逃避行その14*臨床心理士Uさんへ
Uさんへ
これを書いたのは3月8日で、この間通院した後に書きました。
先生とお話をした時、私は調子が悪くてはっきり覚えていないのですが「解離性障害を治すには環境云々も大切だが、一番は本人が成熟する必要がある」と言われ、私は「成熟していないお子ちゃま」と言われたようですごく不快でした。
それならば解離性障害でない人達は解離性障害の人よりも優れているというか、成熟しているというのでしょうか?
はっきり言って先生の言動はメンヘラを馬鹿にしているように感じることが多いです。(この前も書きましたが、先生の「何年も行動せずに騒いでいるのだろう」発言など。2018年2月22日先生についての文より)
私は人間的に成熟していると思いませんし、完璧主義者ではないので完璧になりたい、というのもないですが、これまでの人生、どうすれば少しでも良い方向に進んでいけるのかを自分なりに試行錯誤してきたつもりです。
それを完全に否定されたような気持ちになりました。
精神を病むのは人間的にお子ちゃまで未熟だからだと言い切られた気がしました。
子供のような大人と成熟した大人がいたとしたら、必然的に相手の面倒をみなければいけないのは成熟した大人のほうで、ストレスも成熟した大人のほうがかかるので病みやすいのではないのでしょうか?
成熟した大人だって心というものがあると思うのです。
自分の内面を冷静に観察できていないとも言われました。
どれだけの人達が自分の内面を冷静に観察できているというのでしょう。
自分の内面なんてかえりみず、好き勝手に生きている人間のほうが多いように感じます。
でも、精神科にかかっていないので、そういうふうに否定されることもなく、伸び伸びと暮らしているのです。
なんだか最近私は精神科に行った時点で負けのような気がしています。
精神科に通うとメンヘラとして差別(主に先生に。先生は無自覚に差別している気がします)される上に、療養という名の無駄な時間を過ごし、さらに社会に出ていくのが困難になっていく気がします。
解離性障害は歳をとれば治ると聞いたことがあります。
なので「人間的に成熟すれば治る、内面を見つめれば治る」なんて言うのでしょう。
私はお釈迦様になる気はさらさありません。
デカダン主義者なのでむしろそういう考えは軽蔑しています。
先生の考えを押し付けられている気がしてなりません。
私が急に友達がほしいとこの前言ったのは、「先生とはわかりあえない。気が合わない」と思ったからです。
「友達がほしいのは人間に対して心が開いてきたから」と言いましたが、あれはその場が気まずくならないための嘘でした。
差別されるばかりで心を開ける人がいないので「寂しい」のはあります。
相手が差別してくるのにどうして心なんて開けるのでしょう?
私は意固地な人間だと思われているようですが、差別してきたり見下してこない人間にはちゃんと心を開くタイプです。
ちゃんと人を選びます。
心理面の治療は臨床心理士さんの仕事で、薬による治療などが先生の仕事なので、先生に心理的な治療を期待する私は馬鹿なのかもしれないです。
2018年3月15日




