力の片鱗
あれから少女は男の馬車を物色し始めた。あの男の服を借りて、身体を服装に合わせる。男が着ていた黒い紳士服の中から財布を見つける。中を見ると結構な額の銀貨や銅貨が入っていた。
男が顔に着けていたクチバシのマスクは顔全体を覆ってくれるので、この醜い口を隠してくれるのに役立った。しかし、許せない部分がある。マスクの目が小さすぎるのだ。マスクの目はガラスでできており、一般の人が見える大きさしかない。少女の義眼が大きいため、このマスクのままだと、常にのぞき穴から覗いているような状態になってしまうのだ。たとえ義眼を通して見なくてもよい体になってしまったとしても、せっかくもらった眼だ。できる限り眼を使って見たいのだ。
面倒くさい。少女はマスクの目の部分を引きちぎる。クチバシだけとなったマスクを身につける。ポケットに入っていた手鏡で確認し、少女は満足する。
そうやって物色を終えた後、怖がっている馬をどうにかなだめ、馬車を走らせた。馬車を走らせていく途中、少女は今日起こった長い一日を振り返った。
粘体と汚泥でできた生き物を見続けていたら、その生き物に動きがあった。その生き物は震えたかと思えば、突然自分に襲いかかり、少女を飲み込んだのだ。それは少女の穴という穴に入り込み、それを全て体に受け入れることになってしまった。
死んだ。少女はそう思った。得体の知れない生き物を体に入れてしまったのだから。ところが、しばらくしても何も起きない。
しばらく呆然としていると、手に何かを握っていた。剣と槍はどちらも錆び付いており、剣の方は片方しか刃がない。その剣の柄頭と槍の石突を錆び付いた鎖が繋いでいる。鎖が錆び付いているので簡単に切れそうに見える。しかし、少女は思う。その鎖からは絶対切れない覚悟を感じる。
この剣と槍を離してはいけないと思った。
そう思った瞬間、少女は夢から覚め、気づいたらあの忌まわしき男の前に立っていたのだ。
農場を出た少女はしばらく道を歩いていた。冷気が肌を蝕んでいたが、なぜか少女は平気だった。夜、火を持たない人間にとっては見えるわけがない。だが、少女は外の様子を見ることができた。夢から覚めたあの瞬間から。瞳は失ったはずなのに外を見ることができる。むしろ瞳があった時よりも視野は広くなっているように感じる。まるで体全体に瞳がついたかのように。
そのため少女は農場主と相対した時のあの下卑た顔も、今向こうから馬車をゆっくり進ませてきたマスク男の、腹に一物を抱えたような瞳も全て見えていた。もともと少女は農場主の下で働いていた経験から、人の悪感情には敏感だった。あのマスク男の瞳は、今日農場主が「母屋に来い」と言った時の瞳に酷似していた。つまり、「お前を殺す」という目だ。そして思う。この男を通せば小屋にいる多くの・・・。
その瞬間、少女は跳躍し、マスク男の背後から鎖で首を絞める。だが体格差の問題か、うまく絞めることができない。マスク男はポケットからナイフのようなもので斬りつけようとしてくる。それを見た少女は避けることには成功したが、首を絞める手を放してしまい、マスク男に蹴られてしまう。そそくさと馬車で逃げられてしまった。
失敗した。少女は先ほどの行動を反省する。剣や槍で攻撃すればよかった。反省し、鎖を握り直すと、何かを締めている感触がする。鎖を空で輪を作り、絞めるように輪を縮めていくと、確かに生物を締めている感触があるのだ。直感で、まだマスク男への首絞めは続いていると思った。少女は徐々に徐々に輪を縮めていく。今度は邪魔も入らない。その後、何かを折ったような感触がした。
少女は振り返りを終える。馬車はまだ走っている。振り返りを終えたと同時に、少女は今後のことを考える。
少女の夜は終わらない。