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《 異世界恋愛系 小作品・転生》

呪いを受けて、余命3ヶ月の悪役令嬢に転生させられてしまった

作者: 新 星緒

 中学の親友から連絡が来て盛り上がり、10年ぶりに会ってみたらば──




 私は読み終えた手書きのマンガ原稿をテーブルにトントンとして揃える。

「どうだった?」

 目をキラキラさせて、向かいに座る彼女が尋ねた。




 私の仕事は大手出版社のマンガ雑誌編集だ。彼女はそのことを誰かから聞いたのだろう。10年ぶりの会合は楽しい昔話をするためのものではなくて、彼女が書いた素人以下のマンガの講評をするためのものだった。


 何が『どうだった』だよ。

 私は昔の親友に会うのを楽しみにしていたのに、肩書きを利用されただけなんて。それでもマンガが面白ければまだいいけれど、とんでもない底辺レベルだ。今どき小学生だって、もっとうまい。


「ストーリー、いいでしょ?」と彼女。「流行りの悪役令嬢の純愛もの」


 マンガの表紙、タイトルに目を落とす。

『余命3ヶ月の悪役令嬢』


「 『余命3ヶ月』とつければウケると思っているのかな、浅薄すぎる」


 やるせなさからの反動の怒りで、私は機関銃のごとくにダメ出しを開始した。




 ◇◇



 目が覚めた。

 酷い夢を見たなと思いながら起き上がる。ベッドから降りようとして、いつもと違う感覚に気づいた。


 ベッドが高い。あれ、ここは私の部屋じゃないの?

 目を掛け布団にやると『掛け布団』という言葉が適さない、『コンフォーター』とでも呼びそうな美しい代物だった。


 酔っぱらって誰かの家に泊めてもらったのだっけ?


 働かない脳細胞に発破をかけつつ部屋を見渡して……

 言葉を失った。

 どこだ、ここは。まるでヨーロッパの城のようだ。


 そこで、先ほどまで見ていた酷い夢を思い出した。

 中学のときに親友だった例の彼女がボサボサの髪に黒い装束姿で、


「よくも私の最高傑作を罵倒してくれたな。貴様にこの素晴らしさが分からないというなら、自ら体験するがいい。火刑から逃れられない運命に怯えながら、私の才能に恐れをなすがいい!この身を生け贄にして、貴様に転生の呪いをかけてやる!」


 そう叫んで包丁を自分の首筋に当てた。そんな夢だった。


 こめかみを脂汗が伝う。

 ははっ、そんなバカな。


 震える足に檄を飛ばしながら立ち上がり、よろめきながら姿見に歩みよる。

 そこに映ったのは、私ではなかった。金髪碧眼のビスクドールのような令嬢。


 ……誰、これ?


 とはいえ、ふんわり巻き毛の具合や瞳の色から推察するに、『余命3ヶ月の悪役令嬢』の主人公だろう。

 元親友のマンガは画力もひどく、キャラも稚拙だったからまるで別物だけど。いや、別物で良かった。きっと彼女の脳内ではこんな容貌だった、ということなのだろう。


 あのマンガは、なかなかに酷い話だった。主人公の悪役令嬢は王子と婚約をしていて彼を心底愛している。ところが彼女は一万人にひとりという難病にかかっていて、余命が3ヶ月しかないと分かる。


 愛する王子を悲しませたくない悪役令嬢は、王子に新しい婚約者を用意することを思い付く。

 彼女が選んだのは純真無垢で愛らしい男爵令嬢。悪役令嬢は王子と男爵令嬢の出会いをセッティングし、なおかつふたりが恋に落ちる魔法までかける。


 そうしておいて、男爵令嬢を徹底的にいじめるのだ。その恐ろしい悪意の前に王子と男爵令嬢の恋はますます盛り上がる。最後は悪役令嬢の犯罪を男爵令嬢が見つけたかのような工作をして、結果、男爵令嬢は褒美として王子との結婚が認められる。そして極悪人の悪役令嬢は火刑に処せられ、安堵しながら火にあぶられる。めでたしめでたし。


 と見せかけて、悪役令嬢の本意が全て明らかになり、彼女が王子を愛するがゆえの壮絶な作戦だったのだと皆が知ることになる。王子も男爵令嬢も号泣しながら、灰になった悪役令嬢に幸せになることを誓って幕が降りる。


 どこからどう見ても、ただの自己陶酔だ。まったく共感のしようがない。


 それにしても……。

 腕を組んで、うぅむと考えこむ。

 転生の衝撃は、もう過ぎ去った。この顔を見たら現実を受け入れるしかないからね。


 そして私は運命に諾として従うような人間ではないし、無駄に泣き叫んで悲劇のヒロイン気分に浸るタイプでもない。

 やられたら、やり返す。それが私のモットーだ。

 あいつがその気なら、私はとことんストーリーを改変してやるのだ。


 ただ気になるのは、このヒロインの自我はどこに行ったのだ?完全に『私』しかいない。

 ゲームの世界に転生はトレンドだけど、大抵がゲームスタートより前にもちゃんと人々の年月がある。転生した当日から、突如としてヒロインが存在するわけではないのだ。


 それなのにヒロインの記憶がまったくない。昨日までのヒロインはどこに行ったのだ。私が追い出してしまったのだろうか。


『すいませーん、誰かいませんか』と脳内で呼び掛けてみるが返答はない。


 参ったな。これではヒロインとしてやっていけない。記憶喪失になったふりをしなければならないだろうか。だけどそれでは……。


 と、トントンと控えめに扉が鳴った。

「どうぞ」

 と答えるとそれは細く開いて、イケメンが顔を出した。誰だろう。


「すみませんヴィオレッタお嬢様」

 そうそう、ヒロインの名前はヴィオレッタだった。これも悪役令嬢らしくないとダメ出ししたな。

 そうだ、このイケメンはヒロインの手伝いをする幼なじみで執事見習いに違いない。名前は確かアマデオ。


「えっと……」とアマデオ(暫定)は戸惑いがちな顔で口をつぐむ。そして「……さんですか?」

 と私の名前を口にした。


「え、なんで?どうして私って分かるの?あなた誰?」

「やっぱり」アマデオ(仮)は深いため息をつくと素早く部屋に入って、扉を閉めた。「メイドが来るまでに急いで説明します」



 ◇◇



 イケメンはやはり幼なじみで執事見習いのアマデオだった。

 そして中身は、元親友の弟だそうだ。彼のことはよく覚えている。ひとつ下の学年で、校内ですれ違うと律儀に会釈してくれたものだ。


 そんな彼は、数年前から姉の精神が病んでいることを心配していたそうだ。そして姉が最近になって私を呪う、自分の作品に転生させてやると騒ぎたて、遂には自死するのを見て、私を助けるために自ら転生してきたという。


「いや、待って。自ら転生なんてできるの?」

 何故かベッドの上で正座で向かい合っている私たち。弟君が床の上で土下座をするものだから、すったもんだを経てこうなった。


「……正確に言うと、姉があなたにかけた呪いを自分で自分にかけたんです」

「ていうか呪いって、私の知らない間に気軽に誰でもできるものになったの?」

「うち、陰陽師の家系なんで」


 そういえば中学の時に元親友が言ってたわ。信じてなかったけど、本当だったんだ。

 それに……。


「自分でかけたって、生け贄は?」

「自分ですね。あ、俺のことは気にしないで下さい。身内の不始末はきちんと落とし前をつけないと、陰陽師協会から破門されちゃうんです。うちはまだ下に弟妹がいるから破門はまずいんですよね」


「……だとしても、ごめん」

 私の知る弟君は人気者で友達も多そうだった。あのまま成長してたなら、現世に未練はたくさんあったはずだ。

「この件についての謝罪は今後一切受け付けません。元凶は姉の呪いですから」

「だけど私があそこまでけちょんけちょんに貶していなければ」

 弟君は首を横に振った。

「姉はずっと精神状態が悪かったと言ったでしょう。雑誌の巻頭カラーになってファンレターが山と届きでもしない限り、あなたを恨んだと思います。だからこれは私たち一家に責任がある」


 納得できはしなかったけれど、分かったと答えた。反論したって解決することではないのだ。とりあえずここは引いておくべきだろう。


「ではちゃちゃっと質問をしていい?」

 そう尋ねると弟君はどうぞとうなずいた。


 まず弟君は何故、今日のヴィオレッタが私と分かったのか。答えは、元親友が呪いをかけた現場に『余命3ヶ月の悪役令嬢』がこの日のページを開いて置いてあったから。


 今日はマンガの中のいつなのか。答えは火刑まで残り1ヶ月。男爵令嬢の誕生日会に招かれていないのに乗り込んで、泥棒猫にはこれがお似合いよといって彼女にキャットフードを投げつける日らしい。

 おおぅ。あの日か。しかも余命1ヶ月とは、ずいぶん日がないな。だけど絶対になんとかしてみせる。


 アマデオはいつから弟君の記憶があるのか。

「生まれたときからですね」とアマデオ。

「じゃあ、アマデオの意識は?」

「いや、最初から俺がアマデオなんで」

「私、今日からヴィオレッタだけど、昨日までのヴィオレッタがどこにもいないの。勿論記憶もない」

 アマデオの顔が強ばった。

「もしかしたらそうなってあなたが窮地に陥ることを狙った呪いなのかも」

「チート過ぎない!?」

「姉はかなりの術者なんです」


 それをこんな呪いに使うなんて。宝の持ち腐れもいいとこだ。


「……本当に何も?」と固い表情のままのアマデオ。

「うん。私、ヴィオレッタとして振る舞えないのだけど、どうしよう。記憶喪失のふりをしようかとも考えていたのだけど、それでは事態の解決が出来ないわよね」


 しばらくじっと私を見つめていたアマデオはやおら立ち上がると、壁際のチェストに向かいごそごそとしてから戻ってきた。


「これ」と見せられた手の中に、可愛らしい小鳥の髪止めがある。「俺が初給料であなたにプレゼントしたものです。だからめちゃくちゃ安物なんですけど、着けて過ごしてくれますかね。そうしたらこれに俺の言葉が届くような魔法をかけます」


 アマデオが常に私のそばにいて、私が分からないことを髪止めを通して伝えるのだと言う。彼の魔法レベルだと、彼に関係するものでないとうまく受信しないそうだ。

「無線?」

「そう」

「いい策だわ。助かる、ありがとう」

「……ただ、これを着けるのは相当恥ずかしいですよ。あなたが身に付けるような代物じゃない。二束三文の……」

「だけどあなたからもらったプレゼントなのでしょう?問題ないじゃない」


 ひょいと髪止めを取り着けようとしたら、アマデオが「俺が」と言って右耳の上に留めてくれた。何やら呪文が聞こえる。


「じゃ、試してみます」とアマデオ。

『聞こえますか』と耳に響くが彼の口は動いていない。

「すごい!聞こえたわ!」

「良かった。これで乗りきりましょう。とりあえず、今はここまで。メイドがそろそろ来るでしょうから」


 アマデオはそう言ってベッドから降りかけ、

「ああ、ラウラの誕生会は行きませんよね」と問うた。

 ラウラ……あの男爵令嬢だ。

「もちろん行かないわ」

「良かった」アマデオがほっとしたように言って笑顔を見せた。「できたら今日は体調不良ということにして部屋を出ないようにして下さい。そうしたら作戦を練れる」

「そうね。了解」


 アマデオの手が伸びてきて、私のそれを握りしめた。

「絶対に助かりましょう」

 怖いくらいに真剣な顔だった。



 ◇◇



 私が難病で余命が少ないことは、屋敷の中では周知の事実らしい。私が体調が悪くて起き上がれないと告げるとメイドは目に涙を溜めて、食べたいものは欲しいものはしてほしいことは、と畳み掛けてきた。


 私はちょっとだけ弱々しく、

「幼なじみのアマデオに手を握りしめていてほしいわ。不安なの」

 と言ってみた。

「っ!かしこまりまりましたっ!」メイドはこらえきれなくなったのか、おかしな返事をしながら部屋を駆け足で出ていった。


 どうやら私、ヴィオレッタは彼女に憐れまれている。ということは嫌われてはいない。悪役令嬢であるのはあくまで外だけで、屋敷の中では普通の令嬢ということだろう。


 待つことなくアマデオが大きなトレイを持ってやってきた。

「メイドに何を言ったんです?号泣していましたよ」

「不安だから幼なじみのあなたに手を握っていてほしいとだけよ」

「……まったく。あなたという人は、記憶がなくても……」

 幼なじみは呟いて頭を横に振った。


 それはどういう意味だろう。私の知らないヴィオレッタはどんな子なのか。彼に呆れられるような令嬢なのだろうか。


「……というか私は何歳?アマデオは?」

「あなたは18、俺は20。朝食は食べられそうですか?」

「お腹はペコペコよ。余命1ヶ月とは思えないほど、元気なんだけど」よいしょと半身を起こして伸びをする。「マンガじゃ病について何も説明していなかったもんね。そこもダメ出ししたけど。きっと詳しく設定していなかったから、私の体調も悪くないんじゃないのかな?」

「でも難病にかかっているのは事実だから、無理はしないで下さい」

「了解」


 あとこれを、とアマデオは私の肩にショールを掛けて、胸の前できっちり合わせてピンで留めた。

「俺はあなたの幼なじみですけどね。異性ですから。本来は寝室に入れないのですよ。さっき打ち合わせと言ったのは、こっそり来るつもりだったのです」

「そうなの」

「あなたにヴィオレッタとしての記憶がないことをしっかり考えておかないと、まずいですね」


 アマデオは、部屋に異性を入れない、寝間着だけの姿で会わない、油断しない、と子供に言い聞かせるかのように言った。


「最近のあなたは悪役令嬢として活躍していますけど、以前は誰もが憧れる令嬢で非常にモテたのです。不埒な感情で近づいてくる令息もいますからお気をつけ下さい」

「そういう輩は大丈夫よ。あなたは幼なじみの執事見習いだから問題ないのだと思ったの」

「……俺も男なんで。本来ならこの世界では幼なじみなんて仲は通用しないんです」


『本来なら』か。私が棺に片足を入れている状態だからおおめに見られる、ということだろう。


 アマデオはベッドの上に小ぶりの卓を置いて、皿を並べ始めた。クロワッサン、スクランブルエッグ、厚切りベーコン、温野菜、フルーツ盛り合わせ、ヨーグルトにミルク。


「ヴィオレッタ様の好物なのですが、大丈夫でしょうか?苦手なものがあれば取りかえます」

「凄いわ、ホテルの朝食みたい。全部大好き」


 美しいお皿に美術品のように盛り付けられた食事にテンションが上がり、もりもりパクパクと食べていると視線を感じた。アマデオが笑みを浮かべて私を見ている。


「あなたも食べたい?」

「まさか。良い食べっぷりだなと思って見ていただけです」

「ああ、そうか。ヴィオレッタはこんな風には食べない?」

「ええ。その百倍は淑やかに」

「百倍はひどくない?」

 アマデオはふふっと笑い、何も答えなかった。代わりに、そのまま聞いて下さいねと言う。


 生まれたときから前世の記憶があるアマデオは、ヴィオレッタの運命を変えようと色々と試してみたそうだ。私と王子の婚約を阻止しようとしたせいで、私に嫌われていた時期もあるという。

 王子に男爵令嬢を出会わせるのも、彼女をいじめるのも、やめさせようとしたけどダメだったそうだ。


「だけどこれからは私の意思でストーリーを変えられる」

 アマデオがうなずく。私はカトラリーを卓に置き、手を足の上で重ねた。

「今までひとりで大変だったでしょう?ありがとう。あと残りひと月、力を借りるね。よろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げる。


「……残りひと月なんて言わないで下さい」

 顔を上げるとアマデオはうつむいていた。

「ごめん。私、ヴィオレッタになったばかりだから、そこのところの機微に疎いかも」

「……いや」とアマデオは顔を上げた。笑っている。「元からの性格でしょう。この危機的状況に転生して、その落ち着きと食べっぷり」

「まあね。繊細とはほど遠いかも。でもこの食事、めちゃくちゃ美味しいし。やる気が漲るレベル」

「それは良かった」

「このフルーツ盛り合わせなんてすごいよね。シャインマスカットなんて、数えるほどしか食べたことないの」

「俺はないですね。珍しいものなんですか?」

「え?人生損をしているよ」それを摘まんで差し出す。「食べて」


 アマデオはそれをじっと見ていたかと思うと、腰をかがめてから「あ」と口を開けた。


 これは食べさせろということだろうか。さっき異性がどうのと話していたばかりなのに?

 だけど幼なじみだから、昔はよくやったのかもしれない。


 開いた口にマスカットを入れる。ちょっとばかりドキドキしたが、アマデオは気にしていないようだ。真顔で咀嚼して。

「ふむ。美味しい」

「でしょ」


 それから落ち着かないのでアマデオに椅子に座ってもらい(見つかったら怒られるとだいぶ渋られたが)、今後の方針について話すことになった。


「死ぬ運命を変えられないとしても、火刑で自己満足しながら死ぬなんてごめんだわ。私は大事な人たちに囲まれ惜しまれながら、ベッドで死ぬの」

 そう宣言をしてから、アマデオがまたナーバスになっているかもと慌てて彼を見た。彼は何かをこらえているような表情だったけど、力強くうなずいた。

「アマデオとして、ヴィオレッタ様が極悪人として裁かれるのは我慢なりません」


 まずは男爵令嬢ラウラへのいじめをやめること。それから謝罪。ラウラと王子にかけた恋に落ちる魔法は……


「解くべきだと思うけど、私はふたりの様子が分からないから。アマデオはどう思う?」

「解いても変わらないでしょう。真実の愛で結ばれていると固く信じていますよ」

「ヴィオレッタは王子が好きなのよね?これは政略婚約だったの?」

「いいえ。あなた方は相思相愛で、公爵令嬢のあなたは王子妃に相応しいからと決まった婚約です」

「ふうん」


 マンガにはそこまで詳しく書いてなかった。これ、いくらヴィオレッタが魔法をかけた恋だとしても、王子の変心は読者の共感を得られないよね。


「いけない!魔法を解くにしても、私は使い方を分からない!」

「俺ができますから」とアマデオ。


 が。

 急に彼はガッガッと頭をかきむしり、

「あぁ、もう、いいかっ」と叫んだ。

「何?どうしたの?」

 はあ、とため息をつくアマデオ。「魔法はとっくに解いてあります。あなたがかけた直後に」


 私の運命を変えたかったアマデオは、ここでも対策済みだったそうだ。だけど一度恋に落ちた王子とラウラは、どっぷり深みにはまったらしい。魔法が解けてもふたりは愛し合ったまま。

 アマデオはヴィオレッタを傷つけたくなくて、その事実を今日まで伏せてきたそうだ。


「……大丈夫ですか?」と心配そうな幼なじみ。

「まったく気にならないから心配しないで。だって王子の顔も分からないのよ」

 彼はほっとしたようだった。


 王子たちにはヴィオレッタが難病にかかっていることを明かし、そのために精神が不安定でいじめをしてしまった。だけどこれからはふたりを祝福して、残りの人生は心穏やかにすごしたいと思う。そのように伝え、二度とふたりの前には現れないと誓う。


 向こうのふたりだって婚約者をないがしろにして恋愛をしているのだ。頭のネジが外れていなければ、死にかけの可哀想な婚約者を責めることはできないだろう。


 幸いなことに、ヴィオレッタが犯罪者となる工作はまだしていないという。アマデオが全力で妨害していたそうだ。ありがたい。


 これでいけば、少なくとも火刑はまぬがれるだろう。

 ふん。参ったか、元親友よ。地獄の底で悔しがるがいい。




 ──連絡をくれたとき、本当に嬉しかったんだからね。



 ◇◇



 王子リザンドロと男爵令嬢の前で土下座をする私。ふたりの狼狽が、見なくても伝わってくる。

 アマデオに土下座はやりすぎだと止められたけど、決行した。


 私がヴィオレッタになって今日で一週間。王子に何度もお願いをして、城で三人で会う機会をもうけてもらった。

 といっても、私にはアマデオが付いている。そしてあちら側には──。


 王子は私を相当に警戒しているのだろう。友人が数人とふたりの近衛。あまりの大人数に多少はたじろいたけど、私は王子とラウラに『全て』を打ち明け謝罪して、土下座をしたのだった。


「……本当に彼女は難病なのか?」と王子。

「はい」と答えるのはアマデオだ。「2ヶ月前に分かりまして。本人の希望で内密にしておりましたがあのように精神の均衡を崩してしまい、このままでは穏やかな死を迎えられないと考えをお改めになり公表することにしたのです。彼女のしたことは許されることではありませんがかような事情ゆえに、どうぞご寛大な対処をお願い申し上げます」

 滔々と語った執事見習いは、私の傍らに膝をついて叩頭した。これは打ち合わせになかった。ツキンと胸が痛む。


「お前、気づかなかったのか?」と第三者の声。

『大公令息のローガンです』と耳にアマデオの声が響く。『元よりあなたの悪行はリザンドロの変心のせいだと主張して、あなたを庇っておりました』


「いくら本人が秘密にしていたといっても、余命が、となると相当態度に出ていたんじゃないか?」

「いや、それは」と歯切れの悪い王子。

「いいえ」私は頭を上げ大公令息を見た。「自分が難病と知られたくなかったから、いいえ、自分でも信じたくなかったから態度には一切出ないよう、細心の注意を払っていたのです」


「だとしてもさ、悪質ないじめをしたことには変わらないな」と新しい声。

『侯爵令息。王子の腰巾着』とアマデオ。


 私は再び頭を地に着けた。

「やめろ」とローガンの声。彼は私に歩みより床に片膝をつくと、肩に手を置いた。「顔を上げるのだヴィオレッタ。君がそうするのならば、リザンドロも同様にしなければならない。不義をしたのは奴だからな」


 いや、それは私が仕組んだせいなのだ。ただ最初のきっかけは私でも……。


「たとえ真実の愛だろうが何だろうが、ヴィオレッタとの婚約を続けたまま恋愛を続けるのは糾弾されるべきことだ」


 そうなんだよね。ヴィオレッタと王子に恋愛感情があったなら、王子はもっと誠実に振る舞うべきだったと思う。


 私は顔を上げて、大公令息、王子、ラウラと順に見た。

「私の精神が不安定だったからこそ、リザンドロ殿下も婚約解消に踏み切れなかったのですよね。分かっています。殿下を糾弾しようなどとは思っていません」

 王子の顔にあからさまな安堵が浮かぶ。

 ヴィオレッタはどうしてこんな男が好きだったのだろう。


「病を受け入れたら、心も穏やかになりました。今は私の亡きあとに殿下を支えて下さる方がいることに安心を覚えるのみです。どうぞおふたりは不義などとは思わずに、お幸せにおなり下さい」軽く頭を下げる。「私はどんな罰も受けます」


 ズビビッと隣から鼻をすすり上げる音がする。ちょっとアマデオ。そんな打ち合わせはしていないよね。


「罰といっても、なあ」

「ラウラの被害はほぼ精神的ダメージだろ?」

「不義でヴィオレッタが受けた精神的ダメージを考えたら」

「トントンのような」

 王子の後ろで友人たちが言いあっている。

 実際は彼女のドレスを一着と扇をひとつダメにしてしまったけれど、慰謝料を上乗せした代金がそばのテーブルに置いてある。

 とはいえ


「いじめはいじめです」と私。

「ならばラウラは他人のものを盗る盗人だ。泥棒の刑罰を与えなくてはいけなくなる」とローガン。

「それは……」と王子の戸惑った声。

「罰ならば、今後一切リザンドロとラウラに近づかない、王宮に入らないというのは、どうだろうか」


 いいんじゃないか、と友人たちが賛同する。


「どうだい?ラウラ」と王子。「許せるかい?」

「あの……私……」と初めてラウラが口を開いた。か細く弱々しい声。「ごめんなさい、ヴィオレッタ様。私のほうこそ、お許し下さい」




 ◇◇




「いくらなんでも、すんなりいきすぎじゃないかな?」

 王宮からの帰りの馬車で、向かいにすわる幼なじみに疑問をぶつけてみた。

「そうですか?」とアマデオ。

「あなた、私の運命を変えるために色々したと言っていたわよね。もしやローガンは」

「バレましたか」とアマデオは笑顔を浮かべた。「仕込みです」

「やっぱり!道理で私の味方ばかりすると思った!」

「あなたの病については伏せておきましたけど、それ以外は最初からほぼ真実を伝えてあります」


 どうやらローガンはヴィオレッタが好きらしい。リザンドロとの婚約が解消になればと望み、アマデオに協力してくれていたそうだ。帰り際の彼は見ていられないほどに消沈していたけれどそれは、私の余命にショックを受けたからだそうだ。


「アマデオ。裏工作をありがとう。執事見習いの仕事と私の協力をしながらでは、大変だったでしょう?以前の私はちゃんとあなたを労っていたかな」

「ええ、もちろんです」


 本当かな。私には真実が分からない。それが悔しい。


 というか、疲れたな。ヴィオレッタになって初めての外出だったから気疲れかもしれない。公爵令嬢らしい仕草をしなければ、とかなり気を張っていたから。


「ヴィオレッタ様?」

「……少し疲れたみたい。眠ってもいいかな」


 瞼が重い。

 額にひんやりとした手が当てられた。気持ちいい……。


「熱が!気づかず申し訳ありません!お嬢様、大丈夫ですか!?」


 こくりと首を縦に振る。口を開くことがしんどい。


「俺に寄りかかって下さい」

 言葉と共に隣にアマデオが座る気配。腕でしっかりと抱えてくれる。


 ああ、大丈夫だ。この腕の中にいれば心配ないだろう。




 ◇◇




 目を覚ますと、屋敷の自分のベッドの中だった。手を握られている。

「アマデオ……」と見ると、それは彼ではなかった。

 大公令息のローガンがベッドそばの椅子に座り苦笑いを浮かべている。

「彼は外出中だそうだ」

 ローガンの背後にはメイドがひとり控えている。


 令嬢の寝室に異性はご法度なのではなかったのかな?


 それなのにローガンがここにいる、というのは私の具合が相当悪いというか、今会っておかねば次はないというレベルだったのではないだろうか。

 だってローガンの目には涙が浮かんでいる。


 パタパタと廊下を走る足音が聞こえて、母が飛び込んで来た。

「ヴィオレッタ!目を覚ましてくれたのね!」


 ローガンが素早く席を立ち、母に譲る。まだこの人がお母さんという感覚はないのだけど、どれだけ愛されているかは実感している。


「……そんなに眠っていたのかしら」

「1日よ。だけど……」と言葉を飲み込む母。「……このまま目を覚まさないかと思ったわ」

 彼女も涙を浮かべ、声は震えている。

「心配をかけてごめんなさい」

 マンガによれば、私はまだ病で死ぬことはないはずだけど、ストーリーを変えたから死期も変わっているかもしれない。


 この世界を目一杯満喫して、満足をして死ぬ予定なんだけどな。


「アマデオはどこへ行っているの?」

「魔術師の元よ」

「魔術師?」

「君の病を治せる方法を探しているようだ」とローガン。

「……『あと少しだ』と言うのよ。それまでは絶対にあなたを死なせないでくれと言って、出かけたの」


『あと少し』?

 何がだろう。

 私の病に治す方法はない。医療にしても魔法にしても。マンガにはっきりと書いてあったのだ。アマデオは知らないのだろうか。


 いや。私の運命を変えるために色々したと話していた。ならば病に関しても、動いていてくれたのだろうか。いや、『だろうか』じゃない。きっとそうだ。


『私』は何も知らない。アマデオが私を助けるために、どれほどの努力を積み重ねてきたのか。それが姉の不始末に対する落とし前なのだとしても……。


 廊下からざわめきが聞こえてきた。

 メイドや執事が慌ただしく出入りして、やがてアマデオと見知らぬイケメン男が入って来た。男は30代前半ぐらいだろうか。

 母が席を立ち、ローガンとふたりで丁寧に挨拶をしている。


『国一番の魔術師、エサイアスです。あなたはそのままで結構。一度脈拍が止まりかかっています。安静に願います』

 耳に響くアマデオの声。すごくほっとする。


 私は言葉だけで挨拶をした。

 エサイアスは鷹揚にうなずくと

「端的に事実だけ話す」と言って私を見た。「ヴィオレッタの病を治す方法をひとつ文献でみつけた」

 母が息を飲んで口を手で押さえる。

「ただし本当に効果があるかは分からない。試していないからな」

 一万人にひとりの難病だもんね。


「方法も独特だ。魔法で作った特製の丸薬が必要で、現在ふたつある。ただし精製に時間がかかるから、新しい丸薬を作っても、彼女の残された時間の中での完成は不可能だ」

「でもふたつあるのですよね」とお母さん。

 うなずく魔術師。

「丸薬の使い方だが、これを魔力の高い者が口に含み、口移しで己の魔力と共に患者に与えなければならない」


 え?なんだそれは?

 母、ローガン、メイドに執事、みなポカンとしている。


「しかも治療役には何かしらの制約があり、誰でもよいわけではないらしい。だがその制約の箇所が虫に喰われていて判別できない。他の文献を探しているがみつからない」

「ということは?」とローガン。

「選択肢はふたつ」と魔術師。「ひとつ、文献を探し続ける。ひとつ、一か八か私が治療する」


 部屋に微妙な空気が流れ、皆が顔を見合わせる。丸薬はふたつ。チャンスは2回しかない。

 アマデオはと見ると、難しい顔で宙を睨んでいた。


「公爵は出仕中なのですよね」とローガン。「帰宅を待ってみては。エサイアス殿はお待ちいただくことは可能でしょうか」

 うなずく魔術師。それから私のそばに来て、手を額にかざした。「大丈夫。すぐにどうこうということはない」

 アマデオの表情が緩む。


 それから皆が部屋を出て行き、私はお願いをしてアマデオにだけ残ってもらった。


「アマデオ。手を握ってくれる?」

 すると彼は私の頭のそばの床に膝をつき、手を握りしめてくれた。

「病気のことも、以前から動いてくれていたのね?」

「……ええ。そもそも自分が転生する前に姉のマンガに、治療法がひとつあると書き込んでおいたのです」


 大きくストーリーを変えてしまうことを書くと、自分の転生先が私とは違う並行世界になってしまうかもしれない。だからささやかに、ひとつ、とだけにしたそうだ。

 転生を果たし、ある程度の年齢になったアマデオ少年はその治療法を探したけれど、見つからなかった。


 長じて高名な魔術師の手を借りて発見したのが、先ほどの方法。丸薬づくりは3年もかかる上に、一度に大量生産ができないそうだ。


 ふたつの丸薬が完成したのはひと月前。その時は、ギリギリまで治療役の制約が分かる文献を探すことにしていたそうだ。だから私にも話さなかったという。


「治療法もずいぶん突飛よね」

「姉の悪意が影響しているのかもしれない」

 アマデオの手に力が入った。

「ヴィオレッタ様はどうしたいですか?治療とはいえ、ファーストキスになる。心の準備も必要でしょう」

「でも。ヴィオレッタというより私は前世の記憶しかないから。初めて、という気はしないから、問題はないかな」

「……そうですか。良かった」


 ツキン、とまた胸が痛む。

「それなら少しお休み下さい。来客にお疲れになったでしょう」

「そうね」実際に瞼が重い。「アマデオ……」

「何でしょう」

「……せめてあなたに、手助けしてくれた恩を返してから……」


 眠い。まだ、言いたいことがあるのに。

 もにゃもにゃと必死に口を動かしながら、深い眠りに引きずり込まれた。




 ◇◇




 次に目覚めたときに、両親と執事、アマデオ立ち会いのもと、マウストゥマウスの丸薬治療を試みた。だけど私はなんの効果も実感できなかったし、魔術師から見てもそうだと言う。


 両親はがっくりと震える肩を落とし、それでも笑顔で私を励ましてくれた。


 魔術師は帰る前に私とふたりで話したいと望み、父は許可した。アマデオは心配そうな顔をしていたけれど、執事に促されて部屋を出ていった。


「さてヴィオレッタ嬢」誰もいなくなると魔術師はおもむろにそう言った。「アマデオには固く口止めをされているのだが、彼にこの病の治療について依頼されたのは8年も前になる。予知夢で君がこれに罹るのを知ったと言ってね」

 はいとだけ答える。

「私はボランティアではない。彼は8年の間、初めてのものを除くほぼ全ての給与で私に依頼し続けた。知らなかっただろう?」


 給与を全て?その重みに愕然となる。


「ここまでされたら、私とて君を助けたい。帰ったらまた文献捜しを始めるが、その前に。君は私の力を借りたいことはあるか?アマデオにはかなりの依頼料をもらっているから、これはサービスだ。どんなことでも聞こう」

 案外に優しい顔をする魔術師。


「……実はつい先日、記憶を失ってしまったのです。以前のことは何一つ思い出せません。それを取り戻したいです」

 魔術師はうなずいた。「嫌なことも思い出す。リザンドロ殿下との幸せだった日々を知り、辛くなるかもしれない」

「だとしても。私はアマデオのことを思い出したいのです」

「彼も悩んでいる。自分のことを思い出してほしいけれど、辛いことまで思い出させたくはないと」

「彼はどうして私のことばかりなのでしょう」

「さあ。自分で尋ねたほうがいい」


 姉の贖罪。にしては真剣すぎる、と思うのは事実なのか、私の願望なのか。


「成功するかは分からないけど、魔法をかけるよ」

 エサイアスはそう言ってから複雑な呪文を唱えた。


 だけれどヴィオレッタの記憶はよみがえらなかった。




 ◇◇




 丸薬に多少の効果はあったのか私の体調は落ち着き、再び普通の生活が送れるようになった。あまりはりきるとみなが怒るので静かに過ごしているけれど、時々ローガンやかつての友人が遊びに来てくれる。


 王子と私の婚約は解消となったけれど、男爵令嬢ラウラは修道院に入ってしまった。私がふたりに謝罪した日、王子が自分に『許せるかい?』と尋ねたことで恋心が冷めたのだそうだ。

 アマデオは、王子はいい気味だと言った。


 彼は常に私のそばにいて記憶のフォローをしながら、私が楽しく過ごせるようにあれこれしてくれる。一緒に庭を散歩したり、ヴィオレッタが好きだったピアノ曲を弾いてくれたりと。


 そんな日々の中である朝アマデオは、

「今日、したいことはありますか?」と尋ねた。

 その質問は毎日のものなのだけど、この日の私には突如名案が閃いた。


「魔術師エサイアスの仕事部屋を見てみたいわ」

 アマデオからそこは、ある意味小宇宙で、混沌と秩序の両立、更には動植物園、と聞いている。すごく気になるではないか。


 ……それにアマデオの目の下のくまが日に日にひどくなっている。執事に聞いたところ、毎日父の書斎で古い魔法書を読み耽っているという。しかも四順目。見落としがないか、必死らしい。


 魔術師に彼の不安が和らぐ魔法をかけてもらいたい。


「では本日は難しいかもしれませんが、アポイントメントをとってみましょう」

 アマデオはそう言ったけど、彼が連絡をすると即返事が来て、すぐに来るようにとのごとだった。


 ふたりで馬車に乗り魔術師の豪邸に行くとすぐに仕事部屋に通されて、興奮気味のエサイアスが出てきた。 部屋を堪能する間もなく

「喜べ、見つかった!」と彼は叫んだ。

 治療役の制限について書かれた別の文献が見つかったのだそうだ。

「なんですか、それは!」意気込んで尋ねるアマデオ。


 魔術師は丸薬をアマデオの掌に乗せた。

「『患者と相思相愛で治療に魔力全てをかける覚悟のある者』だ」

 アマデオの顔から興奮が引く。

「……なんだそれは」


 私もなんだそれはと思いながら、ふと元親友の言ったことを思い出した。

『悪役令嬢の純愛もの』。彼女はマンガをそう表した。その影響がこんなところにまで出ているのだろうか。


「……だって彼女の愛するあの間抜けは」とアマデオが呆然とした声を出す。「……相思相愛の相手がいないと、治せないというのか?」


「それからヴィオレッタ嬢」魔術師はアマデオを無視して私に話しかけた。「君の問題に関する術も、適したものを見つけた」

「まあ、本当に?」

 前回、記憶を取り戻す魔法が失敗したあと、私は全てを彼に話した。今いるヴィオレッタの意識は別の世界から転生してきた魂のもので、元からいた意識が消えてしまったのだ、と。

 狂人扱いをされるかと思ったけれど杞憂だった。魔術師は真剣な面持ちで、その現象に適した魔術を探すと約束をしてくれたのだった。


「恐らくは変化に驚いて、意識の深いところで眠っているだけだ。術をかけても?」と魔術師。

「お願いします」

「待て、何の話です」とあわてふためくアマデオ。

「ちょっと待っていて」とだけ私は言う。失敗したらがっかりさせてしまうだけだからだ。


 魔術師は呪文を唱えながら、右手を私の額にかざし左手で不思議図形を書いた。

 すると私の中で何かの堰が切れ、様々なものが怒濤のごとくに流れこんできた。それは私がヴィオレッタになる前の記憶だった。小さなときからつい最近のものまで。両親、家庭教師、友人、王子。だけど一番多いのはアマデオだった。


 大人の目を盗んで共に遊びほうけた幼少期。魔法のレッスンがうまくできなくて、アマデオにこっそり教えてもらった少女期。リザンドロとの婚約を反対されて絶交宣言をしたり、彼の初給料でプレゼントをもらって喜んだり、夜中サロンから聞こえてくる音楽に合わせてふたりで踊ったり。

 そして最近のアマデオはいつも悲しそうな顔をして、私のいじめをやめさせようとしていた。


「ヴィオレッタ様!どうしました!」

 気づくと、頬が濡れていた。

「アマデオ……私、思い出した。ありがとう。今までずっとそばにいてくれて。助けようとしてくれて」


 以前の私はどうして王子なんかが好きだったのだろう。そばにいてもらいたいのも、一緒にいて幸せだったのも、アマデオだった。なんでこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。


 手を伸ばしてアマデオの服を掴んだ。

「アマデオ。私やっぱり、まだ生きたい。あなたと一緒にもっといたい」


 と、アマデオは丸薬を口に放り込み、私を抱き寄せた。



 ◇◇



 我が家はお祭り騒ぎだった。名目は、ヴィオレッタ全快祝い兼婚約おめでとう会で、一応は正式なパーティーでローガンや友人、魔術師が参加しているのだけど、使用人たちも共に祝っているという、魔術師の仕事部屋並みにカオスの状態だった。


 アマデオのおかげで私の難病は治った。驚くほどの健康体と医師のお墨付きだ。

 そして彼は父に土下座して、私と結婚させてほしいと願い出たのだった。この世界の常識に照らし合わせたら、切り捨て御免ばりの無謀な申し出だったけど父は了承した。

 私を治したのだから、喜んで認めると言ってくれたのだ。それに不誠実な王子より余程私を幸せにしてくれるだろうから、と。


 ローガンは悔しいけどアマデオに譲ると、祝ってくれた。私が、彼にもらった公爵令嬢らしからぬ髪留めをつけているのを見たときに、諦めたのだそうだ。


 宴の盛り上がりも最高潮に達しカオスが極まった頃合いで、アマデオにバルコニーに連れ出された。

 空には満点の星で、庭からは花ばなので甘く芳しい薫りがただよってくる。


 これは恋人同士には絶好のシチュエーションではと、胸がときめく。私たちはまだ治療のマウストゥマウスしかしていないのだ。


「ヴィオレッタに大事なことをまだ言ってないから」とアマデオ。

 なんだ、違ったらしい。いや、別にがっかりはしていない。

「なあに?」と聞き返しながらも、ちょこっともどかしい気分でいる自分に気づく。


「俺はずっとヴィオレッタが好きだけど」と幼なじみは私の目を覗きこんだ。「転生してきたあなたも好きだ。すごく楽しい日々だった」

「私も。アマデオが大好きよ。呪われた顛末とは思えないほど、今は幸せ」


 見つめあい手を繋ぎ、初めてのキスを交わす。





 きっと元親友は、地獄の底で地団駄を踏んでいることだろう。

 願わくば、彼女にも幸せな転生を──。




お読み下さり、ありがとうございます。

同じような《転生してしまった》シリーズに、

『どうやら俺は、ヒロインをかばって死ぬ騎士に転生してしまったらしい』

『転生したら悪魔憑きの悪役令嬢だった』

が、あります。

合わせてお読みいただけたら、嬉しいです。

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