天使よ、僕の腕の中で。
「誰かを好きになったことがある?」
「――まさか!そんなこと一度も考えた事ないよ」
「そっか。じゃあ……その時になったら、きっとわかるよ」
**
彼女はよく笑う人だった。
特別な手入れをしていなくても艶やかだった髪は長く、都会にしては映えない制服から白く美しい四肢を覗かせて、大きな黒い瞳を僕のように濁らせること無く美しい顔立ちで無邪気に笑う人だった。
「君はいつも遅くまで学校にいるよね。勉強?偉いなぁ」
「まさか。……そんなわけないだろ」
彼女は博愛を身に纏った天使だった。
分け隔てなく他人と接し、眉を顰める事も無く人に施しを与えた。――俗にいう、"誰にでも優しいのは――"を僕は強く否定する。彼女こそ、万人に興味があるから誰にでも優しく接する人間だ。
「皆が大好きだよ。君は?君はそうじゃないの?」
「まさか。――僕が、あいつらなんて好きになるわけないだろ?」
彼女は努力を惜しまない人だった。
定期考査の順位、部活での成績、授業の為の予習復習……学園生活においての必要事項に全て合格のサインを描かれる。彼女はよく笑う人だったから。他人に向ける感情に、愛を一番に捧げる人だったから、誰もが彼女の才を、天賦だと決めつけて裏の顔で羨んだ。
僕は知っている。彼女の天賦の才は、その努力だと。
「……あ、まだ居たんだ。えへへ、参っちゃうよね……机の裏にカンニング用紙が貼られてたなんてさ……。――幻滅した?」
「……まさか。むしろ不名誉だ」
彼女は実は笑わない人だった。
僕と彼女、二人しか居ない教室では彼女はもう笑顔を取り繕わない。僕が座る机より少し離れた窓際で、ただ黙って風にあたる少しの時間で、彼女は笑うことを止めた。無表情に見下ろすグラウンドで彼女を見つけるクラスメイトに、口元だけの微笑みを降らせて手を振る動作はテンプレートをなぞるだけ。
「……私ね、入学当初は……こんなのじゃなかったの。根暗で、地味で……周りに無関心で、良い子っていう存在とはあまりにもかけ離れてた……。いつも憧れてたの。本当はね?……いつか、いつか、完璧になったらきっと……昔の私とさよなら出来たら……きっと……」
知らない彼女。知れない過去。
僕と彼女が出会った時には、既に彼女は自分を完成させていた。
「君といると落ち着く。君は――昔の私と似てるから」
「僕を遠まわしに貶すのは止せ」
「まさか!……羨ましいんだよ」
僕は、君の止まり木になれたんだ。
彼女は実は感情に揺さぶられる唯の人間だった。
彼女の唯一の在処である僕でしかわかり得ない感情の変化。彼女は、触られる度、言葉を受け取るたび、名前を呼ばれる度に笑顔の色を変えている。他人には絶対にわからない。天使の色を定めた一般生徒になど、色彩すら見えないだろうから。
君は、根本的に僕と同じただの人間だ。
他者からの過度な干渉を良しとせずに一定の距離を保ちたい何処にでもいる普通の人間だったのだ。
馬鹿が。彼女の本当の気持ちも見抜けないで勝手に頬を幸せな色に染める奴らめ。
死ねばいい。――いや、お前等が間抜けにもその顔面を晒すから、此方はとても居心地が良い。
「どうしたんだ?」
「……あっ」
「……?顔が赤い、まさか熱でも――」
「まさか!……ち、ちがうの。そういうのじゃなくて、えへ、えへへ……」
「どうしたんだ」
「……――っあ、き、君か。よかった」
「……これは?」
「え、えっと……私の事を、よ、良く思わない人たちからの、ファンレター……かなぁ?」
「――まさか。強がるのはやめろよ」
青黒く染まる目元。
力なく微笑む頬。
――弱弱しく震える身体。
そら、見たことか。
お前じゃ、天使を守れないだろう。嗚呼、可哀想に。哀れだ、僕の天使よ。
天使を手中に収めたいのなら、あらゆる障害から守れよ。
博愛を歪めたのなら、それが今迄包んでいた他の愛を妨げろよ。
天使から羽を奪ったのなら、せめて千切れた痛みを自覚させるな。
そら、見たことか。
オマエじゃ、僕の天使を守れない。
「……――君は、どうして私が……しんどい時に、現れるの……?」
「……」
「ばかやろう……見られたくないから……わざわざ、屋上の鍵、くすねたのに……」
「ごめん」
「――え?」
「今日の昼休み」
「……あ、あはは。私、別に大丈夫だから!それと、ごめんね?うるさかったよね?でも大丈夫だから!もう、別れたし!『君とは付き合えない』って、私――」
「助けられなくて、ごめん。次は絶対に、僕が助けるよ」
「……ま、まさか、君が謝ることなんて、ないよ。君は、ちゃんと、助けて……くれたっ……」
嗚呼、暖かい。
天使が、僕の腕の中で脈打っている。柔らかい肢体に艶のある絹の糸、その全て神が与えたもうた至高のモノだ。嗚呼、穢れを享受して尚、その香りはあの日の君のままで――。
大丈夫だよ、僕の愛しい天使よ。
これからも、僕が守ってあげる。
「ねえ、君は誰かを好きになったことある?」
泣き腫らした目で、上目遣いで、僕を見つめる君に、
「まさか。そんな事一度も考えたことはないよ」
君は、僕の頬をその柔らかい両手の肉で包んで、
「そっか。じゃあ……その時になったら、きっとわかるよ」
額を一度、音を立てながら互いに重ね合わせて。
僕に、別れを告げた。
―――目が、くり抜かれた様に視界が、失せた。
「わあ、来てくれたんだ。ごめんね、いっつもいっつも……」
「別に。勉強、遅れて困るのは誰だろうな」
「私でぇーす……」
真白い四角形の小部屋を色取り取りの花で着飾って、漸く羽を漂白した天使は清らかな笑みを浮かべている。
首に浮かぶ朱は罪の証。――天使は、人間の男と結ばれると地獄に落ちるんだってさ。聖書で読んだよ。
「……にしても、また大量の花と果物だな。あいつらもどこからそんな金が湧いてきてるんだか」
「うーん……嬉しいんだけど、申し訳ないんだよね。何かいっつも謝られるし……私が入院してる理由に、もしかしてあの子達何か関係あるの?」
「ないよ。っていうか、僕が一々あいつらが訪れる理由を把握してるとでも思ってるわけ?」
「あはは!まさか!君ってばそういう推理的な物、苦手だもんね?」
「……ふん。ご名答」
馬鹿共が贖罪に持ってきた品を全て一つの袋に入れて、彼女の視界から遠ざけた。
後で捨てて、僕が持ってきたものと入れ替える。
奴らに贖罪は必要ない。なぜならば、奴らには彼女に償う罪が無いからだ。
彼女は天使だ。――誰からも、穢されていない。
僕がきちんと、元に戻しておいた。
彼女がふと、欠伸をする。
僕は彼女の頭を撫でて、「おやすみ」と囁けばまるでそれは暗示のように彼女の瞼を現実から閉ざさせた。
彼女が落とした手の先に、本が一つ置かれていた。
何処にでもあるような、恋愛小説。彼女らしい薄桃色の栞が挟まっている個所に僕は目を落とす。
僕が本を持ち上げたせいか、まだ肌寒い風が彼女の頬を擽ったせいか。君は、何の前触れも無くゆっくりと瞼をあげて、その本を持つ僕を見つめて微笑んだ。
そして、僕は君に問う。
純朴の君に、僕から問う。
ねえ、君は――、
「――誰かを好きになったことはある?」
インフルだけど軽症だったので書き上げた~~‼
私のイメージ的には、黒髪の男の子が長髪の女の子をぎゅっと抱きしめている感じのイメージで書き上げていました。
いいよね、ヤンデレ。すこ。長編の方が今一ヤンデレ感出せないから、頑張ってみました。ヤンデレ感出てたら嬉しいなぁ!