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二話

「……あのさ、つきあってほしいんだけど」

「え?」


 ぽかんと口をあけたまま、サチは目をぱちぱちとしばたかせ目の前の男子を見つめる。

 彼は確か隣のクラスの人だったはずだ。彼と話すのが初めてだし、隣のクラスとは残念ながら交流らしいものもないため、本当に隣のクラスかどうかもあやしいところだが。

 じっと見つめたまま微動だにしないサチに、彼は怪訝そうに眉を顰める。


「あの、聞いてる?」

「あ、うん。聞いてるけど……」


 サチはわずかに首をかしげる。


「……付き合うってどこに?」

「は?」


 ぽかんとしたのは、今度は彼の方だった。

 一瞬、何を言われているのかわからないといった表情をし、それからぱちぱちと目をしばたかせた。


「どこって……」

「……付き合ってほしいんでしょ? ウチのクラス?」

「いやいやいや!」


 彼はようやくサチの言っていることを理解したのか、両手を大きく振った。


「いや、付き合ってってそういうことじゃなくてさ! つまりは、あの」

「……ん?」


 首をかしげたまま、サチは彼を見つめる。と、その時気が付いた。そういえば、彼を見たことがあった、と。

 それはたしか同じクラスの女の子の会話からだった。

 彼女たちはサチのいうところの「派手なグループ」の子で、会話の七割は恋愛の話だった。サチがそれを知っているのはたまたまそのグループの子が斜め後ろの席だったからだ。

 その彼女たちの会話の中に隣のクラスにいるイケメンというのが何回かでてきたことがあった。そんな人がいるのか、程度の知識だった彼女が、そのイケメンが誰かと認識したのは梅雨前に行われた体育祭でのことだった。

 100メートル競走に出ていた彼を見ようと、大騒ぎした挙句体育の先生から叱られているのを見たからだった。

 そうだ、この人だ。

 ぼんやりとその時のことを思い出していたサチは、彼が「だから」とつぶやくのをぼんやりと聞いていた。


「……付き合ってっていうのは、その、田口さんの言うようなことじゃなくて」

「はあ……」


 相手が自分の名前を知っていたことにサチは、わずかに衝撃を受ける。サチ自身は、相手の名前すらしらないというのに。

 いや、むしろサチは隣のクラスにいる人の名前など、まったくもってわからない。

 興味がないというよりも、かかわりがなくて覚える機会がないからなのだが。

 目の前の彼は、まったくかかわりのない人の名前まで把握しているなんて。

 妙なことに関心しているサチを前に、彼は意を決したように大きく息を吐いた。


「俺の、その、彼女になってってことで」

「……彼女」


 この場合、英語で言うところの「She」ではないことぐらい、いくら鈍いサチでもわかる。だが、やはりわからない。


「あの」


 サチは眉をひそめたまま、おずおずと口をひらく。


「……誰かと勘違いしているんじゃないですか?」

「え?」


 彼は一瞬驚いたような顔をしてから、すぐさまかぶりをふる。


「違う」

「そうですか」


 だとしたらなおさらわからない。人違いでなかったとしたら、あとは悪趣味だが漫画にある「罰ゲームでの告白」というやつだろうか。

 高校生にもなってそういうことをするような子供じみた人にはみえないが、残念ながらサチには彼の人となりがまるでわからない。

 黙り込んだまま胡乱げに見つめている様子から、彼女の考えがなんとなくわかったのだろう。彼はひどくまじめな顔つきで「冗談でも、嘘でもないです」と告げた。


「田口さんのこと、俺、ずっと好きだった。だから、付き合えたらいいなとおもって」

「……はあ」


 サチの言葉はまるで手ごたえがなかった。

 いうなれば暖簾に腕押し、糠に釘。最初は根気よく言っていた彼も、次第に焦りといら立ちをにじませてきた。


「……本気なんだって、俺。ずっと前から」

「すみません」


 サチは表情をかえることなく、彼の言葉を遮る。


「私、あなたのことよく知らないんです。だから、付き合うもなにも」


 その言葉に彼は小さくえっとつぶやいたあと、驚いたように彼女を見つめる。


「じゃあ、俺のこと知ったら付き合ってくれんの?」

「は?」


 サチは再び驚いたように彼を見つめる。


「いやいや、そういう意味ではなく」

「でもそういうことでしょ?」


 彼はにっこりと笑いながら、首をちょこんと傾げた。

 身長は180センチはあるとおもわれる彼がやると、妙にかわいく見える。これがイケメンマジックだろうか。

 サチはまじまじと見つめたのち、大きく息を吐いた。


「すみません。やっぱり知らない人とは付き合えません。ごめんなさい」


 ぺこりと頭をさげ、サチはそのまま部室棟前の廊下を歩きだした。

 彼に呼び出されたのは昼休みの真っ最中こともあって、教室に戻るや否やサチはクラス中の視線にさらされることになった。


「ちょ、ちょっと! なんの話だったわけ!?」


 戻ったサチにまっさきに声をかけてきたのは、友達の由利(ゆり)だった。

 いや、由利だけではない。サチの机の周りはあっという間に仲の良い友人たちにかこまれた。

 あまりのことに目をしばたかせるサチに、由利はすっと顔を険しくした。


「あいつに何言われた?」

「あいつ?」


 不思議そうに返すサチに、由利とそのとなりにいたジュンちゃんが大きくうなずいた。


「柿沢に呼び出されたんでしょ? サチになんか言いがかりでもつけたんじゃないの?」

「カキザワ」


 ああ、そうだ。とサチは心の中でつぶやく。

 彼は確かカキザワといった。柿沢礼司。それが彼の名前だった。

 柿沢といえば派手なグループの筆頭で、よく廊下で騒いでいるのを見かけたことがある。サチのクラスの派手めな女の子たちも一緒になって騒いでいたこともあった。

 その時に何度か名前が出ていたのを思い出したのだ。

 なるほど、と一人でうなずいているサチに、由利が怪訝そうに眉をよせる。


「やっぱりなんか、言われたんでしょ?」

「あー……」


 サチはあいまいに言葉を濁す。

 柿沢のことは知らないとしても、告白のようなプライベートなことはあまり言いふらすべきではない。そうサチはおもっていた。

 たとえそれが一ミリとも心が動かない相手だろうとも、自分にとってはなんの心も揺れ動かない出来事だったとしても、相手がそうとは限らない。

 恋愛ごとには疎いサチでもそれぐらいのことはわかっていた。

 だから由利やジュンの問いにも「なんか聞きたいことがあるみたいだった」と答えるにとどめたのだった。


「聞きたいことねぇ、あの柿沢が」


 忌々しそうにつぶやいている由利は、バスケ部の部長をしている。

 小学校からずっとバスケをやっていて、部員に対してはとにかく面倒見がいいとの評判だ。昔、部員の一人が柿沢に嫌なことを言われたことがあったらしく、それ以来彼をとにかく目の敵にしている。

 だからだろう。サチにも何か言われたのではないかと心配してくれたのは。


「大丈夫。変なこと言われたわけじゃないし」

「そう?」


 納得できないといった表情の由利の肩を、ジュンが笑いながらたたく。


「まあまあ、カッキーだってもう高校生なんだし、いくらなんでもガキみたいなことしないっしょ」

「は? この前、してくれたけど!? ウチの子たちにさあ」

「ハハ、アレはあんたんところの1年がカッキーにしつこかったからっしょ」


 ハハハと笑っているのはジュン。彼女は文芸部という名の帰宅部だ。

 大好きなバントのライブのためにバイトに明け暮れているせいだ。見た目は派手めだが、バンド以外のこととなるとナイーブな彼女を、身内には厚い由利がサチは大好きだ。

 物言いこそあれだが、二人が心底サチを心配してくれているのがわかる。

 その心に思わずほほを緩めたその時だ。廊下がやけに騒がしいことに気が付いた。

 なんだろうと何気なく振り返ったサチは、教室の戸口でまっすぐこちらを見つめている視線とぶつかった。


「柿沢くん」


 先ほど部室前の廊下で置き去りにしてきたばかりの柿沢が、額に汗をにじませながらこちらをにらむように見つめていた。

 彼はサチが教室にいるのを確認するやいなや、取り囲むギャラリーをかき分けまっすぐむかってきた。

 そしてサチの座っている席にたどり着く直前、彼の行く手を由利が遮った。

 由利はずっとバスケをしてきただけあって、身長はそこらの男子よりも高い。さほどかわらない視線を柿沢にむけたまま、由利は眉を吊り上げた。


「なんの用?」

「お前には関係ねえよ」


 わずかにいらだった様子の柿沢に、由利はさらに顔を険しくする。


「サチに話があるならここで聞くよ。誰もいないところじゃ、何するかわからないからね」

「それは……っ」


 一瞬気色ばんだ柿沢は、その奥にみえるサチに気が付いたのか。怒りをぐっと飲みこむようなしぐさをした。

 そして大きく息を吐き出しながら、由利の肩越しにみえるサチをじっと見つめる。


「田口さん、俺、本気だから。本気で田口さんと付き合いたいと思っているから」

「は?」


 答えたのは由利だった。

 あきれたように見つめたのち、由利は顔を硬くこわばらせた。


「……柿沢、あんた、また」

「ちょ、ちょーっと」


 ぎりぎりと奥歯をかみしめ、この場が教室でなかったら殴りかかりそうな雰囲気の由利の腕をひいたのはジュンだった。


「由利、まずいよ。それに」


 ジュンはやや釣り気味の瞳を、柿沢にむける。


「カッキー、あんたも」


 冷静なジュンの言葉に、柿沢ははっとする。

 そして小さく息を吐き出す彼を、サチは静かに見つめていた。


「あの、カキザワ君」


 初めて声にする彼の名前は、うまく言葉にできた気がしなかった。

 なんというか、言いずらいというか。慣れてないのだと思う。そのぐらい彼のことは、自分の世界にはなかったパーツだった。

 柿沢はサチの言葉にはっとしたような顔をした。


「ごめん、本当にあの、私、あなたのこと知らないんだ」

「……知ってる」

「だから、付き合うとかはちょっと無理」


 その瞬間、ギャラリーがざわりと揺れた気がした。

 サチがちらりと振り返ると、その中心にいたのはクラスでも派手なグループの子たちだ。彼女たちの表情は硬く、それが好意的なものではないことはサチにもわかった。

 いや、サチだけじゃない。柿沢にもわかったのだろう。

 柿沢はわずかにうなだれ、そして小さく「ごめん」とつぶやいた。

 そして帰るのかと思いきや、再びぱっと顔をあげた。


「でも、そういう理由じゃ、俺はあきらめられない。だから」


 その瞬間、彼の言葉を遮るように昼休みの終わりをつげるチャイムが鳴り響いた。と同時に午後最初の授業の教員が教室に入ってきた。

 若い教員はただならぬ雰囲気の教室に一瞬あっけにとられたが、すぐさまその中心にいる柿沢に視線をむけた。


「かーきーざーわー、お前のクラスはとなりだろう。早く教室に戻れ」

「……っ」


 柿沢は一瞬顔をしかめたのち、しぶしぶという様子で教室を後にした。

 ギャラリーもまた教員に散らされ、ざわついた雰囲気のまま午後の授業が始まった。

 サチは教員の話をぼんやりと聞きながら、困ったことになったと思っていた。

 彼がどのような人かはよくはしらないサチでも、彼の立ち位置ぐらいはたった数分のやりとりと周囲の反応である程度は理解したつもりだった。

 彼はサチのいうところの「派手なグループ」の人。そんな人がサチに近づいてきた。それはかつてのエリちゃんとの一件を思い起こさせた。

 彼の世界は、サチの世界とはまるでかぶらない。

 わずかに重なるところがあれば、サチだって同級生である彼の名前ぐらいは知っていただろうし、知る努力をしただろう。

 つまり、サチと柿沢とは世界が違う。世界が違う者同士がうまくいくわけがない。

 サチは経験からそれを嫌というほど知っていた。だから、きっぱり断ったというのに。

 この先、怒るであろう面倒ごとにサチは幾度目かのため息を落としたのだった。

 そしてサチの予想通り面倒ごとは起こるのだが、それはサチが予想してたよりもすぐのことだった。


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