目覚めたら、骨だけ
剣聖さんの、第二の人生が始まります。
まずは骸骨さんから。
どうぞよろしくお願いします。
「やれやれ、ようやく目が覚めたかい。」
ジャニス・エンゲルスはその年齢の割に甲高い声を発する女だった。
まあもっとも、その実年齢を考えると女と呼ぶ以前に人間と分類することに躊躇いを覚えるほどであるが。
あいにくと、彼女の目の前でカラカラと動く骨の集合体には、そんなことはどうでも良いようだった。
はじめはぼんやりと、しかしそのうち慌てた様子でかつて手だったり足だったりした場所が動く。
「ああ、そうだった。悪いね、気が利かない年寄りで。」
ひとりごちる彼女の目の前で、肺や横隔膜に加え舌といった、声を最低限発するのに必要な器官が再生されることは、無かった。
「あなたは…誰ですか?」
ジャニスは、骨だけの存在としてこの世に蘇った先達たちと異なり、存外に落ち着いた声色を発するその相手に、若干の興味を惹かれた。
「私?ジャニスと呼んでおくれ。質問はそれだけかい、剣聖さん。」
質問にきちんと答えてあげると同時に、生前を想起させる呼び名で呼んであげることも忘れない。
ジャニスはなんだかんだ、面倒見のいい存在であった。
髑髏はしばし黙り込んだのちに、ボソリと呟いた。
「そうだ・・・。私はあの時、確かに事切れたはず・・・・。」
「良い、実に良い結果じゃ。どれ、少し視線を落としてみい。」
骸骨は、刷り込みでもされているかのように自分の足元を見下ろした。
一瞬、全身が大きな音をたてて飛び上がったと共に、カタカタと余震のようなわななきが続いている。骨同士がたまにぶつかり合っているので、結構な音が響く。
「・・・これは、どういうことです。」
「ほう、動揺しながらも理性は保っておられるのか。よしよし、これは思った以上に期待できそうじゃぞ。」
ジャニスはニヤリと笑い、その幼子のような愛くるしい相貌に凶悪な笑みを浮かべた。
「お主にはワシの手伝いをしてもらいたくての、こうして呼んだのじゃよ。」
骸骨の目の前には、どこか見覚えのある笑みを浮かべる幼女が浮かんでいた。
自身を呼んだ、というのはその言葉通りに、死後の世界から呼び出した、ということであろう。
骸骨にはこの少ない時間と会話の中から、必死に多くの情報を得ようとしていた。
「手伝いと言われましても・・・。あなたは私の生前をご存知なのでしょう?」
もちろん、とばかりに頷いた目の前の幼女は骸骨の生前の名を呼び、こう続けた。
「剣聖と呼ばれ、時の勇者と共に魔王のもとに向かった第1次討伐隊の最大戦力。間違いはあるまい?」
一体どのような魔術によってこんな忌まわしい事態になっているのか、ことは骸骨の想像を絶していた。
「それならばご説明申し上げるまでもないでしょう。私は敗れました。他をあたって下さい。」
「お主以上の人材はその後の歴史の中にもおるまいよ。数多の討伐隊も、誰一人として帰って来るものは無かった。そんな中で、」
嫌にひっかかる表現だな、と骸骨は不快そうに骨を鳴らした。
早くも、この身体になれて来ている様子である。
「そもそも、私の死後どのくらいの時間がたったのですか?」
「500年くらいじゃないかい?詳しいことはワシも忘れてしまったよ。如何せん、あまりにも悲劇の多い時間ばかりだったゆえのう・・・。」
二人きりしかいない空間に、ジャニスの静かなため息が漏れる。
しばしの静寂が、彼らを包み込む。
ジャニスは自身の発した言葉の裏にある情景に胸をしめつけられているのだろうか。
骸骨はあまりのことに身じろぎひとつせず、そのあまりにもの長い時間に打ちのめされた。
「・・・王国は、我々の陣営はどうなったのです。」
「お主の仕えておったのは、カディール家だったかい。とうの昔に滅んだよ。今となっては、亡くすには惜しい一族じゃった。子孫たちも、最後まで人としての心を失わない、立派な家柄だった。残念ながら、現在の人類に彼らの志を受け継ぐ者はおらんよ。人心は疲弊し、荒み切ってしまった。」
骸骨は、もはや会話をすることが億劫になった。
かつての王国は滅び、もはや人類に明るい未来は残されていないようだ。
何百年も前の敗残兵が、忌まわしい魔術なり何なりでこうして召集されるくらいだ。
現状は察して余りあるだろう。
一体ぜんたい、こんな状況で何をしろと言うのか。
いやそもそも、には。
「・・・一体、誰が私を呼び起こそうと?」
死霊術まで使って、というのはすんでのところで呑み込んだ。
骸骨の生前では、こんなことするくらいなら潔く全滅を選ぶ、とまでに忌諱されたのが、この術だ。
門外漢である骸骨にも、当時の魔道師たちが抱く嫌悪感はまざまざと伝わってきた。
ちょっと考えればわかる。
死人を呼び出すという行為だ。
おぞましく感じないわけがない。
正直なところ、骸骨は召喚者の人格を疑っている。
思い出すのは、魔族との戦いが厳しさを増し優秀な人材が失われていく中で、血眼で解決策を模索するあまり師霊術の研究に着手した一部の急進愛国者たちだ。
彼らだって、当初は国を救うという崇高な意識を抱いていたはずなのだ。
けれども骸骨が死ぬ間際には、禁断の領域に手を出した者達が辿る末路を辿っていた。
人間には、着手しちゃだめな領域がある。
愛国心溢れる者達の精神が蝕まれていく様は、痛々しいことこのうえ無かった。
とうとう、死人に鞭打つ行為に他ならないこの行為は、カディール王家の下に禁止された。
そこまで堕ちるわけにはいかない、というのが当時の誰もが納得した覚悟だった筈だ。
時代の変遷、というよりは人類の窮乏を思わずにはいられない。
そうした禁忌を破ってまで、骸骨は今ここにこうして呼び出されたようだ。
そもそも生前の知識によれば、呼び出される前に霊体との合意形成がなされるようなのだが、骸骨にそんな記憶は無い。
となれば、強制的に呼び出す方法がこの500年なりの、途方もない時間のうちに研究されたということだ。
そこまでするからには自分には何かしらの役割が期待されているのだろう。
それにはできる限り応えたい。
けれどもなぜ自分が、という疑問は尽きない。
「お主らのいうところの魔王じゃよ。正確には、アーサー・ケインズ殿じゃ。」
ジャニスと名乗った女は、一片の淀みなくそう応えた。
魔王さんの苗字は、一派を築いた有名な経済学者から。