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雪の中の嘘

 








 綺麗な黒髪だ。嘘みたいに綺麗で、自分は好きになれない。ほっそりした首筋や、薄い耳たぶも。何もかもが華奢で、濡れたような瞳が向けられると嫌悪してしまう。


 自分のベッドに体を起こしている“彼女”を見下ろすライネルの目は鋭い。頭の中を埋めている半分は疑惑、もう半分は苛立ちだ。非常に子どもっぽい表現をすれば、すべての始まりは嫉妬なのかも知れない。もちろんそんなこと、おくびにも出さないが。

 ほとんど無意識のうちに、ライネルの口から溜息が零れた。言葉に言い表せない気持ちが、どうしても出てしまったらしい。


 ユキが、びくりと肩を揺らした。

 その瞳に怯えの色が浮かんだのを見て、ライネルは無言で体を屈めた。踏みしめた床が、ぎしりと軋む。悲鳴のような音が不快で、彼は眉間にしわを寄せた。


「――――いいか」


 低い、リサと話している時とは別人かと思うほど低い声でライネルは言った。


「絶対に、誰にも知られるなよ」


 狩った野ウサギを捌いた時のものだろう、血生臭さが鼻をつく。

 慣れたライネルにも良い匂いだとは思えないのだから、療養中のユキには辛い。彼の捲くった袖口に見える返り血の赤を見つけて、彼女は唇を震わせた。

 こういう態度が、いちいち苛立ちを煽るのだ。頷く様子のないユキを前に、ライネルは今一度語気を強めようと息を吸い込む。


「それから、リサと必要以上に親しくするな。

 女だから待ってやってるが、おかしな真似をしたら叩き出してやる。

 体が癒えてから村を出られるように、せいぜい賢く振舞うんだな」


 吹き付けた風が窓を揺らし、ライネルの押し殺した声をかき消す。

 そして気圧されたユキが頷こうとした、その時だ。彼女は、おもむろに戸口へと視線を走らせたライネルが目を見開いていることに気がついた。


「――――あ……」


 ドアの向こう、わずかな隙間から小さな声が聴こえた。誰がいるのか、なんて分かり切っている。リサだ。

 知られるな、と言われたばかりのユキは固まったまま動けなかった。口を開くことすら出来ないでいる。


 刹那の間をおいて、驚愕の表情を浮かべていたリサが突然踵を返した。しばらくしてドアの閉まる音が響く。

 その音を聞き取ったライネルは、苦い顔をして溜息をついたのだった。








「あんたね、もうちょっと静かに入って来れないの?」


 “準備中”の札が下げられた店に駆け込んできたリサを見るなり、そう言い放ったのはアルマだった。彼女は芋の皮を剥いている手を止めて、うわぁ、と口を開けている。

 そして彼女は、リサの格好に気がついて眉根を寄せた。


「何かあったの?

 それともただの、おっちょこちょい?」

「……う、それは、その……料理してて暑くて!」

「嘘ばっかり。

 こんなに寒い日に上着も羽織らないで駆け込んでくるなんて信じられない。

 ……もし本当に何もないなら、わたし、あんたの頭を疑うわ」


 アルマの物言いは、いつもズケズケと遠慮がない。下手な言い訳をしたリサは、ばっさり切り捨てられれ口を噤んでしまった。なんだかよくわからないけれど、すごく泣きたい気分だ。

 そんなリサの内心を知ってか知らずか、アルマは芋の皮剥きを再開して口を開いた。


「居候に苛められでもした?」

「……そんなわけ……」


 溜息混じりの言葉に、リサが首を振る。

 ユキが体を癒すために家に滞在していることは、村全体に広まっている。自警団が関わっているのだから、当然といえば当然だ。アルマがそんなことを言うのも仕方ないと分かっている。でも、思わず家を飛び出してしまったのはユキのせいではない。


「ユキはそんな子じゃないもん」


 リサは口を尖らせた。ユキが一部の村人達によく思われていないことは知っている。もともと外の人間が長く留まることに対して否定的なのだ。

 もちろん自分たちが移り住んだ時もそうだった。でもそれは仕方ないことだ、とリサは思っている。まだ子どもだったから記憶にはないけれど、ほんの15年ほど前まで、町や村の外には暴力や略奪が蔓延っていたらしいから。


「じゃあ何よ、兄妹喧嘩?

 珍しいこともあるもんねぇ」


 手際よくナイフを動かしながら、アルマが尋ねた。ちらりと走らせた視線から、隠し切れない笑みが滲む。

 けれどリサは否定も肯定も出来ずに顔を強張らせた。何を見て家を飛び出したのかを改めて思い出して、心臓がドクドクと音を立てる。

 一方、ちょっとからかってやろうと思っただけのアルマは、いつもなら笑い飛ばすかプリプリ怒るリサが黙り込んでしまったのを見て慌てて口を開いた。


「え、嘘、やだごめん。

 まさか本当にライネルと喧嘩したの?」


 仕込み途中の芋を放り出したアルマはリサに駆け寄ると、その肩を押してカウンター席に座らせた。そして自分はカウンターの中に戻り、手早くカップを用意する。お茶くらいなら、いつでも提供できるようにしてある。なんだかよく分からないけれど今までになく深刻そうな表情を浮かべて椅子に座るリサのために、商売用の茶葉に手を伸ばした。今日だけは特別だ。特別にしてやらないといけない、そんな気がして。





 ほぅ、と息を吐けば湯気がふわりと揺れる。温かいお茶を啜ってようやく気分が落ち着いてきたリサは、小さな声で呟いた。


「ありがと、アルマ」

「……ん、いいってことよ」


 隣に腰かけたアルマは、つまみ用のナッツを口に放り込んで頷いた。依然として普段と違う様子の友人のことは気になるけれど、それは顔にも声にも出さず。


「それで、何があったの?

 喧嘩じゃないにしても……まあ、何かはあったんでしょ?」

「うん、まあ……ちょっと」


 言葉を濁したリサを、アルマが小突いた。不意のことにリサの肩が揺れて、持っていたカップの中身が波を立てる。


「もしかしてー、ライネルの裸でも見ちゃったとか!」

「えっ」


 思わぬひと言を浴びたリサの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。言われた瞬間に、勝手に頭の中にその姿が浮かびそうになってしまったのだ。


「えっ?」


 的外れなことを言ってリサに叩き返されるつもりでいたアルマだったけれど、予想とは違う反応に戸惑ってしまった。そして、なんだそんなことか、と呆れて言葉を失った。父や兄弟が一緒に住んでいれば、否応なしに見たくもないものを目にすることだってあるだろう。大したことじゃない。

 溜息をついた彼女は、わたわたと両手を動かして「いやちがっ、そうじゃ……」とうろたえているリサの口にナッツを放り込んでやる。


「なにもう、心配して損したわ」


 そう言いながらも、アルマの頬は安堵したように緩んでいるのだった。









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