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第三章『玄冥氷掌(四)』

 複数の男女の絶叫を耳にした龍珠リュウジュはおぼろげに意識を取り戻した。

 

 ゆっくりと眼を開けると、周囲は夜だというのに朝靄あさもやがかかったかのようで、向こう側は何も見通せない。

 

 この光景に龍珠はしばらく呆然としていたが、すぐにハッと気付いて大声で呼び掛けた。

 

拓飛タクヒおじさん! 凰華オウカおばさん‼︎」

 

 しかし辺りは静寂に包まれ、龍珠の呼び掛けに応える者はいない。

 

 痛む身体に鞭を打って立ち上がり、龍珠が再度呼び掛けようとした時、徐々に霧が晴れてきた。

 

「————そ、そんな……‼︎」

 

 視界に飛び込んで来た光景に龍珠は絶句した。

 

 

 ————そこには、虎と鳳凰の氷彫刻があった。

 

 

 『凌雲飛虎りょううんひこ』と呼ばれる稀代の侠客、リョウ拓飛とその妻、セキ凰華は重なり合った姿で氷のおりに閉じ込められていたのである。

 

 生きたまま全身を氷漬けにされた二人は鬼気迫る表情で、今にも動き出しそうな様子だったが、その身体に触れようとしてみても、固く冷たい感触だけが指先に残るのみだった。

 

「おじさん……、おばさん……!」

 

 龍珠は涙を流しながら呼び掛けるが、二人はもう、あの力強い笑みも優しい微笑みも向けてはくれない。

 

「……ハ……ハハハ……、ハーッハッハッハッハッ‼︎」

 

 龍珠が途方に暮れていると、かたわらに立つ玄舟ゲンシュウが愉快そうに高笑いを上げた。

 

 龍珠はその笑い声を腹ただしく思い、キッと睨みつけたが、見上げた玄舟の顔には更に深いシワが刻まれ、この数瞬の間に二十は歳を取ったかのようだった。

 

「……少々てこずったが、ようやく……ようやく、『玄冥氷掌げんめいひょうしょう』の完成といったところだな……!」

 

 満足そうに言うと、玄舟は大きく呼吸を乱し、その場に倒れ込んだ。同時に玄狼ゲンロウ玄貂ゲンチョウ玄豹ゲンヒョウの三人も疲労困憊といった様子で一斉に崩れ落ちる。

 

「何を、している……。貴様ら、ワシを屋内へ運べ……。直ちに気息を、整えねばならん……!」

「……は。しかし……師父、我らもすぐには身体が言うことを聞かず……!」

「…………」

 

 息も絶え絶えながら玄狼が答えるが言葉は続かず、玄豹に至っては声を発することも叶わないようだった。

 

「よくも……、おじさんとおばさんを……‼︎」

 

 その時、深い憎しみがこもった声が玄冥派の師弟の耳に届いた。

 

 声の方へ顔を向けると、死人のような顔色で眼を金色こんじきに爛々と輝かせた少年が凄まじい形相でこちらを睨みつけているのが見えた。

 

 この様子に玄狼は思わず寒気を覚えた。

 

 身体中の氣を使い果たし、動くことすらままならない今なら、自分たちを仕留めるのは赤子の手を捻るようなものであろう。だが、恐怖を覚えた原因はそれだけではない。

 

 玄狼は、十歳ほどの少年がここまで恐ろしい表情かおをすることを初めての当たりにしたのである。

 

 しかし、依然として身体は脳の指令を無視して動かず、出来ることといえば生唾を呑み込むことだけだった。

 

「……クケケ、てめえの相手は俺様がしてやるぜ、ガキぃ」

 

 下卑た笑い声と共に一人の男がゆっくりと立ち上がった。声の主は言わずと知れた玄貂である。

 

「玄貂……。貴様、先ほどは手を抜いていたな……⁉︎」

「い、いえ師父、私はこのような事態を見越して余力を残しておいたのです! 私がお守りせねば一体どうなっていたことでしょうか⁉︎」

 

 物は言いようだが、玄貂の言い分にも一理ある。玄舟ははらわたが煮えくり返っていたが、いま頼りになるのはこの下劣な三番弟子のみと言うこともあり、強いて怒りを収めた。

 

「……早く片付けて、ワシを運べ」

「はい、はい!」

 

 二つ返事をした玄貂は首を鳴らしながら、龍珠の前に歩を進めた。

 

「さーて、覚悟はいいかい、お嬢ちゃん?」

「……女じゃない、僕は男だ……!」

「おっと、そうだったかい? ……人形みてえに綺麗なツラしやがって。おめえみてえな二枚目な野郎を見ると、無性にぶっ殺してやりたくなって来るぜ」

 

 ニヤついていた玄貂の顔に殺気が宿った。

 

「……その綺麗な顔をズタズタに引き裂いてやる……!」

 

 その言葉通り、玄貂は龍珠の顔面に向けて音も無く手刀を繰り出した。この手には残しておいた真氣が込められており、ただの子供がもらえば顔どころか反対側の後頭部まで達してしまうだろう。

 

 刀の刃先が龍珠の端正な顔を切り裂くと思われた刹那、予想していた手応えは残らず、手刀は空を裂いたのみだった。

 

(————何⁉︎)

 

 攻撃を躱された玄貂の驚愕のほどは尋常ではない。全力とは言わずとも先ほどの手刀には八割ほどの力を込めていたのである。こんな子供に躱されるはずが無かった。

 

「クソッタレがッ!」

 

 歯噛みした玄貂は全力で左右の手刀を繰り出した。

 

 だが何度刀を振るっても、龍珠はまるで玄貂の手筋が解っているかのように首を逸らして攻撃を外してしまう。それどころか、手刀をよけながら徐々に間合いを詰めて来るのである。

 

 これには玄貂は驚愕を通り越して恐怖を覚えた。

 

「よ、寄るな! 寄って来んじゃねえ————ッ‼︎」

 

 半狂乱となった玄貂は右の手刀を龍珠の脳天に向けて振り下ろした。しかし、手刀は地面に突き刺さり、龍珠の姿はどこにも見えない。

 

「ど、どこへ————」

 

 首を振った玄貂が右側へ顔を向けた時、そこには金色に輝く双眸があった。

 

「ヒィぃぃぃぃ————ッ‼︎」

 

 玄貂が叫び声を上げた次の瞬間には右の脇腹に凄まじい衝撃を受けて、その身体は数丈先の塀へと吹っ飛んだ。

 

 塀へ激突して動かなくなった玄貂を尻眼に、龍珠はゆっくりと玄舟たちの元へ歩き出した。玄狼と玄豹は眼の前を通り過ぎて行く龍珠の姿を見送ることしか出来ない。

 

 龍珠は倒れ込んでいる玄舟の前で足を止めると、無表情で見下ろした。なんの感情も読み取れないその顔は、かえって先ほどの怒りに満ちた形相よりも無言の迫力を見る者に与えた。

 

 氷のように冷たい表情を携えたまま龍珠はかがみ込んで、小さな手をヒタと玄舟の顔に押し当てた。

 

 顔を覆う指の間から玄舟の眼が龍珠を睨みつける。

 

(こんな小僧に、このサイ玄舟が……‼︎)

 

 しかし玄舟の無言の抵抗も虚しく、龍珠は冷徹につぶやいた。


「……お前だけは、許さない……‼︎」


 掌に力を込めた時、突如眼の前が暗転して、龍珠は何も分からなくなってしまった————。


    ———— 第四章に続く ————

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