1話 -即無能-
秋の午後は香ばしい。
太陽と風が気持ちのいい陽気。寂れた村の広場に大勢の老若男女が集って楽しげな声に溢れている。
子供たちは手に持った菓子を大はしゃぎしながら食べ、大人は酒に顔を赤くして大声で笑いあう。今日は収穫が終わった後のお祭り、楽しまなければ損だ。
「無能だ!」
やや細いがよく通る声が響き渡たり人々は振り向いた。その視線の先にいるのは老人と少年。
この世界の人間であればこの老人が特別な存在であることははっきりとわかる。村の人間よりも一段上質の白い服に描かれたお馴染みの紋様。老人はプーチャル教に属する司祭である。
今日は「鑑定の儀」の日。
村の収穫を神に感謝するとともに、子供たちの未来が決まる日でもある。
スキルというのは神様から与えられた特別な力の事。これを持っていると普通よりも格段に習熟が早い。だから今日という日は特別な日なのだ。
「無能!」
老司祭はまた声を張り上げた。
それは一番最後に鑑定の儀を受けた少年の時に起きた。最初は注目していた村の人々もだんだんと飽きてきて、ほとんど誰も見ていないような時の出来事。
広場は騒然としている。
村人たちはいったい何が起こったのだと声を潜めて言う。「鑑定の儀」でこのような大騒ぎが起こったことは過去に一度もない。
騒動を巻き起こした司祭は周囲の雰囲気を察することも出来ていない。興奮のあまり倒れてしまうのではないかと心配になるほどだ。いや、今は他人の心配をしている場合ではない。
俺が無能!?
今日は鑑定というスキルによって自分が何のスキルを持っているのか分かるのだと聞いていた。
それなのに人としての能力を言われるとはどういう事なんだ。というか爺さん、あんたは何で黙ってるんだよ、いい加減なんとか言ってくれ。
「無能?」「無能だって」「なにそれ」「変なの」
村人たちの蔑みの性質を持った数多の目と心無い声が突き刺さる。
体が熱い。
「見るな!」と叫びたい。全員をこの場から蹴散らしてやりたい。けれど今の自分の不安定さを考えればとてもそんなことはできない。
なぜ自分はいまこんな辱めを受けているんだろうか。何のスキルも持っていないのならば、こっそり教えて欲しい。わざわざ大声でここにいる全員に知らせなくてもいいじゃないか。
頭がくらくらする。今まで見てきて何のスキルも持っていない子供はいなかった。
自分が、自分だけが無能だというのか。
「無能」と呼ばれた男の風貌はこの村の住人とも、司祭や、兵士たちの誰とも似ていない。黒髪でのっぺりとした顔。だから目立っている。よそ者だから。
男はこの村の住人ではない。昨日の夕方に突然村を訪れた。皆が眉を顰める中で男と話をしたのはこの村の村長だった。
村長は驚いた。
何も持たない見知らぬ男の最初の質問が「ここはどこだ?」だったからだ。一瞬だけ冗談を言っていると思ったが、男の表情はとても真剣だったのでそうではないと判断した。
恐らく記憶喪失だろう。自分は今までそういう者には出会ったことが無いが、大きな衝撃を受けると記憶が無くなってしまうと聞いたことがあった。
悪い奴ではなさそうだし可哀そうだから少しくらいは面倒を見てやろう、そう思った。
黒部 圭太は驚いた。風呂上りに日課となっているストレッチをしていたら、急に眠気が襲ってきていつもよりも2時間も早く布団に入った。
そして気が付いたら荒野にいた。
パジャマ姿で裸足。訳が分からないまま彷徨っていたら偶然人の住む小さな村を発見した。
ここが異世界であると気が付いたのは村人の顔がアジア系では無かったから。しかし言葉は通じる。こんなのはとんでもなく大掛かりなどっきりか異世界しかない。
しかし圭太には希望があった。今まで異世界転生物の小説ならいくつも見てきたが、転生者は総じてチートスキルを持っているものなのだ。しかも明日は「鑑定の儀」というスキルを教えてくれる日なのだという。
まさに主人公のための御都合主義だと思った。
しかしーーー。
「無能?今そう言ったか?なんだそのスキルは、聞いたこともないぞ」
周囲の緊張が一気に高まる。うすら笑いを浮かべていた者たちの口元も引き締まった。そこに集まっていた人々の群れが左右に避けていく。
のしのし現れたのは、白い服を来た不機嫌そうな男。
でっぷりと太り、薄い頭髪からのぞく皮膚にいたるまですべての皮膚が脂ぎった30歳半ばほどの男。明らかに老司祭と同じく、プーチャル教に属する人間。
村人と気さくに話をしていた老司祭と違い、この男は村に現れてからとにかく偉そうで文句ばかり言っていて、全員から距離を取られていた。
「まったく面倒なことになった、なんで私ばかりにこうも苦難が降り注ぐんだ」
グチグチ言いながら重そうな足を引きずり、その背中に大勢の男達を引き連れてくる。
「おい!いま言ったこと本当に間違いないんだろうな?」
「間違いありません大司教様」
大司教は鼻を鳴らし、虫けらを見るように圭太を見た。
「失礼します、私は大至急本部に連絡を………」
「ちょっと待て!」
走り出した老司祭に向かっての怒声。
「そんなことをしたらどうなるか考えてみろ馬鹿者が!」
真っ白なハンカチを地面に叩きつけた。
「どういうことでしょうか?」
「ここは私が管轄する私の領地だぞ!」
「はい、その通りですが……」
誰もが二人のやり取りに耳を傾けている。
「私の管轄する地区から「無能」なんてスキルをもった人間が現れたとなったら、教会がどう思うか考えろと言っているんだ!」
「は?」
「私のような特別な人間には常に周囲の目が向いている。特にあの忌まわしいラカミノールの糞ったれだ、あいつは大喜びで吹聴して回るに決まっている!」
「しかしこれはーーー」
「あいつきっとこう言うに決まっている!「あいつの領地から無能があらわれたらしいが、それはあいつが無能だからで、神からの暗示なのだ」とな!冗談ではない、私は大司教なんかで収まる器じゃないんだ!こんなくだらないことで足を引っ張られてたまるか!」
「しかし規則ではーーー」
「貴様!私の話を聞いていたのか!?そんなことをすれば私の進む道の邪魔になるそういっているんだ!年寄り過ぎてそんなことも理解できないのか!?それとも私に意見するつもりか!貴様の役職はなんだ!」
「司祭です。ですがこういった場合は役職ではなく規則が優先されるべきです。規則では未知のスキルが発見された場合はすぐに本部に連絡を取り対応を協議するとされています」
「司祭が大司祭に口答えするとは何事だ、この大馬鹿者が!!」
無防備な司祭の左頬を殴りつけた。誰もが言葉を発さず動かずただただ傍観者でいる。
「ここは私の領地だ!私が法だわかったか!」
倒れこんだ司祭が呻いている。口の端から細い血が流れだし顎の先端まで到達した。
なぜだ?
こんなことが起こる前まで、老司祭は村人ひとりひとりの近況や悩みに対して真剣に答えていた。それなのに今、倒れている老司祭に対してなぜ誰一人として駆け寄ろうとはしないんだ。
「司教様、一体どうしたんでしょうか」
村長。
大勢の群衆の中でひとりだけ動く人間がいた。突然現れた見ず知らずの圭太を家に招待し、飯と寝床を提供してくれた恩人。
「貴様が村長か!」
当然のごとく矛先は村長へむかう。
群衆の視線には哀れみだけがあった。ほら言わんこっちゃない。全員の目がそう語っていた。
「はい私が村長です」
「貴様の村のせいでとんでもない迷惑をこうむっている。貴様はプーチャル教を刃を向けるつもりか!私の出世が遠退こうとしているのだぞこの疫病神が!」
支離滅裂だ。
「あ、あの、、、そ、その、、、」
村長の顔が紫色になっている。この世界でも教会の力はそうとう強いということが分かってしまった。田舎に住む人々にとってこのような事態は恐怖すら感じる事だろう。
これ以上迷惑はかけたくなかった。
「俺なら大丈夫だ、思っていることをそのまま言ってくれ」
だから言った。
「本当に良いのか?」
申し訳なさそうに村長は言った。
「ああ」
「なんだ貴様、無能のくせに勝手に口を聞くな!おん?なんだその目は、ワシが誰だか分かっているのか!?」
「大司教様!」
村長が口を挟む。この豚の顔を見ていると血が沸騰しそうなほど頭に来て、つい殺してしまいそうになっていたから助かった。
「この者は村の住人ではありません、昨日ふらりと現れた旅の者なのです。彼も自分のスキルが分からないというので、この機に鑑定の儀を受けさせていただいたのです」
「ほお!」
喜びに満ち溢れた。
気色が悪い
「ならばとっとと村から追い出すことだ。この村の住人でないのなら私の責任ではない、それで解決だ。おお神よ感謝致します」
贅肉だらけの顎の下を見せつけるようにして、手を組んで天を見上げる。
「ですが!この者は記憶を失っているらしく何も知らないのです。このまま放り出しては野垂れ死ぬか魔物に襲われて死んでしまいます。どうかご慈悲を。せめてひと月ほどは猶予を」
「そんなものは私の知ったことではない!貴様までこの私に指図する気か!!何様のつもりだ身分を弁えろ!」
屑が。
この世界の宗教というのはこんなにも屑なんだろうか。コイツは今自分の訳の分からない都合のために俺を殺そうとしている。村の奴らも護衛の兵士もこの豚を止める気はなさそうだ。
俺が出ていくことを望んでいる。
死ぬことを望んでいる。
全員自分の身が可愛いってわけだ。当たり前のこととはいえ自分が切り捨てられる側に立つとこれほど怒りが湧いてくるものなのか。
「出ていく」
決心がついたのは村長に迷惑がかかると思ったから。見ず知らずの俺に手を貸してくれた人を、俺のせいで傷つけるわけにはいかない。
周囲からあがるため息が癇に障る。俺がいなくなることに、ほっとしているのだろう。
「お前………」
「これで良いんだ」
なぜか村長の目を見ることが出来なかった。
「フン!話は決まった、とっとと追い出せ」
その目、忘れない。俺を殺そうとする人間の目だ。
「名前を教えてもらいたい」
飛び掛かりたいほどの怒りをぐっと抑えて言った。
「なんだその生意気な目は!私はプーチャル教の大司教だ、貴様みたいな人間とも呼べない最下層の人間が口をきいていいわけがないだろう。名前を教えてくれ?身分をわきまえろ!」
殺したい。
今すぐにコイツを殺したい。体中の骨を砕いて目を潰して手と足を全部切り落としてやりたい。徹底的に、徹底的に苦しめて殺してやりたい。
「名前を」
声を絞り出す。
「フン!まあいい私の名は大司教バレルだよく覚えておけ、あと何日生きていられるのかは分からんがな!ハハッ!」
食いしばり過ぎた歯から軋む音が鳴っている。ドクドクと体中の血管が跳ねるようにして熱い血を運んでいるのが分かる。
大司教バレル。
俺は絶対にお前を殺す。
けどそれは今じゃない、いつか絶対に殺してやるんだ。
屑共の視線の中を歩く。こいつらも同罪だ。何も言わなくても思っていることはバレルと同じなのだから。
歩く。
「ケイタ!ちょっと待て」
振り返った先には村長。
「すまんかったなケイタ、追い出してしまって。ワシにはどうすることもできん、あいつは司教様よりも上役の大司教様で、この地域一帯を取り仕切っていて並の貴族様以上の権限をもっておるんだ」
「助かったよ村長」
本心だった。
突然あらわれた俺の話を親身になって聞き飯を食わせてくれた。それは誰にでもできる事じゃない。申し訳なさそうな顔をさせるのが申し訳ない
「これを持ってけ!旅の役にたつはずだ」
綺麗とは言えないがしっかりとした造りの大きな布袋をぶっきらぼうに突き出した。
「これは?」
「食料と水、それに短剣と薬草だ。ワシにできるのはそれくらいだ」
この村は見るからに貧しくて食べていくのがやっとの感じだ。これは本当に村長にとっての精一杯の贈り物なんだ、涙が出そうになる。
思い違いをしていた。
今の出来事のせいで人間全部を嫌いになるところだったがそれは違う。どんな世界にも良い人というのはいるんだ。村長の優しさを忘れてはいけない。
「いいのか?」
「かまわん!このまま死なれちゃあ夢見が悪いしあの世で神様になんていえばいいのかわからんからな。ワシの為だと思って貰ってくれ」
しわくちゃの笑顔が格好良いと思った。もし生き延びれて金がたまったら恩返しに来よう
「ありがとうな村長」
「街はあのテストド山を目指していけば着くからな。頑張るんだぞ!死ぬんじゃないぞ」
「村長もな」
村長の笑う顔を見ながら去る。
黒部 圭太の背中からは色のない陽炎が立ち上っていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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