昔とった杵柄
考えるよりも先に、身体が動いていた。
骸骨は、未だにわからないことだらけの状況を全て頭の片隅に置き去りにし、右腕を振るった。
「おうおう、元気なことじゃて。動作はおろか、普通なら会話さえ困難な筈じゃというのに。」
忌々しいことに、骸骨には肉体の感覚が戻っていなかった。
今の手の振り抜きにしてみても、かなりの速度ではあるらしいが全く実感がない。
それにも増して腹立たしいのは、眼前の女が自分の一撃を何なりとかわし、ひょろひょろと空中を漂っていることだろうか。
「ジャニスと言ったか。あなたは・・・。」
今の自分の肉体ではどうしようもないらしい。
確かに骨だけの身体なのだ。
骸骨はすぐさまの反撃を諦め、会話で時間を稼ぐことにした。
「想像の通りじゃ。ケインズ殿の配下の者じゃよ。」
「・・・。」
「お主には、ケインズ殿の理想実現のために呼び出させて頂いたのじゃ。」
こいつ、本当に人間なのか?
骸骨には、目の前に浮かぶ幼女を象った存在が、悪魔なり何なりの絶対悪に思えてならなかった。
気配を通して伝わって来る情報からは、確かに魔族特有の殺気はない。
漏れ出る殺気の様子からは、彼女が人間であろうことを伺わせてくる。
しかし、だ。
「あなたは、自分が何をしているかわかっているのか。」
骸骨には信じがたいことだった。
生前の経験を踏まえても、世の中には確かに人格的にイってしまっている人間が確かにいた。
一般的には、自分も戦闘狂の類であり広義ではその分類に入るだろう。
もっと唾棄すべき、快楽殺人者やよりおぞましい性癖を抱く者たちも見てきた。
他人を貶め、利益をすすることに至高の喜びを見出す魑魅魍魎ども。
死霊術の研究に打ち込み、獄中においてすら目を剥きその必要性を叫んだ急進愛国者たちは、その中で最も凶悪な部類に入るだろう。
だが。
当時としても誰一人、魔族に手を貸そうとする者はいなかった。
いや、志としてはそういった陰惨な思いを抱いて自己保身を図るものは多々存在したであろうが、実際にはできなかった。
そんな卑怯者どもを利用しなくても、魔族は優勢を誇っていたからだ。
自己保身が図れないのにもかかわらず同胞を売る存在なんて、いやしない。
それが骸骨の生きた時代の、常識であり事実だった筈だ。
「誤解の無いように言っておくのじゃが、先に死霊術に手を染めたのは人類じゃよ。さすがに見るに絶えなくての、今回我々の陣営としてもお主に協力を求めることにしたのじゃ。」
不可解だった。
前世の最後の瞬間から、骸骨には理不尽とも思える事態ばかりが降りかかってきた。
けれども、こんな恐ろしいことを平然と言い放つジャニスのような存在を許してはいけないということは、直感的にわかった。
500年も前の自分の力が、現代の存在に通用するのか。
正直、結果は火を見るよりも明らかだろう。
骸骨は、その500年も前のケインズにすら全く歯が立たなかったのだ。
けれども。
骸骨が頼るべきものは、かつて確信を抱き、最後の瞬間に根本的に叩きのめされた闘法以外に無かった。
ジャニスは突如として立ち上がった骸骨を目の前にして、自然と唇が綻びるのを感じた。
「ほう、腕一本はおろか、立ってみせるか。」
骸骨を象るその骨の周囲には、まるで鎧のように黒々とした魔力がまとわり付いていた。
魔王ケインズから事前に伝え聞いたところによると、骸骨には魔道師の素質はなく剣士だったそうだが。
魔道師としてのジャニスには、これほどまでに興味を惹かれることは無かった。
「お主は魔力は使えないと聞いておったがの、なかなかどうして見事なものじゃ。」
まさか、筋肉すら無い肉体をまるでそれを模倣したかのように魔力をまとい、見事に動かしてみせるとは。
先ほどのように右腕だけならジャニスの弟子たちにも何とかなろうが、ここまでのレベルに至る者たちは早々居ないであろう。
「これを、お前たちは魔力と呼ぶのか。」
先ほどのように安易な行動に移らず、いまだに言葉を紡いでくる。
ジャニスは骸骨の露骨な時間稼ぎに、嬉々として応じた。
「一般的では無いがの。あまりにも周囲に溶け込みすぎていて、かろうじて判別可能なレベルじゃ。通底するところはあるが、確かに魔力ではないようじゃて。で、正確には何なのじゃ?」
「・・・これは、殺気だ。」
骸骨の放ったその一言に、ジャニスは思わず聞き入った。
これまで数々の高名な弟子たちに術を授けてきた彼女が、その瞬間はまるでいち学徒のように目を輝かせて骸骨と対峙していた。
それほどまでに、骸骨の言葉には、聞く者を引き込む力があった。
「剣の道を極めた者にとって、もはや剣に振るう価値は無い。私が明確な殺意を抱くのと、剣を振るいその相手が生き絶えるのとは、時差こそあれ同義であるからだ。」
おそらく、とジャニスは分析した。
この言葉は、骸骨が自身に向けて言い聞かせている言葉である。
察するに、かつて精通した自身の闘法をいま必死で呼び起こしているのであろう。
剣士にとっての鍛え上げた肉体とは、魔道師にとっての練り上げた魔力に等しい。
目の前のかつて剣聖とまで呼ばれた骸骨はそれらを全て失い、200数本の骨だけの存在として蘇生され、いま再びかつての力を必死に振おうとしている。
魔道師で言えば、一旦全ての魔力を失った状態からなけなしのものを絞り出して術を放とうとする状態だろう。
そりゃ呪文の詠唱には時間をかけたいわな。
学術的にも、ジャニスは興味津々で次の瞬間を待った。
だが、さすがに判断を誤ったと悟る。
「究極にまで研ぎ澄まされた殺気こそが、全てを斬る源と知れ。お前は、人を外れ過ぎた。」
もったいぶった言い方しちゃってさ。
やっぱあんた、魔術師の素質あるよ。
と突っ込む瞬間は、ジャニスには無かった。
さすが、というべきか全ては一瞬だった。
ジャニスの咽喉元には、骸骨がいうところの”殺気”が突き刺さっていた。
驚きに見開いた視界の端には、見事に剣を模った透明な殺気と、その剣把を握る骸骨の五指が映った。
どれもこれも、想像以上であった。
「見事じゃ。」
さすがにこれには耐え切れず、ジャニスの意識は暗転した。