1.6 お嬢様の探偵業?
カッポカッポと響く馬の足音。
「はぁ……」
堪えきれず、少年執事は盛大なため息を漏らしていた。手綱には特に力が込められておらず、それを握る彼自身からも力が抜けている。
「ねぇ、ゾフィ。ねぇってば。さっきから主人が声を掛けておりますのよ?」
「はぁ……」
馬車の中から主人の声が届くが、従僕は意図的に無視を決め込んでいた。彼の心境を説明するとすれば、“後でどれだけ怒られてもいいので、しばらく放っておいて欲しい”である。
疲れた――それが率直な感想でもあった。お嬢様の声を無視することには、やはり良心の呵責がある。逃れるために衣服を叩けば、固まりきってはいない泥がパラパラと落ちた。それを他人事のように眺めながら、少年は鳩尾の辺りを押さえる。
腹の虫が鳴きそうな程に空腹ではあるが、空っぽになった胃を酸が暴れまわることの方が彼にとっては問題であった。ぼんやりとしてやり過ごしていたかったのだが、やはり忘れることも出来ず、ゾフィはため息とともに中堅騎士を倒した後の事を思い出す。
「こ、これは、一体……」
フリューゲル家の執事、アベルは中庭に入るなり低い声を響かせる。皺が目立つ老執事であったが、顔中の皺が引き延ばされるのではないかと思える程に、その瞳は驚きに開かれていた。
聖遺物を盗み出した農家の男が捕まったことを受け、昼食の準備をしていた彼だ。ルーリアを労いたいと、ザビーネが強く言うので任せていたが、地面を揺るがすような大きな音が聞こえてきたため、中庭へと飛び出して現在に至る。
「事件は解決しましたわ!」
「ルーリア様、これは――そうですか、フランクのやつが事件に絡んでいましたか。手前どもの不始末で、お手数をおかけしてしまいました」
晴れやかな笑顔とブイサインを浮かべる金髪の少女を視界に収めて、老執事は事態を理解した。文字通り掘り返された地面と、大の字になって倒れる騎士のフランク――普段から貴族に対する不平を漏らしていた彼であれば納得できる――少なくとも、小心者である農家の男よりは犯人らしいと言えば犯人らしかった。
「お察しが早くて助かるわ。庭をめちゃくちゃにしてしまったことは申し訳ないのですけど、後はお任せ出来まして?」
「ええ、勿論です。神の雫が戻ってくれば、ザビーネお嬢様も一安心でしょう」
そこまで受け答えをしながら、アベルは顎に手を当てて考え始めた。事件は解決した。その筈であれば、どうして少年執事は血相を変えて地面を掘り起こしているのだろうか――形にならない不安が胸に広がれば、彼は質問を止めることは出来なかった。
「して、ザビーネ様はどちらに? お食事のお知らせにこちらへと参った筈ですが」
「……ん?」
今度はルーリアが顎に手を当てて考え込むような仕草をしていた。二人のやり取りを聞いて少年執事の地面を掘るスピードが上がるものだから、益々アベルの不安は高まってしまう。
「えーっと、ゾフィ……ザビーは、どこ、かしら?」
「地面の下ですよ! 早く手伝ってください!」
ゾフィの叫びを聞いて、薄々気づきつつあったが、考えたくもない答えに頭を抱える老執事。騎士を倒すことに精一杯になっていたルーリアは、心の中でザビーネに謝っていた。
神の雫という名の下着を白昼に晒したこと、助けるためとは言え割と力強く突き飛ばしたこと、今もこうして地面に埋めてしまったこと――碌なことになっていないのであるが、ダイナミックに動けば多少の誤差も生まれると彼女は自分を納得させる――魔力の加減だけでなく、諸々の調節を苦手としているので、少年執事が日々頭を悩ましている訳だが。
「あった!」
スーツを泥に塗れさせながら叫ぶ少年の手には、人の腕が掴まれている。力仕事は得意ではない彼だったが、地面は掘り起こされたばかりであったことが幸いした。目一杯に力を入れれば、引き抜くことが出来る。
「その方、ザビーではありませんね」
「……え?」
主人の言葉を受け、ゾフィは手元を注視する。ザビーネだと思った人物は、最初に聖遺物を盗んだ男だった。そうか、彼も地面に倒れたままだったか――などと悠長に考えている場合ではなかった。
「ザビーネお嬢様あぁっ!」
老執事の顔色が青を通り越して白くなれば、生き埋めにした本人はいつまでもじっとしてはいられない。ルーリアは、利き腕の袖を捲りながら魔力を集め始めていた。
「お嬢様、一体何を――」
「もう一回、地面を掘り起こしますわ!」
「やめてください、絶対に!」
「……はぁ」
必死の思いで主人を止め、ザビーネを掘り起こしたことを思い出すと、ため息が出てしまう。
「何をため息吐いてますの。ザビーも許してくれたではないですか」
「ええ、笑って許してくれるだとか、本当に感謝しかないですよ」
生き埋めにされながら、“リアの傍にいたら、よくあること”と笑う領主の娘は何と形容すればよいものか。お嬢様に突き飛ばされた衝撃で、記憶を失ったのではないかとすらゾフィは思っていた。
「ところで、どうしてザビーのところでお食事をいただかなかったのよ?」
「――もうっ!」
能天気な主人の言葉に、少年執事の何かが切れた。この少女が人のことをあまり気にしないことは知っている。だが、ザビーネが笑いながらも無表情を貫いたアベルのことだけは気にしておいて欲しかったと思う。
御者台から振り返れば、覗き窓からは呑気な表情をしたルーリアが眼に入った。彼の予想通りであるが、予想通り過ぎて腹が立つ。
「いいですか、お嬢様!」
くわっと目を見開き、ゾフィはまた説教を始めるのだった。