ー
「まさか君とこんな形で戦うことになるなんて思っても見なかったよ。悲しいような、嬉しいような、今僕はとても複雑な気持ちだよ」
——白々しいわね、本当。よくもあんな涼しい顔で思ってもないことをすらすら言えるものね。私なんかはセリフをあらかじめ準備してたから嘘を盛り込めたっていうのに。
未だ涼しい顔を決め込む流也に嫌気がさす鬼灯。婚約を賭けた決闘だというのに微塵の焦りもなく飄々としている様は見ていてイライラが募っていった。
——あいつのペースに乗せられたらダメ。もしかしたら私の油断を誘うための演技かもしれない。あくまでいつも通りに冷静になって戦わなくちゃ。
流也との戦いのシミュレーションを何度か風間と繰り返し、一人になっても何度も繰り返しこの日の為に準備してきた。最初は失敗続きだったが、繰り返す度に動きが洗練され、強くなっていくのを感じていた。そしてそれは自信にも繋がり、自分には勝てないと思っていた流也の前にこうして立つことができている。
——しっかりしろ、朱李。ここであいつを倒して忌々しかったあの婚約を全てなかったことにするんだ。
集中力を高め、目の前の相手に集中する。
シミュレーションは幾度となくやってきた。その通りに行くとはさすがに鬼灯も思ってはいないが、その通りになるよう相手の行動を誘導していくことが重要であると風間から教えてもらっていた。
それがどれだけ難しいことなのか、実践せずとも彼女は分かっていたが、もしそれが可能ならばシミュレーション通りに事を運ぶことができる。多少無理をしてでも試してみる価値はあると鬼灯は睨んでいた。
ただし、それ相応のリスクもあることはすでに風間に忠告を受けていた。
——誘導に失敗すればそこからどんな攻撃プランを考えているかが相手にバレる。もしバレなくても何か仕掛けてくることを察され警戒度をあげてしまう。そうなればそれだけで倒すことが困難になる。
風間から受けた忠告を脳内で復唱し、気合を入れ直す。
「しかし相手をするからには全力でいかせてもらうよ。多少痛い目に逢うかもしれないけれど、そこは我慢して欲しい」
「心配は無用よ。負けるつもりなんてこれっぽっちもないから」
「そうか。それなら本気を出しても構わないね」
突如、流也の足元の砂がサラサラと地面を這い始める。それが戦いの始まりの合図であると、鬼灯はすぐさま行動を開始した。
一気に横に跳んだ鬼灯も流也に倣うように魔力を込める。自身の周辺に大気を集中させ、中密度の風溜まりを形成する。
「気刃功!」
その技は以前風間との戦いで使用したものと同様の術式だった。ただ違う点は、今回のは詠唱文がだいぶ省略されているというところだ。
一番初めの授業で、詠唱文とは術者が展開する術のイメージをしやすいように唱えるものであって、正しい詠唱文なるものは存在せず、必ずしも必要なものでもないということを学び、鬼灯はこの時のために詠唱文を簡略化していた。
最初はそんなことで術式が展開するのかどうか半信半疑だったが、練習するに連れてそれが嘘ではないことを知り、寝る間も惜しんで修練に励んだ。しかしそのおかげでこうして、自身でも長いと感じていた詠唱文を省略することができ、他のことに気を回せる余裕ができた。
「悪いけれど、その程度の技は僕には届かないよ」
殺傷性すらある風の刃を避ける動作すら見せず、流也は涼しい顔でこの風を土壁で防ぐ。
「母なる大地、堅牢なる岩壁で我を守れ。土流城塞」
それは風間との戦いで風間の風の連撃を防ぎきった鉄壁の防御壁だった。風間の高威力の魔法を防いだだけあって、鬼灯の攻撃も物ともせず術者を守りきった。
——やっぱり土は風にとっては相性の悪い相手ね。あの壁がある限り小手先の技は通じないって感じね。
自分が一生懸命完成させた技をいとも簡単に防いでしまう強固な壁を卑怯に思いつつ、次の手を考える。
——確かあいつと戦ってた時、この防いでいる間に詠唱してたのよね。それも風使いにとっては対処が難しい、相手術者の土壁での全方面包囲。
二人の戦いを思い出し、より慎重に行動することを心がける。
おそらく流也は今風間を倒した術式を組み上げている頃だ。そうなると鬼灯はそれを逃れるために動くか、術式が完成するまでに術者を妨害し完成を阻止しなければならない。
どう動くべきか、考えている間に二人を隔てていた壁が音と立てて崩れ去った。つまりは、流也の準備が整ったということでもあった。
「悪いけど、これで終わらせてもらうね」
自信に満ちた言葉で、流也は言い放った。同じ方法で風間を倒したという実績と誇りが、彼の言葉には表れていた。
「硬楼檻」
流也が展開した魔法は鬼灯が思っていた通り、風間が受けたものと同じ、自分を土壁で囲う術式だった。
——これが、あいつが見ていた世界なのね。全ての光が遮断されて、完全な闇が支配する世界。あいつ、こんな場所に急に放り込まれてたのね。でもその中で自分の答えを見つけて、次の攻撃を交わして見せた。私はあらかじめ対処法を教えられたからこうして平静を保っていられているけど、まったくなんの前情報もなかったら、きっと…。
想像するだけで鬼灯は身震いした。きっと自分は、動揺し思考を乱し、そして何もできないまま地角の攻撃をもろに受けているはず。
自分の弱さを感じずにはいられなかった。強くなったつもりでいたけれど、実際には何度もこうして劣等感を感じる場面に遭遇している。結局のところ、自分はまだ自分が思っていた程強くはなれていないのだと思うと同時に、別の考えも芽生えていた。
——やっぱりあいつは、風間は強い。私と同じ属性の魔法使いであるとは思えない程風を使いこなして、どんな場面でも臆することなく冷静に、そして柔軟に対応してみせる。今は確かに劣等感しか感じないけれど、もしかすると私もあいつくらいに強くなれるのかもしれない。
その劣等感を上回る、自分はまだ強くなれる、上を目指せるという向上心とやる気が彼女に溢れていた。風間という目に見える目標を得たことで、鬼灯は自分をさらに高みへと押し上げることができると確信した。
その為にも、絶対に流也を倒す。倒す、倒す、倒す。気がつけば、そのことばかりが、彼女の頭を巡った。
「集う大地、障壁を突き通る剛、この地に顕現せよ」
風間の言った通り、光は完全に遮断されているものの、外からの音が微かに中まで響いてきていた。そしてそれが地角がトドメの一撃として準備しているあの鉄球魔法の呪文であると理解していた。
——呪文の詠唱が始まった。仕掛けるならここだ!
それは鬼灯かこの日の為に練習を重ねてきた技法。術式を組み上げる魔法とはまた少し違う、風間ならではの応用方法。故に呪文などはなく、ただ純粋に自分が持てる風の魔法を最大限コントロールするだけの、単純な代物。
しかし単純であるが故に高度な技能が要求される技。それを今ここで、この大一番で繰り出す。
「悪いけれど、これで終わりにしよう。壊球槌!」
砂の檻に照準を合わせ鉄球を発射する流也。そして同時に彼は勝利を確信していた。
その時。
ドンッ! という音と共に砂煙が檻の側面から舞い上がった。この現象に流也は疑問に思った。なぜなら鉄球はまだ、檻に弾着していなかったからだ。
「風装・舞風!」
叫ぶと同時に、砂煙の中から鬼灯が飛び出してくる。そして一直線に流也の方へと接敵する。
「ば、バカな!」
初めて素っ頓狂な声を上げる流也は、予想していなかった出来事に咄嗟に動きが取れずにいた。
数瞬置いて放った鉄球が意味をなさないことに気がつきすぐに制御を解除し再び魔力を込め始めるが、その行動を取るまでに時間を取りすぎていた。
「はぁぁぁあああああ!」
鬼灯は手のひらに浮かせていた砂で出来た槍を構え、流也に向けて振り上げた。
「ま、参った! 僕の負けだ! だからこれ以上は…!」
しかし振り上げた手は止まることなく、そのまま力強く振り下ろされ、槍は一直線に流也に向かっていく。
「ウワァァアア! やめてくれぇぇええ!」
槍の切っ先が顔を覆う流也の手に差し掛かったところで、槍はその勢いをなくした。
「……はぁ。まったく世話の焼ける。これ以上面倒事を増やしてくれるなよ?」
そう言い放ち、なぜか二人の間に立っていた風間が槍を手に取りその場で放り捨てた。
「もう十分だ。流也は降参した。お前の勝ちだ、鬼灯」
「はぁ、はぁ。私は…私は!」
「言いたいことはなんとなく分かる。一発殴らせろとかそういう類だろう? 気持ちは分からなくはないが、ここは堪えろ。魔法使いたるもの、精神状況は常に把握し、抑えておけ。一時の感情に任せても、ろくなことはないぞ?」
「……わかったわ」
完全に平静を取り戻した訳ではなかったが、風間の言葉少しは冷静さを取り戻した鬼灯はそれ以上攻撃の意思を見せなかった。
しかしその視線は冷たく突き刺すように、座り込む流也に向けられていた。




