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第十三話 襲撃―中

「あ…、あれが紅凜(こうりん)

「噂は聞いてたけど…」


 蛇に睨まれた蛙。強烈な殺気と魔力に当てられた魔物二人は、そんな体でようよう動き出した。

 どうやらあの二人は師匠のことを噂のみとはいえ知っているらしい。

 それにしても、だ。


「紅凜、か。相変わらず色々なところで渾名が増えているな」

「あの人だったんですか……、支配者級二人を相手に大立ち回りを演じたというのは」

「……何をやってるんだ、あの人は」


 また一つ、新たに加わっていた伝説に頭痛を感じないでもないが意識的にそれを無視する。

 あの人とロキ級がぶつかれば街一つくらいは簡単に消し飛ぶ。私どころかアレクすらもそういった情報を得られなかったのは、その戦闘を見て生きていた人間が極端に少なかったのだろう。


 …まぁ何にせよ相手が師匠に畏縮してくれているのは好都合だ。


「お前たちの相手を長々する時間はない。早々に斬らせてもらうぞ」

「その意見には同意です。私も国王の身が心配ですので」


 着替えをした為、腰に付け替えていた剣を抜き一歩踏み出して相手を挑発する。それに同調するようにドーラも龍のカギ爪となっている十指を眼前に合わせ、一歩前へと出る。


 相手の手の内を知らないのだから不用意に飛び込むような真似はしたくないのだが何しろ時間が無い。

 アレクがいれば余程のことがない限り問題は無いと思うのだが……。


「舐めるなよ……ッ!」


 私たちの挑発に優男風に見えたエランの相貌が激変する。

 整えられた髪は見えざる魔力にさわざめき、垂れ目に見えた両の目はつり上がり、口の端は耳まで裂けている。


 いわゆる魔獣のソレだ。


「一気に魔物臭くなったな。お前もあんな風になるのか?」

「ははは……勘弁してくださいよ、デュオさん」


 横目でちらりとドーラを見ると微苦笑している。

 隣にいる半龍が本当に人間臭いと再認識して私も苦笑を返す。


「バックアップを頼む」

「了解です」


 ドーラが返事をしたのを確認し、下生えの草の上を一歩二歩と踏み出して一気に加速する。


 先手必勝。私がどうにも苦手とした師匠の教えを実践する。

 その師匠は大分遠いところで大男と対峙している。その顔には邪気の無い笑みが浮かんでいる。

 我が師匠ながら、子供のようなその笑顔に恐怖を覚える。


 気を取り直して眼前の敵に集中する。

 一刀で首を落とす。

 そんな思惑通りに吸い込まれるようにして下方に構えていた剣を首に向け斬り上げる。

 勢いに乗った刃は―――

何ら抵抗もなくエランの首を切り落とした。


 ……なっ!


 驚愕の呻き声を上げたのは他でもない、私だ。

 何の策もない、真っ直ぐで速さだけの一刀で、仮にも身震いするほどの魔力を有している魔物の首を落とせるはずがない。

 それにエランの隣にいるミーアが微動だにしなかった。ただ、微笑していただけだ。

 言い知れぬ不安を感じる私ときりきりと空を舞うエランの首の目が合う。


 嗤っている―――

 不安が悪寒に変わり、踏み込んだ足を基点に退こうとする。


「ダメよ」


 ミーアの放った短い一言に、その場に釘付けにされる。私の両足首はいびつな泥の腕に掴まれていた。

 召喚術か変則的な地脈魔法か。

 推測する間もなく目の前のエランの首無し死体が膨張し爆発した。

 爆発の勢いに乗ればただの肉片でも驚異。骨など飛んでくれば人間一人くらい軽く死ねる。

 舌打ちをして剣を盾にしようと動いた私だが、辺りに飛び散ったのは肉片でも骨ではなく十数本の黒い触手。


「なッ!?」


 驚愕をなんとか飲み込み、瞬間的に盾がわりにしていた剣を振るうが如何せん出足も遅ければ間合いも近すぎる。

 数本の触手が剣の間合いをすり抜けてくるのを見てせめて急所に当たらぬように身をよじる。

 が、


「剣から手を離してください」


 と落ち着いた声音と共に目の前に大質量が落下。私の持つ剣ごと迫っていた触手を地面に叩きつける。

 その大質量―――ドーラの巨大化した腕から地面に赤い法陣が展開。炎が地面から立ち上がり、一瞬で壁を作り、触手を燃やし、ミーアを飛び退かせる。


「なるほど。これは『影』ですね」


 ドーラは潰された上に焼きつくされた黒い触手を見て一人呟く。腕は人のサイズに戻っている。


「影、か。あまり聞かない能力だな」

「ええ、私たちの中でも稀有けうな能力ですから。『影喰らい』などと呼ばれていて文字通り影を喰らって戦闘に使います」


 そう言うと、ドーラは下敷きとなっていた剣を拾い上げて少しだけ驚いた顔をする。


「完全に壊れたと思ったんですが。随分と頑丈に出来ているのですね」

「……ん? あぁ、それを作った奴が言うには『壊れない剣』がコンセプトらしい」


 頭の中で笑顔でそれを差し出してきたマッドサイエンティストを思い出しながら頬を歪める。


 …しかし、壊れない剣といっても限界がある。一応は剣としての形を保っているがガタも相当来ている。

 …無理は出来ない、ということか。


 そして、間の悪いことに通常の拳銃よりも少々大きく、かさ張るヒドゥンはアレク達のところに置いてきている。

 それに比べ、比較的持ち運びが容易な似非護身武器―ライトニング・レイはズボンの後ろポケットに差し込んであるが、如何せんあれらと対峙するには火力が足りない上に残りは三本しかない。


 ため息を吐いて視線を戻すと、空に浮かんだ雲の影からちょうど這い出てくる無傷のエランの姿が映った。


「で、アレの弱点はわかるのか?」

「んー……、残念ですがわかりません。辺り一帯を燃やしつくせばさすがに倒せると思いますが?」

「師匠に標的にされるのが怖くないんだったら是非頼みたいとこだがな」


 冗談めかして言うドーラに私は割と本気でそんなことを呟く。

 あの状態の師匠にかすり傷一つでも付けようものならば、顔見知りといえども漏れなく殲滅対象入りだ。それだけは絶対に避けなければいけない。


「あはは、本当に爆弾みたいな人なんですね。あの人は」

「そんなもので済むなら私もそれほど悩まないでいいんだが」


 ため息を吐く私を見てドーラは笑みを浮かべていたが、正面を向いた時にはその表情が真面目なものに変わる。


「まぁ、冗談は置いておきましょう。今はあの二人を退けることに集中です」

「それは無理だよ。剣でも爪でも、僕は殺せない」


 炎が揺らめいて絶ち消える。

 下生えの草が燃え、煙が上がるなか、余裕を取り戻したのか泰然とした態度でエランが語りかけてくる。


「それに大したことないじゃないか。確かに動きは速いし力も強いけど、所詮は人間に毛の生えた程度だ。わざわざ僕らが三人も呼び出されたのはあの怪物と半龍がいたからかな?」


 挑発した仕返しといったところだろうか。


「まったくもってその通りだな」


 とはいえ、言っていることは的を得ている。

 この場で純粋な人間は私一人だ。…や、正確に言えばもう一人いるのだが、その人をただの人間と称するには何か違和感がある。

 世界最強に半龍に強烈な魔力を有するシレン級かロキ級の魔物が三体。


 あー…浮いているな。


「ふふ……ははは! やっぱり面白いですね、貴方は。僕の見込んだ通りの人ですよ」


 今回の件の当事者である私が呆と遠い目をしているのを見て、ドーラが堪えきれないといった様子で笑いだす。


「その物事を正確に捉えられる冷静さがあなたの強みなんでしょうね。……それに」


 一頻(ひとしき)り笑ったあとにドーラは目を細めて小声で私に呟きかけてくる。


「まだ見せていない力があるんですよね?」

「……買い被りだな」


 適当にあしらう私の言葉を気にした風もなく、そうですか、と前を向く姿はやはり人間のソレだ。


「あらあら、やっぱり貴方たち危機感が足りないんじゃない?」


 しばらく俯いて黙ったままであったミーアが顔を上げる。

 ローブのフードは落ち、口元はエラン同様に裂けて目元は黒いクマが浮かんでいる顔が見える。

 先程までとは顔つきが違う。ということは。


「本気、ということですね。大きいのが来ますよ」

「この魔磁場の変化は……瞬雷系か」


 瞬雷系―――炎刹系と並ぶ、いわゆる魔法の四大素の一つである『雷』を使役する魔法が比較的小さめの法陣から幾つもの小さい光球となってこちらに向かってくる。

 おそらく私たちが話している間に魔力を貯め込んでいたのだろう、法陣は小さいが数、速さも通常の魔法とは倍近い。

 一見すれば師匠の蛇のような雷よりも規模が小さいため、威力も大したことがなさそうに見えるが、一つでも当たれば一瞬とはいえ身体の自由を奪う位の威力はある。言うまでもなく、そうなれば終わりだ。


 持っているだけでガタが来ているとわかる剣を地面に刺すと、バックステップで光球から距離をとる。


「自分から武器を手放すとはね。無様だよ」

「言ってろっ!」


 楽しくてしょうがないといった声色のエランに先程よりも苛立ちを覚えるがとりあえずは相手にしない。

 向かってくる光球は私に七、ドーラに十。

 オートサーチなのかミーアは次の詠唱に入っている。今度は先のものより巨大な魔方陣―――破戒陣が展開されている。

 そこまで確認したところで地面に這うようにして伏せる。

 頭上に数個の光球が通りすぎるが、当然時間差がつけられている攻撃を全て避けることなど出来ず、視界の端には下方に動きを修正され再び私に向かってくる光球が移る。

 横に転がるようにしてそれを交わして、伏せたときに握り込んでいた小さな石を光球に向けて投擲する。


 魔法というものは存外に物理的な攻撃に弱い。特に無理に形状を留めようとしている魔法は少しの衝撃でも破裂してしまう。

 本来、決まった形状を持たない魔法を(今回の場合は雷を)扱いやすい形に固定するためには、魔力と別に『意思の力』が必要とされる。魔法が存外に物理的な攻撃に弱い、というのはその意思の力が衝撃に酷く脆いためだ。

 しかも今回のようにオートで動くタイプの物は手から離れればそれっきりだ。術者との繋がりを持たない魔法はさらに脆くなる。


 私の予想通り光球は石ともに破裂する。

 が、練り上げられた魔力の量はそこらの魔法使いとは比べ物にならない。

 破裂時の想定外の風圧に、体勢の悪かった私は為す術もなく吹き飛ばされる。しかも近くに飛んでいた光球の一つも誘爆しさらに風圧が増す。

 ようやく風圧が治まり、尻餅をついたような格好から立ち上がろうとするがそれよりも速く光球が二つこちらに向かってくる。

 考えるよりも先に浮かせていた腰からライトニング・レイを二本抜いてそれに投げつける。

 高い音を立てて光球が相殺される。

 魔力同士の激突なので先程のような激しい爆発は起きないのは幸いだ。

 残る光球は三つ。

 肺に貯まった息を吐き出して跳ねるように飛び起き、その勢いのまま詠唱中のミーアの元に走り出す。

 後手に回り続ければいずれは直撃を貰ってしまう。何より、そう易々と詠唱など続けさせる訳にはいかない。

 身を屈めながら距離を詰めようとするが、当然、エランがそれを許さない。

 トン、と軽く地面を手で叩くとエランの影から人型大の『何か』が這い出してくる。


「アレを喰い殺せ」


 エランが私を指差し、指示を飛ばすとその『何か』が分裂し、人間の口だけを取り出したような醜悪な形に変貌、こちらに跳ねるようにして近づいてくる。

 一体目を取り外した鞘で地面へと叩きつけ、二体目を返す刀で上空へとかち上げる。

 が、上へと打ち上げようとした魔物が鞘に噛みついたため吹き飛ばすことが出来ずに少しだけたたらを踏む。

 その間隙を縫うようにして魔物の一体が牙を剥き出しにして飛び込んでくるのを交わすことが出来ずに鞘を持っていない左腕を差し出す。


「……っ!」


 鈍い痛みに舌打ちをし、鞘の根元で魔物を強打して食い込んだ牙を抜かせる。

 そしてそのままその鞘を後ろへと投げつける。狙いは言うまでもなく後ろから迫り来る光球だ。

 狙いに違わず鞘が光球を捉えたのだろう。一度目のような爆風が背中を押し、その勢いのまま魔物を無視して一気に前進する。


「中々に機転が利く。……けど」


 感心しているのか馬鹿にしているのか、笑みを漏らすエランがこちらに掌を向ける。


「残念。振り出しだ」


 そう言ったエランの周りに薄緑の法陣が展開、光球が爆発した時よりも遥かに強い風が起き、最初に剣を突き刺した所まで吹き飛ばされた。


 失敗した。『影喰らい』なる種族は魔法が使えないと決め込んでいた。

 自らの失態にぶつけどころのない苛立ちを覚えるが、目の前に最後の光球を現れたことでその思考を一時中断する。

 最後の一本となったライトニング・レイを投じ、呆気なく最後の光球は姿を消した。


 ……妙だ。

 目の前の脅威は一応とはいえ去ったのだが、私の心を占拠しているのはそんな感覚だった。

 確かに厄介な攻撃ではあったものの、この程度なのだろうか?


 魔方陣で事足りるオートの雷球。

 足止めのためとはいえ、それほど強力ではない小型の魔物。

 その気になれば私にダメージを与えられたはずなのに吹き飛ばすだけに留めた風薙(かざなぎ)の魔法。


 かなりの力を有すると思われる魔物の攻撃にしてはいささか規模が小さすぎる。

 つまるところ手加減をされているということになるのだが―――


「あら。気が付いちゃったのね」


 黒い破戒陣の中でまるで歌でも唄い続けるように詠唱を続けていたミーアが笑みを浮かべてこちらを向く。

 その頭上には漆黒の球体。

 大きさは先の光球と変わらないが、プレッシャーは段違いだ。


「けどねぇ……。貴方たち、舐めすぎよ。もっと本気でかかってくればこの魔法も止められたのに。残念ね」


 そう言ってミーアは指を連続して鳴らし始めた。


「何を……っ!?」


 異変を感じたのはミーアが指を鳴らし始めて三回目の時だ。


 身体が……重い?


「重力か……!」

「ご名答」


 五回目の音。

 立っていられずに膝をつく。

 重力の支配下から逃れようにも、こうなってはすでに手遅れだ。


「デュオさん!」

「駄目だよ、今いいところなんだからね」


 ドーラの焦燥に駆られた声が聞こえたが、エランの愉快げな声と重い音が響くと声どころか魔力すら感じられなくなってしまった。


「あの半龍相手じゃ五分と保たない魔法だけどそれで十分」

「自由に動けない貴方をくびり殺すだけならお釣りがくるわ」


 六回目の音。

 地面に盛大に身体を打ち付ける。身体中の骨や筋肉が悲鳴をあげ、鈍い痛みが全身に広がる。

 最後に視界に写ったのは嬉しそうに魔物の顔を歪ませる二人の姿であった。


「それじゃあ」

「ご機嫌よう」


 七回目の、指を鳴らす音が響いた。

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