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一時間後。
とある飲食店のテーブルには満面の笑みでクレープを貪る少女と、突っ伏しながら煙を上げる男がいた。
少女から警告された男は、所詮はスイーツだろう、と高を括り特に気にせず聞き流していた。しかしいざ店内でオーダーを見てみると、男はその法外な値段に驚愕した。
「なぜたかがクレープが4桁もいくんだ。値段設定に悪意しか感じないぞ」
「だから言ったでしょう? 高いって。あぁ、でもこれ本当美味しい! 一度食べてみたかったの。一生手が届かないと思っていたけど、まさかこんなに早くありつけるなんて。この生活も悪くないわね」
「今すぐにでもこんな生活から抜け出してやる。こんな日々を続けていたら、間違いなく俺は破産する」
光の速さで噂が広まらないかと望まずにはいられない風間であった。なるべく早くこの件を終わらせて、報酬を受け取り関係を解消しなければ、自分はこの少女に全てを奪い取られるのではないかと恐れた。
「心配しないで。私も別に鬼ってわけじゃない。あんたも私と同じでそこまで裕福じゃないってことくらい知ってる。だからこんなわがまま、ずっと続けるわけじゃないわ」
さすがに気の毒に感じたのか、鬼灯がそんな言葉を風間にかける。内心では、自分のために様々な策を労してくれる風間には感謝していた。
そんな彼が酷くうなだれている姿を受け、彼女は少しでも慰めてあげようという気になった。
「全く。顔を上げなさいよ、こんなところを見られたら他の人に彼氏彼女の関係じゃないってバレるでしょ」
「それも……そうだな」
ゆっくりと首を挙げる風間に、鬼灯は持っていたクレープを差し出した。
「一口だけなら、上げてもいいわ」
「構うな。施しを受けるつもりはない」
鬼灯の申し出を、風間は一蹴した。しかし言うまでもなくこれは彼の強がりであり、カロリーを摂取できるならそうするべきだと彼も分かってはいた。
しかし鬼灯はこの程度では引き下がらない。さらなる追撃で風間を追い詰める。
「そんなつもりは毛頭ないわ。本当なら私も上げたくないけど、遠くで生徒たちが見てる。噂をさらに広げるためにアピールは必要よ」
鬼灯はテーブルの下で指を差し、風間は流し目に確認する。彼女が言うように、彼も同じ制服姿の生徒たちの存在を視認した。物陰に隠れているあたり、自分たちを監視する目的で潜んでいると考えるのが妥当であると風間は判断した。
「仕方がない。それでは一口貰うとしよう」
「言っとくけど、噛む大きさによってはもう一個買って貰うからね」
「わがままは続けないんじゃなかったのか?」
鬼灯が付け加えた一言に怯えながらも、差し出されたクレープを口にくわえた。いちゃもんを付けられぬよう、含む量の配慮を忘れずに。
一口含んだ瞬間、風間は大きく見開いた。
今まで自分が味わったことのない、未知の領域。ほのかな甘みのあるイチゴを包む優しいクリーム、そして付け加えられたさらなるイチゴのソースが甘さを引き立たせ、それら全てをまとめ上げる生地。絶妙なバランスを保ったその一品は、彼をみるみるうちに元気にさせた。これから数日、超がつくほどの倹約生活が待っているものの、これが食べられるなら一週間水と塩だけで生きられると錯覚させるほどだった。
——鬼灯が一生に一度食べたいと言っていた理由にも納得だ。これは確かに食べたいという欲望に駆られる一品だ。そしてこれだけの料理だ、他の料理も試してみたいという欲求も生まれてくる。これは、危険だな。
一度ハマってしまえばこの店の術中にはまってしまう。この店を危険指定点とし今後は近づかないようにと硬く心に決める風間。クレープに身を滅ぼされるなんて全く以ってご免だった。
「どう? 美味しいでしょ? この甘さがたまらないのよね」
「……まぁ美味いことは認める。但し、食べるのはこれで最後だ」
「すぐにお金が底をつくものね、まあ仕方ないわね。あはははっ」
陽気に人の境遇を笑う鬼灯だったが、自分も人のことは言えないだろうと風間は内心呟いた。むしろ彼女の方が切迫した状況ではないかと指摘したいところだった。
しかしそんなことを言ってしまうとせっかく上機嫌になっている彼女の機嫌を損ないかねないのでその旨は胸の内に伏せておいた。これ以上無茶な要求をされない為の彼の判断だ。
もちろんそれが第一の理由であったが、実際はもう一つ理由があった。そして風間自身、そう思っていたことが意外だった。
——こうも幸せそうな顔をされると、横槍を入れるのを躊躇ってしまうな。こんなこと、感じたことがなかったな。ここに来る前の俺なら何も考えず口に出していたんだろうか。




