一話
人には分相応というものがある、とサチは思っている。
その人らしい、その人にふさわしいもの。たとえば、服装。
モデルのようにきれいでかわいい人に似合う服が、サチにも似合うかといえばそうではない。元の素材がいいからこそ、奇抜な服だろうとかわいい服だろうと似合うのであって、素材がそれなりならばそれなりにしか似合わない。サチはそう思っていた。
それは非常に後ろ向きとえば後ろ向きで、臆病な考えだともわかっていた。
一見、似合わないとおもっても、実際にまとってみたら予想外に似合うことだってあるかもしれない。確率はそれほど高いものでないとしても、ゼロではないだろう。
そんな冒険はサチにはできなかった。
そう、サチは臆病なのだ。
だが、小さいころからサチは臆病だったわけではない。
小さいころの夢はお姫様だった。母が買ってきてくれた絵本に影響されたことはいうまでもない。内容は美しいお姫様と王子様のラブロマンスだった。今思えばあれはグリム童話でもアンデルセンでもなかった。おそらくオリジナルの内容だったと思う。
そのお姫様になりたいと思い、サチは母にねだってドレスをつくってもらった。
もちろん、ドレスといったってなにもゴージャスなものではない。生地は安いペラペラのナイロンぽいで、どこをどうみても服の裏地にしかみえなかった。無駄につやつやした生地を母は筒状に縫いゴムを入れ、これまた安っぽいレースを裾につけただけの簡素なものだったが、幼いサチの目には絵本の中のお姫様のドレスと遜色ないものにみえた。そんな母特製のドレスをまとい、サチは毎日のように近所の子と遊んだ。
近所の子たちもそれぞれ自分のドレスというものを持っていた。
サチのように親に作ってもらったり、買ったりとバリエーションは実にさまざまだ。そのドレスを持ち寄ってはお姫様ごっこをしたものだ。
そんな彼女たちを見て、つい最近まで一緒に泥まみれになって遊んでいたはずの男の子たちは鼻白んだ。おそらくそれがとても退屈で、つまらなそうに見えたのだろう。
なにしろ彼らの目下の流行りは、その時発売されたゲームを模した冒険ごっこだったから。彼らにとって必要なのは冒険者。お姫様もどきは必要なかったのだ。
もちろん女の子だって別に男の子たちと遊びたいわけでもなかった。
彼女たちにとって、必要なのは絵本の王子様はお姫様を一途に思い、いつくしんでくれる存在であって、泥まみれになってミミズを片手に追いかけまわすような子ではなかったから。
そういう意味では思惑は互いに一致していた。一触即発だった関係は、互いの領域を侵さないという関係へと変わり、この期間は長い子供時代の中でもずいぶん平和だったように思えた。
だが、その平和だった時間も、とある女の子の存在ががらりと変えてしまった。
その子の名前は、エリちゃん。
サチの家から少し離れた住宅地に住む、女の子だ。その住宅街はサチたちの住んでいる場所よりも区画は大きく、町の中でも少しばかりグレードの高い人たちが住んでいるような、そんな場所だった。エリはそこに少し前に、隣町から引っ越してきたのだ。
サチの学校は、人の流れがあまりなく彼女の存在は少しばかり目立っていた。ここでは転校生という存在は誰であろうととにかく目立つ存在だった。
その子がサチたちと遊ぶようになったのは、なんてことはない。
サチの遊び仲間の一人の紹介があったからだ。
もともと家が少し離れていること。そして彼女の放課後はふつうの子よりも少しばかりかわっていた。学校への送り迎えは車。放課後は習い事があり、なかなか自由な時間がない。こうなると必然的に学校での交友関係は狭まる。
クラスでいくら話ができたからって、子供にとってのメインは放課後だ。
そこで誰と遊ぶかによって学校での交友関係が出来上がってしまう。
そういう意味ではエリはとにかく圧倒的に不利な状況だった。
おそらくそれを心配したのだろう。エリの母親が、知り合いを通じて彼女に友人を作ろうとしたらしい。
その相手が、サチの遊び仲間だというわけだ。
しかし、当初、エリは始終居心地が悪そうだった。
何しろ迎え出た同級生のすべてが安物の、けばけばしいドレスまがいの代物をまとっていたのだから。
たった一人、何も持たなかった彼女がどう思ったのか。
今ならば、サチにもわかる。だが、その時のサチはというと、今までスムーズに動いていた遊びに、微妙な異端分子が紛れ込んだことに戸惑っていた。
「あのね! 今、あたしたち、おひめさまごっこをしているのよ!」
「お姫様?」
なんとかこの状況を打破したいとおもったのか。それとも連れてきてしまったことで、責任を感じていたのか、エリちゃんを連れてきたクラスの女の子はあわてたように説明した。
彼女の言葉に、エリは大きな瞳をぱちぱちとしばたかせながら居並ぶ同級生を見つめる。
「そうなの? きれいね」
にっこりわらった彼女に、サチたちも思わず笑みがこぼれる。
転校生で、違うクラスだからといってもサチたちはエリに興味があったのだ。何しろエリはかわいいし、着ている服だって自分たちとなんとなく違う。
かわいいこの転校生にみんな興味津々だったのだ。
だからエリはすんなりとサチたちの仲間にはいった。
しばらくの間は、エリはドレスをもってこなかった。もちろん、遊び仲間の何人かはドレスを持っていない子もいたから、何枚か持っている子のをみんなで着まわすことはごく普通のことだった。
それからしばらくして、エリは自分のドレスを持ってきた。
しかし、それはサチが持っているようなもの――ペラペラの生地でつくったものでも、おもちゃ屋で購入したようなものともまるで違う。
いうなれば、あの絵本の中のお姫様が着ていたような、とてもきれいなドレスだった。
生地は艶やかで肌触りもよく、襟や裾にはふんだんにレースが施されていた。ウェストにつけられたリボンはドレスの生地と同じ色。あきらかに品物が違った。
唖然とするサチたちに気が付かないのか、エリはそれをまとってお姫様ごっこをしようと誘ってきた。
しかし、この瞬間、彼女たちは気が付いてしまった。
このドレスをまとったエリと並んだ自分がいかに貧相かと。はたから見て、お姫様とメイド。いやメイドよりもなお悪い。
さらに運の悪いことに、いつもなら近寄りもしない男の子たちがやってきたのだ。
おそらく、彼らもエリのうわさを聞いてきたのだろう。かの高級住宅地に住む転校生が、サチたちと遊んでいることを。
彼らもまた、幼稚園からずっと近くにいる女の子とはまたちがう、エリのことが気になってしかたがなかったのだろう。
やってきた彼らは、すぐさまエリにくぎ付けになった。
「へえー似合うじゃん」
お姫様みてぇ。男の子たちの言葉に、女の子は鼻白んだ。
彼らは今の今まで、一度だってサチたちにそんなことは一言もいったことがなかったのだ。当然、面白くはない。
みるみる顔をこわばらせる女の子たちの横で、エリはただただぽつんとたたずんでいた。
その時のことを、エリは昨日のことのように思い出せる。
エリは頭だって悪くはなかったから、この状況がどういう状況かはすぐに気が付いていただろう。
だが、この時すでにエリが何を言おうとしたところで状況が好転する気配は微塵もなかった。いや、むしろ何か言えば悪化することは目に見えていた。
男の子たちは微妙な空気を察してか、すぐに立ち去って行った。
だが、立ち去る直前まで彼らの視線はずっとエリに向けられており、サチやそのほかの子には一度も掠ることはなかった。
その後のことは言うまでもない。
お姫様廃業である。
エリもサチたちとは気まずくなったのか。それとも親にとがめられたのかはわからないが、サチと遊ぶことはほとんどなくなり、やがて隣町の私立中学にいってしまった。
まあ、いうなればこのことは子供時代にはよくあるような、さして珍しくもない些細なもめごとの一つでしかなかった。
実際、エリだって別にずっと一人だったわけではない。
サチたちとはうまくいかなかったが、ほかの子とは普通にうまくつきあっていたし、彼女の家と同じような雰囲気の子たちと遊んでいる姿を見かけたことだってあった。
だから、きっとほかの子や当のエリなどはこのことはもしかしたら覚えていないかもしれない。
けれども、サチには違った。
この一件は衝撃的な出来事だったのだ。
なにしろエリの存在はサチたちとはあきらかに違っていたのだ。
今まで、サチは違う存在というものと出会ったことはなかった。世界が狭かったといえばそれまでだが、幼稚園でも小学校でも大きな差はほとんどなかった。
だが、エリは違う。サチとは明確な差があった。
それがなんなのか、この時は具体的に何かまではわからなかった。
だが、彼女が纏っていたドレスもそうだが、それ以上に彼女自身が違っていたのだ。そしてその結果が男の子たちの反応だった。
今思えば、あれこそがまさに分相応というものだったのかもしれない。
それはサチだけでなく、周りの友達も同じように感じたのだろう。
実際、あれ以降、サチたちの間でお姫様ごっこをすることはなくなった。
もちろん年齢があがってそんな子供っぽいものなんて、というのもあったし、単純に飽きたとうのもある。
だけど、たぶん一番の理由は誰も口にはしなかったが自分たちには分不相応だったということだろう。
お姫様なんてガラじゃない。
お姫様というのは、あのときのエリのような人を指すのだと。
脱ぎ捨てられて顧みられることのなくなったドレスを見て、母親はぶつくさいっていたが、あれをもう一度着る勇気はサチにはなかった。
いや、ドレスだけではない。
フリルも、レースも、かわいいと思われるものをサチは遠ざけた。
似合わないとわかったのだ。
それ以来、彼女が身に着けるものはよく言えばシンプル。悪く言えば取り立てて特徴のないものになった。
中学になるとそれはより一層顕著なものになった。
ひっそりと、特に目立つことのない日常。クラスの中には見た目にも行動も派手なグループがあり、そこでは惚れた腫れたという話が飛び交っていたが、サチにはまったくもって関係なかった。
好きな人もできなかったし、当たり前だが彼氏だってできなかった。
そもそもそういう関係の相手ができるとも思えなかった。
高校は住んでいた街から少し離れたところに合格し、交友関係も広がった。
だが、そこでもサチの日常はさほど大きくかわることはなかった。地味ながらも平和な日常。きっとそれはずっとかわらない。
サチは自分の見た目と同じく、自分の人生はどこを切り取っても地味で、平凡なものになるだろう。そんなことをぼんやりと考えるようになっていた。
だが、ある日のことだ
「……あのさ、つきあってほしいんだけど」
ふいに言われたその一言が、サチのその後の人生を一変させることになったのだ。