1.4 お嬢様の初推理
高く昇った日が中庭を照らしていた。早朝は寒いくらいであったが、日光を浴びれば随分と温かく感じられるものだ。
穏やかな陽気の中、エンリコはそら寒い思いで集まった人たちを見つめていた。騎士職とは言え、務めも浅い彼はお嬢様や執事のやることには口は挟めない。
(これから何が起こるんだろうか……)
領主の留守を預かる新米騎士は、胸中で独りごちる。
元々、争い事には向かない農家の三男坊だった筈だ。騎士としての適性があると分かったがために、こうして慣れない門衛などをしていたのだが、少女に鎧を取り上げられて文句の一つも言えないでいる。
自分には向いていないと思わないでもないが、高齢の両親が気にかかって仕事を辞めるとも言い出せない。ガタイに反比例するように彼の肝っ玉は小さなものだった。
不平も口に出せないまま、エンリコは金髪の少女が鎧でお手玉をする様を見送るしかない。
(ザビーネお嬢様と、大して歳も変わらないんだよなぁ)
横目でルーリアを盗み見ながら、鎧を剥がされた騎士は思う。領主の娘の友達だというこの娘は、彼から見ても綺麗に映った。
突然鎧を渡せと迫られ、断わるに断れずこの有り様。鎧の素材を確かめたいという好奇心から来るらしく、彼は悪意を感じもしなかった――まさかお手玉をされるとは思わなかったが。
気の弱くお人好しな彼は、しばらくは少女のしたいままにさせておこうと思っていた。ザビーネ嬢の友達あれば、無碍にも出来ない……この考えは厄介事を避ける言い訳でもあったが。
(こんなところ、フランクに見られたらまた怒られてしまうなぁ)
まぁそれでも構わないか、と新米騎士は穏やかな瞳をしてルーリアを眺めていた。
明日になれば領主はお屋敷へ帰ることになっている。一緒に付いていったベテラン騎士と入れ替わりで、怖い先輩騎士は休暇を取る予定だ。だからこそ、少女にいいようにされていても、穏やかな気持ちでいれるのだとは彼も自覚していた。
「――お嬢様!」
ぼんやりと見守っていたところへ、気忙しそうな声が届いた。そちらへエンリコが視線をやると、執事の少年が走って来る。ルーリアへと一直線に走る様は、何やら怒っているようにも見える。
彼の予感通り、金髪の少女はお手玉をしていることを大変咎められていた。
(ようやく鎧が返してもらえるか)
日差しは暖かいが、丸腰でいると何となく寒い気分になってしまう。いつもの格好に戻れると知れば、落ち着きも出てくるものだ。
そう思っていたのも束の間――執事に怒られても、少女は反省している様子もない。それどころか、集まってきたお屋敷の面々に向かって“推理をする”と言ってのけた。その言葉に、新米騎士は首を捻る。
執事のアベルが早朝から出かけたかと思えば、この少女と執事の来訪と少々慌ただしかった。だが、それ以外には特に変わったことはない筈だった。
“明日になれば領主様も戻ることだし、いつも通りやっていればいい”先輩騎士のフランクもそのように言っていた。
さて、これから何が起こるのか。優しいが気の小さいエンリコは、他人事であってくれ、と祈りながら見守ることにした――鎧を返してくれ、とは口に出来ないままで。
「リア、犯人がわかりましたの!?」
血相を変えるザビーネへ、自称名探偵の少女は無言で頷いてみせた。盗まれた物は一刻も早く取り戻さねばならいない。名探偵としては友の気持ちも察っせねばなるまいと、集まった面々へ再度見回した。
「お嬢様……大丈夫、なんですね?」
途中で視線の合ったゾフィは、確認も兼ねて心配の言葉を投げかける。心配性な少年は鳩尾の辺りを今も押さえている。
このままだと彼の胃が破壊されかねない。口うるさい執事が静かになるのなら、それも良し――などともルーリアは思っていたが、一つ頭を振ってその考えを打ち消した。
「いつも心配かけるわね。心配ついでに教えて頂戴、ゾフィ。貴方は一通り面談をして、何か気になる証言でも得られまして?」
「うわ、お嬢様に心配された――いえ、感動のあまり、つい」
主人が珍しく気遣うことを言うものだから、少年は居心地の悪そうな返事を溢してしまった。それでも、途中でルーリアの眉間に皺が刻まれていくのを見て、目一杯ごまかしにはかかったが。
「失礼しました。僕が話した人たち、お屋敷の侍従さんたちからは、特に気になる証言は得られませんでした。みなさんお仕事が終わったらすぐに就寝していて、変なことなどなかったと言っています」
「――そう、ご苦労」
なるほどね、とルーリアは口元に笑みを浮かべる。
「リア。は、早く教えてください!」
余裕ぶっている金髪の少女とは対照的に、こちらの青髪の少女はそわそわと落ち着きがない。
「ザビーネお嬢様、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか!」
宥める執事の手を丁寧にだが払うと、そわそわとした態度で友達の次の言葉を待っていた。
(神の雫ってのは、やはりすごい聖遺物なんだな……ザビーネ様が焦るのもそういうことか? いや、待てよ)
お嬢様の推理を前に、ゾフィは一つの考えにたどり着いた。フリューゲル家に伝わる聖遺物が何者かに盗まれた――だと言うのに、この老執事は落ち着きすぎてはいないか。
(お屋敷の人々は、誰も異変を感じていないと言う)
今回の面談に際して、“神の雫が盗まれたことは隠して欲しい”とはアベルから伝えられていた。少年としては、いよいよ疑わざるを得ない――誰にも不審がられずに宝庫庫へと入れる人物の存在を。
「ゾフィ殿、私の顔に何かついていますかな?」
不審がっていることに気づいたのか、アベルは白髪に隠れた瞳を鋭くして少年を見据えた。こうなると、益々怪しく思えてしまうもの。意を決して、ゾフィは口を開いた。
「失礼を承知でお尋ねしますが、ひょっとして貴方は――痛っ!?」
考えを口にし始めたところであったが、頭頂部への痛みで、それは遮られてしまった。
「何をするんですか、お嬢様!」
ゾフィは涙を眼尻に溜めたまま、手刀を構えるルーリアへ抗議の視線を送った。幾ら自分が推理したいからといって、殴ってまで止めるものだろうか?
「あのね。誰彼構わずに怪しむものではありませんことよ」
「おや、私が疑われていたのですか」
先程とは打って変わって、ホッホッホと老執事は穏やかに笑っている。その表情はいつものアベル老のものである。疑い始めれば何でも怪しく見えてくるのだから困り物だ。
(やっぱり、僕には推理は向かないな……)
無暗に疑うものではない――それはよくわかるが、少年は他に誰を疑えばよいか途方に暮れてしまう。
不満が隠せていなかったのか、お嬢様は少年執事へ言葉を続ける。
「アベルが犯人なら、自分に疑いのかからぬよう、偽装に偽装を重ねて望むわ。自分が犯人なのに、準備もせず探偵に依頼するとか、おバカのやることよ」
誰が好き好んで、第一の容疑者になるものですか――お嬢様の言葉に、少年執事はハッとさせられる。
「それに――」
お嬢様は続く言葉を一度切ってみせる。掲げた手からは彼女の魔力が目に見える程溢れており、注目を集めるためのパフォーマンスかのようでもあった。
「焦らずとも、犯人ならすぐにわかりますわ」
「え?」
疑問の声は、誰の口からともわからずに漏れていた。或いは、ルーリア以外の人物がみな驚いていたのかもしれない。
老執事が犯人ではないだろうことはわかった。それは同時に、容疑者を絞ることが振り出しに戻ってしまったのではないか。少年はキョロキョロと視線を彷徨わせる。途中視界に入った人たちも、やはり疑問符を頭に浮かべていた。
「犯人は再び犯行現場に戻る――そこね!」
ほあたっという鋭い叫びとともに、お嬢様から裏拳が放たれる。それはこの場の人物の誰へとも交わることもなく、空を切るところであった。
「――ガっ」
この場の誰とも知れない低い声が響いた。
実際、ルーリアの拳は空振りすることなく止まった。彼女が自分の意思で止めた訳ではない。硬い拳は、何かに阻まれてそれ以上進むことを拒否していた。
拳の先に鼻血を流す中年男が姿を現す。
「ジャストミート、ですわね」
ルーリアが呟いたように、拳は綺麗に男の鼻っ柱を捉えていた。気を失ったか、膝を折って地面へ跪くと、地面に少々の血溜まりが出来上がる。
「――リア、一体これは?」
「後で説明しますわ。まずは確保よ、ゾフィ」
ザビーネは状況の理解が追いつかず、大きな瞳を白黒とさせている。それは他の人物たちも同様で、ルーリアの言葉に反応が付いて行かない。
「早くなさい!」
「しょ、承知しましたっ!」
言葉を叩き込まれて、少年は走る。主人の命に従い、半ば自動的に男を組み伏せた。気を失っている人物は特に抵抗もなく御用となった。
何もないところから突然現れたおじさん。そのことに戸惑いを覚えないでもなかったが、こんなもんかともゾフィは思う。
(お嬢様に付き従っていて、戸惑わない日なんてあった試しがないもんなぁ……)
これを口にすればまたドヤされることは想像に難くない。誰にも聞こえないようため息を吐きながら、少年は取り押さえた男への対処のため、騎士へと声を掛けた。
「流石はリアですわ。こんなに早く捕まえてしまうだなんて、驚きですわ」
ザビーネの呟きを耳にしながら、少年執事は何とも言えない気分になっていた。自身の主人が称賛されることは嬉しい。だが、どうにも腑に落ちないでいる。
「どうしましたの。鮮やかな犯人確保に声もなくて?」
「いえ、捕えたことは素晴らしいと思います。思いますが、どうにも腑に落ちなくてですね……」
ん、と差し出された手を掴みながら、執事の少年は憮然とした瞳で主人を見た。血で汚れた手袋を取り換えながら、身柄を確保した男のことを思い返す。
屋敷に出入りをしている農家の一人だと、アベルから二人は聞かされていた。真面目さが取り柄の男で、ザビーネには大層愛想がよかったと言う。そんな彼が捕まえられたと知って、ザビーネとアベルは随分と驚いていた。
確かに解決へと向かっているようだ。それは認めた上で、ゾフィは首を捻る。
人物像がわかったとしても、動機も犯行方法もわからないままでは、納得しようもない。少なくとも少年はモヤモヤした思いに駆られていた。
「何? 王政転覆を企んだテロリストの仕業だったら納得したの?」
「そう言う訳でもないんですけど。何もないところからいきなりおじさんが現れるとか、不可解過ぎますよ」
「あー……そうね。生涯持てる魔力を隠密に全振りするとか、不可解ね」
「え? 隠密なんて、狩人の特技でしょ? 農家に必要ない特技じゃないですか」
ゾフィは驚きから眼を丸くして、主人を二度見する。魔力の使い方は一般には三種類程知られている。
ルーリアやゾフィのように、魔力を加工して放出する方法。この屋敷の騎士のように、魔力を体力などに還元する方法。あと一つは、縄で縛られているこの男のように職業固有の特技へ割り振る方法だ。
そのいずれも一長一短があり、唯一の答えなどはない。本人の得手不得手、生業に合わせていずれかを選択するものだ。
ゾフィが驚いたように、隠密という特技は畑を耕す農家にはまるで必要がない。更に、隠れるにはもってこいであるが、移動以外の行動に移った途端に解除される使いづらい特技の筆頭項目でもあった。
「まったくもって、教科書通りの考え方ね。農家として割りに合わなくても、本人には十分な利があったってことでしょうよ」
手袋の取り換えが終わり、ルーリアは鼻白んだ表情で手指を閉じたり開いたりする。やがてそれにも飽きたのか、まだ納得のいかない様子の従僕に向けてその考えを口にした。
「貴方には伝えてなかったけど、ザビーは前から、ちょいちょいと物取りに遭っていたのよ」
「物取り、ですか。それって――」
何となくだが、ようやくゾフィにも理解が追いついてきた。ルーリアがこの町へ来る前から相談を受けていたことが、今回の犯人像へと結び付いている。
お嬢様が颯爽と犯人の目星をつけたことには納得が出来たが、それと同時に知りたくもなかったなぁ、などと感想も沸いて出る。依頼以前からの相談で情報収集がされているなら、屋敷の従者へ尋問をするだの何だの、駆けまわっていたことが無駄に思えてならない。
「そう。愛想の良いザビーは民に、特におじさんに人気でね。でも領主の娘ですから、なかなかお近づきにもなれない」
「それで隠密の特技ですか。何というか、その……」
「ね? ですから、ヘンタイの仕業だって言ったのよ、私は」
やれやれ、と伸びを一つしてルーリアは踵を返す。犯人を捕まえるまでが彼女の仕事であるので、後のことは屋敷の人間に任せるべきだ。
「あ、でもお嬢様」
「何よ、まだ何かあるの? あ、まだ盗品を取り戻してないから、目を離さないでね」
男を騎士へと差し出しながら、お嬢様は眉間に皺を作る。派手な推理の披露にはならなかったからか、少女は随分と不機嫌な様子だ。しかし、まだ腑に落ちない点はある。
「その犯人の目星の付け方は何となくわかりました。でも、どうやって隠密を使っている相手を捕まえたんですか?」
犯人像がわかっても、景色に溶け込む相手をどうやって捕まえたのか。この少年にはさっぱりとわからない。
主人の面倒くさそうな顔をさせることは忍びなく思うが、質問せずにはいられなかった。幸いにして、当のルーリアはさして嫌がりもせずに右の手を眼前に掲げてみせる。種明かしがここにあった。
「聖遺物、神の雫は魔力の増幅装置。起動に必要なものは、純粋な魔力――」
説明は途中であったが、ルーリアの拳が青白い光に包まれる。魔力を抑制する聖遺物を身につけていても、常人を越えた魔力がここに発露していた。その力に反応し、縛られた男の懐からも同様の発光が見られた。
「おわかり? 今回の件は、何も考える必要もなかったのよ」
ふぅ、と短く息を吐き、ルーリアは手を下げる。
「なるほど」
彼女の言う通りだと、ゾフィは頷く。
聖遺物はそのほとんどが使用方法もわからないガラクタだ。元から目的がザビーの関心を引くことであれば、家宝が盗まれた後、その様子を伺いに来る――実際その推理が外れていたらどうしたのか。
ツッコミどころはある気がしたが、まぁ、それなりに筋が通っている。そんな気もしていた。
「説明はこれでおしまいよ。そろそろ持ち主に返した方がいいでしょうから、そこの騎士と一緒にザビーネへ神の雫をお届けなさい」
「はい、お嬢さ――」
事件は解決した。後始末はこの少女には向かない。それがよく分かっているので、少年執事はさっさと移動を始めようとしていた。
「何をしてますの? 早く行きますわ――よ」
固まる従者を叱咤するために振り向いたルーリアであったが、彼女も予期せぬ事態に固まっていた。
「なるほど」
呟いたのは、大柄な男。現在お屋敷に残っている騎士の片割れだ。手の一方には縛られた男、もう一方の拳には青白い光が納まっていた。
「これが、神の力か」
兜の下から覗く口元は愉快そうに歪んでいる。
「ああもう、最悪ですわね」
手のひらで顔を覆い、自らの失態を嘆く。状況としては酷いものだ。男とルーリアは初対面にも関わず、その顔には覚えがあった――力に溺れる人間とは、このような表情で嗤うのだと。