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——まったく。勝ったのはいいが、まさかこいつが暴走するとはな。常に冷静だと思っていたが、ここ一番の時に平静を失うとは。まあ因縁の相手だから仕方ないのかもしれないが…。
側から二人の戦闘を眺めていた風間は、鬼灯の顔に鬼気迫るものを感じ、無性に嫌な予感を感じ、気がつけば足を動かしていた。
しかしその感のおかげで、なんとか既のところで鬼灯の暴走を止めることが出来た。惨事を防げたことに、とりあえず風間は肩をなでおろした。
ここで改めて戦っていた二人の様子を伺う。
未だに興奮が収まらないのか、肩で息をしながら恨みがましく流也を睨みつける鬼灯。勝利の余韻に浸ることもなく、ただ純粋な恨みをぶつける様を見て風間は悲しくなった。
もう片方を見やると、そこには体育座りでビクビク怯えながら惨めに震えている流也の姿。先ほどまでの余裕はその影すら見えず、情けない男が一人座り込んでいるようにしか映らなかった。
——鬼灯が勝つことは予想していたとはいえ、まさかこんな結果になるとはな。この格好を見てると、これ以上追い詰めるのが可哀想に思えてくる。まあ、だからと言ってここで終わらせるわけにはいかないけれど。
少々予想外の展開になったとはいえ、結果としては鬼灯の勝利という風間達の求めていた展開には違いなかった。そしてこれでようやく計画を最終段階に移行することができると、風間は安堵した。
「朱李? 今のは一体?」
現れたのは四十代前半の夫婦とみられる男女。口を開いたのはその女性の方だ。夫婦共々、一体どんな状況なのか、理解に苦しんでいる様子だった。
言うまでもなく、この二人は鬼灯の両親である。そしてなぜこの場に二人がいるかと言うと。
——ふむ。どうやらイースの方は間に合ったようだな。タイミングはばっちしだ。
イースがこの戦いより以前に別行動し、鬼灯の家から二人を連れ出していたのだ。もちろんこれも、事前に打ち合わせしていたことである。
鬼灯の両親がこの場に呼ばれた理由。その理由は明白なものだった。
「お母さん、お父さん! 私、婚約を破棄します!」
当事者と証人がいる中で宣言することで、双方にとって引けない状況を作ることができる。そしてここで正式に婚約破棄となれば、流也も諦めざるをえなくなる。それこそが、風間達の望んでいた状況だった。
後は、流也に破棄を認めさせるだけで、計画は完遂となる。
「ちょ、ちょっと朱李? 何言ってるの? 散々話し合って、お互いに納得したじゃない。それに破棄なんてしたら、私たちの生活が…」
その返答は予想の範囲内だった。もちろん何も説明もなく納得してくれるなどとは思っていない。
それが分かっているのでまずは鬼灯から説明を入れる。
「お母さん、お父さん。私気づいたの。私は、私より強い人が好きだってこと。一緒にいてお互いに高め合うことができて、常に一緒に上を目指せる相手がいいってこと、私は今気づいたの。だから地角先生はダメ。彼は、私より弱かったから」
「そ、そんなこといきなり言われたって。私たちだってずっと準備してきて、もうすぐに婚約できるところまで整ったのに。それを全て壊してしまうの?」
「地角先生とじゃ、私は幸せになれない。お母さん達は、私の幸せを望んでないの?」
「そんなことないでしょ? そんなことはないけど…」
母親は言葉を選ぶように黙りこくってしまった。
娘の幸せを願わない親は存在しない。しかし娘の幸せを取れば、結果的には家族全員が不幸になるかもしれない。その二つを天秤にかけ、葛藤している。
それなら、その不幸になる要素を除いてやれば、天秤は一気に傾く。娘の幸せの方に。
「取り込み中のところ失礼。少しいいですか?」
傍観を決め込んでいた風間が、ここで両親の方へと歩み寄っていった。鬼灯の両親は知らない人物からの言葉に、急には返答ができなかった。
「おっと、これは重ねて失礼。自分は風間と言いまして、ここで実技の時間の監督させてもらっている者です。この件に関しては無関係だとお思いでしょうが、少しお二人に話しておきたいことがありまして」
「話しておきたい、こと?」
「はい。実は鬼灯くんの奨学金について説明させていただこうかと思いまして」
「奨学……金?」
その言葉に、二人の肩がピクッと反応するところを風間は見逃さなかった。相当に困窮していたせいか、金、という言葉には異常なほど敏感になっているようだった。
「はい、奨学金です。この件につきましては、私なんかより、もっと上の人から聞いた方がいいでしょう」
そうして話を終え、風間は後ろへ目配せする。それは先ほどから風間が感じ取っていた、とある人物の存在だった。
その人物はゆっくりと校舎から現れ笑顔で風間達の元へ歩み寄り、そしてゆったりとした口調で口を開く。
「私から説明しましょう」
それはロザリー学園長その人だった。にこにこと柔らかい笑顔を振りまきながら風間の方へ目配せする。
「どうやらあなたの思っていた通りに事が運んだようですね」
「まあ概ねは、はい。これも学園長のおかげです」
「私は何もしていません。全てあなたと、私の大事な生徒達がやった事です。風間先生。今回の件、ありがとうございます」
「いえ。一番頑張ったのは、あいつだと思うんで」
「ふふ。あなたを雇って、本当に良かったわ」
そんな言葉を残し、ロザリーは両親に説明を始めた。
実はこの戦いの数日前に、風間は学園長にこの件について話をしていた。鬼灯の境遇のこと、流也との婚約の話、そして自分たちの計画のこと。その全てを学園長に話し、そして相談していたのだ。
相談する際、風間は鬼灯家の事情も話していた。彼女が経済的に困窮していたことと、そこに付け込まれて婚姻を持ち込まれたことを説明し、なんとか彼女に奨学金という形で学園側から援助できないかと申し出た。もちろんただ援助するだけでは他の生徒達に不公平となってしまうので、ちゃんとした理由付けも怠っていない。
風間は鬼灯の奨学金を申請する際、彼女の優秀な成績を挙げていた。成績優秀、加えて実技も生徒の枠から大きく抜け出るほどの実力を持った鬼灯がこのままでは学園を去ることになってしまう。その危険性を挙げ、それが学園にとってどれだけの痛手となるかを述べた。学園が鬼灯を宣伝材料に優秀な人材を学園に呼び込む事ができる点を推し、彼女への奨学金を認める事がどれだけ学園の利益に繋がるかを(彼なりに)熱弁した。
そして学園長は、特例措置として、これを認めた。奨学金を出すメリットが鬼灯にあると判断したからだ。
彼女を説得するのに一時間を要したが、それ以上に難航することを想定していた風間はその早い決断には驚いていた。しかし同時にある可能性を思いついた。
——もしかすると学園長は結構前から奨学金のことを考えていたんじゃないだろうか。いくら何でも一時間で決めるには早すぎる案件だ。おそらく前から鬼灯の事情のことは知っていて、前々からこの準備をしていた、なんてことも考えられるな。まあ、今更どうでもいいことだけれど。
重要なのは、鬼灯が奨学金を得られることで、困窮していた生活面を流也の援助なしで支えられることだ。これで、流也が盾にしていた金の問題を解決することができた。
作戦が成功し、一安心したところで流也を見やる風間。奥歯を噛み締めながら、悔しさを露わにしている様子は甚だ滑稽だった。
「そうね。あなたにはあなたの道があるわ。私たちにはお金がない。だからあなたには辛い道を選ばせたかもしれない。でも朱李のおかげで私たちの、そして朱李自身の道ができた。もう私たちにはあなたにあれをしなさい、これをしなさいなんて言う資格はないわ。これからは、あなたの好きに…」
「ちょっと待ってください!」
学園長の説明を受け、鬼灯の自由を認めた母親の言葉を遮ったのは、未だ尻餅をついている流也だ。風向きが向かい風になっているのを感じたのか、すかさず反論を入れてくる。
「待ってくださいお義母さん、お義父さん。話が違うじゃないですか。私はちゃんと鬼灯を幸せにしてみせます。それにちゃんと不自由のないよう金銭面の面倒は僕が見ます!」
「悪いけど地角先生、今回の件、なかったことにしてもらえませんか? 実は前々から娘の方から言われていたんです、まだ結婚したくないと。確かにあの時は家庭事情が苦しくお受けいたしましたが、本当は本意ではなかったんです。そして金銭面の問題が解決した今、私は娘を自由にしてあげたいと思っています。ですから申し訳ないですが、今回はご縁がなかったということで…」
「ふざけないでください! 私は今までずっと準備をしてきたんですよ⁉ もう式の段取りとかも決めているんです! そんな簡単に婚約破棄なんて、認めません!」
——ふむ、やはりゴネてきたな。まあこれで納得するとはこちらも思っていない。
金銭面の問題を解決しただけで、流也が納得するはずがないと風間達は読んでいた。そんな簡単に引き下がるようなやつなら、そもそもこんな、相手を脅して自分の欲望を満たすような真似はしないだろうというのが風間達の見解だ。
今更流也がどんな御託を並べても鬼灯の両親が意思を変えることはないとは思ったが、いいタイミングであると踏み風間は二人の間に割って入った。
「さて。地角先生はどうしても鬼灯が諦めきれない様子なので、ここで完全に諦めてもらおうと思います」
「貴様…風間! これも全て君の企てなんだな! 鬼灯のお義母さん、お義父さん、あなた達は騙されているんです、この男に! 全てはこの男、風間が仕掛けた罠なんです!」
「確かにそれは否定しません。こうなるよう先生に罠を張ったことは事実です。ではその証拠に、もう一つ鬼灯の両親に、そして他の皆さんにお見せしましょう」
「な、何を見せると言うんだ?」
流也の声色は明らかに震えていた。風間がまだ何か隠し持っていたことを知り、恐れを成したのだ。しかしすでに鬼灯の家庭状況の問題を取り除いた今なら、風間を恐れるには十分だった。
全員が風間に注目する中、彼はポケットから手に収まるサイズの何かを取り出した。細長く、いくつかのボタンがある、電子機器のようだった。
「そ、それは…」
それが何であるか気づいた流也は、思わず言葉を漏らした。
「はい。ボイスレコーダーです。よくあるでしょ? 相手に悟られないように相手の言質を取るなんてこと。皆さんのお察しの通り、これは自分と地角先生の会話を録音したものです」
「き、きさまっ!」
「おそらくこれを聞けば、地角先生がどのような人間なのか、鬼灯のご両親はすぐにご理解いただけるものと思います」
丁寧な口調で、風間はボイスレコーダーを鬼灯の母親に渡す。その際、手間を省くため再生ボタンを押してから手渡していた。
封印の解かれたボイスレコーダーは、その音声を再生し始める。
『…君の言った通りだよ、風間。僕は資金援助を条件に鬼灯との婚約を取り付けた……よっぽど金に困っていたんだろうな…』
それは風間がイースから鬼灯の事情を聞いた後、流也に確認のために話を聞きに言った際の流也との会話の内容だった。その際、風間はいずれ必要になると思いイースにボイスレコーダーを用意するようお願いしていた。全ては、一番効果的な時に使うためだ。
『……鬼灯の気持ちを蔑ろにしても婚約を成立させたいのか?…………向こうが別れを切り出してきたら支援を止めると一言伝えればいいだけだ。それだけで問題は解決さ』
再生を終えた後に待っていたのは、長い沈黙だった。
誰も、何も発しなかった。
流也は放心状態といった感じで、もはや言葉すら出せない状態だった。
鬼灯の両親もまた、その会話を受け、一体何を言えばいいのか必死に探している様子。内容を知っていた3人以外、一体どう反応すればいいか、見当も付いていなかった。
須田に戦意を喪失している様子の流也に追い打ちをかけるのはなんだか忍びない気持ちになる風間であったが、ここで止めるわけにはいかないのでその沈黙を作った者としてきちんと最後の仕上げに入ることにした。
「これで地角先生がどのような理由で鬼灯さんに近づいたのかが分かっていただけたと思います。非常に残念ではありますが、彼は最初から鬼灯に目を付け、金銭面で苦労していることを知り彼女に近づきました。そこで金銭を援助するという甘い言葉をかけ鬼灯を自分のものにしようと画策していました。別に罪を犯したという訳ではありませんが、そこに歪んだ愛があるのは確かです。ですから婚約を決めてしまう前に、ちゃんと相手のことを理解してから進めて欲しいと思ったのです。どうか、娘の幸せを考え、慎重な判断をしてください」
風間のその演説に、流也は噛み付いてこなかった。自分の本性を相手に知られ、もう何を言っても信用されないと悟ったからだ。あの会話を聞けば、自分は常に裏で何かを画策していると誰もが勘ぐる。自分の言葉にはもう、なんの意味もないと、流也は諦めた。
「地角先生?」
短く、鬼灯の母親が流也に尋ねる。
「……はい」
今までにない弱い声音で、流也は応答する。
「今回の婚約、諦めてくれますね?」
「……はい」
同じ返事を、流也はただ繰り返した。




