運命の彼女
数日前から、俺には恋人が出来た。いや、正確には言葉を交わしたわけではない。
それどころか、彼女を見る事が出来る人は、この世に俺以外あり得るのかどうか。
「ねぇ、愛しの君」
優しく声を掛ければ、彼女は心底嫌そうな顔をする。
片時も離れず、俺の肩におぶさっているのに。照れ屋なのかな?
数日前、彼女と運命的な出会いを果たしたのは、新居での事だった。
訳有り物件で安く借りられたアパートの部屋には、何故か髪の長い女の子が住みついていたのだ。これがめっちゃくちゃ可愛い。
ちょっと目玉は飛び出ているし、口紅ははみ出ている。ついでに首に縄のようなチョーカーがついているが、それらは全部チャームポイントに見えた。
「好きです! 付き合って下さい!」
俺は先に部屋に居てくれた押しかけ女房に、土下座しながら告白をした。
「……」
彼女は何らかの言葉を紡いだようだが、残念ながら俺まで声は届いてこない。
見る人が見れば「お断り」と言ったように見えたかもしれないが、そこはプロの俺。様々な物件で浮名を流してきた俺にはよくわかった。
これは「愛してる」であると。だって、普通女の子の口から出る五文字の言葉って言ったら「愛してる」だろ? 男だってブレーキランプ五回で表しちゃうくらいメジャーな言葉だし。
こうして俺は、彼女と健全なお付き合いを始めた。
お付き合い早々の同棲ではあるが、俺には俺のルールがある。
その一、ふしだらな事はしない。ただし、顎クイと壁ドンはその範疇に含めない。
その二、彼女が嫉妬に狂って多少物を壊してしまったとしても、深い愛で受け止める。
その三、愛の囁きは毎日する。
その四、常におぶさってくるような甘えん坊でも、笑って背負い続ける。
以上のルールに則り、清く正しい恋愛をしていくのだ。
案の定、というか、彼女は俺が部屋に入ると直ぐに近くをうろうろし始め、時折物を投げては壊した。嫉妬だな、可愛い奴め。
だが、ニヤニヤ眺めながら引越しの荷解きをしていた俺の頭に目覚まし時計を直撃させるのは勘弁してほしかった。痛い。
いいや、負けてはいけない。愛の痛みなのだから。
哀しきかな、彼女は嫉妬深かった訳だ。いやいや、悲しくなんてない。このくらい愛情表現がしっかりしている方が、かえって俺も安心だ。
何度かかなり熱い視線を受けたし、シャワーを浴びると急に水にされたりしたが、構って欲しいんだな、程度にしか思わない。なぜなら俺は、懐深い男だから。
俺が眠れば、覆い被さって来てくれるが、そんな時に限って俺の身体は動かない。
朝起きると、朝食を用意しようと思っていてくれたのだろうか。床に食器が散乱していた。
ドジっ娘だなぁ。幸せな俺達と不幸せな食器という謎の対比を堪能しながらも支度をし、俺は出かけた。
出かける時には、彼女は俺に甘えておぶさってきた。
このくらい嫉妬深くて、愛情深い彼女って最高。愛されてるっていう実感が、俺の中を喜びとなって駆け巡る。
こんな風に、幸せに包まれていると、あっという間に数日が過ぎていた。
「お前、それ……」
外で出くわした友人が、俺を指差す。
「ん?」
「……なんか、憑いてるぞ」
どうやらこいつには、俺の彼女が見えるらしい。
あ、もしかして、友達に紹介してほしくって見えるように頑張っちゃったのかな? 可愛いなぁ。
「彼女、俺の恋人なんだ」
「すごい勢いで髪を振り乱して首を左右に振ってるぞ」
「嬉しすぎるんだよ」
振り乱しちゃうとか、最高かよ。
「……お前、さぁ」
「何だよ」
「それ、幽霊じゃねーの?」
友人は言い難そうにしながらも、彼女を指差す。
「そうかもしれないけど、こいつ、俺の住むアパートに居て出迎えてくれたんだよ。そこに幽霊とか人間とか、関係なくね?」
「悪い、その状況なら知らない人間がいた方が怖いわ」
そうかー。こいつ、心が狭いんだな。
俺が勝手にうんうん頷いていると、彼女はスゥっと俺から離れて友人の方に行った。お、自ら挨拶したくなったんだな。
友人は何度か相槌を打つと、俺に向き直る。
「今から彼女の言葉を代弁するぞ」
友人の隣で彼女が頷く。うむ、仕方ない。俺が嫉妬してる場合じゃないからな。
「君の部屋で自殺した幽霊なの」
「そうだったのかー」
首の、チョーカーじゃなくて本当に縄だったのかな。オシャレだったから気付かなかったな。
「あわよくば君を道連れにして、不幸にして遣ろうと思っていたのよ」
「ははっ、心中なんて、愛し過ぎだな。ちょっと過激だぞ!」
悪くないけどさ。
「でも、私が悪いのだと考え直したの」
「いやいや、君に悪い所なんてないって。気にするな」
なんだなんだ。追い詰め始めたのか?
「成仏するって決めたの。君と居る地獄より、まだ見ぬ転生の世界の方が、絶対マシだもの」
「ちょ、待った待った」
これ、もしかして俺、振られてる!?
「君と生活とか、生理的に受け付けない」
「嘘だろ!?」
「……これでいいか?」
友人は彼女に確認している。
彼女は俺と生活していた時には一度も見た事の無い、とっても可愛い笑顔を向けて、頷いた。
それから彼女の姿は、キラキラと光りだし、薄くなっていく。
「ちょ、ちょっと! 待ってくれ! 俺はずっとずっと君を大切にするつもりで――」
俺の言葉は最後まで続かない。彼女が自らの唇に人差し指を当て、「しー」と言ったのだ。可愛すぎてこれ以上何か言えるわけないだろう。
もうすぐ消えてしまう。消えてほしくないのに。
知らず知らずのうちに涙があふれた。そんな俺に、彼女は最後にこう言った。
僕に聞こえる声で、はっきりと。
「君は運命の人じゃない」
愛してるのに! 酷い!
ハッピーエンドを目指したはずが、何故いつもこうなってしまうのか。
完全に消え去ってしまった彼女を想いながら、涙が止まらない。
「おい、大丈夫か?」
俺の背中を友人が擦る。
「……ああ。新しい恋を探さないとな」
「お、おう。真っ当な恋をしてこい」
そうだよな。失恋を癒すのは新しい恋って、相場は決まってるもんな。
「また訳有り物件、探すわ」
俺が呟くと、背中をさすっていた手が離れる。
「……可哀想に」
憐憫の視線を感じながらも、俺は立ち上がった。
新しい恋に、向かう為に。