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それから・後編

「オレとレイジと由利はさー、家がちょうど3軒並んでいるの。建売分譲住宅ってやつ? 外観は微妙な色違いで、中もほとんど一緒。家族構成もほとんど同じだから、小さいころからずっと一緒なわけ」


 二人がいるという場所に向かっているさなか、佐川はサチが聞きたいとは一言も言っていないのに三人のことを話し出した。

 彼らは幼稚園からずっと一緒で、女の子ながらも運動神経のいい由利を含め3人はいつも一緒に遊んでいたそうだ。それは小学校になっても変わなかった。

 変わったのは中学2年のころだという。

 ちょうど思春期に入るころだ。佐川にしても柿沢にしても由利のことは異性ではなく、ずっと昔からの幼馴染としかおもっていなかった。

 だが、周りは違った。


「なんかねー、いろいろ面倒くさいことになっちゃってさぁ」


 その時のことを思い出したのか。佐川にしては珍しく不愉快そうに眉をひそめた。

 そのぐらい嫌な思い出のなのだろう。

 でも、サチは少しわかると思った。そのぐらいの女子は、いろんなことに敏感だ。

 取り立てて自分とは違う要素を持ったものに異様なほど敏感だ。

 柿沢と佐川が幼いころから目立つ存在だったことは、なんとなく噂で知っていた。その二人と常に一緒にいたとなると、同性からやっかみやら嫉妬やら下衆の勘繰りをされていたことだろう。

 だが、それは由利一人のせいではない。もちろん、佐川や柿沢のせいでもないのだが。

 そのせいで由利は二人と一緒にいるのをやめた。

 柿沢や佐川も由利のことには気が付いていたから、あえて近づこうとはしなかった。だが自宅では親同士が仲がいいこともあって、完全に距離をとることはまではしなかった。

 する必要もないと思ったから。

 けど、そういうことはおのずとばれる。特に彼らに特別興味を持つ子にしてみたら、些細なことが気になるものだ。


「まあ、オレはさー、そのぐらいから彼女とかもいたからあんまりかかわらなかったんだけどねー、レイジはなぁ」


 佐川はうんざりしたようにつぶやく。


「あいつんちの親と由利んちの親はすげー仲いいからなぁ」


 関わりをたつことはできなかったのだろう。

 いや、柿沢のことだ。困っていた由利を放っておくなんてできなかったのかもしれない。

 それがさらに由利を追い詰めることになるだろうことは、その場にいなかったサチにもわかった。

 それが二人の間を強く結びつけたのだろうか。

 だとしたら、サチが入る隙間なんて本当はなかったのではないか。

 思わず立ち止まってしまったサチに、佐川は少し歩いたところで振り返った。


「さっちゃん?」

「あの……、やっぱり私」


 言いかけたその時だ。通りの脇にあるフェンス。そこに植えられた生垣の向こうから「はあ!?」と妙にドスの聞きた声が聞こえてきた。

 どこかで聞いたことのある声だと、思わず生垣の方へと振り返ったサチは、刈り込まれた木々の隙間から見える光景に思わず息をのむ。

 そこは高校から駅の間にある公園。

 大きめのグラウンドが併設され、小さな子供から、体力づくりだろうか。本格的な格好をしたお年寄りまで多くの人が平日だというのに楽しんでいる。

 そんな中、妙にとげとげしい――いや、凍てつく雰囲気をまとった女子高生と、その向かいにいる整った顔立ちの男子高校生が向き合っていた。

 それはまるでデート……というのにはあまりに、物騒な雰囲気だった。


「……さ、佐川さん」

「ん?」


 中腰になりながら生垣からのぞき込む私の頭の上に、顎を乗せるような形で同じく覗いていた佐川がのんびりと返す。


「あの……デートっていってませんでしたか?」

「うん、デートみたいでしょ? オレと、さっちゃんが」


 は? 思わず振り返りそうになったその時、女子高生が声を張り上げた。


「サチには近づくなと! あれほどいったのに!! お前というやつは!!」

「……由利には関係ないだろう」


 なにいぃ! と叫んだのはやはり、由利だった。

 そして真向かいでひどくつまらなそうに対応していているのは、間違いなく柿沢だ。確かに佐川の言う通り二人きりなのは間違いないが――なんかおかしい。


「あのう……佐川君」

「はい?」

「……あれ、デートですか?

「見えない?」


 ひどく楽し気な佐川に、サチは小さくはい、と答える。

 どう見てもデートなんかじゃない。どこからどうみても決闘にしか見えないではないか。

 そう思っているのはサチだけではないようで、二人の様子をグラウンドに来ている人たちが遠巻きに見つめているのがここからでもわかった。


「あの、全然デートに見えないです。むしろ、柿沢くんと取っ組み合いになりそうなんですけど」

「あー、そうだねー」


 佐川はくすくすわらった。


「由利はねー、いつもあんなかんじー。レイジとはとことん相性が悪くてねー、会えば毎回あんな感じだよ」

「え?」


 驚いてふりかえったサチは、佐川をじっと見つめる。


「佐川君、もしかしてまた騙した?」

「騙してないよ。デートでしょ。オレと、さっちゃんの」

「佐川」


 ふいに割り込んだ声に、サチは思わず振り返る。

 と、生垣の向こうからのぞき込む二つの顔。柿沢と由利だ。どちらもものすごい険しい顔をして佐川をにらみつけていた。


「お前、また田口さんを連れ出して……」

「ちょっとケイ!! あんたねぇええ!!」


 怒鳴った由利に、佐川があからさまに顔をしかめた。


「わー、相変わらずデカイ声だな。っていうか、由利、お前レイジと話があったんだろ。オレたちにはかまわずどーぞ、好きなだけやってなよ」


 そういって佐川は、サチの肩に手を回す。

 その瞬間、柿沢が胸当たりの高さのフェンスを勢いよく飛び越え、佐川の手からサチを引き剥がした。


「触るな」

「わー! いいじゃん、減るもんじゃないし。それにさー、さっちゃん、お前のこと心配してここまできたんだぞー」

「ちょ、佐川くん!!」


 何でここでそれを言うのかな!

 サチはぎりと佐川をにらみつける。だが、佐川にとっては蚊のパンチほどの威力もないのだろう。にこにこと笑ったまま目の前の柿沢を、そしてフェンス越しに怒り心頭といった由利を交互に見つめる。


「なにしろ由利とレイジがひそかにつきあっているって噂が流れてるんだもんなー、そりゃ心配になるよなー」

「はぁ?」


 能天気な佐川の声に、柿沢と由利が同時に反応する。

 

「なんでこんな無神経野郎と」

「冗談だろ、田口さん……」


 がっくりと肩を落とす柿沢に、佐川の笑い声が重なった。




 結局、けんか腰の由利を佐川が引き受け、グラウンドにはサチと柿沢の二人が残された。


「えっと……、じゃあ、私も」


 帰ろうとしたサチの手を、柿沢がむんずとつかむ。


「どこに?」

「え?」


 きょとんとするサチを、柿沢はじっと見つめる。


「どこって……、家?」

「あ……、そっか。そうだよな」


 うん、とうなずく柿沢を、サチはまじまじと見つめる。

 その横顔を見ながら、サチはやっぱりとつぶやいた。

 不思議そうに顔をあげる柿沢に、サチはちらりと笑う。


「あのね。柿沢君のうわさをいろいろ、聞いたんだ」

「え……」


 柿沢の顔色が一瞬に悪くなる。それをみて、サチが慌てたようにかぶりを振る。。


「違うの! あの、変な意味でじゃなくてね」

「いや、……自分でもわかってるから」


 柿沢はぎこちなく笑みを浮かべる。だが、その表情はやはりどこか硬い。

 昔の自分だったら、今の柿沢を見て、怒っているとか冷たそうとか思うに違いない。だが、今のサチの目にはそうではない。

 彼の表情は不器用で、途方に暮れている、どこにでもいるような男の子にしかみえなかった。


「昔なら、柿沢君のこと知らなかったからね。噂を信じたかもしれないけど、今はね、違うよ」

「違う?」


 不思議そうに見る柿沢に、サチは小さくうなずく。


「……うん。柿沢君は嘘をついたり、ごまかしたりするような人じゃない。きっと何か理由があるのかなって思ってた」

「……田口さん……」


 じっと見つめる柿沢に、サチは照れたように視線を逸らす。


「あ、でも、全然不安じゃないっていったらウソになるけど、ほら、由利は私と違ってかわいいし、きれいだし、それに」


 瞬間、サチの体が柿沢に引き寄せらっる。

 深く抱き寄せた柿沢は、サチの細い首筋に顔をうずめた。


「……そんなことない」

「柿沢くん」


 サチはふっと笑いながら、柿沢の背中にそろそろと手を回す。

 大きくて、サチの倍はありそうな背中。でも、時々、サチよりも小さく見えるのはきっと彼女の気のせいじゃない。


「柿沢君は、少し私びいきすぎるよ」


 もっと冷静に見たほうがと続けようとするサチを、柿沢はさらにきつく抱きしめる。


「たな……、サチのこと、好きだからいいんだよ」


 柿沢はいつものように言いかけ、そして言い直す。

 そういって彼の口から出た言葉は、サチの心に予想以上に動揺と、そして激しい衝撃を与えた。心臓は一層大きく打ち鳴らし、首からすうと熱が昇っていく。

 それに気がついたのだろう。

 柿沢はふと手を緩め、腕の中にいるサチの顔をのぞき込む。

 そして心底嬉しそうな顔をした。


「……顔、真っ赤だ」

「しょ、しょうがないよ! だって……」


 男の子に名前を呼ばれたのなんて、今までなかったから。それも、まるで宝物のように大切な響きを持って。

 そういうと、今度は柿沢の顔がすうと赤く染まっていく。

 え、と小さく声を上げる直前、柿沢は再び彼女を抱きしめる。


「……なんだよ、それ」

「え? な、なにか、変だった?」

「違う」


 柿沢は叫ぶようにいってから、小さく息を吐く。


「……なに、これ。マジかよ……」


 二度目に落とした彼のため息は、予想以上に深く重いもののようにサチにはきこえた。

 



 翌日、学校で由利にあったが、態度が変わる……ということはなかった。


「まーしょうがないんじゃない? アレでも、あんたのことなんとか認めようとおもってるっぽいよ」


 あっけらかんというジュンの言葉通り、由利はなんとかサチと柿沢のことを認めようとはしているようだった。

 けれどもそれは一朝一夕に代わるわけもなく、時々苛ついているようだったが、それでもサチに対して柿沢のことをとやかく言うことはなくなった。

 まあ、その原因の大半は佐川のせいでもあるようだが。


「もう! しつこいっつーの!」

「なんでだよー、幼馴染じゃん」


 佐川の能天気な声が、昼休みの教室に毎日のように響く。

 どうやらサチが柿沢との関係に落ち着いたことで、佐川の何かを刺激したらしい。毎日のよう由利にまとわりつくようになったのだ。


「なんだ、あれ。まだやってのか?」


 昼休み、柿沢君は私を毎日のように誘いに来る。

 といっても、昼ご飯をサチはジュンや由利と食べているのを知っているから、それが終わるのを見計らって会いに来てくれる。

 今日も教室をのぞいた柿沢は、逃げ回る二人を見てあきれたようにため息をついた。


「佐川くん、どうしちゃったのかな?」

「あー……あれは」


 不思議そうに見つめるサチに、柿沢は言いかけ、そしてごまかすように笑った。


「まあ、いろいろね」

「いろいろ……」


 そういえば、幼馴染といっていた。

 なるほど、だからか。こくりとうなずくサチに、柿沢は少し驚いたような顔をした。


「あれ? 気にならないの?」

「え? 気にしたほうがいいの?」

「いや……まー」


 柿沢はふと視線を逃げ回る二人へと向ける。


「まあ、いずれ、わかるだろうから言っとくけど、実はあいつ、昔から由利のことが好きなんだよ」

「へえ」


 サチはちらりと佐川を見る。

 あの時。喫茶店で苦しそうに胸の内を吐き出していた彼と、今のかれが同じようにはとてもみえなかった。

 由利は柿沢に対して何も感情はないといっていた。

 けど、すぐ隣で見ていた佐川の目には違って見えていたのかもしれない。恋愛だけが特別な感情ではない。特定の個人に向けられる感情に、彼が苦しんでいたのは確かだ。

 けれども、なるほど。吹っ切れたのか。そうかとうなずく横で、柿沢がむっと顔をしかめた。


「え? どうかした?」

「いや……なんか、サチ、にやにやしてるから」

「え?」


 そうかな? 思わず頬に手をあてると、柿沢の顔はさらに険しくなる。

 はた目から見れば不機嫌そうにしか見えないが、サチにだけはそれがふてくされているようにしかみえなかった。

 ふっと笑みを漏らす彼女に、柿沢は小さく息を吐く。


「まあ、いいけど。オレは心が広いから」

「そうなんだ」

「……嘘」


 柿沢はそういって、彼女の手を取る。

 指を絡めるよう握りしめ、そしてそのままわずかに体を引き寄せる。


「……すげー、心狭いから。ごめん」

「いいよ。別に」


 そういってサチは笑う。

 この先、もしかしたら彼とは離れ離れになることがあるかもしれないし、ずっと一緒かもしれない。けど、サチは絡めた指をじっと見つめる。

 きっとどの未来がまっていようとも、この時。この瞬間の気持ちはきっと忘れない。

 それはとても幸せな、瞬間だと彼女と彼は思ったのだった。

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