2.4 お嬢様、ケンカはおやめください。
耳を突く爆発音。春を迎えた矢先、これからの季節を穏やかに送るために、開かれた豊穣祈願の最中に事は起こった。
大きな音であった。爆発という名に違わぬそれは、少なくともお祭りの参加者に動揺を与えていた。誰ともわからぬ叫びから、それは伝播した――恐怖は人を介して伝わるもの――にもかかわらず、お祭りそのものは続けられていた。
今では悲鳴はなく、場内に響くものは会場に集った音楽師から奏でられるもののみ。人々の心を落ち着けるようにと、弦と笛は辺りを震わせていた。
「さて、どうしたものでしょうか」
面倒臭そうな面持ちを隠すことはせずに、声の主は周囲を見渡していた。冷静沈着とでも言うべきか、爆発から今の今まで彼女は全く動じることはない。本物の魔女と評されるリディアーヌ・ド・エレーヌは、ウェーブのかかった金髪を払いながら黙考してみせる。
(派手さはあったものの、その後は音沙汰なし。そして魔力の残滓はゼロときましたか……)
魔術師であるお嬢様は顎元に手をあててゆったりと考えを進める。爆発から少し経ち、祭りの実行本部はわたわたと奔走しているが、それとは対照的に彼女は落ち着き払っている。リディアーヌにしてみれば、この程度の爆発など何ということはない。
さらりとした表情を浮かべているが、実際には爆発音とともに火の手も上がっていた。だが、リディアーヌが事前に詠唱していた広範囲防御壁に守られていたため実害というものはない。一定の範囲内で詠唱者以外の者が危害を加えようとした際に発動する高位魔術は、彼女の代名詞とも言えるもの。リディアーヌの魔力が尽きるまで、誰も彼女に手を出すことは出来ない。
実害はない。そのことは先刻承知であるが、何とも不可解でもあった。
「あまり考え込みますと、皺が増えますよ?」
「……お黙りなさい、アルベルタ。その言い分だと私が既に皺だらけのように聞こえるでしょうに」
「失礼いたしました」
黒髪の少女は、いつもの通り冷たい言葉を主人へと投げかけていた。到底冗談にも聞こえない言葉であったが、それも彼女なりの心遣いなのだと主人である少女は理解している。
不測の事態などと、魔術にかかわれば厭と言う程出会っている。現に、この会場にいるもう一人の金髪の少女の破天荒さには何度も驚かされていた。
不測の事態は起こるもの。そのことは既に予測していたが、それはあくまでも魔術科という守られた箱の中でのこと――外には自身の理解の及ばぬ輩がいる。騒ぎがあったのに魔力の跡が辿れない。魔術が絡まないのであれば、自身の専門外になるのではないか?
「いやね、私らしくもない」
頬をぴしゃりと打って、リディアーヌは喝を入れ直した。ここに集まる人たちは、希代の魔女、リディアーヌ・ド・エレーヌを頼りにしているのだ。弱音など吐いている場合ではない。
「して、お嬢様。これからはいかがなさいますか?」
「何をって――」
およそ感情の籠っていないような音色で、侍女は言葉を紡ぐ。これから何をするかはわかっているでしょうに、などという言葉が口をつきそうになったが、寸でのところで主人は呑み込んでみせた。
ここは魔術科とは異なる場である。まして、友であるザビーネが開催する祭りの場だ――万が一ということも起こしてはならないと、少女は更に己に言い聞かせる。ともすれば、動きは早くなる。
「ええ、もう一度防御壁を張りますわ。貴女は、そこらに賊がいないか見張っていなさいな」
範囲内に起こるダメージを自動的に無効化するこの魔術は、魔法の域に足を踏み入れんばかりの奇跡である。その分魔力の消費は他の魔術に比べて破格であったが、これを編み出した彼女に言わせれば、費用対効果は十分とのこと――ともあれ、リディアーヌは友をサポートすべく、大規模魔術を再度展開すべく意識を注ぎ始める。
「流石はお嬢様です」
従者が何かを呟いていたが、魔術を起動し始めたリディアーヌへは最早届いていなかった。
瞳を閉じれば、人工的な闇が訪れる。瞳を閉じる――単純な行為であるが、それだけで彼女の魔力回路は流れを倍化させていく。外界と己を切り離し、ひたすら自らの魔力の流れと対話に身を置くこの時間が、彼女は好きだった。
魔術師としての才能は随一と認められる彼女であるが、保有している魔力量は一般人よりもやや上程度。魔術科の学生と比べれば、それ程多い訳でもない。だが、魔術師としての優劣は魔力量で決まるものでもない。
ルーリアが常識外の魔力炉を備えているとするならば、リディアーヌは規格外の処理能力を備えていると言えるだろう。大規模魔術を起こす者だけが本物の魔術師を名乗れるのだ、とは学生時代から彼女が言ってはばからない言葉である。
「お嬢様」
「――何ですの? 魔術を詠唱する前はお静かにと、いつも言っていますでしょう」
魔術を発動させる、正にそのピークを迎えようとしたところで横やりが入ってしまった。しかし、金髪の少女は従者を怒ることが出来ない。永らく仕えたアルベルタは、主人が詠唱中に話しかけられることを嫌っていると熟知している。にも関わらず彼女が声を上げたということは、それなりの意味があるだろうと。
「お嬢様、何と言いましょうか……」
日頃から淡々と言葉を紡ぐアルベルタにしては、珍しく言い淀む姿が見られた。黒目がちな瞳をキョロキョロと動かしながら、所在なさげにしている姿は子ウサギを想像させる。おどおどする彼女を妙だとも思いつつ、主人である少女は魔力を臨界点で保ったままに言葉の続きを待った。
リディアーヌの視線を受けながら、メイドは意を決したように口を開いた。
「不審者を、見つけてしまいました」
「……何ですって?」
ずいっと突き出された手には、悪趣味な仮面をつけた半裸の男が掴まれていた。爆発音のあったこの場で捕まえられたこの男は、どこからどう見ても不審者だ。虚をつかれたお嬢様は、思わず発動前の魔術を散らしてしまっていた。そんなことを言っている場合ではないと彼女にはわかっているが、半裸で気絶している男に意識が割かれてしまう。何というか、美しくないと思う。
「いかが、いたしますか?」
凄まじく脳みそを回転させていたリディアーヌであるが、回答を出す前にぐいぐいと侍女に詰め寄られてしまう。正直、犯人で間違いのだろうが、これで事件が解決するかと思うと拍子抜けだ。
「……犯人に関係あること間違いなさそうね。私としては、魔力を使わずに爆発を起こしたことには興味あるわ。取り敢えず拘束しておきましょう。意識が戻ったら、尋問ね」
魔力の臨界点を抜けたお嬢様は、何とも鼻白む思いでザビーナの元へ賊を連れていくことにした。
あまりにあっけない終わりであった。侍女が“これでもう解決ですね。お屋敷に帰れます”と仕事が終わった気でいることにもツッコミを入れる気分にすらならなかった。
「お嬢様、どうしますか?」
己の声が震えることを自覚しながら、少年執事は主人へ声を、視線を送っていた。爆発音の後、騒動が起こると予期していたが、今も祭りは継続されている。大きな事件にならなかったのであれば、何も言うことはない。集まった人々には戸惑いがないとは言えないが、ザビーネのいるメインステージまで人混みが続いているし、賑わいも十分に見られていた。
だが、覗き見た主人の表情に翳りが生まれていたような気がして、彼は何とも言えない気分に陥っていた。言うのも憚られるが、主人は事件を所望しているのだ。
「どうって、貴方何を言ってますの?」
少年の憂いを吹き飛ばすように、主人であるルーリアはやや大きな声を張っていた。それでは周囲に聞かれてしまう、とも思えないでもないが、そもそもこのお嬢様は目立つことが大好きだ――衆目を集めるために上げた声は歌うように淀みなく告げられる。
「お祭りを台無しにしようなどという輩がいるのです。勿論、ぶっ飛ばしますわ!」
何をバカな――と少年は口にしようと思ったが、それも能わず。爆発後に駆け込んだ舞台には今も催し物と一緒に、多くの人がその場で祭りに参加している。ゾフィがツッコミを入れるまでに、歓声が場内を沸かせんとばかりに打っていた。
少年執事にとっては気が気ではないが、ルーリアはライバルである魔術師が広範囲な防御壁を得意としていることをよく知っている。それ故に、大抵の脅威は一度は防がれてしまうので、焦ることもない。
少々ズルい気がしないでもないが、リディアーヌがバリアを張っている内に犯人を捜せばよいのである。自身の探偵事務所の宣伝をするべきは今とばかり、この場は盛り上げるだけ盛り上げたい算段があった。
「ふふん、ゾフィ見なさい。この民たちは正に今、私たちの力を欲しているのです。ならば、それに応えてこそ真の貴族と言えるもの!」
「え、お嬢さ――」
先程からツッコミたいことこの上なかったが、少年の言葉は集った祭りの参加者の歓声に呑まれてしまう。いやいや、名乗りを上げるよりも事態の収拾の方が余程大事だろうよ――そのようにゾフィは考えていたが、どうしてもツッコミが追いつかない。
魔女の他にパンツァーファウトがいるとは頼もしいな。否、むしろ天変地異の前触れだろ。騒動を仕掛けたやつがむしろ可哀想――集まった人々はルーリアを見て好き勝手に口走っている。
(ああ、世間はお嬢様をそんな風に思っているんだなぁ。うん、ほぼ当たりだよ!)
ツッコミの声が掻き消され続けた執事は、心の中でこの上なく毒づいてみせた。歩く暴風域と呼ばれるだけあって、自身の主人は行く先々でトラブルを巻き起こしているのだ。そろそろ慣れる、を通り越してこうして民衆と一緒にお嬢様を煽る余裕すら彼にはあった――無論、声にはしないが。
「ちょっと、そこの三流僧侶!」
ぼんやりと毒を吐いていると、ゾフィの耳によく知った声が群衆の向こう側から響いた。仕える主人とは似ているがまた異なる勝気な声音――リディアーヌのものだ。聞き覚えのあるフレーズでもあったが、いつまで経っても慣れるものではない。桁外れの魔力量を誇る彼女を三流呼ばわり出来るのも、この魔女くらいのものだ。
いつものやり取りであると少年執事は理解をしているが、それでも仕事中であるので、主人が面倒くさいと言わなければと思う。
「面倒くさい……」
「早速言ってるし!?」
「何よ、ゾフィ」
明らかに不機嫌な視線を向ける主を見て、少年は凄まじい勢いで首を振って答えた。彼の心を代弁するならば、頼むからこれ以上の揉め事を起こすな! である。
「いやいや、僕のことよりも、お早くリディアーヌ様にお返事ください」
「言われずとも行きますわよ……」
冷や汗をかきながらも、ゾフィは主人を別の方向へ逸らすことに心を割いた。もう早く行けよ、と思わないでもないが、有名人であるある二人が揃ったことでお祭りの群衆がより賑わいを見せ始める。目立つことが好きなルーリアであるというのに、こういった注目の浴びた方は不本意なのか、その歩みはのろのろと随分遅い。
領地を上げての豊穣祈念。その場で起こった突然の爆発。そして、それをものともしない英雄ときては、舞台が整い過ぎていると思えなくもない。だが、ルーリアは不安に駆られた人々に配慮しながら片手を挙げて制している。
敬虔な神の徒は、かつてその信心のみで海を割る奇跡を起こしたと言うが、この少女はさらりと群衆を割ってのけた。もう目立って仕方がないのだが、主人が進むのであれば仕方がない。ゾフィは左右に分かれた人々に頭をぺこぺこと下げながら行進を続けた。目指すはメインステージ手前にいるリディアーヌである。
「到着が遅いですわよ?」
「こっちは、会場の入り口待機でしたの。考えればお分かりになるでしょう?」
どうして貴族のケンカはお互いに疑問符の浮かべ合いなのだろうか。否、それも彼が知るこの二人の間だけのことなのかもしれない。お互いに罵声をぶつけ合うよりはいいのであろうが、間に挟まれる身としてはスパっと決着をつけて欲しいと思っても、誰も責めることはできまい。
「ま、今はそれどころではないですわ」
いつもならば、ぬるぬるとした応酬が続くところであったが、珍しくリディアーヌが折れていた。驚愕に言葉もないゾフィであったが、いつもと違う点を他にも見つけだしていた――いつも彼女に付き従っているアルベルタの姿がない。
「はいはい、こっちも仕事で来ておりますの。何かわかったということですわね?」
ならば、聴きましょう――どこぞのお嬢様であるように、ルーリアは神妙な表情をして魔女の手招きに応えた。
昼を過ぎ、祭りは中盤。メインである豊穣祈念までは、まだ幾分にも時間は残されていた。