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第四章『虎の娘(三)』

 星河セイガに慰められた凰蘭オウランは気を取り直して厩舎を後にした。

 

 凰蘭も年頃の少女のご多分に漏れず、些細なことで落ち込むこともあったが、竹を割ったような性格の父親によく似ていたため切り替えも早かった。

 

龍悟リュウゴおじさまがリュウ兄さまたちを呼び出した理由はなんだろう?)

 

 ふと疑問が湧いて来ると途端に疑問は興味へと変わり、思い立ったが吉日を地で行く性分の凰蘭は、先を進む正剛セイゴウたちの後をけることを即断した。

 

 急いで廊下の角を曲がると、通路の先に正剛たちが歩いているのが見えた。確かに掌門のへと向かっているようである。

 

 掌門の間の前には扉を守護する門番が二名立っており、許可を得た者しか足を踏み入れることは出来ない。

 

 凰蘭はうっすら笑みを浮かべると、音も無く跳躍して天井に張り付いた。指で押すと天板がずれて空間が現れ、素早く身体を踊り入れた。

 

 この屋根裏の通路は九歳の頃に探検をしていて偶然見つけたものだ。先ほどもこうやって叔父の部屋に侵入したのである。

 

 叔母のしごき————もとい、訓練から逃れるため体得した気配の消し方や軽功にはいささか自信がある。凰蘭が気配を消して移動すると、そばを通るネズミさえも気付かなかった。

 

 掌門のの真上に移動すると、数名の話し声がボソボソと聞こえてきた。凰蘭が眼を閉じ、耳に氣を集めると、ボソボソとした話し声が次第に鮮明に聴こえてくる。

 

『————では、我ら三名で探索に当たれとのおおせですか、師父』

『そうだ。任務の合間で構わない。あくまでも妖怪退治を最優先としてくれ』

 

チョウ兄さまとおじさまの声だわ)

 

『承知いたしました、師父。それでは明朝、出立いたします』

 

(これはリン姉さまの声。明朝に出立…………)

 

『うむ。正剛は残ってくれ。少し話がある』

『はっ!』

 

(ふふ、柳兄さまの声は耳を澄まさなくても良く聞こえるわね)

 

 正剛の大きな声が聴こえてくると、二人の男女が部屋を出て行く気配が感じられた。

 

『師父! お話しとはなんでしょうか⁉︎』

『……正剛、お前は身体も心根も大きければ、声も大きいな。それは良いが、つつしみも覚えなければならないぞ』

『はっ‼︎』

『…………』

 

 正剛が一際大きく返事をすると長い沈黙の後、龍悟の声が聴こえてきた。

 

『最近は稽古を付けてやれていないが、修練は進んでいるか?』

『はい! 怜震レイシン叔父上に教わった通り、鍛錬を続けております!』

『…………』

 

 正剛の口から怜震の名が出ると、再び龍悟は沈黙した。

 

(柳怜震……、確か柳兄さまのおじさまで『神槍』と呼ばれるほどの腕前だったとか。私が産まれる前に亡くなられたと聞いたけど……)

 

『……正剛、お前ももう二十歳はたちになるのだったな』

『そうです!』

『任務から戻った時に改めて伝えることがある。必ず戻って来るのだぞ』

『はい! 失礼します‼︎』

 

 元気よく返事をして正剛は部屋を出て行った。

 

(柳兄さまに伝えたいことって何かしら?)

 

 凰蘭は興味をそそられたが、その時、この世で最も恐ろしい声が聴こえてきた。

 

『————正剛に柳師兄のことを話すの……?』

 

 声の主はケイである。心臓がキュッと縮み上がった凰蘭は思わず身動みじろぎしてしまった。

 

『……どうやらネズミ————いえ、ドラ猫が天井裏に潜んでいるようね』

『困った子猫だ。立ち居振る舞いは格好がついても、お転婆な性分は治まらないらしい』

 

 完全にバレてしまっている。凰蘭は青ざめた顔でそそくさと退散した。

 

 凰蘭が立ち去るのを確認した龍悟は重い口を開いた。

 

「……いつまでも隠している訳にもいかない。父が柳師兄に手を下したことを正剛に伝えなければならない」

「お義父さまはあの時正気ではなかったわ」

「それは言い訳にはならないさ。私があの時、父を止められていれば柳師兄は…………」

「そこまで自分を責めないで。あなただけのせいでは無いわ。あの男にだって…………」

 

 妻の言葉を龍悟が強い口調で遮る。

 

「慶、それは違う。あの時、柳師兄は自らの命を懸けて父を止めたいと願った。拓飛タクヒはそんな師兄の意を汲んでくれたんだ。君も武術家なら分かるだろう」

「…………」

 

 慶は思うところがあるようだったが、夫の言葉に反論しなかった。

 

「……真相を伝えてしまえば、正剛はあなたを憎むかも知れない……」

「その時は息子として、父の代わりに私が責任を取るつもりだ」

「責任って、まさか死ぬつもり⁉︎」

「正剛が望むのなら、甘んじて受け止めるつもりだ」

「……どうして……ッ」

「え?」

 

 突然、慶が声を張り上げた。

 

「どうして、あなたたちは簡単に命を捨てるなんてことが言えるの‼︎」

「け、慶……?」

「————あなたはあの子のたった一人の父親なのよ⁉︎」

「…………!」

 

 かつては慶も師父のめいであれば自らの命を捧げることになんの疑問も持たなかったが、子の母となってからはそうした考えは改まった。自らの命よりも大切なものを守るため、簡単に命を投げ出すことなど出来ないのである。

 

「————ああ! こんなことになるのならやっぱり、あの子をあの男に預けるんじゃなかった!」

「と、突然なにを言うんだ……慶。あの時は君も賛成してくれていたじゃないか……!」

「あの時はあなたの顔を立てただけよ。本心から賛成した訳じゃなかったわ」

 

 ここまで話すと、慶は嗚咽を漏らし始めた。

 

「……義姉さんたちは定期的に便りを送ってくれていたのに、五年前からパッタリとそれも無くなってしまった。義姉さんたちの身に何か起こったことは確かなのよ。でも、あなたは義姉さんたちや正剛のことばかりで、あの子の……龍珠リュウジュのことは口にすらしない……ッ」

「…………!」

「龍珠のことは、もうどうでもいいって言うの……⁉︎」

「馬鹿なことを言うのは止しなさい。そんなことがある訳ないだろう」

 

 龍悟は首を振って否定するが、慶は涙を流しながら非難を続ける。

 

「あなたは龍珠と向き合おうとせず、武術を教えるどころか会話すらロクにしなかった……!」

「…………」

「分かっているのよ。あなたはお義父さまとの確執から、龍珠に自分を重ねて見ている。自分がお義父さまのようになることが……、息子と正面から向き合うことが怖いのよ……!」

「————!」

 

 これには吐胸を衝かれたように龍悟の眼が見開かれた。

 

「あなたは、たった一人の息子を自分から遠ざけた臆病者よ……‼︎」

 

 顔を覆って慶は走り去って行ったが、龍悟は追いかけることなくポツリとつぶやいた。

 

「……龍珠…………」

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