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高校生が随分と早く将来を決めるものだな、と風間は感嘆とした。その辺のことを全く考えていない自分よりも、大分成長しているんじゃないかと焦りさえ感じた。
「その訳というのは、朱李ちゃんの家庭事情が深く関わってるんです」
「家庭事情か。複雑なのか?」
「複雑、というほど入り組んでいる訳ではないんですが、朱李ちゃんの家は、その……あまり裕福な家庭じゃないんです」
さすがに自分の友達の家の事情を暴露するのは気が引けるのか、言い難そうに言葉を紡いでいく。
風間はと言うと、別段気にしている様子もなく、淡々とイースの話を聞いていた。
——なるほど。あいつも貧乏だったのか。一見してそうは見えなかったが、分からないものだな。しかし、それを聞くと不思議と親近感が湧くな。
「その、そんな家庭事情からこの婚姻の話が持ち上がったんです。申し出は、地角先生側から受けたみたいです」
「流也の側、から? あいつの家と鬼灯の家は親戚か何かなのか?」
「いえ、そういうわけではないようです。理由までは分かりませんが、何らかの経緯で知ったのだろうと思います。でもそこは重要じゃありません」
「どういうことだ?」
「問題なのは、なぜ地角先生側がそのような申し出をしてきたかです」
言われて、風間も少し考えを巡らせる。
鬼灯の家の経済状況は芳しくなかった点と、その鬼灯家に婚姻を申し出てきたことを照らし合わせると、見えてくることがある。
まず最初に、流也の家はそれなりに裕福な家庭であることが伺える。そうでなければ鬼灯家もそのような申し出を了承するはずがないからだ。
そしてそのことから、この婚姻は困窮した鬼灯家の経済状況を改善するべく結ばれたものだと推察できる。地角家との繋がりを持つことで鬼灯家は少なからず資金援助を受けられるということだろう。
しかしここで疑問として浮かび上がる点が一つ存在する。それは、この婚姻で地角家にどのような利益、メリットがあるのか。それは聞いただけでは非常に不明瞭だ。
——確かに流也は生徒に慕われている教師だ。だが果たして一生徒を救うという名目で資金援助をするものか? それにただの資金援助なら婚姻なんて必要ないはずだ。借用書でも作って金を貸すという方法だってあったはずだ。
なぜか腑に落ちない展開に、風間は頭を悩ませる。どう考えても流也側に婚姻するメリットがない。
唯一考えられるとすれば、それは……
思いついて、風間は少し息を呑んだ。
「どうやら先生も気づいたようですね。地角先生は恐らく、朱李ちゃんが好きです。女性的な意味で。そうでなければこの婚姻に説明がつきません」
「少し、話を飛躍させすぎなんじゃないか? まだ他に理由があるかもしれない……」
「ですが先生も考えたのでしょう? そして導き出したのが、この答えなのでしょう?」
図星を突かれ、風間は止むを得ず言葉を切った。
確かにイースの言う通り、考えられる理由は恋愛感情しかないと風間は解釈した。しかしそれは二人が行き着いた結論であって、実際にそうと断定できる要因はない。あくまで想像の域を出ないのだ。
しかし仮にそうだとしたら学園にとっても大きな問題になる。もしこれが大きな騒動を呼び民衆に知れ渡れば学園はその火消し作業に追われることになる。もしそうなるとまたしても自分の職が危うくなってしまう。学園としてもそういう事態に陥れば資金を工面する為にコスト削減を行うはずと風間は考えた。そしてまず削減されるとすれば、削減がしやすく額も大きい人件費、そして非正規雇用の自分がまず切られるだろう。風間は恐怖で身が竦む思いだった。
「百歩、百歩譲ってそうだったとしよう。仮にそうだったとして、俺やお前に一体何ができる? 婚姻を取り下げてくれと頼みに行くのか? そんなことしたって何の結果にも結びつかないぞ?」
「それを二人で考えようと思いまして先生に話を持ってきたんです」
「何となく、そんな予感はしていたよ」
風間は思わず頭を抱えた。
こんな権力も金もない奴に一体何を望んでいるのか、そう言ってしまうと余計に悲しさがこみ上げて来るので胸の内に潜める風間。しかし言葉に出さなかったとは言え、そんなことを考えてしまった時点で既にそれなりの敗北感は味わっていた。
「では聞くが、お前は一体どうしたいんだ?」
どうにも自分は力になれそうにないのでイースが何かしらの解決策のイメージくらいは持っていないかと探りを入れる。もしかするとそこから妙案が浮かぶ可能性もある。
しかしそこで風間はふと気づく。
イースの反応が少しおかしい、と。
何やら体をもじらせ視線を泳がせながら落ち着かない様子だった。
これには何かある。直感で理解した風間は考えを改めた。
「いや、やっぱりいい。恐らくろくなことを言わな————」
「では言っても、よろしいですか?」
なよなよしていたかと思うと今度は急に顔を近づけ力のこもった目で風間の顔を覗き込んだ。
——藪蛇だったか? むしろ蛇が出てきてくれた方が幾分か気は楽だな。
だが風間には彼女の発言を止める為の材料が手元にはなかった。解決案が自分の中にないので、案があると申し出た彼女の言葉を止めることはできない。
まあ聞くだけなら、そんな軽い気持ちで風間は返答した。
「わかった。言ってみろ」
「はい。私考えたんですけど、ここは先生が朱李ちゃんとくっつけば丸く収まると思うんです」
「……すまない、言っている意味があまり理解できていない様だ」
「ですから、先生が朱李ちゃんと付き合っていることにすれば、婚約そのものが破棄されるんじゃないかと」
「あのな……お前、本当は何も考えていないだろう?」
「ちゃ、ちゃんと考えてますよ!」
「だったら分かるだろう? それは絶対に通らない話だって」
「ど、どうしてですか? これでも昨日の晩ずっと考えて出した結論なんですよ?」
こんなことを考えている暇があったら自分なら確実に睡眠時間を取るだろうと半ば呆れながらイースを見やった。その顔は真剣そのもので、冗談で言っている様には確かに見えなかった。だから余計に風間は無駄なことをしている彼女が残念でならなかった。
「一応聞いておくが、二人が婚約したのはいつ頃の話だ?」
「そうですね、およそ二ヶ月ほど前でしょうか」
「その時、俺はこの学園はおろか、この街にすらいなかった。そんな奴とどうやって付き合っていたと言い張るつもりだ?」
「それは……気合いでなんとか」
「それで物事がなんとかできるなら気合い論の科目が足されていることだろうさ」
彼が思っていた通り、イースは親友を助けたいという気持ちが強すぎて、単純なことを見落としてた様だ。
そう、どう考えても二人が付き合っていたなどという既成事実は作りようがないのだ。
それは誰にでも分かる嘘で、そんなことを言いふらし回っていれば確実に評価は下がり、学園にいられなくなるだろう。
「じゃあどうするんですか? これ以外に手はないですよ」
「……だがなぁ、その選択肢はどうも気乗りしないというか。そもそもそんなことをするメリットが俺にはない」
「それもそうですね。それじゃあ先生にも何か見返りの様なものを用意しないといけませんね」
「見返り、だと?」
その言葉に風間は大きく耳を傾けた。
彼女が通うマギウス学園はそれなりに名の通った学校であり、入るにはそれなりの学費が必要だ。もちろん奨学金などで学費を工面している生徒もいるだろうが(鬼灯はその例だろうと風間は推測する)、そこそこの家柄の者でなければ入れない。
思わず生唾を飲む風間。
教員ではないとはいえ、世間的に一般常識と言われる知識は持ち合わせているのでそういった行為が許されているものではないと頭では理解している。
しかし誘惑というものはそういった常識というものを歪ませるもので、思わず思い浮かべた見返りが現金という形で彼の視界を埋め尽くした。
「ふふっ。それでは交渉に移ってもいいですか?」
見透かした様にイースがダメ押ししてくる。
しかし最早風間には彼女の申し出を断ることはできなくなっていた。
「……お前は、本当にどこまで知っているんだ。あいつのことや、俺のことまで」
「ふふふっ」
イースはただ笑うのみだった。




