それから・前編
柿沢と正式に付き合うことになって、サチが真っ先にしたのはジュンと由利の二人に報告することだった。
ジュンはサチが予想していたとおりあっさりと「あっそー」といっただけだった。
彼女曰く、「なんだかんだいって似合ってたしね」と笑った。
もう一人の由利はというと
「はああ!? 柿沢と付き合う!?」
片手には食べかけのヤキソバパンが無残にも握りつぶされ、ものすごい形相でにらみつける。これもまたサチの予想通りだった。
「本気? あの、柿沢だよ」
「うん」
こっくりとうなずいたサチに、由利ははああ、とおおきくため息をつく。
「嘘でしょ。あの、柿沢だよ」
「もー、由利ってばさー、いいじゃん。柿沢、イケメンだし」
「だからだよ! サチが泣くことになるってわかってて、はいそうですかって言えるわけないでしょーが!」
ばん、と勢いよく立ち上がる由利を、ジュンはあきれたように見上げる。
「……由利さぁ、なんでそこまで柿沢のこと嫌うわけ?」
「え? それは後輩のことがあって」
もごもごを口ごもった由利の言葉を、廊下から聞こえてきた彼女を呼ぶ後輩の声が遮る。
慌てて立ち去る由利の後ろを姿を見つめていたジュンは、小さく息を吐く。
「……なーんか変だよねー」
「……言われてみれば」
由利が柿沢のことを嫌っているのは前からだけど、原因についてはサチもジュンも知らなかった。
「まあさ、由利がなんていたってさ、これはサチと柿沢のことだしさ。気にしなくていいからね」
にっこり笑うジュンに、サチは小さくうん、とつぶやいた。
心配かけた分、二人にちゃんと報告したかった。由利の反応については予想していたが、ここまでかたくなだとは思わなかった。
実は、由利のことは柿沢も知っていた。
というか、サチを知ったきっかけが何を隠そう由利だったのだ。
それはお互いの気持ちを確認しあったあと、前と同じショッピングモールのフードコートでおしゃべりをしていたときのこと。ふいにそのことについて柿沢が話だした。
「田口さんの友達に藍沢っているでしょ?」
「うん、由利でしょ?」
こっくりとうなずいたサチに、柿沢は少しばかり困ったような顔をした。
それは由利について、柿沢が薄々気が付いているということに他ならなかった、
しょんぼりとうなだれたサチに、柿沢は小さく笑う。
「まあ、いろいろあったしな。おかげで田口さんに気が付いた」
「え?」
きょとんとするサチに、柿沢は笑いながらうなずいた。
「あの藍沢と一緒にいるから田口さんも一緒かなーって思ったんだ。でも、違った」
「……よく、しらなかったし」
「ん」
小さくうなずき、柿沢はテーブルに置かれたサチの手に重ねた。
由利とは同じ中学で、部活は柿沢が男子バスケ部、そして由利が女子バスケ部だった。男女の違いはあったが同じバスケ部として交流もそこそこあった。
けど、事件があったのは柿沢が2年の時のこと。
身長がぐっと伸び、そのあたりから女生徒から告白されることが多くなった。その大半が彼が何をしているかなんてほとんど知らない子だった。
彼の見た目だけに惹かれていることは、柿沢にも薄々分かった。
その中にいたのが女子バスケ部の子だった。由利にとっては後輩で、彼女がかわいがっていた子だった。
「……その子はオレも名前ぐらいは知っていた。同じバスケ部だったし。けど、その時のオレは付き合うとかもよくわからなかったし、だからいつものように断った」
「そうなんだ」
「ああ。それからしばらくしてからだな。藍沢からにらまれるようになったのは」
柿沢の話は、由利のそれとほとんど違いはなかった。
当初、その話を聞いた時、サチ自身柿沢の人となりをほとんどしらかったから、由利からの一方的な話を聞いて、さぞこっぴどく振ったのだろう。それこそあのバスケ命で、面倒見がいい由利を怒らせるほどに。
そう思っていたが、柿沢と付き合うようになってそれがなんとなく不自然なような気がした。柿沢があれほど恨まれるほど、ひどく振るようには思えなかったのだ。
サチはジュンにそう言うと、彼女は肩をすくめた。
「どうだろ。恨みとかはさ、恨まれるほうじゃなくて恨む方に問題がある場合が多いからね。柿沢がいくらまっとうな人間だったとしても、振られて恨むやつなんてどんな振り方をされたって恨むもんだよ」
「……そっか」
「まあ、幸せなサチにはあんまり想像つかないだろうけど」
うしし、とからかうように笑うジュンに、サチもつられるように笑った。
確かに人の心は思うようにはならない。サチが柿沢に惹かれたように。
だとしたら由利にわかってもらうためにはもう少し時間が必要なのかもしれない。
その時はそう思った。
けど、その日の放課後。サチの耳にきこえてきたのは、予想外の話だった。
それは柿沢が先生に呼ばれているからと、サチが一人で帰ろうとしていた時のことだ。下足室に向かっている途中。階段のすぐ近くで話し込んでいる女生徒の姿があった。
だぼっとしたTシャツに、ハーフパンツ。Tシャツに書かれているのは英語でバスケットボールと書かれている。女子バスケ部の部員らしかった。
部活はもう始まっているだろうに。
どうしたのかと思わず足をとめたサチのみ見に、ふいに「由利」という名前が聞こえてきた。
「めっずらしーじゃん。由利が部活サボるなんてさー。あのバスケバカがねー」
「まあ、しょうがないよー、柿沢のことがあったからショックなんじゃないのー」
そう言った生徒に、周りの子がきゃあと囃し立てるように声をあげた。
バスケ部員だから由利の名前が出るのはわかるが、どうして柿沢が。咄嗟に身を隠したサチは首をかしげた。
そこにいた部員の中にもサチ同じような疑問を持った子がいたらしく、「どうして、柿沢なの?」と誰が尋ねる。
「えー、しらないの? 由利と柿沢のう、わ、さ」
「じゃあ、あの噂って嘘だったの?」
「あー、由利が柿沢と付き合っていたとかって話?」
「そうそう! で、柿沢を後輩にとられそうになって、すごい喧嘩になったんでしょ?」
「まー、あたしも同じ中学じゃないからさー、噂なんだけどねー。ウチの学校の後輩がすごい噂してたもん」
きゃあきゃあと囃し立てている中の一人が、へえ! と声をあげる。
「てっきり由利って柿沢のこと嫌いなのかとおもった。だって、ねえ」
くすくすと忍び笑いがあたりに広がる。
どうやらバスケ部の部員の中でも由利の柿沢への対応は周知の事実だったようだ。けど、中の一人がふんと鼻を鳴らした。
「あれはさ、ほら、元カノとしては面白くないからじゃないの?」
「えー、柿沢がほかの子にとられるから?」
「そーそー、かわいさあまって……ってやつじゃないの?」
あー、と同調する声が上がる。
「だったらさ、あの子。なんだっけ? ほら地味な」
「あー、田口さん」
いきなり自分の名前が出てきたことに、サチは思わず体をこわばらせる。
「そうそう! 地味で、目立たない」
「あー」
地味で目立たないことは本当だ。本当だけど、改めて納得されるとなぜか傷つく。
思わず視線を落としたサチの耳に、くすくすと忍び笑いが聞こえてきた。
「由利はおもしろくないだろうねー」
「あ! だから、今日!」
その言葉に、別の子がそうそう、とうなずく。
「じゃあ、またやるんじゃない? 前の後輩にしたのと同じでさー」
「あー、やるね。あいつ。だってさ」
いまだに柿沢のこと好きじゃん。
きゃはは、と笑い声が、放課後のやや騒々しい廊下に響き渡った。
その言葉を聞きながら、サチは両手で口元を覆う。そして先ほどのバスケ部の部員たちが言っていた言葉を繰り返した。
由利が、柿沢と付き合っていた?
それは想像もしてなかった言葉だった。
しゃがみこんだまま、ぼうっとしているサチの目の前に上履きのつま先が飛び込んできた。
のそりと視線をあげると、そこにいたのは
「やあ、さっちゃん」
いかにもといった風に人の好さげな笑みをその顔にべったりと張り付けた、佐川だった。
「なに? かくれんぼ?」
「……違います」
サチは心の中の動揺を悟られまいと、平然を装いながら立ち上がる。
すでにバスケ部の部員の子たちはその場から消え、あたりは帰宅を急ぐ生徒やら、のんびりとあるく教師の姿ぐらいしかない。
のそのそと歩き出すサチの後ろを、佐川がこれまたのんびりとした足取りでついてくる。
「ねえ、もう帰るの?」
「……はい」
「だったらさー、ちょっと付き合わない?」
「え?」
思わず足をとめ、サチは振り返る。
佐川はにこにこと笑みを浮かべ、はたから見るとそこには一欠けらの悪意もなさそうに見える。
だが、サチにはうっすらと彼の思惑がわかっていた。
こういった笑い顔の時ほど、佐川はきっと違うことを考えているのではないか、と。
「……何を企んでいるんですか?」
思わず尋ねたサチに、佐川は少し驚いたように目を見開く。
「やだなぁ。もしかしてさっちゃん、警戒してる?」
「そりゃあ……」
あんなことをされたら誰でも警戒ぐらいするだろう。それも相手は、学校でも一二を争う人気者だ。
その相手があんな思いもしないような一面を持っていると知らされて、そのあとも平然と付き合えるほどサチは面の皮が厚くもなければ、肝だって座っていない。
用は気が小さいのだ。
いくら柿沢と付き合うことになったとしたって、その周りの人たちとも平然と付き合えるとは限らない。
じりじりと距離をあけるサチに、佐川はにこにことその距離をあっという間に詰める。
「ま、そりゃそうか。でも、さっちゃんさ、今日は絶対オレといたほうがいいと思うけどなー」
「ど、どうしてですか」
「だって、さっきの話。めっちゃ気になるでしょ?」
何気ない風にいった佐川に、サチはぎょっとする。
「聞いていたんですか」
「聞こえちゃったんだよ。っていうか、さっちゃんこそ、盗み聞きしてたでしょ」
「わ、私も、たまたま聞いたんです!」
本当のことなのに。言葉がつまったせいで、いまいち信ぴょう性がない。
それは佐川も感じたらしく、くくっと笑った。
「はいはい、そーですね。たまたま聞いただよねー。たまたま隠れて、たまたまレイジとユリの噂をきいて」
「……佐川くん」
思わず遮ったサチに、佐川は相変わらずにこにこと微笑みかける。
「佐川くんって柿沢君と中学同じなんだっけ?」
「そー、っていうか、幼稚園から一緒。ユリもね」
サチは思わず息をのむ。
「……全然知らなかった」
「今知ったでしょ? で、どーする?」
「え?」
ぽかんとするサチに、佐川はぐっと顔を近づける。
近いな、とサチは一瞬思う。まだ知り合って数回だが、とにかく佐川はひととの距離が近い。こうやっている間にも、彼を知る同級生やら後輩が彼に声をかける。
その時だってボティタッチは当たり前。
そのままくっついちゃうんじゃないかというほど近づく子もいる。
佐川はそれをすんなり受け入れている。サチには逆立ちしたってできそうもない技だ。
慌てて後ずさるサチに、佐川はくくっとまた笑った。
「ユリとレイジのこと、気になるでしょ?」
「……な、なりません!」
また噛んでしまった。
今度は焦ったわけではない。本当に動揺したのだ。
サチの動揺などすっかりお見通しといった様子の佐川は、今度こそこらえきれないといったようにげらげらと笑いだした。
「さっちゃん、おもしろすぎー」
「……こっちは全然面白くないです」
むっつりとほほを膨らませながらサチは、ようやくたどり着いた下駄箱から靴を取り出す。そして慌てて靴を履くと、すばやく佐川から距離をとった。
「じゃあ、佐川さんまた」
「え?」
佐川は不思議そうに首をかしげながらも、自分の下駄箱から靴を――その中にはオーソドックスにも女生徒かららしき手紙が一通入っていた。それと一緒に取り出す。
そしてサチが逃げ出すよりも先にさっさと靴を履いて、サチがもっていた鞄をひょいと取りあげる。
「じゃ、いきますか」
「い、いくってどこにですか!」
「そりゃあ、決まってるでしょー」
佐川はこれ以上ないほど上機嫌な様子でニカっと笑った。
「ユリとレイジのデートの現場を抑えにね!」