四話
翌朝、学校にむかう途中、サチは昨日のことが夢だったらよかったのにと何度も思った。 もしくはあれは柿沢の気まぐれで、今日になったら飽きて忘れてくれていることに。
だが――サチのその願いは学校の最寄の駅についたとたん打ち砕かれた。
「よう」
駅のコンコース。小さなタイルで彩られた柱にもたれていた柿沢は、目ざとくサチを見つけるとスマホを持っていた手を軽く上げる。
「……どうして」
「いや、たまたま」
柿沢は小さく笑う。
だが、いくらサチだってこれがたまたまではないことぐらいすぐに分かった。
「あのね、柿沢君、私は」
「連絡先」
サチの言葉を遮るように、柿沢はスマホをぐっと近づける。
「連絡先を聞いておかなかったとおもって」
「……はあ」
ここで断ったところで、柿沢があきらめるとは到底思えなかった。
しぶしぶ取り出したスマホで、柿沢はすばやく連絡先を交換する。
「……やった」
うれしそうにつぶやいた柿沢を、サチは胡乱げにみつめる。
「あの、柿沢くん」
「なに?」
並んで歩き出した柿沢を、サチは横目で見る。
「昨日も言ったと思うけど、付き合うとかそういうのは」
「俺も昨日言ったと思うけど、知ってほしいって」
柿沢の言葉に、サチはもう隠すことなく大きくため息をついた。
「……あのさ、柿沢くん」
サチはぴたりと足をとめて、彼をまっすぐ見つめる。
「私ね、昨日も思ったんだけど柿沢君とは合わないと思うんだ」
「合わない?」
唐突に切り出したサチの言葉に、柿沢は驚いたような表情を浮かべる。
「合わないってなにが?」
「何って、話とか、趣味とか、友達とか」
「友達って」
柿沢はわずかに顔をしかめる。
「……別に付き合うのに友達とかは関係なくね」
「あ、そ、そうだけど」
確かにそうだが。うなずきかけたサチは、振り切るようにかぶりをふった。
「そういうことじゃなくて! 私と柿沢君って合うところがないっていっているの」
「合うところ」
サチの言葉を繰り返す柿沢の声のトーンがわずかに低くなり、じっと見つめる彼の瞳が鋭さを増したような気がした。
思わず顔をこわばらせたサチに、柿沢は少しばかり傷ついたような顔をした。
「……田口さんが、俺の何を知ってるんだよ」
「それは」
サチは思わず声を詰まらせる。
「ちゃんと知ってから振ってくれないか」
「ちゃんとって……どのぐらいなの?」
「それは」
柿沢はいったん言葉を切る。そしてじっとサチを見つめたのち、ふいに視線をそらした。
「……ちゃんとはちゃんとだよ」
返事になってない。
思わず呟いたサチの言葉はあまりに小さく、柿沢の耳には届きそうもなかった。
それからというものの、柿沢はまめまめしくサチのもとにかよった。
教室ではユリの目があるので、主に学校の行きかえりだったが。その間、彼は自分の話をすると同時に、サチにも話をさせた。会話としてははたから見れば盛り上がっているようにみえただろう。
最初はどうせ一時の気の迷いだろう、ぐらいにしかおもっていなかった周囲もひと月すぎるころには彼が本気なのだと考えるぐらいにはなっていた。……サチ以外はだが。
サチには、ひと月たとうが彼の気持ちがまるでわからなかった。
「どこらへんがー?」
弁当をつつきながら訪ねるジュンに、サチはかじりかけのパンを机の上に置いた。
「……どこらへんがって」
「だって、カッキー、ちょー一途じゃん」
「一途」
首をかしげるサチに、ジュンははあ、とため息をつく。
「まあさ、あたしも最初はカッキーのこと疑ってたわけ。だってさ、あの、カッキーがだよ?」
「あの?」
「そーそー、あたしさ、地元じゃん。あ、由利もだけど。で、カッキーとは同中だからさ、結構、過去をしっちゃってるわけ」
「遊んでたとかそんなんでしょ?」
吐き捨てるようにいったのは、先ほどから不愉快そうにしている由利だ。
「後輩から腐るほどその話聞いてるわ。あー、やだやだ」
「まーね。でも、しょーがなくない? カッキー、イケメンだし」
「はー……」
まあ、確かにそうだ。
恵まれたあの長身に、整った顔立ち。あれでモテないほうがどうかしている。
「……だからだよ」
「え?」
「柿沢君みたいな人が、どーして私のこと好きになるのか全然わからない」
「そうかな」
「そうだよ」
首をかしげるジュンに、サチはこっくりとうなずく。
「だって私さ、話しかけられるまで柿沢くんのことなーんにもしらなかったんだよ? それなのに」
「そういうもんじゃないの? 片思いとかってさ」
ジュンはぶすり、と弁当のコロッケにフォークをつきたてる。
「あんまり堂々としている奴なんていないでしょ。カッキーだって今でこそぐいぐいきてるけどさ、告白するまでそれなりにひっそりと片思いしてたんじゃないの~?」
「はあ? あの柿沢がああ?」
由利は心底いやそうに眉をよせる。
「後輩のことこっぴどく振ったあげく、ウゼー、近寄るなよ、迷惑だっていったんだよ! そんなやつがひっそりと影からなんて愁傷なことするか」
「あれはあんたんとこの後輩がめっちゃシツコかったからでしょーが」
ジュンの言葉に、ユリもぐっと声を詰まらせる。
ユリだってわかっているのだ。柿沢はそれなりに見た目が派手なため、女の子たちに囲まれることも多い。
積極的な子などはガンガンいっていたこともあるらしく、特にバスケ部の1年生がすごかったという噂だ。ユリもそれなりに注意はしていたが、まさか当の本人からばっさりやられるとは思ってもみなかったようだ。
後輩の行動も問題はあった。だが、部長としてはかわいい後輩の肩を持ちたいのだろう。
ぐっと声をつまらせる彼女に、ジュンはじっと見つめる。
「まあ、あたしもあの時はカッキー、ちょっと言い過ぎかなって思ったけどさ、でも、サチに対してだけはカッキー、ちょー真面目だし、あたしは良いと思うんだけどな」
「……私は反対だ」
由利は後輩のことがあるせいか、かたくなに態度をかえようとはしない。
逆にジュンはカッキーの過去を知っているせいだろうか。最近では由利が反対するたびに、彼の肩を持つようになった。
といっても、柿沢のことをすきというわけではなさそうだが。
「あたしはさ、昔のカッキーをしっているからかなー。今のあいつはそれほど悪いやつにはおもえなくてさ。まあ、あたしの意見だから。サチは自分の考えをつらぬいたほうがいいよ! あたしもそこまで責任はとれないしー」
そう言いながらもジュンは柿沢のことを信用しているようだった。
サチは正反対の二人の話を聞きながらも、あいかわらず彼のことがわからないままだった。
それはサチが臆病なせいもあった。
サチは過去の一件もあるが、基本的に慎重すぎるきらいがあった。
まずあたらしいものに手をだすことはない。出すとしてもずいぶんたってから。
新しいものが出たら真っ先に喰いつくジュンなどを見て、サチは信じられないと思う。逆に由利は自分の考えを貫く。どんなに新しいものが出たとしても、好きなものがあればそちらを使い続ける。
柿沢は、そのどれでもなかった。
流行りものは好きだけど、それは話題に乗るため。こだわるところはこだわる。
例えば最初に二人で言ったファーストフード。あの店は定期的に新しいメニューが出ることでも有名だ。けれども、彼はいつも同じものを頼む。
パテが二つ、チーズが二枚入ったもの。
中学ではバスケをしていたそうだ。おそらく由利とはそのあたりで知り合ったのだろう。
高校ではしないのかと聞いたら、中学でやりきったといっていた。背が高いのにもったいないと思ったが、そういうこともあるのかもしれないとサチはそれ以上追及することはなかった。
あとは好きなキャラクター。以外にも女の子に人気のキャラクターが好きなのはびっくりした。といっても集めてるわけじゃないそうだ。
そんな柿沢の小さな欠片は知ることができた。
だけど、サチにはいまだに彼がどんな人かはわからない。
サチが臆病、由利は頑固、ジュンは柔軟。ならば柿沢は?
サチはいまだに彼のところに書く文字を知らない。
そんな矢先だった。
「田口さん、ちょっといい?」
昼休み、唐突に呼び出された。相手は隣のクラスの女子だ。
話をしたことはないが、柿沢君と話すようになってからは、彼と一緒にいるのを見かけることが多い子だということはわかった
昼食の弁当を取り出したばかりだったサチは、机の脇にたつ彼女を不思議そうに見上げる。
「あの、なにか?」
「話があるんだけど」
彼女の言葉に、真っ先に反応したのはサチの真向かいの机にすわっていた由利だった。
「それってまさかと思うけどさ、柿沢のこと?」
由利の言葉に、彼女の顔があからさまにこわばる。
ビンゴか。小さく呟いたのは、なぜかジュンだった。
「まー、ききたいことわかるけどさー、それってサチよりもカッキーに聞いた方がいいんじゃないのかなー」
「……っ」
彼女は一瞬息をのみ、それからサチをじっと見つめる。
「そうしてもいいの?」
「……うん、いいけど」
ぎこちなくうなずくサチに、彼女は一瞬眉を吊り上げる。
そして震える唇をきゅっと一瞬かみしめた。
「どうして柿沢くんは田口さんなんかと……」
「……ちょっと」
低くうなるような由利の声に、彼女はぎゅっと唇を引き結びくるりと踵を返した。
足音荒く立ち去る後ろ姿を見送っていたサチに、ジュンがやれやれとため息を落とす。
「カッキーがらみになるとこういうのがいつか来るとはおもってたけどねー、でも、ずいぶんもったほうじゃない?」
「だから、あいつはやめとけっていったんだってば!」
由利は憤慨したまま、持っていたコロッケパンにかぶりとかじりつく。
「あいつが絡むとホント、ろくなことがない! 自分の周りの女ぐらいしつけとけって」
「まー、しょうがないんじゃない? カッキーはそういう星のもとに生まれたんだって」
「そういう星?」
不思議そうに訪ねるサチに、ジュンがコンビニのサラダをつつきながら小さく笑う。
「カッキーって顔もいいし、中学んときはバスケやってたでしょ? だからさ、まー、面白いほどモテまくってたわけ。で、ノリもそれなりにいいからさ、女の子たちがどんどんヒートアップしちゃうことも結構あったワケ」
「ふうん」
サチの中学でもかっこいいと騒がれていた人はいた。けど、騒ぎになるようなことまではなかったと思う。
それともサチが知らなかっただけか。
だが、そう考えても柿沢が特別なのは本当らしい。
サチは弁当に入っていた冷凍の魚のフライを箸でつつきながら、首を傾げた。
「……やっぱりわからないな」
「なにが?」
不思議そうにみつめるジュンに、サチはわずかに眉を寄せた。
「だってそんなにモテた人が、どうして私なんか」
「……んー」
ジュンがサラダのレタスにプラスティックフォークを突き刺しながら、少し考え込むように視線を斜め上に向ける。
だが、考え込んだジュンの言葉よりも先に口を開いたのは、憤懣やるかたないといった様子の由利だった。
「決まってんじゃん。絶対からかってるだけだって!」
「……由利さ、それってサチのことかーなーりディスってんだけど」
「ち、違うって! サチは、全然悪くないけど! でも、柿沢のやつはそういうことするんだって! 実際ウチの後輩がやられたの!」
「えー、それってバスケ部の1年の矢沢とかの話? あれはさー、何度も言うけど矢沢がカッキーにめっちゃしつこかったから」
「違うって! それとは別! 中学の時の話で」
「はー? それっていつもの由利の思い込みとかじゃないのぉ?」
ジュンはふんと鼻を鳴らし、それからサチを見る。
「サチはさ、全然関係な人の話きいて判断するの? あたしはさ、さっきもいったけどカッキーの話は本人に直接きいたほうがいいと思うけどな」
「……うん」
今日のお弁当は、サチの大好きなかぼちゃの煮物が入っていた。けど、サチのテンションはまったく上がるけはいはなかった。
それは午後になっても同じで、放課後、柿沢がいつものようにやってきたときもサチのテンションは下がったままだった。