十三神噺.二人きりの夜
「なぁ、やっぱり今日も、だよなぁ・・・・・・?」
隼斗が歯磨きを終えると、やはり先にベッドインしている稲浪がいた。
「何を突っ立っておるのじゃ。早う入れ」
ポンポン、と稲浪が自分の隣を叩く。一昨日と昨日の二日で、既に稲浪の中ではそうすることが当たり前だという認識が出来上がっていたのだろう。はは・・・・・・、と乾いた笑いを浮かべ突っ立っている隼斗に、隣を叩いて早く来いと急かしている。
「やっぱり布団、出そうか?」
生活には慣れてきた感はあっても、さすがに一緒に寝るってのは、なぁ?
「必要ない。隣が空いておるのじゃ」
稲浪が布団を出そうとしている隼斗を止める。
「いや、でもな。さすがにやっぱ、マズいだろ?」
隼斗とて、まだまだ盛んな時期。いくら自分と結婚にも似た、赫職と神子として契りを交わしたとは言え、その見た目は明らかに欧米の美人だ。毎日毎日同じベッドで床を過ごすことは、少々苦しいとでも思ったのだろう。
「何がマズいのじゃ? まだ我に遠慮しておるのか?」
稲浪がこうじゃなぁ・・・・・・。さすがに大人しく寝るって言うのは厳しいだろ。
稲浪の何も分かっていない無垢な表情に、隼斗が心でため息を吐いた。
「やっぱり、俺は布団で良い。稲浪はベッドを使ってくれ」
稲浪の首を傾げる様子を見て、隼斗が押入れの中に入れていた来客用の布団を取り出す。
「何故じゃ? 隼斗は我と寝るのが嫌なのか?」
「嫌じゃないけど、さ。男には色々あるんだよ」
口に出せないことがな。色々と稲浪のことを知って、嫌いになんかなっていない。むしろその逆だ。だからそこ、分けるところは分けないと自己抑制が狂う。そんなことして稲浪に幻滅されるようなことはしたくない。
「何じゃ。そんなことか」
隼斗の言葉とその様子を稲浪が見て、体を起こす。
「そんなことって・・・・・・」
「ここは隼斗の家じゃ。我と隼斗以外には誰もおらぬ」
それが問題なんだって。稲浪は分かってないんだよなぁ。
「別に恥じることも、遠慮もいらぬ。我を欲するならば、我は構わぬ」
「ぶっ!」
稲浪の言葉に隼斗が噴出す。
「隼斗は我を抱きたいのじゃな?」
何処にも曲がらない真っ直ぐすぎる直球に、隼斗が動揺の色を隠せない。
「我と隼斗は契ったのじゃ。番も同じ。自然なことじゃろう? 神々もそうして世界を創造したそうじゃ」
透け透けのネグリジェ姿で稲浪がそう言うと、誘っているようにしか隼斗には聞こえないようだ。どこかで聞いた覚えのある話を交えて。
その言葉が隼斗の理性を決壊させたようで、布団を出した隼斗が稲浪の隣にベッドに入る。
「・・・・・・・・・」
ベッドに入ったは良いが、急に理性を取り戻したのか隼斗が、稲浪と顔を見合わせて見つめあう。
「どうしたのじゃ?」
稲浪が何もしてこない隼斗に不思議そうに見てくる。
「あ〜・・・・・・〜〜〜っ!」
隼斗が心の中で葛藤しているようで、やがて、稲浪に背を向けた。
「ライトオフッ!」
隼斗がそう言うと、部屋のライトが消えた。
「? 隼斗?」
自分に背中を向けて、電気を消すと、そのまま大きく息を吐いた隼斗に稲浪が声を掛ける。
「やっぱダメだ。俺が赦さないし、赦せない」
寝る、と隼斗が稲浪に背を向け目を閉じる。どうやら隼斗の心の中で、自制を呼びかけた天使が勝利を収めたのだろう。据え膳食わぬは男の恥。そう言う言葉があるが、隼斗にしてみれば、ただ創生に巻き込まれ、稲浪と赫職と神子と言う関係が出来、それに甘える形で情事に走ることが赦せないかったのだろう。相手の承諾の上のこととは言え、時間を掛けて気づいた関係でのことじゃなければ、隼斗は嫌なようだ。
「ふふっ、全くおかしな奴じゃな」
背を向ける隼斗に稲浪が笑う。暗闇に微かに見える隼斗の頭と肩。小さくなっている。
「っ!」
隼斗が背中感じる温もりに緊張を走らせる。
「どうじゃ? 温かいじゃろう?」
「い、稲浪・・・・・・?」
稲浪が隼斗の背に寄り添い、腕を回してくる。首筋に感じる稲浪の吐息に隼斗が息を呑む。
「今、隼斗は情けないだとか思うておるのじゃろ?」
図星のようで隼斗が声を漏らす。まぁ、稲浪が良いと言っているにも拘らず、何も出来なかったのだ。男としてのプライドが崩れたも同然なのだろう。
「己を責めるでない。我は幻滅などしてはおらぬ。嬉しいのじゃ」
ギュッと稲浪が腕に力をいれ、さらに密着してくる。
「正直、あのまま隼斗が迫れば、我は隼斗を突き飛ばしておったやもしれぬ」
稲浪が小さく笑うのを、隼斗は身を硬くして驚く。
「我はそういった経験がない。良いとは言うたが、それなりに不安もあるのじゃ」
心臓の音でも聞かせようとするように稲浪が隼斗にくっつく。
「ドキドキしておるの、隼斗」
どこかおかしそうに稲浪が隼斗の耳元で笑う。
「そ、そりゃあ、な」
言葉を詰まらせる隼斗。鼻腔をくすぐる香と体温と感触を否応なく感じさせられると、先ほど押し殺した感情が再び湧きあがる。それを必死に押さえているようだ。
「我も同じじゃ。聞こえよう? 我の心音」
自分のがドクドク脈打ち、稲浪の心音なんか聞こえないって。
「隼斗は我を思うて、己の欲を押さえた。我を気遣ってのことじゃろ?」
全てを見透かすような稲浪の言葉。だが、それにも自信が満ちている。
「隼斗はそのことを思って、昨夜も今宵も我と寝床を共にすることを躊躇ったのじゃろう?」
「・・・・・・まぁ」
照れ臭さに隼斗の声が小さくなる。
「姉上によく言われておった」
「ん?」
振り返ろうにも腕を回され、体を密着させられ、隼斗は 背を向けたまま稲浪の話に耳を傾ける。静か過ぎる暗闇の中に漂う空気が少しだけ落ち着く。
「稲浪はもう良い年をしてるんだから、一人で寝られるようになりなさい、とな」
自信に満ちた稲浪の声が、徐々に静かになる。酷く優しさを含んでいるように隼斗には聞こえた。
「こういう話をするのは、得意ではないが、我は今まで一人で寝たことがない」
「一人で?」
「うむ。父上、母上が我が幼き頃に他界し、以来我は姉上と二人で生きてきたのじゃ」
「稲浪にも両親がいるんだ?」
てっきり大郎さんが、産みの親だって言ってたから、作り出したとかそういうのだと思った。
隼斗の言葉に稲浪がコツン、と痛くない頭突きをしてくる。
「当たり前じゃ。両親が居ったから我や姉上が生まれたのじゃ。会長は、我らをこの世界への導きを受けた、言わば育ての親に過ぎぬ」
「そうだな、悪かった」
人間ではない、白狐である稲浪が人間と同じよう親と言うものがいるようには思えず、幾星霜の時を物の怪などとして生きてきたのだと、勝手に思っていた。
「寂しさもあったのやも知れぬ。姉上は我にとって母上でもあってくれた。我はそれに甘えておった」
稲浪がギュッとさらに力を入れて隼斗に抱きついてくる。
「狐焔を司る我らは長寿なる身。故に記憶は薄れ往くが、心の傷は一度ついてしまえば、人間の寿命を超えても癒えることがない。人間との闘争。理解を得られぬことへの辛さ。受け入れてもらえぬ心苦しさ。そう言うものが我らには多いのじゃ。この世は人の世じゃからな」
「・・・・・・・・・」
隼斗は静かに目を閉じ、稲浪の話を聞入っていた。それしか応えることが出来なかった。
「かつて、愚かなる人間を打ち滅ぼし、我らが世界を構築するべき、と言う者があったそうじゃ。じゃが、その愚かなる人間がこの世界に何よりも大きな礎を築いた。我らは必要あらば狩猟をし、必要があらばこの力を用いて敵を討った。じゃが、人間は田畑を耕し、作物を育て、惠へ感謝する。我らにはなかったものじゃ」
隼斗には、それは遠い遠い歴史の中での事なのだろう。稲浪も聞いた話じゃ、と過去の自分の種族を思い出しているようだ。
「我らは学んだ。故に会長の話に我らは惹かれた。遠くから見つめていることしか出来ぬ人間の生きる世界というものに。それに賛同した者が、神子じゃ」
「そう、なんだ?」
話が脱線していることに気づきながらも、指摘をすることなく聞き耳を立て続ける隼斗。
「姉上は達者じゃ。我に人間の生き方と言うものを教えてくれた。我は子供じゃ。姉上はよく我が眠る前にそうした話を聞かせてくれた。我は話を聞いて胸躍らせ、目が覚めることの方が多かった」
稲浪が感傷に浸るように笑う。
「それは母上も同じじゃった。我は眠る前に母上によくいろいろな話を聞いた。姉上は創生への承諾をしてから、我に実になる話をしてくれた。我が眠るまで、我の隣で」
「そっか。妹思いなんだな、稲浪のお姉さんって」
「そうじゃな。じゃが、それは我が子供じゃから、不安があったのじゃろう。創生に加わることで、我と姉上は離れることを聞いた時、我は拒否した。一人になることなど、考えたことがなかったでな。恐かったのじゃ」
少々恥ずかしさも感じさせる声のトーン。だが、聞いて欲しいという想いが隼斗を抱きしめる腕からも、密着している体からも隼斗は感じていた。
「我は常に姉上が傍に居ると思っていた。姉上の後に着いておれば、それで満足じゃった。じゃが、姉上はいつまでも我に子供でいさせてはくれなかった」
創生で、別れることを稲浪に理解させるためなのだろうか。それとも一人の大人へと成長させ、己の人生を歩ませようとしたのだろうか。隼斗の脳裏には様々な憶測が飛び交っていた。だが、一つだけ分かることもある。稲浪がこのままではダメになることを示唆し、九稲は独り立ちさせようとしたのだろう、と。いくら長寿だからと、不死ではない。何事もなく天寿を全うすれば、九稲は間違いないく稲浪よりも先に死ぬ。そうなれば、九稲を中心に回っていた稲浪の時間が、一気に崩壊する。そこで稲浪が壊れないように、九稲は創生を足序でにしたのだろう。
「我は、冷たいのは嫌じゃ」
「ん?」
「温かいのが、良いのじゃ」
隼斗の首元に直に吐息が感じられた。柔らかい稲浪の髪の感触が隼斗の髪を交じり合う。
「隼斗が我を見た時、温かさの嬉しさと、隼斗の瞳に冷たさを感じた」
「っ!」
正直、ギラギラしていて少し恐かったぞ、と稲浪が小さな声で呟く。だが、隼斗にはその一言が恐ろしく耳元で大きく聞こえた。
「・・・・・・ごめん」
熱くなっていた体の熱がどこかへサーっと消えていく。
「謝るでない。隼斗は何もしておらぬ。人とはそういうものでもあろう」
それが良かったのか、良くなかったのか、判断は微妙なところだが、稲浪が嫌そうじゃないなら、それが正しかったのかもしれない。突き飛ばされるよりは断然良い。
「今は温かい。それだけじゃ。我はこの温もりが心地良くて好きなのじゃ」
ギュッと離すつもりもなく、さらにこれでもか、と稲浪が隼斗に寄り添う。
「硬いだろ?」
「姉上とはまた異なる温もりじゃ。新鮮で良い」
バイトのおかげで嫌でも筋肉がついた。だが、稲浪はそれはあまり関係ないようで、心地良さそうに声を漏らす。
「そっか。俺も温かいよ」
「うむ。我の温もりじゃ。堪能せい」
二人して小声で笑い合う。だが、顔は合わせない。お互い表情を見ていないから、そう、平気で言えているのかもしれない。声だけで相手の表情を思い浮かべる。それだけで今は良いようだ。
「明日はあるばいととか言うものがあるのじゃろう?」
「ああ、そろそろ寝るか」
隼斗が再び目を閉じた。
「うむ。こうしておれば隼斗も我を打つこともないじゃろう」
「・・・・・・あれはわざとじゃないっての」
根に持っていたのか、稲浪が笑いながら言う。
「今日は良い夢が見られそうじゃ」
そう言うと、稲浪が小さな声で何かを呟き、隼斗に全身をくっつけた。
「眠れるかな、俺・・・・・・」
首筋に感じる吐息に、隼斗はため息をついて、稲浪が眠って一時間ほどしてようやく眠気に身を任せていた。
「稲浪って、甘えん坊なんだか大人なんだか、よく分からない奴だな」
まどろみに浮かぶ中で、隼斗のそんな呟きに稲浪は夢見の中で微笑んでいた。