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この中に1人男の娘がいる! いや、まぁ僕なんだけどね6

「滑らないように足元に気を付けてくださいませ」と、注意した如月さんは快晴の空の色をしたマフラーと手袋を付けて猫娘系バーチャルアイドルの岸花さんのノートPCを持つ。

「ありがとにゃー」

「いいえ、いいのですよ」

 二人? はバスを降りて行った。まさか、主催者直々にあの子を運ぶなんてね。

 一番前列の席である僕は、オーディション参加者の中で一番最初にバスを降りる。

「さむっ!」

 すでに薄暗くなった駐車場に降り立った感想がそれだ。気温は間違いなく氷点下で、風がほっぺたを突き刺してくる。遅れて温泉地特融の硫黄のにおいが鼻孔を満たした。

 三百六十度雪化粧を施された山に囲まれており、人里から隔離されている。有名な温泉街だけど、駐車場は小さくて十台くらいしか止められないんじゃないかな。普段だったら常時観光バスで埋まってるはずだけど、僕達が乗ってきたバス以外は止まっていない。銀閣温泉街を貸し切りにしてオーディションをやるってのは本当なんだね。

 銀閣温泉街は、もともと魅力はあるけれど無名な土地だった。<February>がコマーシャルを担当したことで、世間に認知されて一気に有名観光地になった。そういう関係で、<February>のオーディションなら、と温泉街側も協力してくれているのだろう。

 けど、それにしてもオーディションのために観光地を丸々一つ貸切るってのも、豪華な話だよねえ。それだけ新人に期待しているし、ボクっ娘を大切にしていきたいという意思の表れなのだろう。

「ほわぁっ!?」

 次に降りてきた桜島さんが、如月さんの注意を受けて間もないのに早速足を滑らせた。僕はとっさにその小さな体を支えた。ぽふっと、桜島さんの顔がおへその部分に埋まる。

 やわらかいボクっ娘の二の腕が右の手の中に! 左腕にちょっと胸が当たってる!

 幸せが幸せが幸せがこみあげるこみあげるこみあげる!

 ぷるぷるとスライムみたいに気持ち悪く体を震わせる僕。桜島さんはというと、なぜか僕のお腹に顔を埋めたまますんすんとにおいを嗅いでいた。

「飼い主のにおいを確かめる犬か!」

「ご、ごめんね」

 我に返った桜島さんは、とっさに僕から距離を取ってまたこけそうになる。

「いいぜいいぜ。というか、桜島さんは寒くないの?」

 この子は丈の長いニットの下、つまり太ももより下はほぼほぼ無防備だ。ニーソックスは履いているけれど、この極寒の地ではまさしく凍り付くような寒さを味わう羽目になるだろう。

「さ、寒いよ」

「上着は持ってこなかったの?」

「に、荷物の中」

「待ってて。取ってくるぜ」

「え、悪いよ」という桜島さんの言葉も聞かずに、僕は荷下ろしをしていた運転手さんから<桜島>のネームプレートが付いたキャリアバックと自分のキャリーケースを取ってきた。

「ありがと」

 キャリアバックの中をごそごそと漁り、「あれ? あれ~?」と首を傾げる桜島さん。

「どしたの? まさか、外着をなくした?」

「うぅ~……」

 図星のようだ。この真冬に外套をなくすなんて、一体全体なにがあったんだ。

「バスの中には?」

 すぐに確認したけれど、桜島さんの外套はなかった。

「たぶん朝ご飯食べた場所に忘れちゃったんだ……。激辛唐辛子担々麺食べて、暑くなってそのまま出たんだと思う。やっぱり、ボクってポンコツだよ。はぁ」

 自分が嫌だ、と言外に表すように大きなため息をつく。

 僕は自分のキャリアケースから真っ赤なフード付きマントの外套を取り出した。ゴスロリに合うアウターウェアを独断と偏見で選んだ結果がこれだ。

「はい。これ着なよ。僕は見ての通りけっこう厚着だからしばらく大丈夫そうだからさ」

「矮小なボクの代わりに赤目さんが寒い目にあうなんてダメだよ」

「いいから着なよ」

 なかば押し付ける形で、桜島さんに外套を着せる。赤いフードを被ったこの子は、赤ずきんちゃんみたいで、不思議の国のアリスじみた如月さんとセットでいるとおとぎ話の一コマに入り込んだようだ。

「あったかい……ありがと」

「ただの善意の押し付けだぜ」

 ちょっとかっこつけて、肩をすくめてみたりした。よくよく考えたら恰好を付けたところで、女の子の姿なのでまったく意味ないんだよね。

「みなさん、お忘れ物はございませんか? では、参りましょう」

「出発にゃー」と、如月さんの腕に抱かれる岸花さんが言う。

 ガイドのように如月さんが先頭に立ってオレンジ色の光が灯る温泉街の方へと歩き出す。

「うわぁ、きれい」

 湯気を吐く幅の狭い川を挟むようにレトロな旅館が立ち並んでいる。街灯にはすべて暖色が使われており、昭和、いやいやもっと遡った大正、明治の風味を感じる。その雰囲気を一言で表すならば、文豪が腕を組んで歩いていそうな場所――とでも言えばいいだろうか。

「みなさまに泊っていただくのはここ、<二月壮>ですわ」

 三階建ての建物で、瓦の屋根には分厚い雪が積もっている。軒先には大人の腕の太さほどはあるつららが垂れ下がっていた。黒塗りの木の枠にはめ込まれた窓にはレースのカーテンがかかっている。旅館の正面には、赤塗りの手すりがある橋がかかっている。

まん万広まひろの神隠しの旅館みたい」

 白い呼気を長く長く吐きながら桜島さんが旅館を見上げる。

 桜島さんの感想もうなづける。一説によれば、この温泉街がモデルになったと言われてたけど、実際は違うみたいだね。

 それでも、予想以上にいい場所だぜ。今度、個人的な観光でも来るとしよう。

 旅館のロビーに入ると、そこには薪を燃やす暖炉があり、凍り付き始めていた体を溶かしてくれた。

「ようこそ、私の二月壮へ。新規の方も歓迎ですよ。女将の彼方小百合と言うのですよ」

 女将さん? やけに若い、ってか幼い。中学生になったか否かの境目の袴を着た少女が僕達を出迎えた。

「どうも、お久りぶりですわ彼方。今回もお世話になりますわ」

「如月はんの申し出とあれば断れないのですよ」

「こんな幼女が旅館の女将とは、驚きだぜ」

「むっ」

 まっとうな感想を漏らした僕だったけど、彼方ちゃんににらみつけられた。

「これでも、彼方は三十路を歩み始めた女性ですわ」

「えっ!?」

「その通りなのですよ」と、口を小鳥のくちばしのようにすぼめる仕草もまた子供っぽい。

「銀閣温泉は若返りの湯と言われています。それに毎日浸かって過ごした結果なのかもしれませんわ」

 小中学生のようなロリな大人を創り出すほどの効果があるのか……恐ろしい。

「子供のころから浸かっていたら、残念な結果になるかもしれませんが、適切な年齢で浸かれば若さが保てる――アイドルにとっては魔法のような場所かもしれませんわね」

 たしかに。

 頷きたいけど、如月さん。彼方ちゃんがジト目で見てるぜ。その言葉は、彼方ちゃんを煽るには十分すぎる威力を持っている気がするぜ。

「彼方から皆様各々に部屋の鍵が配られます。この後、六時半からある晩餐まで今日は予定はありませんので、ご自由にお過ごしくださいませ。ぼくたん的には、一度温泉に入ってみることをおすすめいたしますわ」

 僕は301号室のカギを渡された。他の人にはにこにこと笑顔で接していた彼方ちゃんだけど、僕のときだけそれが消えたのは気のせいかな? 気のせいってことにしとこう。

 どうも、オーディションに参加するボクっ娘達は全員三階の部屋にまとめられたらしい。みな階段を上がって、それぞれの部屋に荷物を運びこんでいく。

 部屋は広々とした和室だった。本来は家族で使う部屋なのだろう。一人じゃあちょっと寂しいかも。窓から見える景色は、レトロな旅館と処女雪、そして温泉が混じり湯気を吐く川と実に味がある。

「さて、お風呂かぁ」

 本当は大浴場を使いたいんだけど、男湯に入るのも女湯に入るのもリスクが高い。

 幸いなことに個室にも浴場があり、しっかり温泉が引かれているみたいだ。源泉は一緒だろうからここもきっと若返りの湯の一部なのだろう。入ったら肌がぴちぴちのきゅぴきゅぴきゅぴになるに違いない。女の子として嬉しい限りだぜ。まぁ、女の子でもないし、肌の劣化を気にするような歳でもないんだけどさ。

 着替え場でゴスロリ衣装をうんこらせと苦労して脱いで、風呂場へとつながる横戸を開けた。その瞬間、硫黄の香りが一層濃くなった。

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