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三話

「サチ」


 授業が終わり、帰宅の準備をしていたサチにユリが硬い表情で近づいてきた。


「あいつ、いるよ」

「あいつ?」


 首をかしげつつ、ユリに促されるまま戸口に視線をやるとそこにいたのは


「柿沢くん」


 戸口でこちらをじっと見つめているのは、柿沢その人であった。

 彼はユリの突き刺すような視線に一瞬顔をしかめたものの、サチが気が付くやいなやずかずかと教室の中へと入ってきた。


「田口さん」

「はい」


 思わず返事をしたサチに、ユリは顔をしかめる。


「返事なんかしなくていいのに」

「でも無視はよくないよ」


 目の前にいるのに。そう言うと、ユリはふんと鼻を鳴らす。


「で、柿沢、あんた何の用よ」

「田口さん、ちょっといいか?」


 昼休みの時と同じように柿沢はサチを呼ぶ。

 サチは一瞬うなずきかけ、それからじっと彼を見つめる。


「何?」


 まさかこの場で聞き返されるとは思っていなかったのか。柿沢は顔をわずかにしかめる。


「……ここじゃちょっと」


 言いよどむ柿沢に、サチは少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 だって、そうだろう。いくら恋愛の経験が豊富そうな人だろうと、事プライベートなことを話すには教室はあまりにギャラリーが多い。

 のそりとたちあがったサチを、ユリは驚いたように見つめる。


「サチ、大丈夫なの?」

「平気。なにかあったら相談するし」


 サチの言葉に、ユリは小さく息を吐く。と、その時、教室の出入り口の方からユリを呼ぶ声がきこえた。見ると背の高い女生徒で、恰好からしてバスケ部なのは一目瞭然だった。

 おそらくなかなかやってこない部長を探しに来たのだろう。

 ユリは後輩の姿を見るや否や小さく息を吐いた。そして再びぎろりと柿沢を見つめた。


「……サチになんかしたら承知しないからね」


 吐き捨てるようにユリが立ち去る。

 ジュンはバイトでとっくに帰宅していた。教室に残るのはサチと柿沢、あと数人ぐらい。

 サチは荷物を入れた鞄を手に取る。それを待ち構えていたように柿沢が「じゃあ、いこうか」とつぶやいた。

 行先はなんてことはない。最寄り駅のすぐそばにあるファーストフードだった。

 学校帰りの生徒が大半をしめるそこの奥。慣れたように衝立のある席に柿沢は荷物をおいた。


「えと、なんか食う?」

「え、あ……」


 突然尋ねられたサチは戸惑ったようにあたりを見回す。どこにでもあるようなファーストフードで、何度も来たことがあったのに。

 口ごもるサチに、柿沢はちょっと笑った。


「俺、腹減ったからセットにするけど」

「あ、わ、私はじゃあ……ポテトとアイスティーにしよう、かな」

「りょーかい」


 サチが歩き出すよりも先に、柿沢がカウンターへとむかう。

 慌てて後を追おうとした彼女を、彼は片手で制した。おろおろと戸惑っている間に、柿沢はサチが言ったものと自分のものを一つのトレーに乗せて席に戻ってきた。


「はい。ガムシロ一つでよかった?」

「あ、は、はい」


 こくこくとうなずきながら、サチは鞄から財布を取り出す。


「あの、いくらだった?」

「あー、いい」


 柿沢はパテが二つはいってさらにチーズも二枚という見るからにこってりとしたハンバーガーにかぶりつきながら、片手をぶんぶんと振った。


「俺が無理やり付き合わせたようなもんだし」

「いや、でも」


 困ったように眉をよせたサチに、柿沢は炭酸をすすりハンバーガーと一緒に飲み下した。


「じゃあさ、今度また付き合ってよ」

「え……」


 あからさまに顔をしかめるサチに、柿沢はハンバーガー片手に苦笑いを浮かべる。


「別にカレシにしろっていってんじゃなくてさ、放課後、一緒に遊んでっていってるんだって」

「……ああ」


 サチはイエスともノーともとれるような声を漏らす。

 それ見て柿沢ははは、と力なく笑みを漏らした。


「まあ、そーなるよな。自分でも結構強引だとは思ってんだ」


 自覚があるのか。

 少し驚いたように見つめるサチに、柿沢は小さくため息を漏らした。


「でも、あきらめたらそこで試合終了っていうだろ」

「……誰が?」

「……しらね。多分エラい人」


 ふーん、とサチはつぶやき、アイスティーにガムシロップをいれる。

 ストローでかき回しながら、サチはずっと疑問に思っていたことを口にした。


「柿沢君、私のことが好きっていったよね」

「あー」


 目じりをうっすらと染めながら小さくうなずいた柿沢を、サチはじっと見つめる。


「すごく失礼なことを言うけど、私ね、柿沢君のこと何も知らないんだ」

「……あー」


 それは大方予想していたものだったのだろう。サチの言葉に、柿沢は小さく声を漏らした。


「そうだと思った」

「だったら」


 言いかけたサチを、柿沢はがつがつと食べおえたハンバーガーの包みを握りしめることで遮った。


「……知ってもらいかったんだ」

「何を?」

「俺のこと」


 柿沢は小さく丸めた包み紙をトレイの上におく。


「田口さんは俺のことなんにもしらないんだろ?」

「そ、そうだけど」

「だったら知ってからでも遅くね? 振るのは」

「そ、そういうもの……?」


 うーんとうなりながら首をかしげるサチに、柿沢は大きくうなずく。


「そうだよ! 大体、知らないで振るってあんまりじゃね?」

「そう……かな?」

「まあ、すげー嫌いとか、見るのも嫌ってならしょーがねーけど……」


 自分で言いながらへこんだのか、柿沢はしょんぼりとうなだれる。


「……そういうのだったら俺もあきらめる」

「そ、そんなことはないけど」


 たとえが極端すぎる。

 サチだってそういうつもりで言っているわけではない。知らないから付き合えないといっているだけだ。

 そういうと、柿沢はさきほどまでしょんぼりとうなだれていた顔にぱっと笑みを浮かび上がらせた。


「じゃあ、そういうことで」

「は?」


 ぽかん、とするサチに、柿沢は炭酸をずっとすする。


「ほら、俺のことを知ってもらうってことで。これからよろしく! 田口サン」

「はー……」


 サチはなんとも気の抜けた声をあげた。

 それからサチは柿沢と二時間ばかり一緒にいた。といっても、すっかり冷めてしなしなになったポテトをつまみながら、柿沢の話すのをぼんやり聞いていただけなのだが。

 彼の好きなものや、今の流行り。

 教室での出来事が大半で、サチはその間「はー」だの「へー」だの、なんとも気の抜けた相槌だけをうっていた。

 ようやく彼の会話を打ち切れたのは、サチのスマホが三度目のコールを鳴らしたから。

 相手は母親だった。

 それに気が付いた柿沢はさっと顔をこわばらせ、そしてごめんと頭をさげた。

 なぜ、柿沢が謝るのか。さっぱり見当がつかないサチに、彼は


「だって、無理やり遅くまで引き留めたし」


 と申し訳なさそうにいった。


「大丈夫。もう帰るっていったから」


 そういったものの、実際はあまり大丈夫ではなかった。

 何しろサチの日常は今までほとんど変わらなかった。学校が終わると、そのまま家路につく。週に1、2回、ジュンのバイトがないときなどは寄り道をする程度。それ以外はほとんど毎日同じ生活だった。

 それが突然2時間も連絡が付かないのだ。

 少々過保護のきらいがある母がいら立つのも無理はない。

 だがそれを柿沢に言うのは少し違う気がした。彼に言ってもあまり理解されない気がしたのだ。

 店を出たところで柿沢が送ると申し出たが、サチは断った。

 付き合っているわけでもなかったし、それに柿沢と何を話していいのかわからなかったからだ。

 改札までついてきた柿沢に小さく頭をさげ、サチは小走りで駅の階段を駆け上がり、ホームへと向かう。

 ちょうどよく入ってきた電車に乗り込み、サチはようやくほっと息を吐いた。

 緊張していたのだ。

 サチはドアちかくの手すりにもたれながら、ちらりと改札の方を見る。と、柿沢の姿が帰宅で急ぐ改札のところに見えた。

 乗り込んだ電車と改札の間には数本のレールがあるし、電車の窓なんて小さいものだ。

 いくつもあってそのうちの一つからサチがのぞき込んでいるなんて思いもしないはず。

 そう思っていたサチだが、窓からのぞくと柿沢の視線とぶつかった。


「え……」


 小さく呟いたその時、電車は静かに動き出す。

 ぶつかった視線は糸のように絡み合い、そしてちぎれて消えた。

 遠ざかる駅の明かりをみつめながら、サチは首をかしげる。

 わからない。

 店で聞いていた彼の話の半分もサチは理解することができなかった。流行りの歌も、動画もサチにはまったく興味がなく、逆にサチの好きな本の話をして彼が理解できるとも思えなかった。

 交友関係もサチとはまったく重ならず、かろうじて分かったのはサチが1年の時に同じクラスで委員会が一緒だった高橋という人ぐらいだった。

 その高橋ですら、サチとしては同じ委員会だった人ぐらいの印象しかなく、会話はお世辞にも弾んだとはいいがたかった。

 すでに窓からは駅の灯りをみることはできず、窓からみえるのは夜の帳につつまれた町の景色だけ。

 それを見つめながら、サチは今までの平凡な日常が崩されたことに小さくため息をついた。


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