2.3 お嬢様、それは一体何ですか?
太陽が高く昇り昼にもなれば、お祭りの準備も整っていた。開始までにはあと少し時間があり、お客は入ってはいない。屋台や催しものを行うために集まった人たちの視線を集め、ザビーネはやや勿体ぶりながら、春の祭りの開催を宣言した。
普段はだだっ広いだけの丘であったが、今日ばかりは露店が立ち並びなんとも賑やかだ。更には装飾されたメインステージは、これから楽し気なことが起こるであろうと見る者に期待を抱かせる。ザビーネの声を聴いた人々はそれぞれの持ち場へと戻っていった。
集まった人たちの表情が活き活きとしていることを見届けて、豊穣祈願の主催者であるザビーネ嬢は満足そうな笑みを浮かべていた――少なくとも表面上は笑顔であった。
日頃から質素な生活を心がけるように、国教は説いている。フリューゲル家の治める地は税率も比較的緩やかであるが、それでも誰もが裕福に暮らせるとは言い難い。だからこそ、領民のにこやかな顔が見られるこのお祭りの開催を、彼女は何より嬉しく思っている。中止しろと物騒な脅しをかける輩が居なければ、心の中でも笑顔を浮かべられていたことだろう。
(民の安全が第一ですが、天候のことを考えるとお祭りを取りやめる訳にもいきません……リディ、リア、よろしく頼みます)
それなりに手間とお金のかかるお祭りであるが、大気中に漂うとされる魔力を調整する意味は大きい。迷信だと信じなかったかつての領主は、祭りを取りやめて手痛い自然災害に見舞われていた。だが、この少女にすれば、それも些末事。
人々が豊かに暮らすことこそ、国が豊かになること――敬愛する父の教えを守るため、彼女は祭りを是が非でも行わねばならなかった。多くの人が楽しみにしていることを知っている彼女には、お祭りを中止することなどは出来なかった。
不安はあるが、それは友が解決してくれる。この国きっての魔術使いであるリディアーヌに加え、鎧通し、存在が魔法の域など、多くの通り名を持つルーリアまでが彼女の味方になってくれている――二人が接触すると大規模災害につながりかねないので、片方だけに依頼をしていた、などとはザビーネは口が裂けても言えない。
「ザビーネお嬢様、顔色が優れないようですが……やはり、祭りを妨害しようという輩のことをお気になさっておいでですか?」
「あ、あはは、アベルにはお見通しね」
笑顔を作っているのに、内心の動揺を見抜くものだから、永く仕えた従者とは恐ろしいものだと少女は思う。
「ですが二人に任せたのですから、私はどっしりと構えていますよ」
何はともあれ、自分の責務を全うするため、領主の娘は笑顔を絶やさずに次のイベントのために準備を始めた。
祭り会場の入場口は、人で溢れていた。ご神体こそ祀られているものの、普段はただの丘としか民衆には認識されていない。あちこちから人が集まるため、本日は混乱を避ける工夫がそれなりに凝らされていた。それがこの入場者受付だった。
チェックこそ簡易なものであるが、来場者数を考えると何とも大変な作業である。しかし、国境に近いこの丘ではどのような人物が来たか、危険物を持ち込んでいないかなどのチェックは欠かせない。
魔力による身体強化は多くの人が可能としているところであるが、魔術の運用となると、やはり人口の一パーセントに満たない。こういった祭事には、魔術のエキスパートが護衛に着いていることが多く、物理的な脅威を確認することが主流になっている。
その検問の間に飽きさせぬよう、音楽や賑やかしの屋台が入口付近には集中するのが常であった。受付に併設されたこの屋台でも、衆目を集めるよう威勢のいい声が飛んでいた。
「ほら、貴方も早くやりなさいな!」
注意するや否や、すぐさまルーリアは“ヤスイヨヤスイヨー”と受付を訪れた人に号令? をかける。これが屋台のしきたりらしいと言われてしまえば、ゾフィは従わざるを得ない。だが、何とも聞きなれない言葉であるのは確かだった。
「あの……こんなところで商売なんかしてる場合ですか?」
疑問を差し挟みながらも、語尾にヤスイヨーの掛け声をつけることを忘れない。何かと疑念の多い仕事だった。入口一番のロケーションにて、ひたすら物品を配る――お題は入場料である一シェノメ――これではパンも買えない程の金額だ。
来場者へ配るものも、顔の全面を覆う仮面であるというのだから、最早何がなんだか、この少年執事にはわからなかった。
「半分は入場者整理です。ですけど、このルーリア・フォン・シュトライヒャーがやることに無駄はなくてよ? ヤスヨヤスイヨー」
「え、これって狙い通りだったんですね? ヤスイヨヤスイヨー!」
いつものように義理で驚いてみせる少年であるが、実際には彼の心は揺れていた。お金の計算も嫌がるような主人が、不特定多数が行き交うこのお祭り会場での犯人捜索という事柄に頭を使っているという。それはもう、執事長のリカルドがいたら感涙むせび泣くに違いない。
「狙い――と言いますと、この仮面は何だか変わってますね……呪術の道具ですか?」
露店の壁一杯に掛けられた一つを手に、執事(今日は的屋の兄ちゃん)は唸る。それは彼の知るマスクとは形状からして異なっていた。顔や身分といった個人情報を隠すことが仮面の役割の筈だ。だが、彼が手にした仮面はコミカルなキャラクターの顔が模られている。顔を隠すというよりはむしろそのキャラになりきるようなものだった。
「これはね、オーメンという代物ですの。お母様がかつて旅をした東国の島国では、お祭りに必ず出店されるとか、されないとか」
「あ、奥様由来のものですか。道理で――」
悪趣味な訳だ、という言葉は何とか呑み込んだ。可愛らしいといえばらしいが、牙の突き出たものや、単眼のものなど、日常ではお目にかかることもない様相だ。それらがズラっと屋台の壁にかけられており、来場者へと配られている。
「ここにあるのは全て複製でしかないのだけど、呪術の道具というのは、あながち間違いではないのよ? 私たちが知る仮面は顔を隠すものですが、このオーメンはまったく別の人物に成り切る――いえ、憑依させるもの。現世では失われた召喚師の技術と聴いておりますの」
「何と、召喚師の……その島国はさぞ魔術文化の進んだ国なのですね」
思わずゾフィは生唾を呑み込んだ。シャーマンによる降霊など、あらゆる神秘を探求する魔術科でもお目にかかれない代物だ。
「さあ? 文化がどうの、とは聴いていませんの。片刃剣を引っ提げた、侍という種族で構成されている武闘派民族だ、としか母は言わなかったから。よくはわからないわね」
「さ、サメラーイ、ですか?」
「衣服は布切れを羽織るだけの質素な恰好ですが、妖怪なる超常のモンスターを相手に永年戦い続けている――らしいですわ。戦闘力は侮れないでしょうね」
「……それ、本当の話だとしたら、恐ろしいですね」
少年の頭には、半裸の筋肉質な男がオークを追い回す姿が既に浮かんでいた。非常に恐ろしい想像であったが、彼女も彼女の母親も平気で嘘を吐く(というか、話を盛る)ため、話半分で聞いておくことが正解だと理解を進める。
ともあれ、そんな戦闘民族が愛用するオーメンとやらのレプリカをここで配ることに何の意味があるのか、それは少年には知る由もない。
「本当の話だと言っているでしょうに。貴方はまったく疑り深いのですから」
「いやいや、日頃からお嬢様も奥様も僕に嘘ばかり教えるからですよ?」
「そんな昔のこと、忘れたわ」
受付の手は止めないが、ぷいと他所を向くルーリア。いや、絶対覚えていると少年は思わないでもないが、主人の機嫌がよさそうなので、この仕事に没頭することに決めた。
祭りの開催が宣言されて小一時間程が経った頃、二人はお祭りの準備係とバトンタッチが出来ていた。先程は侍なる戦闘民族の話に興味が割かれていたゾフィであるが、お祭りを妨害しようとしている人物への警戒を忘れてはいない。
「……お嬢様、お尋ねしてもいいですか?」
「何よ? 出来るなら後にしていただきたいものですわ」
さてどのように警護に着くかというところであるが、主人の姿を見ると忘れていた頭痛が蘇るようであった。もぐもぐと出店の品を頬張るルーリアは、見ていて和むものがある。げっ歯類のような面持ちになっていることは、お上品さの欠片もないが、小柄な彼女には不思議と似合って見える。
従者としても、主人が食事を満足にしているのであれば、それこそ無限に餌付けしたいところでもあるが、事態が事態である。
「あの、真面目に警護しませんか?」
言葉を選び、ゾフィは遠回しに主人へ“働けよ”と伝えてみた。
「真面目ですとも。私が本気を出すには兵糧が必要ですのよ?」
「あ、はい……」
ゴクンと呑み込んでから、ルーリアは返す。腐っても貴族のお嬢様だ。もごもごとしたままで話すことはしない。
曖昧に答えたゾフィであったが、二の句は告げられない。体内を巡る魔力は、食事によって賄われていると世間では考えられている。常人の数倍以上の魔力を持つ彼女ならば、その食事量も多くなってしまうところだ――従者としては、主を飢えさせている財政事情を申し訳なく思ってしまう。
「はいはい、一々落ち込みませんこと。警護の話に戻りますが、貴方は何か不審なものを感じまして?」
「え、不審者を見た、ではなくてですか?」
不意に出された言葉に、少年は思わず聞き返してしまった。だが、間髪入れずにお嬢様は竹串を突き付けて反論する。
「私も一緒に受付してますのよ。見逃すとお思い?」
「あ――」
そらそうだわ、と今更ながらのことにハッとさせられる。更に続けられる言葉を聴けば、真面目に警護をしようと言ったことを恥じ入ることにもなった。
「ゾフィに期待しているのは、魔力感知よ。受付と言う名の検問を用意しているのですから、お祭りを台無しにしようなんて人物は魔術なり、特技なりを用いると考える方が自然でしょうよ」
「仰る通りです」
「わかればよろしくてよ。それで、不審な魔力を感じまして?」
従者の素直な言葉に納得がいったのか、金髪の少女は次の食事に手を伸ばしていた。果物をチョコレートでコーティングした祭り定番の一品であるが、まぁまぁな贅沢品だ。無論、この食事代はザビーネから支給されている。
「大変申し上げにくいのですが……」
何とも奥歯に物の詰まったような言い方で、ゾフィは切り出した。続く言葉はこうだ――全然魔力感知をしていませんでした。
「はぁ? 貴方、一体何をしていますの?」
「え、否、だって、リディアーヌ様がいらっしゃるじゃないですか。あの方の魔力感知は僕よりも遥かに――」
「お黙りなさい! 遅きに失しては、元も子もありませんのよ」
手にしていた竹串をベキリとへし折りながら、ルーリアは怒りを顕わにした。瞬間、少年は己の怠慢を恥じる。
(これだけ多くの人がいる会場だ、人任せにするのではなく、僕が出来ることをすべきだった)
人知れず固く握り拳を作り、心の中で主人の言わんとすることを反芻してみせた。人命には代えられないのだ。他人を顧みることの出来る彼女に仕えられること、その幸せを再認すべきだと己に言い聞かせていた――――次の言葉を聴くまでは。
「リディに先を越されたら、探偵事務所の宣伝にならないでしょ?」
「はぁ?」
今度はゾフィが聞き返す立場に代わっていた。残念ながら、主人の言っていることは理解が出来ない――ではなく、理解したくなかった。彼の心を代弁するなら“こいつ、バカじゃねーの?”であろうか。
「私の活躍の場が減るじゃない。はぁ、早く事件起こらないかなぁ」
可愛らしい顔をしながら、この上なく物騒なことを嘯く少女。執事は、失礼と一言述べて後ろへ顔を逸らす。
(バカなんじゃねーの? じゃない。こいつ、バカなんだな! うん、知ってた。知ってた筈なんだけどなぁ……)
とても主人に向かっては言えない言葉を、心の中で盛大に喚きつつ、少年は鳩尾の辺りを押さえる。哀しいかな、この胃の痛みの半分は自分で勝手に主人を美化していたところにある。
「――ゾフィ」
「ああ、すみません。もうちょっとだけ、独りにしておいていただけますか?」
「バカ、貴方、感じませんの?」
血相を変える主人を見て、“何を?”とは問い返すことは出来ない。直後、爆発音が彼らの耳へと届く。
「お嬢様、メインステージの方からですよ!」
耳に飛び込んできた音の方角を、そのまま少年執事は口にする。視線を合わせたルーリアの表情は真剣そのものであったので、こんな時に不謹慎だが、どこか彼は安心する思い出もあった。
「わかっていますわ! 魔力感知は?」
「先程からしていますが、爆発を起こせるような魔力の波は感じられませんでした」
「そうですか……」
小さく、リディは一体何をやっているのよ、と溢すその姿には先程までの尊大な暴君の面影はなかった。彼女なりにリディアーヌの魔術を信頼していることだろう、と少年は何処か嬉しくなってしまっていた。
だが、いつまでもここに留まっている訳にもいかない。
「ゾフィ、着いて来なさいな」
はい、と返事をするよりも早く、ルーリアは駆け出していた。慌てて追いながら、少年は推理に向かぬ頭を回す。
入場者には検問が用意されている。爆発を行うには大掛かりな魔力が必要であるが、その気配はない。一体どのような仕掛けがあるのか――
だが今は爆発のした元、ザビーネやその他の人々の安否を気にかけ、少年は走った。