詰めた。気温すら下がったように感じられた時、背後の闇から影のように一人の男が現れた。
「任せたぞ、玄龍……」
「…………」
玄龍と呼ばれた男が無言で歩を進め、正剛の前へ立ちはだかると、男の顔を見据えた正剛の眼が驚きで一瞬見開かれた。
月明かりに照らされた玄龍の顔はその名の通り、龍を模した面で覆われていたのである。