ウルフレコード〜外伝〜
さぁて、どこから話そうか。と言ってはみたがまぁ順を追って話すとしよう。この僕、神重始の過去って奴を。
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物心ついた時から、母は父から暴力を振るわれていた。いわゆるDVってやつだ。当然の様に僕も暴力を受けていた。だがそれが普通だと、当時は思っていた。
「始くんは家族で出掛けたりしないの?」
疑問を覚えだしたのは小学2年生辺り、クラスメートにそう聞かれた時だった。
「なんで?」
「だって、始くんが家族の話ししてるの聞いたこと無いから」
クラスメートとしては、素朴な疑問だったのだろう。しかし、当時の僕にとっては『家族仲良く外出することがある』という事実は驚きでならなかった。思わず、帰って父にその事を聞いてしまったぐらいだ。
「うるせぇ!そんな暇あったら掃除でもしとけ!」
「あなたやめて!」
「黙れ!大体お前の躾がなってないからだろ!」
「ご、ごめんなさい」
まぁ、ただ引っ叩かれて終わったが。そして流れるように母も殴る。お決まりの流れだ。お陰で母はいつもどこかに包帯やら絆創膏をしていた。とにかくそこから、僕はこの『当たり前に暴力を振るわれる』という生活に疑問を覚え、同時に父を『悪』と認識し始めた。
中学に上がると、僕に対する暴力は少しだけ少なくなった。部活をやって、がたいが良くなったせいもあるかもしれない。母への暴力は減らなかったが。
「母さんは大丈夫だがら」
それが口癖だった。たまにまた僕がやられそうになると、母が庇ってくれてた、自分の代わりに母が暴力を受けるのを見ると、父には殺意すら湧いた。
中3のある日、高校受験が近くなった頃、父と激しい口論になった。母さんが影で聞いているのを察しながら、僕は父と話し始めた。
「高校へ行く?」
「あぁ」
「誰がそんな事許した?」
「…母さんだ」
「あの野郎…勝手なことを」
「でも行きたいって言ったのは僕だ、母さんは悪くない」
「お前の話なんざどーでもいいんだよ、あの野郎が俺に黙って勝手なことしたのがイラつくんだよ!」
そう言って持っていたグラスを僕に投げつける。グラスは僕には当たらず、壁に当たり砕け散った。
「いいか、お前は高校へは行かせない。卒業したら働け」
「嫌だ」
「あぁ?んだと!」
「あなた!」
「うるせぇ!ちっとお仕置きが必要だな…」
そう言って父は母を引きずって寝室に入っていった。思えばこの時、母の違和感に気付くことが出来れば、何か変わったかもしれない。
なんとか高校に進学出来たが、当時の俺は荒れまくり。結局1年程でほとんど行かなくなってしまった。たまに行ってはけむたがられ、クラスにも馴染めなかった。それなりに派手な格好もしていた(多少なりともの反抗心だったのだろう)のでたまにヤンキー的なのに絡まれたが親父に比べればどってことない。
(こんな社会の端くれ…)
と考えていた僕は、絡まれたら必ず相手していた。自分なりの正義だったのだろう。そしてその後で『結局父と同じことをしている』という事を再確認し、心は更に荒んでいった。
そんな時だった。あの人に出会ったのは。
『結局父と同じことをしている』
あれだけ自分と母にひどい仕打ちをする父と。その事に耐えられなくなり、自分の中の『正しさ』が、『正義』がわからなくなってしまっていた僕は(もういっその事、終わらせてしまおう)と考え、近くのビルの屋上に登った。人通りが少なく、尚且確実に死に至る高さのあるビル。そこで僕は下を見て、心の準備をしていた。
「死ぬ気か?少年」
そう声をかけられた。驚いて振り返るとそこには一人の女性が立っていた。
「…だったらなんだ」
なるべく人通りの少ない場所を選んだにも関わらず起こった思わぬ遭遇に、少なからず俺は動揺し、反射的にそう返した。
「別に。どうってことはない。人間、誰しも死にたくなることぐらいある」
女性の返答はそれだけだった。
(いや止めるだろ普通…)
僕は自殺を図っていながらそんな事を思った。
するとそれを察したのか、女性は少し唸って次のように続けた。
「う〜んでもそうだな…流石に目の前で身投げされるのも気分が悪いし…まぁこれも何かの縁だ、せめて理由ぐらい言ってから死んでくれないか?」
「いや止めねぇのかよ」
「なんだ?止めてほしいのか?」
しまった…口に出てた。つい突っ込んでしまった。
「な訳あるか。俺は死にに来たんだ」
「うんうんそれは結構。で理由は?」
「……。分かった、話す…」
それから俺は、自分がここに至るまでの経緯を話した。父に虐待されていること、それをいつも母が守ってくれていること、クラスに馴染めないこと、何より、自分が父に、『悪』と認識しているあの父親に近づいていることが耐え難いこと。俺が話している間、その人は静かに聞いてくれていた。
「…これで終わりだ、もういいだろ」
「そんな理由で死ぬのかい?」
「あぁ?」
こいつ…聞いてなかったのか?
「あんたにとっては些細な事でも、俺にとっては苦痛なんだ」
「そうだな〜私としても目の前で死なれるのは気分が悪いし…後々面倒くさいし…そうだ!」
「んだよ?」
「私が少年の『正義』になろう」
「は?」
「父親に似ていくのが嫌なのなら、別のものに似ればいい。今日から私が少年の『正義』で『正しさ』だ。私がいる限り、少年は少年として正しい。私自身が少年の『正義の証明』だ」
「…何いってんだ?」
「文字通りさ、私は今から少年の『正義』だ、父親に似るのが嫌なら、私に似ろ」
「……」
女性の言うことはちんぷんかんぷんで訳が分からなかったが妙な説得力があった。
「まぁ、それでも死にたいなら勝手にしてくれ。あ、私がここからいなくなってからだぞ?」
「…分かった」
その妙な説得力に気圧されて流れるようにそう口にした。その答えを聞くと、女性はにっこりと屈託のない笑みを浮かべ、
「何か迷ったらここに来るといい、私が相手してあげよう」
と両手を広げた。
「…そうする」
「あ、あと、私のことは『おねえさん』と呼びたまえ」
「それは断る」
「じゃあ『姉姉』」
「断る」
「『姉ね』で手を打とうじゃないか」
「…考えておく」
「そうかい。じゃ、また」
「…また今度」
そう言って、俺は家に向かった。行きはあんなに重かった足取りが、今はなんとなく軽い。
それからも父からの暴力、自分の暴力は続いたが、その度に『おねえさん』の所へ行っていた。そこに行くたびに『おねえさん』は、「やぁ少年、また死にに来たかい?」とか「やぁやぁ、今日も酷い顔だね」とか言って迎えてくれた。俺もそれに「まだ死なねぇよ」だとか「余計なお世話だ」とか軽口を返す。時には「また喧嘩か、よくも飽きないね」、「こんなになるまで殴るとは…本当に父親かい?」とか言って手当てをしてくれることもあった。中には会えない日もあって、その時は少し寂しく思った。
ある日、いつもの様に喧嘩をしてからビルへ行った時だった。
「それは少年が悪いな、売られた喧嘩は断るものだ」
「売ったほうが悪いだろ、俺の『正義』なんじゃないのかよ」
「確かにな、しかし少年、『正義』とは何も1つじゃあない。少年にとっての私の様に、そいつにも『正義』がある」
「そいつなりの『正義』ね…」
「まぁ危害を加えられた場合は別だ、存分にやれ」
「どっちだよ」
「ん〜誰にとってもの『正しさ』なんてものは、この世に無いんだよ少年。戦争ですら、どちらも自らが正しいと思っているから起こるんだ。ま、戦争の場合、『勝ちや生き残り』が『正しさ、正義』で『負けや死』が『悪』だけどね」
「そういうもんか…」
そのことを語る『おねえさん』はどこかさみしげで、風になびく髪がとても綺麗だったのを憶えている。
そんな『おねえさん』との交流が始まって半年ほどが経った。
「やぁ、受け取れ少年!」
俺が着いてから数分後にやって来た『おねえさん』はそう声をかけてきて、缶コーヒーを投げる。
「ブラックで良かったかい?」
「別に飲める」
「そうかいそうかい」
対する『おねえさん』は〈加糖〉。その上どこから持ってきたのかガムシロップまで持っている。しかも、大量に。
(もうそれは砂糖なのでは…)
と思ったが口にはしなかった。
その時、俺はふとずっと気になっていた事を口にした。
「なぁ、何であの時、このビルにいたんだ?」
半年程前のあの日、確かに辺りに人がいないことを確認したはずだった、なのに『おねえさん』はここにいた。
「ん〜…それはオトナの事情ってやつだ少年。君が無事成人したら教えてやろう」
「教えてくんねぇのかよ」
「オ・ト・ナの秘密だ♪」
「じゃあ成人したら教えろよ」
「分かった分かった♪」
その後は他愛もない話をして過ごした。
それからも交流は続いたが、お互いあまりプライベートを語らないのは変わらず、俺は結局『おねえさん』の事をほとんど知らなかった。
「おはよう少年、もう昼だがな」
そういう『おねえさん』は地面に寝っ転がっていた。夕焼け色の髪が扇のように広がっている。
「そんなとこ転がると汚れるぞ」
「大丈夫だよ、転がる前に掃除しておいたからね」
「じゃあ寝るなよ…」
「面倒くさい事をすべて投げ出したら人間つまらないぞ?」
「少なくとも掃除はいらねぇだろ」
「ま、それもそうだね」
そう言って起き上がり、たばこに火を点ける
「あ、煙草はだめな質かい?」
「いや別に」
「なら遠慮なく」
そう言って『おねえさん』は煙草を吸った。
「というか、成人する気なのか?死ぬんじゃなかったのかい?」
「今はそんな気にならねえよ、その、姉ねもいるしな」
俺がそう言うと『おねえさん』はとても嬉しそうな顔をして
「や〜〜っと呼んでくれたね。長かったなぁ少年と会ってから実に189日、やっとだ」
「数えてんのかよ…」
「もちろん、ここは少年と私の『居場所』だろ?」
「ははっ、そうだな」
そんな日々が続いた、ある日のことだった。
「…ただいま」
いつもの様に『おねえさん』と話し、家に帰ると、いつにも増して怒号が聞こえてきた。無論父のものだった。
「ふざけやがって!」
「ごめんなさい」
母はうずくまってそれに耐えている。
その時、ふと自分の中で『何か』が動いた。父は自分に背を向けていて、自分には気付いていない。
(今なら…)
俺はそっと台所からフライパンを手に取る。
「あ、ああ!!」
「がぁ!…」
そのうめき声を最期に父は動かなくなった。床には死と確認できるほどの血が広がっていく。
母はしばらくうずくまっていたが、やがて父の声が、拳が止まったのに異変を感じたのか、ゆっくりと起き上がり、こちらに目を向ける。
「は、始?」
「母さん…」
「あ、あなた?」
混乱しているのか、話し方がたどたどしい。
「始がやったの…?」
「…あぁ」
「なんてことしたの!」
当然の反応だ。あんな父でも殺せば殺人。
「でも!これであいつの暴力から開放されたんだ、母さんはもうじゆ…」
「あの人は私を愛してくれてたのに!!」
「……は?」
「あの人は…あの人は…」そう言って父だった物に縋り付く。
「あなた…目を開けて…また私を愛してよ…」
その瞬間、たまに抱いていた違和感が急速に繋がっていった。母に暴力を振るう時、父は必ず素手だった、俺には物を投げたりするくせに、また母も父が何か俺に投げたり、物を使って暴力を振るっているときは助けに入らなかった。そういえば助けに入らなくても良いような場面でわざと助けに入り、殴られていたような気がする。
「…被虐趣味…?」
口にした瞬間、憶測が確信に変わる。
つまり、母は父から暴力を受けて、悦んでいた訳だ、俺を助けに入っていたのも、自分に、暴力を振るわせるためで、父から直接暴力を振るわれることにこだわっていたから物が飛んできても助けなかった…
「…」
「あんたが…」
「あんたが奪ったのよ!私の幸せを!これから、どうすれば…」
母からの言葉で、俺は完全に心を打たれ、反射的に外に出た。
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俺の足は必然とあのビルへ向かっていた。そもそももう帰る場所も無い。
(母の為、自分の為と言って犯した罪。蓋を開ければ、まさか自分の為だけだったとは)
思えば、あれがプレイの一環だったのであれば、父が俺を殴っていたのも普段から母にしていることをごく自然にしていただけかもしれない。もうどうでもいいが。
(いない…)
屋上のドアを開けると、そこには誰も居らず、よく『おねえさん』が転がっていた場所だけが綺麗に輝いていた。
(当たり前か、今夜中だしな…)
今日はここで寝るか、と綺麗になっている場所ヘ転がり、俺は眠りについた。
翌日、目が覚めても『おねえさん』はいなかった。
(一人は暇だな…)
下に降りて、自販機でコーヒーを買ったりして時間を潰したが、その日『おねえさん』が姿を見せることはなかった。
次の日も、
次の日も、
次の日も、
あの「自分の『正義』になる」と言ってくれた人は現れなかった。
「どうして…」
などと言ってはみたが、自分の中で結論は出かけていた。
(俺が…正しくなかったから…)
だから俺の『正しさ』であるあの人はいなくなってしまったのではないか。
「俺が…間違ってたのか?」
口にした瞬間思い起こされる、『おねえさん』との会話、『『勝ちや生き残り』が『正しさ、正義』で『負けや死』が『悪』だけどね』
(俺は生きてる…でも正しくない…?父は死んだ、でも母の望みを叶えているだけだった…なら『正しい』?)
『正義』が、『生』が『悪』が『死』が、自分の中でごちゃまぜになっていく。
「あ、ああぁぁぁぁぁぁ!!!」
すべてが混ざり、境目が曖昧になり訳が分からなくなる。
それから数日が経ち、僕は俺を殺した。ただ一つ『生きることも死ぬことも平等な、生きやすく、死にやすい世界を創る』という想いを遺して。
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「…きろ」
「…ぉきろ」
ん…
「起きろ」
「ん?あぁ済まない、僕は何日眠ってた?」
目を覚ますと見慣れた男が立っている。
「ざっと4日ってところだな」
(4日…)
人工皮膚と薬で仮死状態になり、あとから回収を頼んだのは正解だったな。
「ったく、あっち側に協力者が居なきゃできなかったぜ」
「居たからやったんだ、〈ユダ〉はよくやってくれた」
「そもそもお前がサツと仲良く話したりしてったからだろ」
「彼…、大紙率仁か。なかなか良い刑事だった」
(生きてるといいんだが)
始は男からリストを受け取り、名前を確認する。
「なんにせよ、実験は成功。手筈は整った。始めよう。我らが望む世界の想像を」
「だな!」
始は男と共に廊下へと歩く
「なぁレオナルド」
「なんだ?」
「寝ている間、夢でも見てたのか?」
「…あぁ、かつて僕が終わらせた、終わらせてしまった夢をな」
おねえさん