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第四章『虎の娘(四)』

 ほうほうのていで天井裏から這い出した凰蘭オウランは自室へと戻ることにした。

 

 その途中の廊下で何人かの青龍派の門人とすれ違ったが、歳の近い者は笑顔で話しかけたり挨拶を返してくれたが、やはり三十代くらいになると無言で会釈をする者はまだいい方で、ひどい時はあからさまに黙殺する者、果ては強烈に睨みつけてくる者すらいた。

 

 このような対応はやはり気分が良いものではないので、ハッキリと物を言う性格の凰蘭は一人の中年の門人を捕まえて問いただした。

 

「あの! 以前まえから思ってたんですけど、私が何かしましたか⁉︎」

 

 突然詰め寄られた男は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに真顔に戻って口を開いた。

 

凌姑娘リョウクーニャン、何のことですかな……?」

「とぼけないでください。今すごい眼つきで私のことを見てましたよね?」

「……いえ、そのようなつもりは。申し訳ありませんな、私は生まれつき眼つきが悪いものでして……」

 

 男は眼を逸らしながら答えた。その言葉に感情というものは籠もっておらず、それが凰蘭の気持ちを逆撫でした。

 

「————嘘! 私に言いたいことがおありなら、ハッキリとおっしゃってください!」

 

 拳を握り締めて凰蘭が更に詰め寄ると、男の眉がピクリと動き、その顔に一抹の感情が現れた。

 

「……そこまで言うなら教えてやろう、お前の————」

「おい! そこで何をしている!」

 

 その時、別の門人が声を掛けてきた。男はハッとした表情を浮かべ、再び口を閉ざしてしまった。

 

「すみませんな、凌姑娘。我らはこれから鍛錬がありまして……」

 

 そう言うと後から来た門人は、何か言い掛けた男を引っ張って行ってしまった。

 

「————もう!」

 

 長年のモヤモヤとしたものが晴れるかも知れなかったのに、すんでのところで邪魔をされた凰蘭は思わず地団駄を踏んだ。

 

 釈然としないまま凰蘭が自室に戻ると、部屋の前に二名の女が立っていた。昼間、自分を書房に連行した女たちである。

 

「……見張り、ということですか?」

「いえ、お客さまにもしものことがあってはなりませんので用心のためです」

 

 凰蘭の問いに右側の女がやはり感情を籠めずに答える。

 

(……『お客さま』……か。確かに私は正式な青龍派の門人ではないけど、身内ですらないというワケね……)

 

 しかし、凰蘭はそんな内心をおくびにも出さないどころか、満面の笑みを浮かべて話しかけた。

 

「それは心強いですわ。それでは是非、一睡もせずに一晩中立ちっぱなしでお願いしますね」

 

 この皮肉たっぷりの言葉に、今まで無表情だった女たちの眉が一瞬ピクリと吊り上がった。

 

 その様子を眼に収めた凰蘭は満足そうに微笑むと、バタンと扉を閉めた。

 

 

 

 ————明け方、最も睡魔が人間の眠気を誘う時刻————、女たちの我慢は限界に達しようとしていた。

 

 人は何かに没頭していれば眠気にある程度堪えられるものだが、ただ突っ立っているだけ————、それも見張る対象が気の進まぬ相手となると睡魔はいよいよ凶暴になってくる。

 

 その時、背後の扉がゆっくりと開き、眠気まなこの凰蘭が顔を出した。

 

「どうしました? 凌姑娘」

 

 凰蘭は眼をこすりながら、少し恥ずかしそうにつぶやいた。

 

「すみません、その……、お手洗いに行きたくなって……」

「ああ、それでは————」

 

 面倒臭そうに左側の女が口を開いた瞬間————、青い影が揺らめいて女たちの間を通り過ぎると、女たちは身体中の力が抜け、もつれ合うようにその場に崩れ落ちた。

 

「あら、お姉さま方、そんなに眠たかったんですの?」

『…………‼︎』

 

 先ほどまでいかにも起き抜けのような表情だった凰蘭が、眼をパッチリとさせて微笑んだ。

 

「覚えておいてください。猫は手懐てなずけることは出来ても、虎のを飼い慣らすことは叶わないのだと……」

 

 女たちはこのクソ生意気なドラ猫に指を突きつけてありとあらゆる罵詈雑言を浴びせてやりたかったが、凰蘭に経穴ツボを突かれたせいで立ち上がることはおろか、声を出すことすら出来ない。

 

 女たちに唯一できる抵抗は血走った眼で睨みつけることだけだったが、逆に凰蘭は優しげな眼で女たちを見つめ声を掛けた。

 

「……龍悟リュウゴおじさまとケイおばさまに伝えてください。『今まで育てていただいて、本当にありがとうございました』と……!」

 

 凰蘭の頬に光るものが伝い足元にポタリと落ちた時には、その姿はすでに女たちの前から消え去っていた————。

 

 

 

 早朝の厩舎では、牧童の琳見リンケンが馬たちに餌やりをしているところであった。

 

「よしよし、誰も取らないからゆっくり食べるんだぞ」

「————琳見!」

 

 突然名前を呼ばれた琳見が振り返ると、入り口に青い服の少女の姿が見えた。

 

「凰蘭さん! おはようございます。こんな朝早くからどうしたんですか?」

「琳見! 外へ出るわ! 早く星河セイガの準備をお願い!」

「え? でも、そんな届出は聞いてませんけど……」

 

 琳見が戸惑っていると、痺れを切らした凰蘭は馬具を着ける時間も勿体ないとばかりに琳見を飛び越え、星河の背中へヒラリとまたがった。

 

「星河! 父さまと母さまと龍珠リュウジュを捜しに行くの! お前の力を貸して!」

 

 凰蘭の願いを瞬時に理解した星河は軽くいななくと、馬房の柵を突き破って走り出した。

 

「凰蘭さん!」

「今までありがとう、琳見! 再見さようなら!」

 

 凰蘭は爽やかな笑顔を残して厩舎を後にした。

 

 

 

 『敖光洞ごうこうどう』の裏口へと続く通路を一人の少女と一頭の白馬が凄まじい速度で駆けて行く。

 

 行き当たった門人たちは止めようと一斉に腕を伸ばしたが、星河は華麗に跳躍して追跡の手を逃れた。

 

「いい子ね! さすがよ、星河!」

 

 見事に着地した星河を凰蘭が褒め称えた時、前方の裏口にリュウチョウリンたち三人の姿が見えた。

 

(————柳兄さまたちだわ!)

 

 正剛セイゴウたち三人も各々馬に乗り、裏口の大門をくぐろうとしているところだった。この裏口は門人が任務に出立する時にだけ開かれるもので、この機会を逃せば脱出は限りなく難しくなるだろう。

 

 その間にも大門はジリジリと閉じられていき、今にも閉じられようとしている。星河は凰蘭の心中を察したように速度を上げたが大門までは距離があり、このままでは到底間に合わない。

 

「————星河! お願い‼︎」

 

 凰蘭が声の限りに叫んだ刹那、星河の脚の先から炎が吹き出し、その身体を重力から解放した。

 

 先ほどまでとは比べ物にならない速度で星河が宙を駆け、人ひとり分ほどの幅となった大門を閉じられる寸前でくぐり抜けた。

 

「————ラン⁉︎」

 

 頭上を飛び越えて行く凰蘭と星河の姿を認めた正剛が大声を上げた。

 

「柳兄さま! 私も父さまたちを捜しに行くわ!」

 

 虎の娘は決意を秘めた瞳で龍の巣を飛び出して行った————。


  ———— 第五章に続く ————

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