表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

『何にもないこの街で俺達が過ごした夏』②


『1977年8月17日(水)』


「あ~くそんごと暑か~」

離れてから初めて分かる東京と田舎の暑さの違い。この暑さで気を失ったセミ達が庭の柿の木から次々と地面に落ちる音を聞きながら勉強部屋で即身仏になる修行中の俺

「浩一~、黒木君から電話~」

俺は、即身仏になる修行を中断してくれた母親に感謝の言葉をかけ電話に出た。


「良かった、髙橋君まだこっちにおったんね。時間あったらウチに来ん?」高校時代何故か偏差値の谷を乗り越え親交のあった黒木君からの申し出に二つ返事で応えた俺は自転車に跨り桃源郷へと向かった。

そう開業医である黒木君の家にはクーラーがついていて、オマケにちょっとだけ年上のキレイな看護婦さんが居たのだ。


「ゴメン、来てもろて悪かったね」

「よかよか丁度ヒマしとったけん」

俺は娑婆と桃源郷の温度差を満喫しつつ黒木君の母親が気を効かせて用意したビールを一口で呷った。

「恥ずかしかけど高橋君に聞いて欲しかことのあっと・・・」

俺が男には興味ないと断る前に黒木君は人間の女に対する恋の悩みを話し始めた。

悩みの相手は俺ん家の並びに住んでいるN商業に行ってた同い年の敬子。確か黒木君と中学3年の時は一緒のクラスだったはずである。ただ敬子はアグネスラムのボディを持ってこの世に生まれて来たとしても、駅前アーケードで誰も振り向かない面構えをしていた。


「高橋君は敬子ちゃんばよう知っとろうけん、どうにかしてくれんやろか?」

「敬子をねぇ・・・」

カミングアウトじみた告白に唖然とする俺に本気で頭を下げている黒木君を見て「カミングアウトみたいな・・・えっ?まさか!」俺はコペルニクス的仮説を立ててしまった。

そしてコペルニクス的仮説を立証するために、黒木君を部屋に残して病院の待合室へ走り、明星と女性自身をチョイスして部屋に戻った。

急いでページをめくり該当する写真のページに目印をつけた俺は、何が起きたのかとポカンとしている黒木君に、今から簡単なテストをすると告げた。

「好きな方を選ぶんだよ」俺は雑誌に載っている女性を次々に指さして言った。

(〇)森昌子vs(×)山口百恵

(〇)樹木希林vs(×)風吹ジュン

(〇)菅井きんvs(×)吉永小百合


ここに俺のコペルニクス的仮説は立証され、黒木君が真性のブス専である事、そしてそれは『十人前の容姿を持つ開業医でありながら何故に彼女?と言われた母親を伴侶として選んだ彼の父親』からの遺伝子が間違いなく作用しているという事が判明した。


「黒木君、大丈夫だ。君は間違いなくお父さんの血を引いている」という俺に首をかしげながらも、手付として看護婦の長友さんの生写真四枚セット、そして成功報酬としては長友さんとのお食事(昼間)と言う破格の条件を惜しげもなく提示するブス専の黒木君。

だって長友さんは、去年黒木病院に新卒で入った看護婦さんで、黒木病院が産婦人科でなければ待合室は連日仮病の成人男子で溢れていたと言われる程のキュートな美人だったから。


二つ返事で悪魔の契約書にサインをした俺は、敬子が仕事から帰って来る時間を見計らって自宅の並びの敬子の家のチャイムを押した。

「フン、なんだ浩一?疲れてんだけど私」

近所の幼馴染だからと言って仲が良いとは限らない。

恋のキューピットに徹するため、対ブス耐性の沸点を倍の温度に設定して備えている今日の俺はキレないキレないキレないキレてはいけない。


「今日はお前の人生において間違いなく初めてで最後の話を持って来てやった」

キレてはいないが言葉がぞんざいになっているのが自分でも分かる。

「ナニソレ?さよなら」お姫様は使者の言葉がお気に召さなかった事が大変良く分かる。


「ちょっと待て!待てってば!」

慌てて俺は黒木君がお前と真剣な交際を望んでいる事を日本人初の9秒台で伝えた。

眉一つ動かさず使者の言伝てを聞かれたお姫様は、何事も無かったの如く「くっだらない」と言い残してドアを閉められた。


やはり19年間の人生において一度も経験した事がないジャンルを突然理解しろというのは無理なのか!

チンパンジーに猫舌の意味を教えようとして挫折した霊長類研究所の科学者のように肩を落として黄昏ている俺に「あら浩ちゃんどげんした?」敬子のおばちゃんが声をかけてきた。


『将を射んとする者はまず馬を射よ』

俺は敬子のおばちゃんに「幸薄い娘さんの人生の軌道に100万年に一度の確率で『幸福の流れ星』と言う名のボタモチが横切ろうとしているのです。私がこれから話す夢物語を聞いてご理解ご賛同いただけましたら、是非とも娘さんを説得して頂き、2日以内に私まで御返事を下さい」と告げ敬子の家を辞した。


黒木君から手付に貰った長友さんの生写真を枕の下に敷いて心地よく眠った翌朝、うちの玄関先には早くも『御礼』と熨斗がかけられたビールケースと全てを髙橋さんにお任せ致しますと書かれた敬子の両親からの委任状が届いていた。


雨男検定一級保持者の俺がその才能を遺憾なく発揮した日、俺は黒木君の親父さんの車に長友さんを乗せて、晴れていれば太平洋の水平線が丸く見えるはずのドライブインへ行き、チキン南蛮定食を食っていた。

「卒業して就職と大変だったろうから少し息抜きをしておいで。運転手と食事はこっちで用意するから」息子が間違いなく自分の血を引いている事にいたく喜んだ黒木君の父親は長友さんを今回の成功報酬の支払に当てる大役を引き受けてくれたらしい。


大粒の雨が大きな一面ガラスに幾筋もしまもようを描いて落ちて行くどころか、ガラスに叩き付けられた雨粒が滝のように流れる落ちる音にかき消されそうな声で長友さんが切り出した。

「あの~高橋さんて坊ちゃんと凄く仲良いですよね」

子供の頃から黒木君は看護婦さん達からそう呼ばれていた。多分病院を継いでも「坊ちゃん先生」と呼ばれる事であろう。

「うん、頭の出来は全然違うけど何故か馬が合うっていうか何だろね」

「私なんて不釣り合いですよね」

「な、何が誰と?」

「高橋さん」

「ハ、ハイ!」

「坊ちゃんに私の気持ちを何となく伝えて貰う事出来ませんか?」

「はあ?」

俺の中で成功報酬が音を立ててくずれ落ち、その瓦礫の下から罰ゲームと書かれた板切れが発見された。

その板切れの裏に書かれた『取り持つくらいの事ならやってあげるけど俺にとって何のメリットがあるのかい?この俺様が満足できる報酬をお前さんが払えるんだったら考えても良いが、はたしてお前さんにそれを払える勇気はあるのかい?<高橋>そう言って長友さんの体を上から下まで舐めるように見る』というト書き付のセリフを読み上げようとした俺に『友情と言う名の小さな消しゴム』が待ったをかけた。


長友さんみたいな美人の求愛をソデにした事が世間にバレたら黒木君のブス専がN市民全員にバレてしまう!そしたら黒木君の玉の輿を狙ってN市いやМ埼県中のブスが黒木病院に殺到する!そして黒木君の母親を見た人達の感想文から黒木君の父親のブス専もバレる!バレない為には!バレない為にわぁ・・


「わ、分かって欲しいと言っても無理だろうけど・・・俺と黒木君は真剣に付き合っているんだ。」

俺は長友さんの告白に余程パニクッていたのだろうか、後から考えれば敬子と付き合う事でいずれ黒木君のブス専はN市民全員にバレるのに、俺はそれを言うに事欠いて最大級のインパクトを持つ『モーホ』という真っ赤な嘘で覆っていた。


帰りの車中、助手席に座る長友さんの体はチカライッパイ窓側に寄っていた。


『1977年8月24日(水)』


海に面するN市の右側は上から下まで太平洋である。しかしながらN市民は一般的にいう海水浴はしない。

なぜなら長い海岸線には『離岸流』が発生し、膝下の深さで遊んでいても一気に沖まで持って行かれるし、アメリカの方からハワイを経由で太平洋を横断し日本の太平洋沿岸にまで届く『バカ波』というビッグウェンズディは、ベタ凪の日でもアポなしでやって来て海岸で遊んでいるお馬鹿さんを突然さらって行くからだ。

ということで、一級河川が市内を何本も流れているN市では、海ではなく川の上流で泳いだり、バーベキューしたり、キャンプしたり、イチャイチャしたりする。


夏の終わりの思い出として北川の河川敷で『飲み会』をやろうという事になった。

俺は神田君と萩原に手伝ってもらい、高校時代仲の良かった友達に連絡をとると、大学の後期授業が始まるまで暇を持て余した男女合わせて20人近くが集まってしまった。

まあ寝ずに徹夜で飲むわけだから別にテントが要るわけでもなし、各自酒とツマミと水着(必須)を持って現地集合とした。


雨男検定一級保持者の俺が企画したにも関わらず快晴となった当日は、神田君の『将来の大船』である資産家の一人娘の貧乳と『将来の黒木病院院長夫人』である敬子も参加していた。

黒木君に寄り添うように大人しくはにかんでいる敬子を驚きの目で見ながら俺はテレパシーで「地球上には、産まれた時点では雌雄が決まっていなくても、その後の環境外因や個体数に応じて雌雄が決まる生物が多々存在する」と言う理科の教科書の一節を敬子に送ってやると、敬子は直ぐにお礼としてサイコキネシスでゲンコツ大の石を飛ばしてきた。


事前連絡で水着持参(必須)としたのは男子が泳ぐためではない、男子が女子を見るためである。重ねて言う、スクール水着や競泳水着ではない女子の水着姿を今日見るためである。

もちろん河川敷に海の家や更衣所があるはずはないので、女子はTシャツやワンピースの下に水着を着てここにいる。

そしてそのTシャツとワンピースを木陰でクネクネと恥ずかしそうに脱ぐ仕草を、サングラスで隠した視界の端に『夏の思い出』として焼き付ける俺と萩原。


その俺の視界の隅に神田君に連れられた貧乳の娘が乱入した。「ん?んん?」俺はサングラスを外し目をコスって遠くの木を見ながら何回か瞬きしてゆっくりと神田君と貧乳を見た。

そして神田君を手招きしてその耳元に「どういう手を使ったの?手品?それとも催眠術?」と質問した。

神田君が言うには、ある日貧乳の娘が午後のティータイムでお母様に「オッパイていつかは大きくなるんでしょ?」と聞いたらしい。

「大きくなれば大きくなるけど大きくなっても大きくならなかったら大きくはならないで小さいままなのよ」と答えたお母様が何故そんな事を言うのと聞けば、私のダーリンは巨乳好きなのと泣いて答えたらしい。そんな娘を不憫に思った製造元は博多井筒屋の外商に電話して豊胸パッド入りの最新水着を外商部長直々に持って来させたのがそれだそうだ。

俺は、自慢気に胸を反らして立っている貧乳の水着姿の胸の辺りに『本来は平らであった場所に人工的に作られたボタ山を描いた筑豊の風景』という説明文を貼りたい衝動を抑えるのに必死であった。


Tシャツやワンピースは脱いだが、水着の上にバスタオルを羽織ったままの女子たちは河原で固まったまま中々その水着姿の全貌を男子に見せてくれない。

ここはしゃあないと、俺が先陣を切って川に入り「みんな入れよ~気持ちんヨカぞ~!」と白々しい誘いの声を上げた時、上流から「すみませ~ん!ボール取ってください」という女子ではない女性の声がした。

新しい恋の予感に、上流から流れて来るビーチボールちゃんに向かって得意のバタフライで泳ぎ出した俺は、要救を見事確保した瞬間、両足をつった。

小中と本格的水泳をやっていた俺は両足がつったとて両腕だけで簡単に泳ぐことができる。しかしその頼りの両腕は先ほど確保したビーチボールちゃんで塞がっている。

ビーチボールちゃんを抱いたまま「足がつったぁ~」と叫びながら大分下流まで流された後、ようやく浅瀬に打ち上げられた俺の目に『真っ白なビキニで包装されたキレイなおねいさん』が飛び込んできた。


「すみません大丈夫ですか?」

キレイなおねいさんが俺に聞いた。

「いえ大丈夫ですがちょっと気分が・・・」

何を企んでいるんだ俺!

キレイなおねいさん達の敷いていたレジャーシートのところまでワザと足を引きずりながら一緒に戻り、冷たいファンタを振舞われる俺。その竜宮城で乙姫様達は『あづまや百貨店』の化粧品売り場に勤めており、今日はお盆の売り出しが終わってやっとの休みで同僚の女性二人と遊びに来ているという事を知る俺。

職業柄あんまり日に焼けるといけないからもうすぐ帰るね、という一番きれいな乙姫様から『清美』という名前を頂いた俺。

その時分け前にあずかろうと俺の竜宮城に萩原が近づいてきた。

「竜宮城の場所は、じぇったい他の人には教えましぇん」俺は乙姫様達に固くそう誓うと、不服顔の萩原を連れてみんなの所へ戻った。


『1977年8月24日(水)②』


少女から女に・・・それは鹿児島で親戚の葬儀が入ったため先日のクラス会には参加できなかった『日高沙織』に今夏ピッタリのキャッチコピーだった。

高校生の時は教室の隅で俺達のバカ騒ぎを微笑みながら見守る大人しめの娘で顔もどちらかと言うと地味目な感じであったのだが、今はセパレートの水着から出た肩や腕や太もも、水着に隠れる胸の膨らみや形のよい臀部、全てのR(曲線)が艶というサインペンで描かれていた。

要は高校時代の俺達は、彼女が元々持っていた『色気や艶』を見抜けていなかっただけの話なのだ。

「おいしい」と言ってクーラーボックスから取り出したミリンダの瓶に直接くちをつけて飲む日高さんの仕草は、見ていたすべての男子の腰を折り前屈みにさせた。

神田君など流石元野球部である。貧乳の娘と水かけっこをしながらも盗塁を狙うランナーの目でピッチャー日高のモーションを必死に盗んでいる。


「高橋、援護射撃を頼む。作戦Aだ」

アイコンタクトで俺にそう告げると、萩原は『今夏最後の恋の戦場』に向かって一目散に駆け出した。そして水際で遊んでいる日高さんを視認出来る位置まで一目散に近づくと、急に膝から崩れ落ちた。

①「萩原、どうした!」素早く駆け寄り抱き上げる俺。

②「萩原君、大丈夫?高橋君、こっちに連れて来て!」萩原の異常に気づいた日高さんが俺達に駆け寄る。

③河原の大きな木の下に萩原を寝かせる


作戦Ⓐのシナリオ通りに物事が進む。

そう、日高さんは看護学校に通っているのだ。 「多分軽い熱射病だと思う」日高さんはそう言って冷たいタオルを萩原の脇の下に挟んだりして、簡単な応急処置を始めた。

入院した事がある人は経験があると思うが、寝て動けない状態で看護婦さんの処置を受ける時、自分の意志とは関係なく自分の色んなとこが看護婦さんの色んなトコに触れる・当たる・・・のだ。


日高さんの処置を受けながら、横に居る俺に、なぜか泣きそうな顔をして、目線で訴えかけて来る萩原。俺がその目線を辿って行くと、そこには萩原の水着の下で懸命に立ち上がろうとしているクララの姿があった。

日高さんが萩原の手をとって優しく言った「脈を測りたいから深呼吸してくれるかな?そう、力を抜いて・・ゆっくり・・・」


クララが立った・・・・


「ありがと!すっかり良くなったけん!」そう叫びながら突然立上がった萩原は、前屈みの姿勢のまま川に向かって駆け出した。 


『1977年8月25日(木)』


ああ喉が渇いた。おまけに頭が痛い。

完璧に二日酔いだなと思いながら布団の中で目を開けると、そこにあるのは見慣れた俺の部屋の天井ではなかった。

俺はもう一度ゆっくりと目を閉じる。

白くぼやけた頭の中の信号機は赤である。

わからない、そう思いながら俺はもう一度目を開けた。

天井はさっきと同じまま、そこで頭を動かさずに視界をちょっと広げるたら照明器具も違う事に気付いた。

ここでやっとこさ、俺は誰かの部屋で寝ていたという事実が判明した。

「じゃあ誰の部屋だ?」しょっちゅう泊っている萩原や神田君の部屋だったら違和感なんぞ覚えるはずはない。

「よし」覚悟を決めた俺が寝たままの姿勢で恐る恐る首を左に回した先は残念ながら壁であった。「ふざけんなよ」何故か不機嫌な気分になった俺が一気に180度首を回した先には、向こう向きに寝ている女がいた。

90度首を戻した俺は、もう一度目を閉じた。 


昨日河川敷での徹夜の飲み会から昼過ぎに帰って来た俺は寝ちゃったんだよな。

んで、夜の八時過ぎに腹減って起きて下に降りたら『今日は寄り合いがあるからご飯はどっかで食べて』って書置があったんだよね。それからそれから・・・

昨日の記憶を辿る連想ゲームは、横で寝ている女に辿り着く前に、どこからか飛んできた「珠美、じゃあ行ってくるぞ~」という最近とっても聞き覚えのある声で寸断された。

「オスッ!」声の持ち主に対し条件反射的に寝たままの姿勢で『気を付けっ!』の挨拶をした俺は、続いて90度のお辞儀をした事により、見事上半身を布団の上に起こしていた。


「おう髙橋、起きたとや」

思い出した!近所でラーメン食っていた俺は相澤先輩に拉致られ、飲まされ飲まされ飲まされ、最後は相澤先輩の彼女が任されているというスナックで、相澤先輩と彼女から二人がかりでオモチャにされ潰れたのであった。

「おはようございます。なんか先輩お手数かけしたみたいですんませんでした」俺は90度曲げた腰を更に90度曲げた。

「よかよか、おいはこれから免停講習に行って来るけんが、まだゆっくりしといてヨカぞ。おう珠美、高橋に朝飯でん作ってやれや」「うん・・・」という返事がして珠美と呼ばれた相澤先輩の彼女が布団から起き出した。

「いってらっしゃい」そう言って玄関口で靴を履いている相澤先輩の横に立つ珠美さんのパジャマ替わりのTシャツからは、スラリとした足と淡いピンクのショーツが覗いている。

トムジョーンズが起きた。


相澤先輩が出て行き、俺がトムジョーンズをタオルケットで隠しながら大慌てで脱いだズボンを探していると、珠美さんが「ふぁ~眠い~!」と言いながら俺の布団の横にドスンと倒れ込んで来た。

「お・は・よ・ふふ」うつ伏せのまま肘をついて、まだ眠たそうな潤んだ目で俺を見つめてくる珠美さん。

「お、お早うございます」と、答えながらも俺の目は、珠美さんのTシャツのえり口から覗く大きな胸の谷間に貼りついたまま。「高橋君、昨日は大分飲んだねぇ~」

飲んだのではない飲まされたのよぉ~心の中で俺がそう叫んだ時「ねえ、しよっか・・・ふふ」そう言って匍匐前進で間合いを詰めて来た珠美さんに、俺は縦四方固めをかけられた。    


「い、いや、だ、駄目です!駄目ですって」相澤先輩の女に手を付けたなんてバレたら地球に住めなくなってしまう!     地球の住民票を失いたくない、珠美さんの抑え込みから逃れようと必死でもがく俺。しかし「ふふふ、知ってるわよ」珠美さんは俺の耳元でそう呟くと、その手でトムジョーンズの頭を『お利口さんお利口さん』した。

いかんっ!珠美さんから褒められた俺の股間のトムジョーンズの着ている銀ラメのシャツが、今にもはちきれんばかりになっている。

「取りあえず北海道の端っこまで逃げて、そこで農家に住み込みで潜伏2年くらい?それから一気に沖縄に逃げて捜査を攪乱する」頭の中で今後の俺の悲しい人生設計が完成した時、玄関のドアの外から「ぼけくそがぁ~ほんなごて腹んたつ!」という声と鍵穴を回す音がした。


主審から「待て!」がかかり、抑え込みが解かれた俺と珠美さんは、お互いの開始線に戻り道着の乱れを直した。


そこにドスドスと部屋に入って来た鬼の形相の相澤先輩が「くそっ!ハガキばよう見たら講習は明日やった。おう髙橋、後輩ばいじめに行くぞ!」とおっしゃった。

俺がサッカー部の現役組よ今日が君たちの命日になりませんようにと祈っていると、冷蔵庫から取り出したコーラをイッキ飲した相澤先輩は俺の布団の端にドスンと腰を下ろすと、俺と珠美さんを交互に見ながらニヤリと笑い「おまえら変な事ばしよらんかったやろね」と冗談に聞こえない冗談をおっしゃった。

動揺と股間のトムジョーンズを隠しながら「し死んでもそげなこつはしません!」と答える俺に「ははは、まあ、そげなヤツがおったら北海道の果てまで追い詰めて、ホーツク海に沈めてあげるけどな」そう言って大阪の帝王みたいに笑う相澤先輩を見ながら、「北海道でも甘かったんだ」と胸をなでおろす俺だった。         


『1977年8月26日(金)』


「明日が母の誕生日なんです。いつも僕達のために忙しく働いて化粧っ気のない母のためのプレゼントを買いに来ました」何度も練習したセリフをもう一度確認すると、俺は『あづまや百貨店』の化粧品売り場で『清美』と書かれた名札の持ち主を探した。


「あれ?君は」女性化粧品売り場の不審者に最初に声をかけて来たのは、河川敷で清美さんと一緒に居た清美さん程でもないがキレイなおねいさんだった。

「明日が母の誕生日なんです。いつも僕達のために忙しく働いて化粧っ気のない母のためのプレゼントを買いに来ました!」俺は取りあえずその人に練習の成果を披露した。

売り場で俺の母親の年齢や服の好みを聞いた『山下和子』という名札を付けたそのおねいさんは「今日、時間ある?8時半には上がれるけんが、裏の従業員出口で待っとって」と言った。  


「お待たせ~ちょっと行こうか」

一時間後、従業員出口から出て来た私服の山下さんは、美容部員の制服の時よりちょっとだけ年下に見えてとっても可愛かった。

そして『あづまや百貨店』の近くの喫茶店に入ると、山下さんは「ハイこれ」と小さな包みをテーブルに置くと「社員割引で買うた口紅。リボンも着けとった。大した値段じゃなかし、足ばツッてまでビーチボールば救助してくれたお礼よ」そう言ってウィンクした。

『フォーリンラブ』恋したら舞い上がるのに、何故落ちなければならないのだろう?

その答えを10分後に知る事となる俺。


山下さんは俺のいっこ上のおねいさんで、去年N実業を卒業。実はN市内にもういっこあるデパート『ことぶき』の試験に落ちたので『あづまや百貨店』に就職したそうだ。

「本当は清美先輩を探しにきたんでしょ?」小悪魔のような目でわざと俺を困らせる山下さんに向かって、イッキに恋の急降下を始めた時、どっか聞き覚えのある声が俺のパラシュートを開かせた。

「和子、なんばしよっとや」そう呼んだのは先日俺と萩原に絡んだため相澤先輩に『くの字』にされた歯欠けのツレだった。

「何か用ね?」和子さんが可愛い顔のコメカミニにスジを立てて返す。なんとツレと和子さんはお知り合いの様だ。そりゃそうたい、N実業のいっこ上っていうたらツレの同級生じゃん!


「ダチと待ち合わせばしとったら、お前とどっかで見たヤツが仲良う話ばしよるけん、ちょっと挨拶ばしちゃろうかねて思うたったい」そう言ってツレが俺の肩に手を置いて強く掴んだ。   「うち達が仲良うするとが、アンタに何の関係があると?ねえ高橋君」和子さんがツレに対する当てつけの様に、テーブルの向いに座る俺の手を握った時「お~痴話喧嘩ばやりようやりよう。和子ちゃん、はよお毅ば許しちゃらんや。ん、こいは誰ね?」そう言ってガタイの良いガンタレが3人、隣の席に座りながら、和子さんの手を自分の手の上に乗せている見知らぬ小僧である俺を見た。

「N高サッカーで、いっこ下の小僧たい」ツレが吐き捨てる様に俺の自己紹介を勝手に済ませると、ツレのツレ達は一斉に面倒臭いクジを引き当てたような顔をした。


未来予想図の『年上のキレイな女房を貰う』という欄に、さっきまで記入していた和子という名前に消しゴムをかけ、当初の目的通り清美と書き直した俺の小さな前頭葉は①和子さんと歯欠けのツレはN実業の同窓生で現在付き合っているが喧嘩中、しかし別れる見込みは無さそうである。②そしてツレのツレは俺の相澤先輩バリアーを認識していると判断した。


ツレから和子さんの新しい彼氏と思われている俺、相澤先輩が怖くて俺に手を出したくても出せないツレとツレのツレ。

この千日手を破ったのが和子さんの「あ~しょんもな~、すみませ~んビール6本下さ~い!」というオーダーであった。

そして各人の前にビールとグラスが置かれると、和子さんの「んじゃ、乾杯!」という御発声で酒宴が始まった。

お通夜の様な手酌の酒宴は、店の在庫のビールが無くなる頃(一応喫茶店なので)には真夏の忘年会と化していた。

変な誤解も解け、すっかり打ち解けた俺とツレ。


店の外に出て「毅さ~ん、和子さんば泣かせたら俺が許さんですよ~」とツレをからかう俺に「なんば生意気言いようとかぁ~小僧~」と笑いながらヘッドロックをかけたツレを、たまたまホントにたまたま通りかかった大魔王様がその視界に捕捉され、有難い事に声をおかけになられた。

「お前~、いっちょん懲りとらんみたいやな~」

そして大魔王の次なる行動を慌てて止めようとした俺の努力の甲斐も無く、船橋町の地面には、相澤先輩の強烈なボディブローによって『くの字』になったツレが横たわっていた。


『1977年8月29日(月)』


「浩一~、お父さんから電話~」

明日は寝台特急『富士』に乗って東京へ帰ろうかという日の夕方、珍しく外で飲んでいる親父からお呼びがかかった。

「へい!らっしゃ~い!」威勢の良い大将の声に迎えられ、N駅近くのドテ焼きの店に入ると、カウンターで大将と話しながら飲んでいる親父が居た。

「どうしたと?」と言いながら横に座った俺のグラスにビールを注ぎ分けると、「おう、乾杯」といって親父がグラスを持ち上げる。俺は「何に乾杯だよ」と笑いながらグラスを合わせ一気に飲み干す。


「やっと大手振って飲めるようになったたい」そんな俺を見て大将が笑う。家族でも良く利用するこの店では高校に入学した時から酒は普通に飲ませて貰っていた。

「何がね大将、こいはまだ19で未成年ばい」

笑いながら返す親父。


普通のサラリーマンで、酒とショートホープとたまのパチンコを愛する親父。

農家の八男坊で、もう分ける田畑もないからと、上の兄弟達がせめて高校だけでもと、一人だけ高校に行かせて貰った親父。

外でも家でも飲むけれど酔ったところをみせない親父。

車は中古車、走れば十分と言う親父。

息子と同じN高のサッカー部ОBの親父。


「お前はまあだガチャガチャしよるとか?」親父は俺がギターを弾くことをガチャガチャと言う。「うん、向こうでもバンドばやりよう」

「東京は楽しかや?」

「うん、行かせてもろてありがとう」

俺は親父に初めて、無理ばして東京の大学に行かせてくれた礼を言い、親父のグラスにビールを注いだ。


「男ん子はよかねぇ、うちももう一人こさえときゃよかったなぁ」俺と親父の会話を聞きながら大将が言った。

「娘一人で悪かったわね」

「みっちゃん!」

調理場の奥から出て来たのは、大将の一人娘であるみっちゃんだった。

「おっ!浩ちゃん久しぶり!」


『三つ上のみっちゃん』俺の憧れだった人

『三つ上のみっちゃん』どっかのサラリーマンと2年前結婚して県庁所在地へ行った人

『三つ上のみっちゃん』いまだ忘れられないひと


「ハハ、まったく辛抱がないったら、戻って来ちゃったよ」

ため息交じりで笑う大将に「この店の跡継ぎが見つかって良かったでしょうに、あとは良い男捕まえて・・とね」そう言っていたづらっぽく俺にウィンクするみっちゃん。


俺が思わず大将を「お義父さん」と呼ぼうとした時「浩一~今日はな~今んうち言うとくが、卒業してん無理にこっち帰って来て働かんでもよかけんな。ここには何もなか~、お前はこま~か頃から新しもん好きやったけんが東京みたいなとこが性に合ってとろうたい。なあ大将もそげん思わんや?」そう言って親父は大将のコップにビールを注いだ。子の心親知らず・・・・

「そうやね、浩ちゃんはハイカラやけん、こげな田舎に就職するタイプじゃなかねぇ」

他所の子の心、お義父さんも分からず・・・

横でみっちゃんが笑っていた。     


「そいよか、お前はいつ東京に戻るとか?」

思い出した様に親父が聞いた。

「あのね、昨日の朝飯ん時も、今朝の朝飯ん時も30日の特急富士で帰るて言うたろ」

「ふ~ん、ま元気でやれや。大将!勘定ば」

お義父さん御挨拶は、また日を改めて。


次の日俺がN駅上りホームで東京行き寝台特急富士を待っていると「浩ちゃん」という声がしてみっちゃんが連絡橋を降りて来た。

「よかった間に合った。ほらお弁当」

「お~ありがとう助かるわぁ」

俺は礼を言いながら弁当を受け取るとみっちゃんに「昨日大将が言いよったとは本当ね?」勇気をもって大変不躾な質問をした。

「なに、ほんとにストレートな質問やね」みっちゃんは笑いながら『大将も歳でそろそろ店をたたもうかと言うけど、生まれ育った店が無くなるのは嫌だ。そこで自分が店を継ごうとサラリーマンの夫に相談したが反対された。幸か不幸か子供もいなかったため家を出た』と話してくれた。

「俺もあん店が無くなるとはいやじゃ」

だから、と言おうとした時、汽車到着のアナウンスが流れた。

「ありがと、そげん思うてくれて嬉しかよ。正月には帰ると?」

「うん、必ず店に寄る」

その時は、と言おうとしたら汽車が到着した。


ホームで手を振るみっちゃんを見ながら「せっかく無理して東京の大学に行かせたっちゃけどね~」とカウンターで飲みながら苦笑いする親父を、カウンターの内側からみっちゃんと顔を見合わせ笑う俺を思い浮かべた。 


冬休みになったとたん急いで帰省した俺は、N駅から家には寄らず『みっちゃんの待つ店』に向かった。

「こんちわ!」

そう言って『将来の自分の店』の戸を引くと、見た事も無い背中が振り返り「すみません、まだ準備中なんですけど」としゃべった。

「あら浩ちゃん、もう帰って来たと?」俺と背中の話し声を聞いてみっちゃんが仕込み中の厨房から出て来た。

「うん、これから色々な準備もあるしね」将来の嫁に答える俺。

「そう何か忙しそうね」と言いながら「あ、こん人がうちの旦那。この店継いでくれるって今の会社辞めてくれたと、そいで浩ちゃんは常連さんの・・・」

それから先はあまり覚えていないが、東京土産の『ひよこ』を手渡して店を辞したのは何となく覚えている。あとで親父がいう事には、見事閉店の危機を救ったみっちゃんは既に3代目も身籠っているとの事であった。


『1977年の8月13日(水)』


『お前みたいな馬鹿学生でも就職が決まったなら仕方んなか』と言う恩赦で大学を卒業した俺は、そのまま東京で働き出した事もあり、田舎とは20年以上疎遠になっていた。


仕事の忙しさにかまけて未だ独身の俺に40才の声も聞こえて来たこの夏、俺は葬儀に出れなかった叔父の初盆で久しぶりに帰省する事となった。


叔父の法事も終えた夜、俺は『巨乳好きであったが玉の輿マスオさんバージョンで貧乳の資産家の一人娘の婿さんになった今や地場企業の専務の肩書きを持つ神田君』を知り合いのスナックに呼び出して飲んでいた。


「知っとうや?甲斐が旦那と別れてこっちに帰って来とるぜ」 突然神田君がとっても素敵なプレゼントの箱を開け、俺は25日の朝の子供の様に喜んだ。

「そいで俺は、君のために甲斐ばここに呼んどる!」真夏のサンタクロース神田君が次に開けた箱にはもっと素敵なプレゼントが入っていた。「そいで、そいで?ねえねえ~次は次は?」

更にプレゼントをおねだりする俺

「そいで俺は、甲斐が来る前に帰る!」

最後のプレゼントの箱には『気遣い』と言う美しい日本人の心が詰まっていた。

「神田ぁ~ありがとぉぉ~」思わず神田君の手を握り号泣する俺「へへ、今の俺が専務て呼ばれとるとは高橋のおかげたい。じゃあな頑張りやい」


30分後、俺は甲斐さんとカウンターに並んで寸止めで失われた夜を巻き戻していた。

歳を重ねた分だけ更に色気が増した甲斐さんの発するフェロモンに股間の楽屋では既にトムジョーンズが柔軟体操を始めている。


当たり障りのない話の途中で「今日はね、高橋君にとっても良か話のあると」甲斐さんはそう言ってブランド物のバックの中から1本のビデオテープを取り出した。

「こんビデオば観て貰えば分かるっちゃけど、今アメリカで大人気の洗剤なんよ、ほんと片手間でよかとよ、高橋君の友達10人にね10万円分づつ洗剤ば買うて貰うと、もちろん大人気の商品やけんが、買うた友達もそいば人に売ればよかっちゃけん友達に迷惑はかからん、逆にこげなよか商品ば紹介してくれてありがとうて本当に感謝されよると!今ならね少し頑張っただけで髙橋君も問屋さんて言うとになれるっちゃが、そしたら黙っとっても月に20万以上は入って来るとよ!」甲斐さんは一気に説明を終えた。きっと何回も何回も友人知人に話しているからだろう。

『俺に向かってどんなに素晴らしいシステムかを自慢気に話した半年後に、在庫と借金を抱えて失踪した友人』を思い出す俺。

「悪かけど、そいはマルチやろ」

(あ~言うてしもた)

「違う違う、あげなマルチとかネズミ講と一緒にせんといて!こいはね、ちゃんと商品があってねアメリカでも・・・」

「もうよかて」俺は甲斐さんの話を途中で遮った。高校時代あんなにクールだった甲斐さんが金の為にムキになって反論するのが何故かとっても悲しくなったのだ。

そして俺は「そいは最後にアンタもアンタの周りん人も不幸にするとよ!」と自分でも思いかけないキツい言葉を甲斐さんに放っていた。

「なんで?なんでそうなると?信じられん、もうよか帰る!来て損した!バッカじゃなかと」

カウンターのビデオテープを無造作にバッグにツッコむと甲斐さんは今夜もまた金も払わずに店を出て行った。


エディコクランのサマータイムブルースが流れるカウンターの向こう側でマスターがポツリと言った。「高橋君はなんも間違ごうとらん・・・でん、今日はヤレとったよ・・・」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ