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クロウ先生の計らいで生徒たちの実力を見ることとなった風間は端で並ぶ生徒たちを見つめながら考えていた。
——さて、どうしたものだろうか。なんか成り行きで見ることになったが、正直見たところで俺は何かするわけじゃないしな。
風間は教員として呼ばれたのではなく、あくまで実技の時間での監視役として赴任した。生徒たちに教えることはできないし、風間には人に何かを教えた経験もない。
そんな彼は、今置かれている状況に正直驚いていた。
なぜ今自分は生徒の実力判定なんてことをさせられているのだろうか。風間には自分の身の振り方を間違えたとしか思えなかった。
——しかしこういう状況になってしまった以上、やる以外の選択肢はないな。一人一人に対してコメントでも残しておくべきなのだろうか。今のうちに幾つか考えておこうか。
校庭にはすでに自分の順番を今かと待つ生徒たちで溢れかえっていた。不安な表情を浮かべる者、自信に満ち溢れ自分の番を今か今かと待っている者。そんな様々な表情を見ては、風間は小さくため息をつく。
お金の為とはいえ、面倒な仕事を引き受けたものだと風間は感じていた。
「皆さん準備はできましたか? それでは準備ができた者から始めますよ」
少し遅れて到着したクロウ先生が生徒たちに伝えた。彼の言葉を皮切りに生徒たちの実演が始まった。
まず風間の前に立ったのは一人の男子生徒。誇らしげに立つ男子生徒は力強く風間を一瞥し、自慢の魔法を展開する。
「砂塵よ、天高く舞い、敵を薙ぎ払う巨像と為せ!」
生徒の詠唱に応じ、地面から砂嵐が発生し、砂埃が収縮し始める。やがて砂は腕、足と形成し気づけば風間と同じ高さほどの土人形を作り上げた。しかし腕、足共に人よりも一回り以上太く、そして硬い。
「はぁ、はぁ。ど、どうです先生。俺の自慢のクレイゴーレムは?」
風間は徐にゴーレムに近づき、足や腕に触れてみた。
「ふむ。形成速度、ゴーレムの強度、共に悪くない。どれくらい動かせる?」
「そ、そうですね。動かしてみます」
生徒が再び力を込めると、ゴーレムはゆっくりとその重い足を上げた。しかし数歩歩いただけで、その力を失い砂に戻りその場で崩れ落ちた。
「あ、ああぁ」
その無残な姿に、男子生徒は落胆する。
「まあそんなとこだな。形成そのものはスムーズだったが、形作るだけで体力を消耗している。実用レベルにはもう少しかかりそうだな」
「は、はい」
現実を突きつけられ、男子生徒はさらに深く落ち込んだ。
「じゃあ次の人」
そのことに気づかない風間は早く終われせようと次の生徒を呼び込む。自信満々だった男子生徒は俯きながらすごすごと引き下がった。
そんな調子で何人もの生徒を見た結果。
あれだけ自信に溢れていた生徒たちは誰一人として明るい顔をすることもなく、全員が顔を下に向けぶつぶつと呟いていた。
「まっ、まあみなさんいい刺激をもらったようですね」
クロウ先生がその光景を見て精一杯のフォローを付け加える。しかしクロウ先生のフォローを受けたところで生徒たちの傷は癒えるはずはなかった。
しかしその中で一人、力強く風間を睨みつける生徒がいた。
その生徒はゆっくりと立ち上がり、風間の前で仁王立ちした。
「風間先生、よろしくお願いします」
——こいつは、確か朝決闘をしていた生徒だな。名前は……なんだったかな。
人の名前を憶えるのが苦手な風間は既に数時間前のことを忘れていた。しかし別段気に留めない風間は何も考えず応答する。
「はい、よろしく。では始めてください」
「それなんですが、始める前に風間先生に頼みがあります。聞いていただけますか?」
「俺に、頼みたいこと?」
風間は彼女の態度を少し不思議に思っていた。
数時間前、校庭で鬼灯が風間と出会った際、彼女は躊躇なく風間に魔法を使用した。それもやけに対抗心を燃やしていたことも、風間は気づいていた。
しかしそんな彼女は今、自分の呼び方まで変えて礼儀よく接してきている。そのことに風間は違和感を感じていた。
——俺がここの監視役と知って態度を改めたのか。それならば別にいいんだが、何か引っかかるな。
人の気持ちを素直に受け取れない風間は随分と捻くれた性格になっていた。そして彼自身その自覚がない。
「はい。私と、戦ってくれませんか?」
その言葉に、風間は少し大きめに見開いた。そして同時に納得もした。
——なるほど。最初からそのつもりだったわけだ。となると今まで出てこなかったのは俺の分析力を測っていたのかな?
それを踏まえた上でどんな戦い方をしてくるのか、風間はこれまで感じたことのない高揚感に溢れていた。
迅る気持ちを抑え、風間は平穏を装いながらクロウ先生を一瞥した。
「クロウ先生、ああ言ってますが、いいんですか?」
クロウ先生も経験したことのないことなのか、初めて悩む素振りを見せる。少し目線を鬼灯に移した先生はスッと風間に向き直った。
「そうですね、先生と生徒間の戦闘行為は原則禁止なのですが、実技の授業の一環ということであれば問題はないですね。ですので風間先生がよろしければ、彼女の申し出を受けても結構です」
——原則禁止か。よくそんなことを先生の前で提言したな。だがそれだけこいつは向上心があるということか。
風間は鬼灯が自分に出した申し出についてクロウ先生の説明を受けて驚いていた。この学園に来てすぐ、鬼灯が決闘している際に校内ランキングというものが公式であれ非公式であれ、存在していることを知った。そして鬼灯がそのランキングの上位者であることも聞いている。風間はそんな生徒が校則違反すれすれのことをしてまで自分に対戦を申し込んでくるなんて思っても見なかった。
——俺と戦うメリットがどれだけあるのか。どう考えても校則違反と取られた際のデメリットの方が大きいと思うが。しかしそれにしてもさっきのクロウ先生の言い方、どうも俺を試そうとしている気がする。俺がここに応募する際に出した履歴書には目を通しているだろうが、彼はまだ俺の力を見ていないからな、気になるのは当然か。
風間は先ほどのクロウ先生の発言を気にしていた。これは不甲斐ない戦い方を見せれば学園長に力不足であると報告されるのではと警戒感を強めた。
「分かりました。恐らく生徒たちも気になっていることでしょうから、相手をしましょう」
風間がそう答えると、今まで俯いていた生徒たちが一斉に風間と鬼灯の方を向いた。風間の表情はいたって平穏で、これから戦うことに何も恐れていない様子。
変わって鬼灯の顔は険しく、力強く目の前の相手を見つめている。早く手合わせをしたいのか、どこか落ち着かない様子だ。
風間もそれを悟ったのか、間髪入れずにこう告げた。
「そういうわけだから、いつでもどうぞ」
変わらず余裕に振る舞う風間を力強く睨みつけた鬼灯はキリッと真剣な表情に変え、右手を横に構える。
「大気よ、研ぎ澄まされし大気よ、我の元に収縮し、敵を切り裂く刃となれ! 気刃功!」
——気刃功か。空気を圧縮し鋭利な刃物のように飛ばす術式。さすがは学内上位の生徒だけあって、練度は申し分ない。だがそのせいで、随分殺傷能力が高いぞ、この技。直撃を喰らえば腕ぐらいは持っていかれそうだ。
風間は一瞬クロウ先生を横見する。特に動いていないところを確認し、自分でなんとかしなければならないことを再認識する。
——止める気はない、か。まあこれぐらいなら容易に対処はできるが、万が一のことは考えないのか?
疑問に思う風間だったが、クロウ先生の反応を受けて鬼灯の方に向き直った。未だ迫り来る風の刃を目視し、右手を翳す。目をぐっと閉じ、意識を集中させる。
「収束……解放」
口ずさんだ瞬間、仰いだ手から鬼灯が放ったのと同じ風の魔法が放たれ、気刃功の全てを打ち消した。
「ふぅ」
小さく息を吐いた後、ゆっくりと目を開けた風間が見た光景は、目を閉じる前と大分違っていた。
まず違ったのは観戦していた生徒たちの表情。最初は熱心に鬼灯を応援していた生徒たちや、風間を恨めしく睨んでいた生徒たちで溢れていたが、今は驚愕の目に変わっていた。
側から眺めていたクロウ先生も少し驚いた様子だ。
しかし一番表情が変貌したのは、対戦相手である鬼灯だった。
鬼灯の脳内では、様々な感情が入り混じり、いろいろな情報を一気に取り込んだことで処理しきれず困惑していた。
混乱していた理由は大きく分けて二つ。一つはいとも簡単に技を返されたこと。展開速度と照準精度には自信があった鬼灯は、それらがいとも簡単に相殺されたことに衝撃と苛立ちを覚えていた。まるで今まで自分がやってきたことが無駄だったかのように余裕に振舞っている目の前の相手がとてつもなく彼女を苛立たせた。そしてもう一つは風間が展開した魔法の方法だった。
「い、今風間先生詠唱してたか?」
「いや、多分してなかったと思うけど。でもどうだろう、ちょっとは詠唱してたような?」
「でも明らかに短かったよな? それに鬼灯と似たような術式なのに、詠唱が全然違ったぞ」
観戦していた生徒たちが言うように、風間の詠唱は鬼灯のそれとは似ても似つかない代物だった。より簡略化され、しかし威力や精度をそのままに保っていることが、到底理解できなかった。
「あんた、今何やったの?」
気がつけば、鬼灯は疑問を素直に口に出していた。繕っていた言葉遣いさえも忘れ、ただ純粋に知りたいと思ってしまっていた。
「何って、どれのことだ?」
風間はなんの話をしているのか把握できず、質問で返した。
惚けた様子の風間に、鬼灯はさらに苛立った様子で補足する。
「さっきの術式のことよ! どうしてあんなデタラメな詠唱で私と同じ魔法が使えるのよ!」
「デタラメ……あぁ。まあ確かにデタラメと言われればそうか」
一人で何かを納得する風間。同時に鬼灯の苛立ちレベルも増す。
「君たちは多分用意された詠唱文を暗記して発動させてるんだろう。俺も昔はそれに倣っていたが、どうにもこっちの方が楽でね。覚えなくていいし」
「だからどうしてそんな適当な詠唱で発動させられるのよ! 魔法を発動させるには座標固定、魔力充填、魔力コントロール、そして詠唱が必要だ。だけど本来はもう一つ必要なものがある」
「必要なもの?」
「魔法そのもののイメージだ。詠唱文とはつまり、そのイメージをサポートする役割を担ってるんだ。気づいていたかどうかは知らないけど」
魔法が作動するには様々なものが必要とされる。
まずは発動するために必要なエネルギーとなる魔力。精神力を基本とする魔力は使えば使うほど精神が疲弊し、切れかけると強烈な睡魔が襲ってくる。睡眠を取るか体と頭を休めることで魔力は回復していく。
次に必要なのが座標固定、および軌道設定。どこで展開させ、どのように動かすのか。これは魔法が発動できる状態まで準備した時、最後に設定するもので、資格情報を頼りに脳内に、あるいは詠唱の合間に入力する。この作業が早ければ早いほど魔法の展開速度は上がっていく。
しかしそれを制御するにはそれなりの修練とセンスを必要とする。例えるならバスケットボールのシュートのコントロールだ。シュートに必要な要素はボールを放つ際の斜角、必要な筋力の使用、目標へと合わせる照準能力。実際の試合では周辺の選手たちの状況も目視で確認しなければならないが、それらすべてを一瞬で判断し実行しなければならない。同じような感覚が、魔法行使時には起こっている。
その複雑な魔法行使の手助けをするのが、詠唱である。詠唱文を唱えることで頭が自動的に魔法のイメージを膨らませ、魔法を展開した時の様子を想像させる。例え魔法の構築を正常に組み、必要な魔力量を充填、座標固定まで完璧に行っても、イメージが実際の魔法と合致しなければ術式は発動しないか思わぬ形で具現化することになる。
だから通常は鬼灯がそうしたように、詠唱文はその魔法を表すような文面になっている。これらは昔の魔法使いたちが初めて使用した時に用いられた文面で、大抵は同じ文面か、少々アレンジを加えた自分用の詠唱文を詠む。
しかし風間の詠唱文は少し特殊で、その魔法を表すような文が一つも入っていない。彼の詠唱はその術式を発動させる為の、ただの工程を詠んでいた。
「要するに、詠唱文なんてなんでもいいんだよ。自分がイメージできれば。極論を言えば、イメージを他の作業中にできれば、詠唱なんていらないんだよ」
「なっ!!」
言葉を返そうと思っていた鬼灯は、思わず言葉を失った。
風間の言っていることは理解できたが、納得は一つもできなかった。
自分は今までずっとコツコツと勉学に励み、強くなろうと一生懸命に詠唱文を憶え、技術を高めた。毎日血の滲む思いで練習し、失敗を重ねて得た知識と感覚。積み重ねてきた苦労を、否定されたような気がして鬼灯は非常に複雑な心情だった。
——しかしこんなことを言うと現職の先生たちは怒るんだろうか。もう少し発言には気をつけた方がいいか?
風間はクロウ先生の顔色を横目で伺い、少し自分の発言を後悔した。
——さすがに無責任なことを言いすぎたな。教えるのは俺の役目ではない。先生たちにも仕事がある。それを奪ってしまうようなことはしてはいけないな。
深く反省しつつ、自分の対戦相手である鬼灯を見つめる。彼女の心の異変にも気づいた風間だったが、彼女については深く考えないことにした。
——どうやらこいつも、何かを抱え込んでいるみたいだが、別に俺は先生でもなんでもないし。そういうのは現職のクロウ先生に任せよう。
面倒なことが嫌いな風間は余計なちょっかいは出さないと決めた。わざわざ自分の仕事を増やすようなことを、彼は絶対にしない。
「なるほど、よーく分かったわ」
——今、何か呟いたのか? 声が小さすぎて聞き取れなかったが。
鬼灯の急な変わり様に風間は違和感を覚えた。
常の彼女なら自信たっぷりに、透き通る様な声で発言するはず。しかし今の彼女は俯きながら、何かをひたすらに口ずさんでいる。
——これは、本格的に何かを抱えてるな。
鬼灯の心理状態を解析していると、もう一つ違和感を覚えた。
——魔力が、充満していく? あの女の周りで、ぐるぐる回っている。
瞬間に風間は理解した。
鬼灯が、本気で向かってくると。
「纏え、追風。その風で我が総身を急進させよ。風装・舞風」
鬼灯は大きく蹴り込み、目にも留まらぬ速度で駆けた。そのまま風間の周りをぐるぐる回り始め、視界に入らないよう移動し続ける。
——撹乱か。だがこれだけでは終わらないはず。次にどんな攻撃が飛んでくる?
警戒しつつ、自らの周りに風を収束させる。いざという時に風を飛ばすか纏って攻撃に備えるためだ。
「貫け、素槍。風を纏いて敵を穿て、螺旋夢槍」
目を凝らさなければ視認できないほど透明な槍が空中に幾つも現れ浮遊する。その全てが風間一人に向けられている。
さらに鬼灯が移動しながらも展開し続けるので、その数は見る見るうちに増えていく。
防御しなければ串刺しにされる風間は速やかに魔法を組み上げにかかる。
「収束……座標固定……転回」
無数の不可視の槍が迫り来る中、風間の周りで異常な気流が発生する。その気流はどんどん勢いを増し、やがて竜巻のように体を囲った。唸りを上げながら回転する暴風は、放たれた風の槍を全て飲み込んでいった。飲み込まれた槍はその勢いを無くし、風間に届くことはなかった。
——螺旋夢槍か。昔はこういう攻撃系の魔法をよく使っていたな。最近は魔法自体使ってなかったが。
懐かしさを噛み締めながら、しかし防御に最適の魔法は確実に選ぶ。
そして未だ竜巻が吹き荒ぶ中、風間はさらに思考を巡らす。
——防御することには成功したが、このままじゃ防戦一方で終わらないな。俺も久しぶりに攻めに転じていくしかないか。といってもあいつもずっとこの周りをぐるぐる回って様子を伺っているようだし、どうしたものか。
慣れない状況と展開に、風間は初めて戸惑いを見せた。素早い動きを見せる鬼灯をどう捉えるか、その方法を竜巻の中心で考える。
あの速度の彼女を捉えるのは容易なことではない。それは風間も十分に理解している。しかし常に受け身でいても鬼灯の攻撃は止まらない。そして面倒なことが嫌いな風間にとって、受けなくてもいい技を受けまくるほど面倒なことはない。
竜巻の勢いが落ち着きを見せ始める。これは設定した魔力量を全て消費しかけているというサイン。つまり後数秒ほどで魔力が切れ、風間を守護している竜巻が姿を消す。
——そろそろか。まあこの辺りでいいだろう。
ある策を思いついた風間は早速脳内で魔法術式を組み始める。約2秒ほど目を瞑った後、ゆっくりと右手の人差し指を天に仰ぐ。
「収束」
それは風間が術式を発動する前に行う、大気を集めてくる所作。あらゆる魔法を使う際に、必ずといって良いほど踏む手順の一つ。
作業の中、渦巻いていた風が凪いだ。途端に生徒たちが風間の姿を視認することができた。そしてそれはつまり、戦闘中の鬼灯にも見えているということ。
風が邪魔で攻撃に移れなかった鬼灯はここぞとばかりに駆け出した。そして竜巻で発動できなかった術式を解放する。
「風よ、我が五体を媒体とし、一筋の槍と成せ。風身薙」
駆ける鬼灯の体を風が覆い、やがて彼女の足が浮いた。
回転をし始める鬼灯。その姿は詠唱文通りの、まるで槍が投擲されたような格好だった。
——風身薙か。風の力で自らの体を高速回転させ、槍のような鋭さと勢いで相手に向かっていく人間槍。風のみだと消されると気づき自分の体を使ったか。本当に色々とやってくるな。
感心しつつ、しかしちゃんと相手から目をそらさず意識を集中させる。集中が途切れれば今編んでいる最中の魔法も途切れてしまう。そうなれば風身薙の魔法を防ぐことができなくなり、体に大きな穴が空いてしまう。
——体に穴が空くってレベルの話じゃないな、あれを食らうと。だがこうして攻めてきてくれたのは僥倖だな。この魔法をそのまま使うことができる。
準備が完了し風間は早速術式を解放する。
「座標固定、風圧調整……術式解放」
唱えた瞬間、上空で圧縮された大気が一気に地上に押し寄せた。しかしただ下降してきたわけではない。ある一箇所にだけ集中して降りてきているのだ。
その一箇所とは、鬼灯と風間との中間地点。ちょうど、鬼灯が風間を貫くために通ってくる進路上だ。
高速回転を続ける鬼灯が、風間が設定した座標に辿り着いた瞬間、圧倒的圧力が貫く寸前でその動量を止めた。
「もう良いかな。術式解除、及び回転風装」
魔法を解除したおかげで鬼灯は上空から押し寄せてきた圧力からは解放された。
しかし押さえつけていた突風の残りは風間の手に集まり、手の周囲を高速回転し始める。
凶器と化した自身の右手を接触しない程度に突っ伏したままの鬼灯に近づける。
「発想は悪くなかった。だがもう少し改善できるな。まあ頑張れ。術式解除」
口少なく感想を述べ、右手に施した術式も解除する。
一つ小さな溜め息を吐いた風間は改めて生徒たちの反応を確認する。
「あの風間って先生、もしかしなくても物凄く強い人なんじゃないか?」
「あの鬼灯さんが手も足も出ないなんて。先生たちにも負けず劣らずのレベルだって聞いてたのに」
「ていうかあの先生の魔法展開術はマジでどうなってんだよ! あんな展開式、習ってねえぞ!」
皆様々な感想は持っているが、共通しているのは風間の評価を一新したことだ。
授業が始まる前は風間を下に見ていた生徒たちもその認識を変え、先生となるにふさわしい実力を有していると意識を改めた。中にはその圧倒的と言わんばかりの戦闘能力と経験値の差に、恐怖さえも覚える生徒たちも出始めた。
そしてなんとなくその生徒たちの反応を察した風間は気づく。
——少し、やりすぎたか? 恐怖心まで覚えさせるつもりはなかったんだが。
鬼灯との戦闘を目の当たりにし、生徒たちは少し風間と目線を合わせるのを避けている様子だ。異変に感づいた風間だったが、もう引き返せないと諦めそのまま進めることにした。
「今日はこんなところかな。次の時間からは授業で学んだ項目を実践してもらうことになる。それで良いんですよね、クロウ先生?」
「え、えぇ。その通りです」
「そういう訳だから、今日は解散。俺はこれから君たちの情報を整理しなければならないので、ここで失礼させてもらう」
そう言い残し、風間は足早に校庭を去った。
もちろん、生徒たちの情報を整理するつもりは毛頭なかった。そもそも風間は生徒たちの名前を覚えてなどいない。そんな彼が今得た情報を紙に写すことなどできるはずがなかった。
——いや、そういや俺でも生徒の一人は憶えていたな。珍しいこともあるものだ。
そんな彼でも記憶に残っている人物がいた。
それは彼が戦った相手、鬼灯である。
出会って数時間もしない間に二度も戦闘を行っている相手だけに、人の名前を憶えない風間でもかなり印象に残っていたようだ。
同じ系統の魔法を使い、自分をライバル視し戦ってでも自分より優れているということを証明したがる生徒。印象に残らないはずもなかった。
——もしかしたら俺は、とんでもないところに来てしまったのかもな。
後悔先に立たずとはよく言ったものだ、とどこか他人事のように今の自分を見つめていた。深い考えもなくここに就職を決めた風間だったが、その決断を悔いることになるのではないかと感じる時間だった。
——これから毎日生徒たちの動向を見ていかなければならないのか。ただの監視役なら楽だと思っていたが、そこで指導もしないといけないなら話は違ってくるな。
人に何かを教えることなどしたことがない風間にとって、生徒たちとのやり取りは面倒以外の何ものでもなかった。風間自身、人に教わることも苦手で、全て感覚だけで乗り切ってきた。そんな性格だったからか、学生時代、魔法理論を始めとした公式が出てくる科目は悉く点数が悪かった。『憶える』ことが苦手だった風間は、逆に『覚える』ことが得意だった。
しかしそれ故に人に教えることができない。言えることがあるとすれば、「感覚で理解しろ」くらいだからだ。
——俺、ここでやっていけるのか?
心配の種が増えていく一方だった。




