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精神科医への手紙  作者: 新兎和真
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逃避行その2*昔のことについて

このお話はいじめの内容などが詳しく書かれている部分です。

この小説の中で一番重く暗いお話しかもしれません。

トラウマが甦る可能性があるので、繊細な方はこのお話は読み飛ばしてもらっても大丈夫です。

それでも大丈夫だと言う方だけお読みくださいm(_ _)m

ぼんやりと覚えてる昔のことについて


(主に小学生の頃)

先生に殴られた以外は日常的に何度も繰り返されたことが多い。

いじめられる対象は普通順番でやってくることが多いようだが、私がずっといじめられ続けることで、他の子達がいじめられずに済むので先生にも都合がよかったようだった。


・たいしたことがない理由で男の先生にぶたれた(か殴られた)らしい。私は泣いて帰ってきたのだが、そのことは覚えていない。母は覚えている。


・「あんたさえいなければ」と呪いのように何度も言ってくる女の先生がいた。


・班を組む時や係決めのとき、先生はクラスの人数が奇数で一人余ることを知っていながら好きな者同士でグループを組めるようにした。私は当然余り、正直どこのグループに入ってもよかったが、どのグループからも拒絶され、「あなたのせいでグループ決めが終わらない」と先生に怒られた。グループ決めの度に色んなグループをたらい回しにされた。


・外からしか鍵が掛けられない部屋に閉じ込められ、それに気付いた先生が出してくれたが、「閉じ込められるほうが悪い」と怒られた。しかも謝らされる。


・しょっちゅう上履きやリコーダーを隠されるので、上履きやリコーダーは買いだめしていた。


・上履きに画鋲を入れられ、足を怪我した。そのことを先生に言ったら「普通履く前に中を見るだろう」と私が確認しなかったのが悪いように言われた。


・夏休みの宿題の工作は必ずと言っていいほど壊され、無事に戻ってくることが奇跡だった。


・漫画クラブというものがあり、踊り場に絵が飾ってあったのだが、いつも私の絵だけが破れていた。ある日たまたま「ムカつくんだよ、死ね!」と二人ぐらいの男子がボールを投げつけて破いているのを見た。


・遊ぶ約束をした友達が待ち合わせ場所に来たためしがなかった。私はずっと待ってることが多かった。次の日、わざっと私に聞こえるような声で他の子と遊んで楽しかったことを話す。


・他の生徒は先生に何か連絡するとき敬語に方言が混じっても許されたが、私だけは許されず、少しでも間違うと最初から言い直させられた。話す音量やスピードが気に食わないときも最初から言い直させられた。


・自分の誕生日パーティによんだクラスの同級生達が私を無視し、ある女の子(のちにいじめの主犯格になる子)が、私に代わって祝ってもらっていた。(母も見ていたが、注意しなかった)


・完全に相手に非があることでも無理やり理由をつけられては先生に謝るように仕向けられた。


・学校以外の友人でよく遊ぶ子がいたが、帰る時間になり帰ろうとすると泣き叫んで暴れたり、部屋に閉じ込めたりするので、正直怖かった。


・髪を耳にかけたり、横を向いたりする何気ないような動作をいちいち馬鹿にされ、「こうしたらいいのに」と指導され、その通りにしたらしたで馬鹿にされる。結果、動きが人前でぎこちなくなり、そのことをからかわれる。


・ありもしない噂を流され、それがほかのクラスにも広まり、歩いているだけで嘲笑の的だった。


・何かひどいことをされ、泣いて先生に訴えても他の生徒達が口合わせをして「何もしていない」というので、嘘つき扱いされる。そういうことが繰り返されることで、嫌がらせを受けている私のほうが問題児ということにされた。


・なぜか別のクラスの知らない子が私の細かい情報を知っている(使っている消しゴムが何だとか、どこに住んでいるのか等かなり詳しく知っていた)


・周りの子供たちは私の親の前では私を褒めるので、母は「あんな良い子たちが娘をいじめるはずがない、いじめられているというのはあなたの被害妄想」と信じてくれなかった。


・一時期男子たちの間で登校中の私のランドセルに爪で傷をつける遊びが流行った。


・いじめが全校レベルの重いものになってから、ようやく母も気付いたが、いじめについて冷静に対処するというより、ただ感情的になって騒いだ結果になったので、裏で先生達や生徒の親達からひどく馬鹿にされて辛かった。しかし「あなたのために一生懸命にやったのに!」と母から怒鳴られるのが目に見えていたので黙っていた。


・クラスで同じく省かれている(不潔なことで)男子と無理やりカップルにさせられそうになったことがあった。(結婚指輪まで作られた)


・クラスのお調子者がみんなを笑わせていて、私が笑うと「おまえだけは笑うな!」と怒られた。それに限らず喜怒哀楽が許されなかった。

ちょっとでも感情が顔に出ると色々言われた。


・バイ菌扱いされた(不思議なことに汚いと言ってくる人達のことが汚く思えるようになり、極度の潔癖症になった。今も治らない)


・とにかく人権がなかったと思う。


・先生はいつも味方になってくれない。むしろいじめに参加する。


・教えないといけないことや、伝えないといけないことを周りがわざっと私だけに教えない。(小・中・高校時代)


(中学・高校時代)

・中学生のときは凶暴化していたので、いじめは小学校ほどではなかったが、無視されて避けられていた。


・馬鹿にされていたので、一生懸命勉強したが、なかなか成果が出なかった。しかし、その後一気に成績が伸びて450点以上をいきなり採ったので、カンニングを疑われて試験のたびに先生の監視がつくようになった。(おまえが高得点を採るのは許さないという周りの目)


・腫れ物に扱うような扱いが嫌だったので、高校時代には穏やかに振る舞うようになったが、小学生の頃に戻ったかのようないじめが復活した。(小・中学が同じだった子が私がいじめられっ子だったことを周りに教えて回った)無視されるよりマシだと思い、ひたすら耐えていた。


・何故か男子にモテたので(というか孤立していたので、自分のいいように扱える女だと思われていたのだと思う)他の女子からの嫌がらせがひどく、妬み、僻みを避けるために男言葉を使ったり、男装をしていた。少しでも女らしいところが見えると非難された。


・体育祭のダンスの練習に私だけ執拗に毎朝呼び出され、個人練習を強要させられた。他の省かれてる子は一度も練習に行かなくても何も言われなかった(しかし、体育祭後の打ち上げパーティには一度も練習に来ていない子は呼ばれ、私は呼ばれなかった)体育祭は他の高校の男子も来るので、男子に人気がある私を客寄せパンダに使い、他の高校の男子も呼んで打ち上げパーティをしていたらしい。


・校門で待ち伏せされてついてこられたり、駅で待ち伏せされたり、痴漢に頻繁にあったり、バスに乗っている時にいきなり背中に蜥蜴の玩具を入れられたりして気が休まらなかった。(不特定多数の男子に付きまとわれていたので、先生に言っても信じてもらえないと思い、黙っていた)待ち伏せ現場は母も見ていたことがあった。


・女子の多い高校独特の文化で同調圧力がすごかった。彼氏がいない子は省かれるので、皆好きでもない男子と付き合っていた。持ち物から髪型までピッタリお揃いにしなければいけなかった。

メールは即返信しないとすぐに省かれるので、皆必死だった。女友達というより彼氏と彼女のようなベッタリした付き合いだった。あまりに頻繁にメールをしたり、付き合いで服を買ったり、遊びに行かなければいけないので、陰で売春している子が多かった。

先生達はそのことを知っていて学校の評判を落としたくないので、見て見ぬふりをしていた。

私はグループに入らず、彼氏も作らなかったので、我儘だといじめられた。


・私はスクールカースト底辺にいたので、周りの女子たちはいつも私のようにだけはなりたくないと軽蔑していた。

人間関係がうまくいっていた先輩が、彼氏や友人とうまくいかなくなり、スクールカースト底辺になるぐらいなら死んだほうがマシだと自殺した。(投身自殺だったが、学校は「不慮の事故」ということにして揉み消した)その先輩が死んだ後、「なんであの子が死んで、あいつ(私のこと)が生きているのか」ということを色んな人達から聞かされる羽目になった。

「早く死ねばいいのに、いつになったら死ぬのか」と言われた。


・修学旅行の係決めで、私が体調不良で保健室に行ってる間に全部の係を私一人でやることになっていた。先生はそれを知っていて何も言わず、むしろ修学旅行当日、一人でこなすのが無理なスケジュールをあくせくやってる私に「もっと落ち着いてやれないのか」と文句を言っていた。

あまりに無理なスケジュールだったので、常に走り回らなければならず、疲れもきて転倒したのを馬鹿にされて笑われた。


・高校時代も全校レベルのいじめだったので、全く知らない同じ高校の生徒から嫌がらせをされることが多かった。

クラスでもいじめられていたが、知らない人までに激しい嫌がらせをされていたので、同じクラスの人達からは少し同情されていた。


・何かを決めるジャンケンは私が負けるまでやり直しが続いた。


・自分からすすんでパシリをすることで、クラスでの居場所を作っていた。


・通学路にカラスが群がる場所があり、カラスの糞をよけると「なんで避けるの!当たっちまえよ!」と罵声が飛んだ。

それに限らず「転んで怪我すればいいのに」など、日常茶飯事に言われ続けた。


・「○○さんだから、いじめても惨めじゃない(だからいじめてもいい)」「あいつは化け物だから何しても大丈夫」と言われた。他の子がいじめられるのは可哀想だと言っていた。

「○○さんだって泣けば可愛いのに」とも言われたが、実際に泣くと「なにコイツ」と白い目で見られた。


・マラソン大会で200人中32位をとったが「あいつがそんな運動神経がいいはずがない」と他の生徒に不正を疑われて先生に尋問される。しかも先生も信じてくれない(帰宅部だったが、夜中に走りこんで鍛えていた)

その次は非難されないようにかなり遅く走ったが、58位だった。


・体育のバスケ中にうまく敵を交わしてシュートを決めようとしたら、何人かの生徒に激しく殴られた。殴られたのは私のほうだったのに、「ファールしたのは誰?」と面倒臭そうに先生に言われた。まるで私が悪いと言わんばかりだった。殴った生徒は何も言われなかった。


・男の先生は私が悪くないと正しい判断を下してくれたが、女の先生は私が悪くなくても無理矢理悪いということにして謝らせなければ気が済まなかった。女子と女の先生は全員敵だった。


・誰とも付き合ったことがないのに、ヤリマン扱いされて気持ち悪がられていた。



文章を見直すことが(また色々思い出すので)辛くてできませんでした。しかも長くなってしまい、すいません。


文章も滅茶苦茶でしょうし、かなり激しいいじめで、しかもかなり特殊な環境だったので、私の妄想ということにされ、先生に変な目で見られないかすごく心配です。

私が通っていた当時のT小学校・中学校はいじめがひどいことで有名でした。


先生がいじめを見て見ぬふりをする学校の体質は未だ変わっていないようで、小学生女児が同級生からバッタを食べさせられて自殺したあの事件があったのは、私の母校の小学校でした。

高校は地域密着型の学校で、学校のイメージが就職率に関わっていたところがあったので、色々裏であったのを先生達が必死に揉み消していました。


2017年12月21日

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