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「臭い!」
すえたような臭いに耐えかねて勇はバネ仕掛けの人形のように飛び起きた。
すわ毒ガス攻撃か、等と下らないことを考えかけた勇はすぐに異臭の源に気づいた。
すなわち、勇自身である。
疲れに耐えかねて夕食を摂らず、肉体労働の後の体を拭きもせず眠りの抱擁に身を任せた彼が臭いのは当然すぎるほどに順当な結末であった。
ある意味では毒ガスとも言えるこの臭いに早々に耐えかねた勇は、女将に水のありかを聞き出すことにした。
「えっと……体を、拭きたいんですけど……」
これまた大仰な身ぶり手振りを付け加えて説明したが、実のところ、女将は勇から立ち上る臭いに気付いており、彼の文字通り全身全霊の努力は残念ながら全くの無駄であった。
「あっちだよ、あっち」
女将の少年への気づかいと一刻も早くこの汚物を綺麗にさせたい、という気持ちをブレンドした分かりやすい説明をうけ、勇は無事に井戸らしき場所へと辿り着いた。
らしき、というのは石で囲まれた穴の近くに紐の付いた桶が一つ転がっているだけの場所を井戸、と言うべきか勇には判断がつかなかったからだ。
この井戸のような穴を掘った誰かを呪いながら、水を汲み上げ、やっと勇は体を拭くことができた。
宿の外にあった井戸から中へ戻り、通りすぎざまに女将に少し頭を下げた後、勇は部屋へと戻った。
少しばかり荷物を整理し、手元に残った金――銀貨二枚、銅貨二枚、賤貨四枚――をポケットにねじ込んで、宿を出た。
何はともあれ飯だ。
食い盛りの少年にとっては一度夕食を抜いただけで致命的な空腹をもたらすのだから。
適当にぶらつき、彼の常識で判断できる食べ物を探し、パンを――隣にあったバスケットボール大のトカゲの頭らしきものは無視し――購入し、その固さに戦慄した。
「なんだこれ……石でできてんのか?」歯の欠けを真剣に疑う程の固さのパンを叩き、ほぐし、かじった。生きていく為には、こんなものでも食べていかねばならないのだ。
パンを腹のなかに納めたあと、勇は街を練り歩いた。特に目的があったわけではないが、なんとなくそうしたい気分であったのだ。
あるいは本能的な勘が彼の生活の拠点となるであろう場所を把握させたがっているのかもしれなかった。
その彷徨は彼にとって十分に有益なものであり、最初は気づかなかった施設、例えば武器屋、薬屋、そして大きな屋敷等を彼は発見した。
なかでも彼の気を引いたのは大きな屋敷であり、いかにも洋館といった風情のものであった。
「あら、何やってるの? こんなところで」
振り向くとそこにいたのは宿の女将であった。
彼のような新人は珍しくないらしく、女将はこの屋敷についていろいろと勇に教えてくれた。
「ここはファーザニール男爵家の屋敷さ。あんたは知らないかも知れないけど、ここら一帯を納めてる偉い貴族様だよ」
勇としては、女将の見解に必ずしも同意できなかった。こんな小さな街しか領地がない男爵が偉い、とはおかしなことだと思ったからだ。
無論、一市民以下の勇にとっては天上の存在であることは疑いの余地がなく、そんな思い付きは心のなかに封印されるに留まったが。
と、突然辺りが騒がしくなった。




