坊主騙りはダメ絶対
神原学院は中高一貫校の共学です。
憂鬱だ。憂鬱すぎる。死ぬ。
──(煩い)
(胃が痛い)
頭の中でリオと言い争いをしながら、重い足取りで入学式の行われる体育館へと向かう。もう疲れた。
二階から一階の端の体育館へ向かうにつれて、どんどん嫌な予感が膨らんでいく。
遂に体育館前の渡り廊下まで着たとき、その嫌な予感は最高頂だった。体育館から溢れ出ている黒いオーラのようなものと腐臭は、並みのものじゃない。
(もう嫌な予感しかしない)
──(諦めなよ。アオイたちも居るならどうにかなるって)
密かに溜め息を吐く。周りを見渡せば、何人かの生徒が顔をしかめて袖で鼻や口を覆っていた。やはり気付くか。
渡り廊下でクラスの列に並んでいると、後ろからつんつん、と肩をつつかれた。
振り向けば、出席番号が後ろ前であるクラスメイトの男子が封筒を差し出してくる。
「あそこに居る髪が長い男の人 が、お前に渡してくれって」
兄は長髪だから、兄だろう。封筒を開けてみれば、予想通り紙の御札が数枚入っていた。
「ん、有り難う。じゃあ御礼」
「へ?」
後ろの彼に一枚の御札を押し付け、すぐにポケットに仕舞うように指示する。彼は面食らっていたが、素直に従ってくれた。
「これ、なんだ?……あれ、さっきまで臭かったのに……」
「御札。誰にも言うなよ?私まだ変人扱いは勘弁だから。あ、春日紫です。一年間宜しくー」
「わかった。咲島コウだ。宜しく……春日」
「咲島ねー、入学式、何か起こっても気にしないように」
ぽかんとした彼を放置し、前の生徒が動き出すのを見て追いかける。その途中ですれ違った二人の生徒の会話は聞こえずに……
「なんや、春日センパイの妹ちゃんおもろそうな子やなー。そう思わん?千尋?」
「そんなこと俺に言ってる暇があったら、さっさと体育館の中入って下さい。大体、俺とあんたは学年違うでしょ。後ろが詰まってますよ八雲先輩」
* * *
「只今より、神原学院中等部入学式を開始します。一同、礼」
司会役の教頭の声に、在校生も新入生も一斉に頭を下げる。私はといえば、礼をしながらもう何回目になるかわからない溜め息を吐いていた。
この異様な霊の数の原因。それは、特別席にやたらとふんぞり返って座るだらしなく太った坊主のような男にあった。やたらと大きなマスクを付けている。
校長の祝辞の最中、こっそりとプログラムの表を盗み見る。そこには、小さくだが【安全祈願…××寺住職】と記されていた。なんでも、五年に一度やることになっているのだとか……。なんや安全祈願て。
これは勘だが、あの坊主は偽物だろう。普通の僧はどんなに薄かろうが結界が張ってある。なのに、あいつは逆に悪霊を寄せ付けている。
──(とんだ年に入学しちゃったね)
(うん……。校長たちもなんで気付かないし)
「──……次は、五年に一度の安全祈願の経を××寺の住職の方に読んで頂きます。お願いします」
「はい」
短い足をせかせかと動かし、ステージ上に坊主が上がる。そして、じゃらじゃらとした安っぽい数珠を手に持つとでたらめな経を唱えだした。
(ちょっ、リオ!マズいよね!?)
──(窓にびっしり悪霊が張り付いてる……!止めないと、窓が割れて怪我人が出るよ!?)
やはり、私の他にも少なからず居た霊感持ちの生徒たちや保護者たちが悲鳴を上げる。霊感がない人々も、ピシピシと嫌な音を立てる窓にざわつき始めていた。
──(あっ……窓にヒビが……)
(嘘?!強化ガラスのはずでしょ?!)
自分の近くの窓に蜘蛛の巣状のヒビが入った次の瞬間、その窓に向かって誰かがパァン!と見覚えのある紙を貼り付けた。偽坊主も、生徒や保護者、教師もポカンとそれを見つめる。
それは、間違いなく兄が作った御札だった。
私の近くの窓に御札を貼り付けた濡れ羽色の綺麗な髪の男子は、整った顔を歪めながら反対側を向いた。
「そっちはどうですか、先輩!」
「大丈夫やでー!」
関東では珍しい関西弁に、思わずそっちを見る。いや、私も北九州出身だから方言たまに出るけど。反対側の二階では、背の高いつり目の男子が濡れ羽色の髪の男子に向かって手を振っていた。
気付けば、体育館全部の窓に御札が張り付けてあった。
「くぉらぁぁっ!宮内!八雲!またお前ら二人か!」
やっと我に返ったらしい教師の一人が、二人に向かって叫んだ。二人は軽く舌打ちすると、くるりと方向転換して体育館から飛び出していく。それを、数人の教師たちが追いかけていった。
「ところで先生方」
しんとしていた体育館に、誰かの声が響く。聞き覚えのある穏やかな声に振り向くと、保護者席で兄が立ち上がっていた。横には父と母もいる。
「な、なんだ君は……座りなさ、って……春日か?」
「あ、先生お久しぶりです。じゃなくて、」
脱線しそうになった話を元に戻しつつ、彼は笑みを崩さずに言った。
「その住職さん、偽物ですよ?」
「……はあ?!」
体育館に居た全員が叫ぶ。予めそれを感じていた私は耳を塞いだ。隣の咲島も、薄々気付いていたようだ。目を見開くくらいで、叫びはしなかった。
「お、おい……根拠はなんだよ……オレが、住職じゃないって根拠は!」
「数珠。歩くときの持ち手は右手ですよ?」
「なっ……だって調べたら左手で……!あ」
偽坊主の顔がどんどん青ざめていく。完全に、ボロが出た。
兄は引っかけたのだ。本当は……
「はい。歩くときも、座るときも、持ち手は左手ですよ?」
不気味なまでににっこりと笑った兄は、妹ながらに恐ろしかった。
「ちょっと来てもらおうか」
厳しい顔付きの警備員が、青くなったり赤くなったりする偽坊主を連れて行こうとする。と、
「動くな!!」
彼は、突然ステージから飛び降りてステージ近くの椅子に座っていた中二の男子にどこからか取り出したナイフを突きつけた。
突然のことに、生徒たちは固まってしまう。
(え、何これ、どういう展開?)
──(うわ……)
しかし、次に偽坊主の方向を見たときには彼は消えていた。
「へっ?!」
思わず素っ頓狂な声を出すと、パンパン、と埃を払いながら立ち上がる人質にされかけた男子がいた。
「あ、あの人……」
隣から咲島が呟く声が聞こえた。
「確か、去年の関東大会で準優勝してた柔道部の人だ……真波センパイ、だっけ?」
そりゃ負けますよねー!!
あっさり伸びてしまった偽坊主に少し同情しながら、警備員に引きずられていく彼を見送った。
大波乱の入学式は、こうしてやっと終わった。
* * *
「……よく偽物と気付いたな、春日」
入学式後。咲島に手を振ってから正門を出た。きょろきょろと辺りを見渡し、兄の立っていた場所まで行くと、中年の男性教師と兄が話していた。まだこっちには気付いていないらしい。
「俺自身昔からお経とかに興味あったんで、あのお経がでたらめだってすぐに気付いたんです」
兄は笑いながらそう答えた。ぶわっと風が吹いて、桜の花びらが落ちてくる。
「ところで、あの窓の……」
(わあああああ!!これ絶対御札のこと訊かれるよね?!出て行く?!出て行くべき?!よし出て行こう!!)
──(出て行くの三段活用……?)
「あ、ユカ」
「……ん?お前、妹居たのか?」
「はい。今年入学でした」
「入学式早々えらい目にあったなあ……」
「じゃあ、俺たちは帰ります」
話していた教師の返事を待たずにすたすたと歩き始める。後ろで緩く結われた黒い髪が背中でふわりと舞った。
その背中を慌てて追いかけると、兄はようやく歩く速度をゆるめてくれた。
「「散々な目にあった……」」
ぐったりとした声が重なる。これこそ兄妹の成せる技だろう。いや、でも本当に疲れた。
「まさかさ、坊主がすり替わってるとか思う?偶々人質にされた奴が柔道部だとか思う?俺なら思わない」
「同じくで」
「今度、協力してくれたあの二人に何か奢ってやろう……」
「?あの御札持ってた二人のこと?知り合い?」
“ミヤウチ”先輩と“ヤクモ”先輩だったっけ?
「部活の後輩ー」
「部活かー……」
そういえば、まだ何部に入るか決めてなかった。もう帰宅部でいいかな。
「多分、またすぐに会うことになるよ」
その時フフフ、と意味深に笑った兄に気付けなかった私は、後々とても後悔することになる……