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この中に1人男の娘がいる! いや、まぁ僕なんだけどね7

「おぉ、立派立派」

 決して広くはないのだけど、年季の入った木製の浴槽と黒色の石畳を使った昔ながらの落ち着いた雰囲気の風呂場だ。浴槽には絶え間なく、そして惜しみなく温泉が天井から注がれており、小さな滝のような光景になっていた。

 シャワーの前で頭と体を順に洗って浴槽に浸かった。一人で入るには十分な大きさで、足をめいいっぱい伸ばしてもゆとりがあった。

「ごくらくごくらく……」

 凍り付いていた体が溶けていく。体の体積が減っていくような妙な感覚。ぼう、としばらく天井を見ていた。湯加減もほどよくて、永遠に入っていられそうだ。

 ふと、自分の両手を見る。

 あれ? 小さくなってない? 世の男の平均値をはるかに下回る身長の僕だけど、手は小学生みたいに小さくはないぜ。

 若返りの湯――三十路の彼方ちゃんの幼女のような姿見――。

「いやいやいやいや!」

 僕はとっさにほっぺたをつねる。

「痛くないや」

 つまるところ、夢落ちだった。あまりに心地よくて浴槽の中で眠っていたようだ。目を覚まして手を見ると、元の大きさの――ただしふやけた両手だった

「そろそろ出よう」

 ゆでだこになってしまった僕はふらふらと外に出る。そして、しばらく体を冷ましたあとにゴシックロリータを着なおした。

 時刻は気付けば六時だ。三十分後には晩餐が始まる。まだまだ火照る体を冷ますために、僕は散歩に出ることにした。玄関でおでこ靴をうんしょと履いて廊下に出る。温泉であったまって寒さに対して無敵モードになっている今が外を出歩くチャンスだ。湯冷め? 知らないなぁ。

 冬の空はすっかり暗くなっていた。月や星はない真黒なペンキを塗りたくったかのような夜だ。周りには背の高い山があるはずだけど、その様子はかけらも見えない。温泉街の中だけは、街灯と旅館から洩れる暖色の光でやわらかく照らされていた。

 ほんの二百メートルほどしかない温泉街の大通りは、川を挟んで二つのラインに分かれていた。僕達が泊る二月壮側の通路をぶらりぶらりと歩き、次に対岸の通路を散策した。足跡はバス停から二月壮に向かうところ以外残っておらず、僕が初の探索者みたいだね。

 脳が茹で上がるくらいあったまってたから、肌を突き刺すような寒さも今は逆に心地いい。

「あ、足湯があるんだ」

 バスの駐車場がある入り口側に、東屋があり、その下にはもうもうと湯気を吐く足湯コーナーがあった。まだ少し時間があるから堪能していこう。

 さくさく。サクサク。

 違和感。僕の足音に重なって、もう一つ他者が雪を踏む音がする。背後を歩く者に愚鈍な僕はようやく気付いた。

 川の水が流れる音とこぽこぽと足湯が温泉を吐き出す音以外は静寂に包まれたこの場所でなければ、その追跡者には気づけなかっただろう。

 身がすくんだ。

 なぜなら、背後の存在は意図的に気配を消して、僕に迫ってきてるからだ。

 人間? 獣? 幽霊?

 いずれにしても、意味がわからない。今日来ている人たちの中に友達がいるのなら、驚かせようとしているのだと断ずることもできるけど、まだ悪戯をされるほど仲良くなった子はいない。

 そういえば、如月さんが言ってたよね。この地には猫の幽霊がいるって――。まさか、そいつ?

 ザッ!

 背後の存在が跳んだ。間違いなく、僕に跳びかかってきた。

「うわぁあああああああああ!」

 とっさに振り向いて襲撃者に対処しようとする僕。

 ぽふっ。

 襲撃者のやわらかい部分が僕の顔面に押し付けられる。それでも、勢いは相当なもので僕は地面に押し倒されてしまった。雪のおかげでかろうじて後頭部を強打せずに済んだ。

 僕の顔面に押し当てられるこれは――。

「おっぱい!」

「は?」

 顔に押し付けられているそれの名称を言ったのは決して僕ではない。襲撃者のファーストコミュニケーションに思わず耳を疑った側だ。

「さわらせるですます!」

 もぞもぞと、僕のマウントを取る子の両の手が胸にむかってくる。

 それだけはだめだ! 男の僕にはおっぱいなんて皆無! 一応、パッドは入れてあるけど、触られたらそれは一瞬でバレる。女の子もパッドを入れることはあるだろうけど、できるならバレたくない。胸の表面を触られたけど、揉まれる前に両手を抑えつけた。相手は女の子なので、さすがに力負けはしない。そのまま力づくで押し返す。女の子の上半身を起こさせると、ようやくその子の顔が見られた。

 亜麻色の髪と雪のように白い肌。僕に乗っかる女の子は間違いなく日本人ではない。ぱっつんと一の字に切られた前髪の下から覗く夏の空のように透き通った青い瞳が不満げに僕を見る。

「なぜですます?」

「なぜ、というのは、『なぜおっぱいを触らしてくれないのか?』ということかな?」

「そうですます」

 日本語の扱いはまだ不慣れなようで、言葉の端々にぎこちなさを感じる。

 しかし、この体勢と景色は目に悪い。この子は、夏に着るようなショルダーレスのワンピースを身にまとっている。胸の方はかなり立派なものをお持ちで、谷間がまざまざと見えてしまう。密着部位も多くて、油断していると息子の方が過剰に反応してしまいそうだ。

「普通、触らせないと思うぜ」

「もっとも、ゆうしゅうなこみゅにけーしょんですます」

「どこの文化だよ!?」

「にほん」

「初めて知ったよ!」

「なまえ言ってないのがまずいです? ぼく、レイラ・シャラポワ」

 にこっと花火が咲くような笑顔。その口元からは八重歯がのぞいていた。名前から察するに、ロシアの子かな。

「ご丁寧にどうも。僕は赤目薫――って、名乗っても触らせないよ!?」

「なぜですます?」

「なぜって……」

 どう説明すればいいんだ。理屈、論理、道徳、常識、どれを根拠にしても通じそうにない。

「とにかく、ダメなものはダメ!」と、結局こっちもごり押しで拒否をする。

「むぅ、こうかんど足りない?」

「それでいいよ」

「なら、しかたないですます」

 それで納得したのか。もう僕の息子も限界でいよいよ立ち上がりそうなとき、ようやくレイラちゃんは離れてくれた。それで、ようやく僕も体を起こせた。背中にいっぱい雪が付いちゃったぜ。

 ぱっぱっと雪を払いながら、目の前に現れた変質者を観察する。

 どこからどう見ても薄手のワンピースしか着ていないよね。しかも裸足じゃん!? この子の周りだけ季節は夏なの!?

「寒くないの?」 

「ぜんぜん! ちょっとだけ足はつめたい!」

 氷点下ン十度の地を生き抜くロシア人にとってこの程度の低温は朝飯前とでも言うのか? 幽霊だって言われた方がまだ説得力あるぜ。

「足が冷たいなら、一緒に足湯にでも浸かっていく?」

「ろてんぶろ? ふくぬぐですます?」

「ストップストップ!」

 僕が足湯を指さすと、服に手をかけるレイラちゃん。この子の中では、僕は同性だけど、それにしたって恥じらいなさすぎでしょ!

「こうやって足をつけるんだぜ」

「ははー」

 腰掛に座って足湯に入るというのを教えてあげる。

 亜麻色の髪の上に雪を積もらせた白雪姫ならぬ粉雪姫は、僕の真似をして隣に座った。奥手な人が多い日本人だったら絶対対面に座っていたでしょ。どうして隣で、しかも触れ合うような距離なの? ロシアよりアメリカばりの距離感だよ、これ。

「あったかいですます~。にほんさいこ~」

 緩んだ声を発しているけど、レイラちゃんの瞳が時折獲物を狙うトラのものになっている。僕の胸を狙っているような気がするぜ。

 たった今からこの子は、僕の要注意人物リストに追加だ。下手をすれば、レイラちゃんが原因で僕の性別がバレる。

 無遠慮なボディタッチは、僕にとっては致命の刃であり、絶対に受けられない。

 それから、おっぱいを触られないように警戒しながら足湯を楽しむ羽目になったのだった。

「そろそろご飯の時間だね」

 結局、いつまでたってもレイラちゃんが寒さで先に旅館に帰ることはなかった。この子の寒さへの耐性は本物だ。

「おんなからだもり! たのしみ!」

 一文字に切られた前髪の下にある輝く瞳は、どの角度からもよく見える。

女体にょたい盛りのこと? さすがに出ないから!」

「にほんの三大でんとーりょーり?」

「……」

 無垢なこの子に変な知識を仕込んだ人をぶん殴りたい。三大のうちの残り二つも絶対にろくでもない料理を教えてるでしょ。

「とにかく、それは出ないから」

「ええー」

 わかりやすくがっくりと肩を落とすレイラちゃんだった。そもそも、女の子が女の子の体に盛られたご飯を食べてうれしいものかな? まぁ、もしかしたらレイラちゃんがレズの者なのかもしれないけどさ。

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