8.「ノア。俺に質問しろ」
8.体育祭三週間前、水曜
マクドナルドでノアのノートを見て、アイスコーヒーを飲みつつ不機嫌に言った。
「何で俺の名前が載ってんだ」
しかも黄色。
「会長も、あぶないです。お休みが必要です」
俺をまっすぐに見て、ノアが呟く。
体育祭まで三週間を切っていた。途切れない仕事に、確かに参ってきてはいた。
しかし、これまで見てきた黄信号のやつらと同じとは。
「ノア。今日は何曜だ」
「はい、ええと、水曜日です」
「だろ。明日と明後日乗り切れば土曜だ。休みだ。月曜になればノートから名前も消えるだろ」
ノアが困惑したように俺を見返す。
「あの、お休みは、できませんか。明日一日だけでも」
「この状況で休めるわけないだろ。お前、なにを見てる」
「会長を、みています。お休みは、できませんか」
泣きそうな顔で、ノアが言う。
「できない」
断言した。
ノアが俯いて、小さく言った。
「せめて、お仕事を軽くは、できませんか。効率化は、できませんか。会長のお仕事は、多すぎます」
仕事を軽くしろ。効率よくしろ。俺が常々メンバーに言っていることだ。
アイスコーヒーを飲み干した。黙って席を立ち、もう一杯買いに行く。
頭の中で仕事の優先順位を並べる。
どれも切れない。黒石に切らせた以上に、既に思い切り、切っている。
「あー……」
席に戻り、ノアを前にうめいた。誰かに回せる仕事もない。回したらそいつがつぶれる。
どうにも頭が働かんな。糖分が足りないか。普段は入れないシロップをアイスコーヒーに投入する。
ストローでかき混ぜて飲もうとしたとき、ノアが手を伸ばして、コーヒーのプラスチックカップを俺から遠ざけた。
「おい」
なにしてんだ。ノアを睨む。ノアがバニラシェイクを差し出した。
「エネルギーでしたら、こちらを。コーヒーはいけません。眠りを妨げます」
「はぁ? 俺はな、コーヒー飲んだって眠れるんだ。邪魔すんな」
口調が荒くなる。苛々してることを自覚する。
黄信号か。確かにな。
ため息をついた。
ノア相手だからいいものの、こんな言葉、他のメンバーにぶつけたら衝突するか相手が撃沈する。みんなピリピリしてきている。
ノアがコーヒーを持ったまま返さないので、仕方なく目の前に置かれたバニラシェイクを飲んだ。甘い上に溶けかけている。
「あー、もう」
テーブルに両肘ついて頭を抱えた。
仕事の重要度を見極める。マストなのかベターなのか判断する。ベターは切り捨てる。
全部、すでにやっている。
それでも追いつかなくなってきた。
赤信号の人数も日増しに増えている。対処してもしても追いつかない。赤信号のやつはミスをやらかす。その取り返しに時間がかかる。だから赤信号の対処はマストだ。
赤信号のやつ。そいつらが少しでも減れば、フォローの手間が減る。
どう減らすか。
「ノア」
顔を上げて、名前を呼んだ。
「はい」
「俺に質問しろ」
「はい。なにをお聞きましょうか」
ノアが身を乗り出す。
「どうやって赤信号を減らすか、聞け」
「はい。どうやって赤信号を減らしましょうか」
どうするか。
「黄信号を減らす」
「はい。黄信号を減らします」
「そのために青信号を減らす」
「はい。青信号を減らします」
そのためには何が必要だ。
バニラシェイクを飲む。
甘い。
思考が飛んだ。根本的に、そもそも。
「なんで信号がつくんだ」
「なんで、でしょうか」
おいポンコツ。禅問答じゃねぇんだ。ちょっとは協力しろ。ノアを睨んだ。
「ノアはどう思う。意見を言ってみろ。なんで信号がつく」
ノアが眉間にしわを寄せた。
「お仕事が、多いからです」
「多いな」
「多いです」
ノアが繰り返す。
わかってんだ、多いのは。それは仕方ない。
「効率化しろと言っている。優先順位をつけろと言っている」
「はい。会長は、おっしゃっています」
言っているのに何人も青信号が出る。フォローしきれずにいると、黄になって赤になる。それはなぜだ。
黒石みたいに、一度信号が消えればあとは消えっぱなしのやつもいる一方で、何度も赤信号になるやつもいる。新たに信号がつくやつもいる。
優先順位の付け方を、黒石は一度で学んだ。自分の力量を正確にわかっていた。
何度も信号がつくやつは、わかっていなかった。
そこか。
「授業でもやるか」
呟いた。
一旦、仕事を全部止めてでも、やるか。
ノアが向かいで嬉しそうに笑った。
「はい。やりましょう。会長、今、青信号になりました」
「あ、そう」
俺はなんとなく不機嫌なまま、バニラシェイクを飲み干した。
コーヒーをやめて俺もシェイクにするか、と、そんなことを思った。
赤、黄、青信号、それぞれのやつらの状況を聞き、ノアを地下鉄の駅まで送ってから、自分も帰途につくべくJRの駅へ向かう。
歩きながら携帯を取り出して、電話をかける。
すぐにつながった。
「滝川です。受験勉強中にすみません。今、お時間いただいても大丈夫でしょうか」
そう申し出ると、電話の相手は楽しそうに笑った。
『久しぶり。そろそろ来るかなって思ってたよ。はい、どうぞ』
真野先輩。去年、図書委員長という身分ながら、頻繁に生徒会に出入りしては裏で支えていたメンバーだ。俺は、前生徒会長よりもこの人のほうが仕事ができるとみていた。仕事の優先順位の付け方も人の使い方も、何もかも、さりげなくこの人が俺に教えていった。
今の生徒会と体育委員会の状況や、ノートで信号をつけていること、そして明日授業をやろうと思っていることを、ざっと説明する。
相づちを打ちながら、真野先輩は静かに聞いていた。
「授業、どう思います?」
『いいと思うよ。ただ、そもそも論をちゃんと語らなきゃね』
「そもそも論、ですか」
『うん。なんで効率化するのか、ってとこ。目的をはっきり示さないと人は動かないよ』
「はい」
他にもいくつかアドバイスをもらう。
お礼を言って電話を切ろうとしたとき、真野先輩が尋ねた。
『上田乃亜ちゃんの名前は、ノートに載ってる?』
「いえ」
ノアの名前は載ったことがない。そもそもあいつの仕事の負荷は低い。
『気をつけて。ノートをつけてる本人も危ないよ』
「はい」
『滝川は、できる子だから。どうしても、できない子の気持ちを見落としがちになるね。視線を下げるんだよ。その子の目線で見るようにね』
この先輩にかかれば、俺もしょせん「できる子」呼ばわりなのだ。
「はい。様子をみてみます。ありがとうございました」
通話を終えてから気づく。
上田乃亜、と真野先輩は言った。
俺はただ、一年の後輩に状況を見させて信号分けをしている、と説明しただけのはずだ。
図書委員長を引退してもなお、学校内の状況を正確に把握している。
その情報収集力に、背筋がぞくりとした。




