序
その日の僕は本当に、どうかしていたのだと思う。
最近何かと物騒なのを知っていながら、深夜の街をあてどもなくうろついた挙句、あからさまな殺人現場に遭遇し、犯人と思われる女に顔を見られてしまった。とはいえ、それだけなら逃げるなり警察に通報するなりすればよかったのだけれど、問題は、その殺人犯が僕の知り合いであったということである。
「何してるんだよ、お前」
馬鹿で間抜けな僕は、愚かにも殺人犯に声をかけてしまった。
「見てわからないかな? だとしたら伊藤君、相当頭が悪いよ」
「……お前が殺人行為に勤しんでるのは見ればわかる。僕が言いたいのはそういうことじゃなくてーー」
最後まで言い終えるよりも先に、ナイフが喉を貫いていた。熱いものが気管に溢れ、僕は激しく噎せる。
「……かっ、は……」
声が出せない。吸い込んだ空気は、喉に空いた穴から漏れ出してひゅうひゅうと音を立てる。
「ごめんね、見られたからには生かしておけないの」
そんな月並みなセリフを吐いて、殺人犯は僕の身体に幾度もナイフを突き立てる。その度僕の身体は意思と無関係に痙攣し、真っ赤な血液を散らす。
5、6、7、8回……。
10回目まで数えて、その後はわからない。
意識が闇に落ちていく。