十六神噺.こはくの忠言
久々に連載再開です!
他にも連載がストップしてる作品がありますが、今は文学賞用の作品を書いていたり、ここに掲載してる作品を執筆していたりとあまり時間がないので、しばらくは連載停止とさせていただきますことを、ここにお詫びします。
本作は、閲覧が多い作品なので、ユースウォーカーズやIfなどと共に連載していきたいと思います!
「すみませーん、遅くなりました」
今日のバイトが終わったのは午後五時過ぎ。多くの学生が下校路を賑やかに彩る。多少学生の若さに押されるようにつなぎから私服に着替えた隼斗は、太陽の丘へ来た。
『なんじゃここは?』
今朝、稲浪のテンションに多少疲れを見せつつも、親になった気分で隼斗は先日訪れた施設へ来た。
『まぁちょっと、待っててくれ。すみませーん』
物不思議そうに施設を見る稲浪を他所に、隼斗は出入り口から声をかけた。
『あらあら、おはようございます、隼斗君』
いつの間にか君付けに呼ばれる。そんなことにも気づかないくらいにこはくは大人びていて、朝から隼斗には潤いをもたらす。
『おはようございます。今日は、その、よろしくお願いします』
『はい、構いませんよ。それで、稲浪さんと言うのは?』
こはくが隼斗の背後に視線を向ける。
『むっ? 隼斗、こやつは誰ぞ?』
隼斗に呼ばれこはくを見た稲浪の表情は警戒に変わる。それは神子としてのものなのか、稲浪にとってこはくの美貌が脅威と感じ取ったのかは露知らずだが、稲浪は隼斗とこはくの間に立つ。
『この人がここの経営者さんだ。俺がバイトから戻るまではこの人のお世話になるんだぞ』
『経営者だんんて、大げさですよ。初めまして、稲浪さん。如月こはくと申します。ここで園長先生をしています』
こはくの少しだけ恥ずかしそうで嬉しそうな笑みに、稲浪は警戒するような、物見するような、何かが納得出来ないような表情だった。
『おい、稲浪、ちゃんと挨拶しろって』
それを失礼と感じた隼斗が、小声で囁く。
『主、何か臭うな?』
だが、稲浪はあくまでマイペース。隼斗の言葉などどこ吹く風だ。
『おっ、おい、稲浪。何言ってるんだよ』
隼斗はいきなり失礼を働く稲浪に焦ったようにこはくを見る。
『あら? あっ、いけないっ。お魚を焼いてたんだったわ。ごめんなさいね、すぐに戻りますから』
たったった、とスリッパ音を残してこはくが奥へと駆けていった。長い黒髪の残香をほのかに漂わせていた。
『うぬ? 我はそう言うつもりではなかったのじゃが……』
姿を消したこはくに、稲浪はやはりかすかに拭えない疑問に首を傾げていた。
『おい、稲浪』
『何じゃ?』
隼斗に呼ばれ、ようやく稲浪が振り返る。
『お前な、いきなり失礼だろ』
『それは分かっておる。じゃがの隼斗、何か臭うぞ、ここは』
稲浪に言われ、隼斗が鼻を鳴らす。
『確かに、ちょっと塩焼きの匂いがするな。今朝ごはんみたいだな』
入所した孤児の朝食なのだろう。奥から子供の声もちらほらと聞こえてくる。
『そうではない。我が言いたいことはそのようなことではない』
稲浪は隼斗の行動を一蹴する。それに隼斗は首を傾げる。
『ごめんなさいね。稲浪さんのおかげでお魚が焦げずにすみました』
ありがとうございます、とこはくが丁寧な物腰で笑む。
『ふぬ、そうか。それは良かったの』
戻ってきたこはくに、その笑みに稲浪は調子を狂わされたのか聞くに聞けないようで、その場はそう凌いだ。
『じゃあ、俺はバイトがありますので、稲浪のこと、よろしくお願いします』
『案ずるでない。我は任されたことは見事にこなしてみせるわ』
稲浪の自信に満ちた言葉に、隼斗は先日琴音宅の片づけを無事にこなしたことを思い出したのか苦笑し、こはくは嬉しそうに笑った。
『それでは稲浪さんには、子供たちの遊び相手をお願いしても良いですか? 私はまだ掃除と食事の片づけがありますから』
『うむ、任されよう』
そんな微笑ましいやりとりを耳にした隼斗は、改めてこはくに謝罪とお礼を言うと背を向けた。
『隼斗』
その背中に稲浪の声が降りかかる。
『ん? どうかしたのか?』
『妙なことに首を挟むのではないぞ』
『……分かってるって。じゃあ行ってくる』
昨夜のことを思い出したのか、隼斗も反省したように苦笑し、仕事へ急いだ。
それから数時間。朝陽だった太陽の丘も戻ってきた時には夕陽に包まれていた。
「はぁ、今日はしんどかったなぁ」
予約していた引越しが四件に、飛び入りだとかで急な配送が二件。いくらマッスルスーツを着用しての仕事って言っても、やっぱり疲れは溜まる。しなくても良い大金を手にしたとはいえ、早々一生遊んで暮らせるなんて出来るはずがない。夢見た世界の一つだけど、いざとなると俺ってダメだ。小市民には小市民の生活が染み付いてる。
「さて、稲浪はちゃんと出来てるのかなぁ?」
こはくさんの言っていたことが確かなら、まだ受け入れてる孤児は二人。見える範囲じゃ静かなものだ。遊び道具が散乱してるとか、子供の賑やかな声が聞こえることもない。インターフォンを押した。
《はい? どちら様でしょうか?》
こはくさんだった。
「こんばんは。風祭ですけど」
《隼斗君ですね? 今鍵を開けますから》
言い終える前にフェンスで区切られ、防犯用に閉じられていた門の鍵が開く音がした。
「静かなもんだな」
門を潜って中に入ると、まだ花をつけていない黒土に植えられた植物に、乾いた砂地、何かを設置でもするのか、杭が打ってあるだけで何もない、孤児院としてはいささか寂しい気もした。
「あ、こんばんは。稲浪を迎えに来ました」
「はい、こんばんは。稲浪さんは中にいますので、どうぞ」
艶やかな黒長髪を縛ることなく背中に滑らせて、その対極の白のワンピースと黒のパンツルックで、綺麗なお姉さんって印象が強くした。ほんと先輩の言う通り、ここで暮らす子供が羨ましいと改めて思うな。
「じゃあ、おじゃまします」
玄関には靴が七足あった。四足は子供用で、後はこはくさんと稲浪のだ。棚には活けられた花が少し爽やかで甘い香りを放ってた。そう言えば、琴音さんの部屋も似たような匂いがしてたな。
「これ、斉人っ。好き嫌いをするのは良くない」
「やだっ! これ嫌いなんだよっ」
いきなり怒声の応報が聞こえた。どう考えても一つは稲浪だよな?
「あらあら。ごめんなさいね。今夕食の時間なので」
こはくさんは苦笑するけど、俺の方がそうしたい。
「いえ、何だか俺が申し訳ないです」
稲浪が大人しくすると思うほうがおかしいんだよな。この数日で分かってたはずだ。
「そんなことはありませんよ。稲浪さん、私が思っていた以上に子供の相手が得意みたいですから」
そうやって本当に問題ないと笑ってもらえると、安心はするけど少し微妙な気分。
「ならん。男子たるもの、いかなるものであろうと出されたものは食す。これは人の世の語りだけではないぞ」
ぶっ。稲浪のやつ、今何言った?
「稲浪さんは面白いお方ですね。海外の方のような容姿なのに、古風な喋り方なんて」
「で、ですよねぇ? ちょっと変わってるんですよ」
あ、危ねぇ。どうにかばれてないみたいだけど、もっとちゃんと教えとかないといつか絶対変なこと口走るな、稲浪は。
「見てみよ、斉人。此芽は好き嫌いせずきちんと食しておろう? 女子が食せるものを斉人が食せぬわけがなかろう?」
「斉人君、これ、おいしーよ? 食べないならわたしがもらっていーい?」
どうやらここに居るのは斉人という男の子と此芽という女の子みたいだな。こはくさんに可愛がられるなんて男として羨ましいぞ、斉人。って、そうじゃないな。
「だ、ダメだっ! これは俺のだから、俺が食べるのっ」
「うむ。それは汝のじゃ。己のものは己が食す。それでこそ恵みへの慈しみと感謝に繋がるのじゃ」
あれ? けんかが始まるかと思ったんだけど、何か和解?
「隼斗君、不思議な表情をしてますよ?」
「あ、いえ……」
笑うこはくさんについてガラスドアを通る。広く明るいダイニングに三人が四人がけのテーブルに座っていた。斉人君と此芽ちゃんは普通の子供らしい格好だってのに、稲浪だけは朝の、神子服姿で一人浮いてる。
「そう言えば、稲浪さんの服装は奇抜ですよね」
こはくさんがさも今気づいたように俺に言うけど、絶対俺の趣味とか思ってそうな笑顔だ。何か恐い。
「えぇ、まぁ。あいつ、ああいう服が好きらしいんですよ」
言えるはずがない。俺が赫職で稲浪が神子で、よく分からないまま創世に参加させられて神子が訳分からない力を使って闘って、勝つ為に闘うんです。なんてさ。俺の頭が弱いみたいに思われるに違いない。
「そうなんですか……」
こはくさんはそう言いながら、静かに稲浪を見つめていた。その横顔は綺麗で思わず見とれた。
「……いてっ!」
「は〜や〜と〜ぉ。主、来ておるならまず我に言葉を掛けるべきではないのか? 何をデレデレこはく殿を見ておるのじゃ?」
いきなり即頭部にカツーンと痛みがあった。同時に足元に何かが落ちた。プラスチック製のスプーンだ。ついでにそれから顔を上げた瞬間、嫌に鋭く嫉ましそうな視線で俺を貫く稲浪がいた。
「あらあら、稲浪さん? 食事中に物を投げるだなんてお行儀が悪いですよ?」
俺が拾おうとしたスプーンを、こはくさんが屈んで拾った。長い髪が床に広がった。やばい。屈んだだけなのに可愛いと思ってしまうくらいにその姿が綺麗だった。
「そ、そうだぞ稲浪。そんなことをしたらダメだろうが」
「う……ぬぅ?」
ごまかすつもりで言ったんだけど、何だか急にダイニングの空気は冷たくなった?
「お夕飯の時はみんなで仲良く、好き嫌いせずに食べましょうね? もちろん、ォ夕食に使うスプーンを投げてはいけませんよ?」
「はーい。でもでも、ママ先生ぇ。俺食べたよ。美味しかった」
「私も私もぉ。ママ先生のご飯、とってもおいしーよ」
こはくさんが腰を上げて、俺を見ることなく手にしたスプーンをダイニングに連なる対面式キッチンの流しで洗う。俺からは壁で見えないけど、斉人君と此芽ちゃんはこはくさんの優しい物言いの忠告にお互いに背中越しに元気だ。稲浪のさっきの誘いの言葉に乗せられた斉人君もしっかり食べたみたいで、そこは稲浪に感心した。
「ねっ、稲浪さん?」
「う、うむ。すまなんざ。我としたことが、猛省しておるからに、こはく殿よ……」
でも、対面式キッチンに正面を向いて一人座ってる稲浪だけは、二人とは表情が明らかに違っていた。
「稲浪?」
「は、隼斗よ……」
対声をかけて近づいた。
「兄ちゃん、だれー?」
「だれぇ?」
すると、斉人君と此芽ちゃんが俺を見て首を傾げた。
「お兄さんは、稲浪さんの恋人さんなのよ」
「えっ? ちょっ、こはくさんっ?」
背後からの俺と稲浪の関係を勝手に吐露したこはくさんに振り返ると、にっこりとやっぱり見惚れる笑みのこはくさんがいた。
「うふふっ、照れなくても良いんですよ」
いや、照れてるわけじゃないんだけど。どうもこの人のペースには逆らえないと言うか、自分のペースを維持出来ない。稲浪もどうしてかこんなに笑顔の綺麗な人を前に、凄んでるというか恐れてるように俺を見てくる。
「それで稲浪。さっき俺を呼ばなかったか?」
縋るような、救いを求めるように見てきた気がしたんだけど。
「い、いや。我の気のせいであったようじゃ」
何でもない、と稲浪は食事を終え片付けを始めた二人を他所に、テーブルを拭いた。変な稲浪。
「おい」
「ん?」
不意に体が少し右に傾いた。袖を引張られた。斉人君に。どことなくどっかの誰かに雰囲気が似てるような。
「ママ先生はな、俺の嫁だっ! 兄ちゃんになんか渡さないからなっ」
は? 何だ? いきなりのその告白は。
「あら? まぁ、うふふっ」
こはくさんはほほえましそうにこっちを見て微笑んでる。
「いや、俺は別にそんなつもりはないよ」
「そーだよ。お兄さんには、かのじょ、がいるんだもん」
「うぬ? 何じゃ、此芽?」
ほらほら、と此芽ちゃんが稲浪の背中を押して、俺の方へ連れてくる。稲浪も困惑したように俺と目を合わせる。
「やっぱりお二人は仲がよろしいのですね。この子達もそう思ってるみたいですよ?」
「そーだよ。お兄さんはママ先生より、稲浪お姉ちゃんが大好きなんだもんね」
決め付けられた。状況がイマイチ理解出来ない。でも、漂う空気から、何となく斉人君からはこはくさんに近づくなよ、と鋭い視線を浴びるし、此芽ちゃんは俺に稲浪が好きだよね? と者素顔笑顔だけど、その目がどうしてか笑ってるようには俺には見えない。
「うむ。無論じゃ。我と隼斗は契っておるからの。誰であろうと入る隙などないのじゃ」
なぁ、稲浪。俺はお前のその都合の良い事への反応が羨ましいよ。俺にはどうしてか此芽ちゃんにもこはくさんに近づくなって言われてるよう泣きがしてならないってのに。
「こらこら、斉人、此芽。隼斗君たちをからかうのはそれくらいにしなさい」
「はーい。でも、ママ先生は俺と結婚すんだから、あんま仲良くすんなよ」
「お兄さんは、稲浪お姉ちゃんと幸せになるんだよ?」
斉人君は裏表がないんだろうな。此芽ちゃんは怒らせるときっと恐いタイプだ。可愛い子供と言う印象が崩れてきたな。
「えーと、何かお邪魔みたいなので、俺たちはそろそろお暇しますね」
さっさと帰れ。そう言う視線が下からチクチク刺さってむず痒い。
「そうですか? ではお見送りしますね。斉人、此芽、二人はお風呂の支度をしておいてね」
こはくさんに言われて素直に二人が部屋を出て行く。俺に睨みを効かせて。一瞬だけど。
「今日は稲浪をありがとうございました」
玄関先まで見送りに来てくれたこはくさんに、もう一度頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、稲浪さんには掃除と子供たちと遊んで頂いて、私も随分と楽をすることが出来ました。それにごめんなさいね」
にっこりと笑うこはくさんが、苦笑に変わって俺に謝罪した。
「あの子達は、両親に捨てられたと言うことを自覚しているみたいで、私がまたそうするんじゃないかって、きっと恐怖を感じている部分があるんです。あんなことを言うのは気を悪くされたかもしれませんが、愛情を求める子供の思いつく方法の一つですので、あまりおきになさらないで下さい」
その一言に俺が感じたことがフラッシュバックして、改めて思い直した気持ちを当てはめると、今度は微笑ましさすら覚えた。なるほど。愛情に飢えた子供は愛情を欲する為、己に出来ることをする。斉人君が俺を嫌煙するのも、此芽ちゃんが稲浪と俺を異様にくっつけようとするのも、二人にとって俺が大好きなママ先生を取ろうと近づく不貞の輩とでも思ったから、出来ることをした、か。
「うむ。子供は何も知らぬ。だからこそ、気に留める必要はない。我も隼斗と別れた後は奇異の目で見られたが、時経つ後に我への警戒も解けた」
稲浪も最初はそう思われたのか。まぁきっとその格好のせいもあるんだろうけど。
「ええ。可愛いらしい子でこはくさんが羨ましいですよ」
「まぁ、隼斗君ったら」
うふふ、と気品ある笑みを浮かべるこはくさん。やっぱり綺麗だ。この後あの子達はお風呂か。
「これ隼斗。何を鼻の下を伸ばしておる」
「いってっ!」
「あらあら」
稲浪に足を踏まれた。なかなか痛い。
「こはく殿よ。また我は来ても良いか?」
「ええ。いつでもいらして下さい。大したおもてなしは出来ませんが、あの子たちも楽しみにしていますから」
稲浪はまた来る気があるらしい。まぁ迷惑を掛けなければ俺はそれで良いけど。
「それじゃ、失礼します」
「ハイ、お気をつけてお帰り下さい」
「うむ。さらばじゃこはく殿」
物腰穏やかな一礼を背に受け、俺たちは太陽の丘を後にしようとした。
「隼斗君、稲浪さん」
門を出て閉めようとしたら、こはくさんに呼び止められた。笑顔ではなく、凛とした大人の女性の風貌で。
「今宵よりの三日間、夜間の外出はお控え下さい。お仕事が入り用であろうと」
冷めたような視線。穏やかな空気を無数に張り詰めさせた糸を纏うように白い緊張を感じた。
「え? それってどういう……」
「? よぅ分からんが、忠告に感意を示すぞ」
「では、またいつでもいらして下さいね」
そしてこはくさんに笑みが戻った。稲浪の会話に阻まれ、俺の疑問は風の中へ消えてしまい、改めて聞きなおす間もなく、稲浪が俺の腕を引いた。