四神噺.女優、稲浪?
「うおっ! な、なんだこれ?」
部屋に入ると、真っ黒な梱包BOXが置かれていた。
「我のであろう。 会長からじゃ」
送り主に神坐天照と書かれていた。
「ああ、稲浪の着替えとかか。って、何で部屋の中にあるんだよ」
家の住所なども聞かれてないし教えてもいない。ましてや部屋の鍵はきちんと施錠していたにも拘らず、荷物は部屋の中に置かれていた。
「相手はNBSLじゃ。かようなことをするのは容易いと言うものじゃ」
「そう言われると、そんな気がするのが恐いな」
呆れたような稲浪の言葉。だが今日面談した所長を思い返すと、どこか妙に信憑性を感じていた。
「さて、じゃあ夕飯の支度をしますか」
「うむ。我も空腹じゃ」
闘いの後で空腹もさらに増したのだろう。荷物を確認している稲浪を見ながら、隼斗は夕餉の支度に精を出していた。
「よし、こんなもんで良いだろ」
ダイニングキッチンのテーブルに二人分の料理を並べると、夕餉となった。朝食のこともあり、今度は隼斗も稲浪と揃って手を合わせ、箸を持った。
「うむ、やはり隼斗の腕は確かなようじゃな。美味いぞ」
「それは良かった」
お世辞ではないようで、稲浪の箸は次々と進んでいた。
「なるようになるんだなぁ、現実って」
「ん?」
不意に隼斗が呟き、味噌汁を啜っていた稲浪が視線を隼斗に向ける。その目はどういうことじゃ? と尋ねているようだ。
「いや、ただ、今でも本当は夢を見てるみたいだなって思ってさ」
稲浪以外の神子を見て、闘いに近いものも見た。今更稲浪に何を言うておる、と呆れられても、笑って過ごすくらいだが、それでも、新鮮さと同時に懐かしさのようなものも感じる。
「我もすんなりと赫職と出会うとは思うてはおらなかった。その気持ちは分からんでもないが、これは誠であり、我と隼斗はここにおるのじゃ」
てっきり自分の言葉を一蹴する言葉が返ってくると思っていた隼斗には、意外な答えが返ってきた。
「会長には、人間社会と言うものを我らは調整を受けながら教えられてきた」
「そうなんだ?」
「うむ。我らは人間の生活環境とは異なる生形を営んでおる故、人間社会に溶け込むには時間が掛かるのじゃ」
「異なる生形?」
人間ではないということは理解していたが、どのような生き方をしているのか、隼斗は興味を引かれた。
「我らは、会長が言うておった通り、物の怪と言うものの所以となる者じゃ」
「妖怪の仲間とかじゃなくて?」
稲浪が隼斗の言葉に笑う。
「では隼斗は妖怪を見たことがあるのか?」
「いや、ないけど」
そう言うのは物語や伝承などの話で生まれた想像上の生き物で、自然災害や信仰宗教などでの話だ。聖書などもどこか教えを強要するような教科書のようなものだと思っている人間もいるが、あれは世界で一番出版数の多い物語だ。道徳本のようなもので、中身はぶっちゃければ、小説などと指して変わりない。そこに空想のものとして登場するものが妖怪などだ。誰も見たことがあるはずがない。
注目を集めようと愉快犯のように、空想を現実に夢見る人間がホラを吹くこともある。だがそこに存在はしない。生物学者にしてみれば、未だ発見されない新種程度にしか思われない。だが、人は夢を見、求める生き物。真っ向から否定する人間ほど悲しいものはない。
「我らの祖先は、このような力を有していたがため、人間とは隔離した社会を築き、独自に生き抜いてきた」
稲浪が箸を置くと、片手に狐焔を宿す。人魂のような青い焔。
「我は白狐。青き焔を司る者。故に我の祖先が人里に降りた際に、何かしら能力を使役し、それが人間の目に留まり、俗に言う人魂などと呼ばれ、恐れられるものになったのじゃ」
「そうなのか?」
確か人魂は、かつては土葬をしていたため、腐乱した死体には多くの微生物が有機物を無機物に分解する際に発生するガスが地中から湧き出て、地上の空気との化学反応によって一瞬発火する現象だと、科学的に言われていた気がする。
「無論、今隼斗が思うておることも真の理の一つなのじゃろう。じゃが、我らの言うこともまた真なのじゃ」
嘘をついているような表情ではない。伝えられてきたことを話しているだけのようだ。
「じゃあ、他の神子ってのも、稲浪みたいなものなのか?」
「うむ。じゃが、我もほとんどの神子とは面識がない。どう言う輩がおるのやは計り知れぬ」
そう言って稲浪が肉じゃがのジャガイモを頬張る。見た目は陶磁器の西洋人形なのだが、和食を美味しそうに頬張る姿は、気品もあるが、少々滑稽にも見えた。
「我らは人間とは環境が異なっておった。そこにNBSLが現れ、各地におった生き残りを高天原嶌へ集め、人として姿を維持出来るよう研究し、神子と呼ぶようになったのじゃ」
今日まで色々と種族間での問題もあり大変じゃったが、と言う稲浪の言葉は、隼斗には理解を超える話ではあったが、聞き入っていた。
「我も能力開花させ、しばし同種族と共に力を学び、ここへ来た。早々と人間社会に出ていったものも多いが、未熟な輩がほとんどなのじゃろう」
隼斗が頷く。つばさも稲浪がそう言っていた通りなのか、闘う術がない状態だった。他にもそういう状態の神子がいる可能性があるということがあるのだろう。
「そういう輩は人間社会に対しての調整が曖昧でおることも多く、馴染めぬ者もおろう。我は調整に手間がかかり、相成ってある程度の常識と言う知識は身につけたのじゃ」
「色々あるんだな、神子っていうのも」
「うむ。それを知ることも赫職の役じゃ」
いまいち曖昧だった神子と言うものの存在が、徐々に見えてきた。それでもまだまだ知らないことの方が多そうだけどな。
「そう言えば、稲浪。何で俺の家の前に蹲ってたんだ?」
所長さんの言う事が本当で、引き寄せられた運命の出会いであるとしても、あれは稲浪が俺を選んだと言うには、どう考えても微妙だ。
「あれか。あれはじゃな、演技と言うものじゃ」
「は? 演技ぃ?」
稲浪の妙な発言に、隼斗が小さく驚く。
「隼斗は我が傷ついており、情より我をここへ招いたのであろう?」
「あ、ああ」
稲浪の言う通り、隼斗はほとんど仕方ない、と言う情で稲浪を助けた。そして、そのまま赫職となった。そう思っていた。だが、稲浪はそれを演技だと言った。言ってる意味が分からないようで食指が止まっていた。
「我には姉がおる。紅き炎を司る妖狐、九稲と言う姉上じゃ」
「姉さんがいたのか?」
「うむ。我と共に高天原嶌で暮らしておった。そこで我は姉上に教わったのじゃ」
『良い? 稲浪』
『なんじゃ、姉上』
高天原嶌は島と呼ぶには随分と広く、多くの神子が新神話の創生のため、人間社会に溶け込む調整を受けていた。
『稲浪、あなたはね、ちょっとおかしな常識と高圧的って言うか、気が強いから人間社会に溶け込むには難しいんじゃないかなって、お姉ちゃんは思うの』
『何を言うか、姉上。我は会長の教えを全うしておる。何も案ずることはない』
神子たちには、NBSLの用意した居住空間を与えられ、一人や兄弟姉妹などとそこで調整を受けるために生活をしていた。初めはそれぞれ元来の、自然の中で静かに暮らす生き方をしていたが、その生活を徐々に人間社会に適応させるために、時間を掛けて生活環境を変えようとしていた。
『うん、そうは言ってもね。やっぱりお姉ちゃんは稲浪のことが心配なのよ』
自分は大丈夫だといくら言っても、姉である九稲はなかなか納得はしてくれない。
『あのね、もし稲浪のお目に適う赫職に相応しい人がいたら、稲浪はどうやってその人に赫職になってもらうの?』
人間の見た目での年齢にすれば、稲浪は十九、九稲は二十一ほどに見える。だが、九稲の稲浪に対する言い方は、小学生の妹に中高生の姉がこれからのことを経験者として語っているように見える。
『無論、そやつを捕まえて申し渡す』
稲浪の返答に、九稲が頭を押さえる。
『稲浪、そんなやり方じゃ、赫職のことを話すどころか、逃げられて、下手をしたら警察に捕まっちゃうよ?』
『なぜじゃ? 我は教えの通りを果たしておるだけじゃ』
何がいけないのかさっぱり稲浪は分からなかった。その様子に九稲が稲浪のこれからを思い悩むようにため息を漏らした。
『良い? 人間社会には、私たちのように色々な性格をした人がいるの。優しい人もいれば、酷いことを平気でする人もいるの』
『それくらいは分かっておる』
『そんな時に、稲浪の言うように赫職の申しをしても、それは相手の人にとっては、脅迫にしか思えないのよ? 赫職を選ぶのは、私たち。ただのえり好みで選ぶものじゃないんだよ? その人のことを守る強い思いが必要なの』
諭すような物言いの九稲。なかなか譲歩しない稲浪は頑固なのだろうか、それとも変識に左右されているのか、腕を組んで九稲の話を考えていた。
『稲浪、絶対に赫職になってくれる人を捕まえられる方法を教えてあげる。お姉ちゃんと一緒に人間社会に行こう?』
『そのような術があるのか?』
『うん、稲浪ならきっと大丈夫。だから、ね?』
『姉上が言うのであれば間違いはないのじゃろう。ならば従うまでじゃ』
『うん、お姉ちゃんがきっと良い赫職さんを見つけさせてあげるからね』
『うむ。分かった』
何だかんだで、稲浪は姉が好きなのだろう。何も疑うことなく九稲の言葉に頷き、九稲も自分の言うことを素直に聞いてくれる稲浪が好きなのだろう。稲浪に微笑んでいた。
「それで、姉上と共に赫職探しをしておった時に、隼斗を見つけたのじゃ」
「で、でも、稲浪、怪我してたよな?」
人情からであったものだと思っていた隼斗が、稲浪の語りに微妙な表情で自分の記憶を正当化しようと、思い当たることを稲浪に問う。
「あれは、姉上に言われて、故意につけた傷じゃ。翌朝には何ともなかったであろう?」
「・・・・・・そういやそうだな」
傷や血が滲んでいたが、翌朝目覚め、人の姿をしていた稲浪の肌はどこにも傷一つなく綺麗な肌をしていて、証拠に変化した狐の姿の時も、傷一つなかった。
「じゃ、じゃあ、あの傷は稲浪のお姉さんがつけた傷、なのか?」
「うむ。ここへ来た時に、数日掛けて隼斗のこの家と、赫職として姉上が見極めて、昨夜姉上に少々手ほどきを受けてついた傷じゃ」
「・・・・・・・・・」
じゃ、じゃあ何だ? 俺の善意は作られたものの中のことだったのか? 所長さんが言っていた通り、あの出会いは偶然なんかじゃない、運命と言う言葉をつけた意図的なものだったってことかよ。何だ? 俺ってピエロだったのか?
稲浪の真実の語りに、隼斗は呆然としていた。
「我は反対したのじゃ。そのような姑息な手を使うてまで、赫職を求めぬと。じゃが、姉上が人間の本質を見極めるためじゃと、そうしたのじゃ」
稲浪の口からは謝罪は出てこない。悪いとは思っても、隼斗がそれで減滅するとは思っていないような視線。その視線に少々騙された感に苛まれながらも、隼斗は嫌いではない、むしろその逆の容姿と性格を持つ稲浪が自分を選んでくれたことに対する嬉しさの方が勝っているようで、苦笑するだけだった。
「まぁ、じゃあ、結果オーライってことなのかな?」
「我は良い赫職と出会えたと誇れるぞ」
性的なことに対しては恥じらいを見せる稲浪だが、こういうことに対してはサラリと、思わず隼斗が言葉を良い意味で詰まらせる一言を口に出来るようだ。
「そ、そうか。それは光栄だな」
「うむ。だからもっと胸を張っておれ。我を神子にしたことを」
今までに付き合ったことのないタイプの女性に、隼斗は今までに感じたことのない新鮮味を堪能するように、夕餉を稲浪と共に楽しんでいた。
「そう言えば、稲浪はお姉さんとこっちに来たんだろ?」
「そうじゃが?」
ただ食欲を満たすために食事ではなく、稲浪はきちんとその一口一口を噛み締めるように食していた。
「それじゃあ、今はどうしてるんだ?」
「知らぬ。我を見届けると、姉上は自身の赫職探しに旅立ったのやもしれぬ」
「そっか。妖狐なんだっけか? 稲浪のお姉さんって」
「うむ。九尾と言う物の怪を知っておるか?」
隼斗の言葉に、どこか自慢げな表情を浮かべる稲浪。
「九つの尾を持つ強暴な狐ってやつか?」
「そうじゃ。伝承じゃ、悪者のように云われておるが、姉上は優しいのじゃ。仲間を守るためには力を厭わぬところもあるが、それは祖先の血を引いておる証なのじゃろう」
九尾の狐が悪く言われていたのかは、俺は知らない。それほどそういうことに詳しいわけじゃないから、稲浪の言うことの方を信じるけど。
「姉妹でも赫職の好みは違うんだな」
「どうなんじゃろうな。我は隼斗を選んだが、姉上は何も赫職に関しては応えてくれはしなかった」
稲浪も姉がどういう赫職を求めているのか知らないようで、小首を傾げていた。
「ま、良い赫職を見つけられると良いな」
「姉上のことだ。我らが案ずる必要はない」
稲浪の言葉を受けて、隼斗は頷いた。自分のことをきちんと確立している稲浪の言うことなれば、問題はないのだろう。隼斗もそれを理解しているからか、それ以上は何も言わなかった。
「ご馳走様じゃ」
「お粗末様」
満足げに稲浪の表情が穏やかだった。きちんと手を合わせ、感謝の挨拶を言葉にし、隼斗に満足げな笑みを見せた。
「片付けは我も手伝うぞ」
「それは助かるな」
二人はそれぞれの食器を片付け、稲浪がテーブルを拭き、食器の片づけを手伝っていた。
「何か、すっかり馴染んでるよな、俺たち」
そこに在る二人の姿は、昨日出会ったばかりとは思えぬほどの近い距離感があり、付き合いたての二人と言うよりも、一年以上の期間のある恋人のような空気があった。
「それだけ我と隼斗の相性が良いという表れじゃ」
「そうだと良いな」
隼斗の答えに稲浪が少々不満げな顔をする。
「なんじゃ、我を認めてはおらぬと言うのか?」
「そういうわけじゃない。まだ何日も経ってないんだ。知ってることよりも知らないことの方が多いだろ?」
何日どころか、まだ一日だ。さすがにそれで稲浪のことを全部理解したとは言えないし、稲浪も俺のことを何もかも分かってはいないだろ。
「そうじゃな。我のことも汝のこともおいおい知りゆけば良い」
「そういう事だな」
稲浪も納得したようで、二人はそのまま片づけを済ませていた。
「日本国に舞い降りし神子は、私たちを除いて九十四。うち、北海道・東北地方に一人。関東・中部地方に一人。中国・四国地方に一人。九州・沖縄に一人。そして、近畿地方に私。そして、行方不明の神子が一人。高天原嶌より解き放たれた神子は百。あのお方は何を思って、私たちをこの世界へ解き放ったのかしら」
はぁ―――、とため息を吐きながら、日本一の高さを誇るNBSLのビルの最上層にある電波塔の先端に立ち、強風の中で紅い長髪を大きく靡かせる女。大府大阪に遷都され、東京は衰退の一途を辿り、かつては反映に満ちた都会の風景も徐々に東日本の中心地と言う地位を失いつつあった。東京タワーとして名高かった赤い電波塔も、後に高層ビル群の増加に伴う電波障害を低減することを目的に新たに出来た、シルバーブルーの新東京タワーも今では赤字経営に陥り、赤い東京タワーは解体され、その跡地にはNBSLの東日本研究所が置かれ、新東京タワーだけがデジタル放送用の電波を送るタワーとして機能していたが、今では大府大阪にあるNBSLビルの方が日本一の構造建築物として、観光客を集めていた。
「あの方のデータによれば、全国に散った神子は、北海道・東北地方に十八人。関東・中部地方に二十四人。中国・四国地方に十四人。九州・沖縄地方に十二人。そして、近畿地方には二十六人」
多いようで少なくも感じる日本中に散開して行った高天原嶌から能力開花をさせた神子の数。
「この近畿での未だ婚いでいない神子は十六人。まずはこの子達の創生を見守ること、ね」
誰を思ったのか、女が微笑む。
「問題は残り一人の神子。所在は未だ不明。どの地域からも連絡がないとすると、隠匿しているか、ここにいる。そういうことになるのね」
不意に女の表情が険しくなる。
「しばらくは様子を見てみましょう」
そう言い残すと、塔の先端に立っていた女が姿を風と共に姿を消した。