八雲和真と宮内千尋。
「春日はさー、」
「うん?」
入学式の三日後のお昼休み。まだクラスは比較的静かで、なんとなくグループが出来て各人たどたどしく会話を交わす程度だ。
私は仲良くなった唯一のクラスメイト、咲島と弁当を食べていた。残念ながら、兄のようなコミュニケーション能力は私には備わっていない。卵焼きを口に入れた瞬間、咲島に話しかけられる。
「部活どこにすんの?」
「帰宅部に入ります」
「せめてどこにも入らないって言え」
笑顔で怒られた。怖い。
「咲島は?」
「俺?……合唱部かな……」
「歌、好きなのか。へーほー」
「やっぱりお前殴っていい?」
「や、勘弁してくださいまじで。体格差考えて!私のが小さいから!」
咲島の手の箸がぱきりと真っ二つに折れる。咲島さん、それ割り箸だけどね?あんたそれ折れちゃアカン方向に折れてるよ?
ご飯をむぐむぐと咀嚼していると、突然背後から「春日さん…?」と声をかけられる。振り向くと、初会話のクラスメイトがおどおどしながら扉の方を指差して言った。
「中二と、中三の先輩が呼んでるよ?」
「……ん?誰だろ……
ありがと!咲島ァァァァア!私の弁当盗るなよー?!」
盗らねえよばぁぁぁか!!と叫ぶ声を背中に受けつつ、教室の扉を開けて廊下に出る。途端、体がぶるりと震えた。やっぱり、四月とはいえまだ寒い。
「お、来たで」
後少しで百八十センチくらいであろう長身でつり目の男子生徒が、私に気が付いて口元を歪めた。制服のネクタイは少し緩められているくらいで、そんなにだらしない印象は受けない。だが胡散臭そうだ。
明らかに引いた目でそちらを見ていると、濡れ羽色の髪を靡かせた男子生徒がつり目の男子生徒の向こう脛をガッ、と蹴飛ばした。クリティカルヒット!うわあ痛そう!!
「黙れキツネ。後輩を怯えさせてはどうすんだよ。用事あるってわざわざ中二の教室まで来て俺を引っ張り出してきたのはあんただろーが!」
あれ、私の知ってる先輩後輩の上下関係じゃない。むしろ逆な気がする。
「ちーひーろー?!ひどない?!なんも脛蹴らんでもええやろ?!」
「当然だアホ!!」
「いやいやストップストップ!」
遂には喧嘩までに発展した二人の間になんとか割ってはいる。
「すいません、春日ですけどご用件は?って……あれ?もしかして入学式の時の御札の……」
「おーすまんかったわ……。そうそう、御札貼ったんのオレらさかい」
「昼にわりいな」
チヒロ、と呼ばれた男子生徒は、申し訳無さそうに横に垂れた自分の髪の毛を触った。どうやら癖らしい。普通それだけ弄ればボサボサになるであろう髪は、すんなり元の状態に戻ってしまう。羨ましい。
彼の身長は百七十センチ少しくらいで、特に大きいというわけではなさそうだ。それに、制服もきちんと着こなしていて胡散臭くはない。少し口は悪そうだけれ ども。制服と胡散臭さは関係ないけど。うん。
「それで、や」
「先輩、俺たち自己紹介してないですよ」
「はっ、忘れとった!」
天然なのか?天然なのか。そうなのか……。
そろそろこの茶番にも疲れてきた。
「中等部三年B組、八雲和真や。よろしゅうなー」
「中等部二年A組の宮内千尋だ。うちの先輩が騒いで悪いな。あと、春日先輩には御世話になった……と思う」
「一年D組の春日紫です……って、先輩って兄の碧のことですか?」
「おん。春日先輩に聞いとらんの?うちの部活のこと」
「部活ぅ?」
はて、何か言われただろうか。頭を捻りつつここ最近の記憶を思い起こしてみるが、“部活”という単語は入学式の帰りの【部活の後輩】の言葉以外に聞いていない。
「……あの人、話してないのにコレ寄越したのかよ……」
宮内先輩が手に持った白い封筒と私の顔を見比べながら深い溜め息を吐いた。なんだかこの先輩、苦労人っぽい。
「まあ預かってしまったものはしゃあないわ~。春日先輩もなんか考えがあるんとちゃう?」
相変わらず歪めた口元を更に歪める八雲先輩。それ に対し、宮内先輩は絶対零度並みに冷え切った目を彼に向けた。この二人、本当に上下関係あんの?
「春日」
「?はい」
「悪いが……今日の放課後、ここに来い」
どこからかメモ帳を取り出した宮内先輩は、そのメモにさらさらっと何かを書いて私に手渡した。訳もわからずにそれを受け取ると、彼は「もう時間がねえな」と呟いて隣の八雲先輩のネクタイをぐいっと引っ張った。八雲先輩の口から潰れた蛙のような声が出る。
「じゃあ、また後でな。詳しいことはそこで話す。全く……肝心な話を全然話せてないじゃないですか」
「え、オレのせいなん?!」
「あんた以外に誰が居んだよ!帰るぞ!」
ぎゃいぎゃい喧嘩しながら教室に戻っていく二人をぽかんと見送りつつ、手に握ったメモの紙を開く。それを確認すると同時に予鈴が鳴った。
メモには、丁寧な文字が短く並んでいた。
【新館二階 心理学研究会部室】
「春日ー!授業始まるぞー!」
「今行くー!」
ブレザーのポケットにそのメモを入れ込むと、咲島の呼ぶ声の方に向かって教室に飛び込んだ。
そして、五時間目の始まりを知らせる本鈴が響く。週番が号令をかける。カツカツと先生がチョークを黒板にぶつける音がする。それと一緒に発される子守唄とともに、私の意識は段々授業から離れていく。
数時間後の放課後に起こることなんて、まだ知るわけもなく……