第十話 史上最強の師匠
森を抜け出てセレーヌに再び戻ってくる頃にはすでに日は頂点に昇っていた。
時期的に秋が過ぎ冬になろうとしている辺りで、昼といえどもさすがに冷えるというものだ。
「とりあえず服を買うか……」
何を隠そうステラツィオでの騒動から逃げるように此処まで来たため、返り血や自らの血、こぼしたコーヒーで汚れた衣服は当然そのままだ。
ここに着いた直後に買うつもりだったのだがハクヤとコクエに、稽古をつけてやる、と言ったら『行きましょう!! すぐに!』と急かされてしまい結局食糧を買い込むのみとなってしまった。
あの二人は汚れた服のままでも気にもならないのか町民の奇異の視線も素知らぬ顔であった。まぁ、あの服の替えがそう簡単に見つかるとも思えないが。
アレクに至っては少しいなくなったと思ったらいつの間にか風呂に入って新しい服まで着ていた。現在、黒のミニフレアに桃色の薄いTシャツという服装なのだが寒くないのだろうか?
森を抜けて町に戻ってきた私の目的地は当初の予定通り雑服屋だ。
……まぁ、その目的地がどこにあるかまでは覚えてないが。
良く考えてみれば酒場もどこにあったか…。
とりあえず歩きながら探そうかと一歩足を出した瞬間、何者かに肩を掴まれた。
「おおっ!? デュオじゃないか!」
………嗚呼、神よ。我が後生なる願いはそれほど簡単に覆されるものなのか。
「…何だ、その顔。なんでそんな泣きそうな顔してるんだよ」
「………いえ、再会の感動に身を震わせているだけです」
振り返った先にいたのは絶世の美女でありながら世界最強と謳われる、我が師匠 K・ゼニスが困ったように赤く長い髪を掻き上げて眉を顰めていた。
「……へぇ、随分と楽しそうな話になってるなぁ」
頭の後ろの方で両手を組み、赤髪を揺らしながら心底楽しそうに歩く我が師匠にそこはかとなくイラつく。
私の後生の願いも儚く散り、結局師匠とエンカウントしてしまったため、事のあらましを話すこととなってしまった。
「…そんな面白いもんじゃないですよ」
「はははっ! そんなぶーたれた顔すんなよ。服買ってやったんだから機嫌直せ」
捕まってしまった後に服の汚れを指摘され、半ば強引に新しい服を買われてしまった。
黒のタートルネックのセーターにジーンズと師匠にしては普通のセレクトだ。
正直全身赤尽くめ位は覚悟していたが…。
「それにしてもアレクまで来てるのか―、久し振りに会いたいなぁ」
「今、私の弟子の相手をしてもらっていますが」
「弟子ッ!? お前そんなもんとってたのか?」
この人にしては珍しく驚いているようだ。
そういえば言ってなかった。最後に師匠と会ったのがアレクを連れている時だったからな。
「……確かにお前は教えるのに向いてるかもなぁ。なんだかんだで面倒見もいいし、なんかお母さんぽいし」
顎に手をやって考え込むように何やらぶつぶつと呟いている。
………お母さんぽいとはどういった了見だろうか?
確かに料理も碌に出来ない師匠といたせいで炊事洗濯がやたらとうまくなったのは認めるが…。
「それに私の華麗なる教育技術も引き継いでいるわけだしな!」
少年のように屈託も無く笑う師匠。
ええ、とても役に立ってますよ。反面教師として。
しばらく近況報告するような取り留めの無い会話をしながら歩くこと数分、目に入ってきた木造の建物を師匠が指差す。
「あそこだな」
「なるほど、あそこですか。…わざわざ道案内ありがとうございました。帰り道は気を付けてくださいね。まぁ師匠ならライオンも襲わないでしょうけど」
早口で捲し立て、逃げるようにして歩を進めたが後ろから再び肩を掴まれる。
「やだなぁ〜デュオ君。私がこんな面白そうなこと放っておくわけ無いじゃないか」
…まぁそうでしょうね。
むんずと掴まれた肩がビクともしないところからこの人がいかにこの件に関して興味津々か伺い知れる。
「……あまり口を出さないで下さいよ」
「りょうか〜い」
どこまで分かっているのか、パタパタと手を振りながら答えるその姿を見て自然と溜め息が出る。
「………ともかく、勝手に暴れないで下さいよ」
「だぁ〜いじょぶだって! 暴れるときはお前に聞くからっ!」
舌を出してサムズアップする姿を見て更に不安になったのはいうまでもない。
酒場に入ると同時にタバコと酒、何が理由か分からないような据えた臭いがした。こんな臭いがするのはこういった酒場と独り暮らしの男の家くらいだろう。
真っ昼間だというのに中には思っている以上に人間がおり、各々ビリヤードやダーツ、ポーカー等に興じていた。
「んじゃ、酒もらってくる」
そういってカウンターに歩いていく師匠。
師匠に酒を持ってこさせるのは弟子としてあまりよろしくない気がするが慣れぬ人間が下手な注文をするよりはよいであろう。
せめて場所を取っておこうと出来るだけ人がいないところを探していると赤い単髪の青年と目が合う。
その青年は前からこちらに気付いていたのか目が合うと微笑する。
…まさか。
座っていたその青年がボトルを片手にこちらまで歩いてくる。
「お久しぶりですね、デュオさん」
「……何で背が伸びてるんだ?」
「お酒は二十歳から、ですよ」
赤い髪の青年―――ドーラは笑いながら答えて私が座る丸テーブルの椅子に腰を掛ける。
よくよく考えれば龍の姿から人間の姿に変化出来るのだから、少し齢を重ねるくらいは訳ないのかもしれない。
「さて、早速本題なんですが…」
「お〜い、酒持ってきたぞ」
ドーラの話を酒瓶を指の股に挟んでブラブラさせながら歩いてきた師匠が遮る。
間が悪いことこの上ない。
「……えーと、あなたは?」
「んん? あー、お前が噂のドラゴンかぁ。私はそこの馬鹿弟子の師匠さ」
「誰が馬鹿ですか。話がややこしくなるからとりあえず黙っていてください」
「はいはい、黙っていますよー」
師匠はそう言うと椅子に座って持ってきた酒瓶に手をつけ出した。
「えー、いいんでしょうか…?」
「構わない。相手にしていたら日が暮れてしまう」
「そういう言い方は無いと思うぞー。母さん悲しいな〜」
「………それでは本題に入るが」
……もう、なんと言っていいのか。相手にしていたら本当に日が暮れてしまいそうなので聞こえなかったことにして無視することにする。
「お前はこんな所で呑気にしていていいのか?お前の主は暗殺されそうなのではないのか?」
太子は国王の命を狙っていると言っていた。国王を主としているならば常につき従っているべきであろう。
「現在、太子はリオゼールから東にある軍事国家シルフィアとの国境防衛戦に駆り出されていますから当面はそちらで手いっぱいになるはず、でした」
前に話した時同様、良くないことがあるのかそこで一区切り置く。
通常ならば国境防衛などの危険な任務に将来の国王候補である者が配置されるわけはない。
ましてや相手は辺りの国を無差別に飲み込むと噂の軍事国家シルフィアだ。国境の防衛はおそらく国内で最も危険な任務であろう。
「確か、シルフィアの方が劣勢なんじゃなかったか?何でも、統率された魔物と人間の混合軍に襲われたとか何とか」
「その通りです。しかも国境の防衛だけではなく、直接シルフィアを落とすつもりのようなのです」
どこから持って来たのか、つまみのクルミを素手で割りながら話す師匠にドーラが補足する。
「シルフィアを落とす…? 何だ、主旨が変わってないか?」
「……おそらくですが、太子はクーデターを起こすつもりなのかもしれません」
「ん? ただ国王の座が欲しいだけなら国王を暗殺するだけでいいのではないのか?」
「リオゼールでは国王が不慮の死で正式な戴冠の儀が行われなかった場合は残された遺書が最も効力を持ちます」
つまりはそこに自らの名前が書いていないことを身に染みて知っているあの馬鹿は外で集めた兵でクーデターを起こす、というわけか。
………浅はかだな。
「クーデターってのは市民の支持を得られなければ必ず頓挫するからなぁ。人間の兵じゃなきゃ市民が逃げるし、かといってリオゼールじゃ自分を押してくれる奴なんていないだろうしな。下手すれば一気に独裁政治に移行るかもな」
「おそらくあと半月、支配者級がいるならばそれ以上は時間は無いでしょう」
支配者級、つまりロキ級の魔物が表立った行動を取らないとはいえシルフィアも保って半月、それであちらの情勢が整うということか。
「僕もこれから国王の周りを離れるわけにはいかなくなるでしょう」
「…前から思っていたんだがお前はどうしてそんなに国王に固執する。お前らから見ればたかが人間だぞ」
魔物は通常、利害関係なしに人間に取り入ることは無い。
だが、目の前にいるドラゴンからはそのような邪念が一向に感じられなかった。
「………そうですね。一言で言うなら『仁義』でしょうか」
乾いた笑みを浮かべながらドーラは遠い目で虚空を見上げる。
「知っての通り僕は黄龍です。ですが、これ…」
そう言って自らの赤い前髪を弄る。
色素は薄いがこの国では赤髪は珍しくはない。現に隣でブドウ酒をラッパ飲みしている師匠も赤髪だ。
「その髪の色がどうした? さして珍しいものでもあるまい」
「それは普通の人ならば、です。ドラゴンは人化した場合、普通、皮膚の色と髪の色は同じになるはずなのです」
その説明に私は眉根を寄せる。言うまでもなく矛盾している。それが本当ならばドーラは金髪でなければおかしい。
不服だと顔に出ていたのかドーラが口に手を当て含み笑いをする。
「そうですね、おかしいんです。けど……なんらおかしいことはないんです」
「……言葉遊びをしたいのか? 簡潔に言ってくれ」
「…そうですね、すいません。……噛み砕いて言えば、僕は人との混血なんです」
「………なんだと?」
あまりに衝撃的な内容に思わず呟くように聞き返してしまう。
人と魔物の混血。あながちあり得ない話ではないが正直信じられないのが本当のところだ。
「父の龍は僕を捨てて母といなくなってしまいました。幼い僕は力を押える術を知らなかったため、人に追われて、仲間にも忌み嫌われていました。生きるため、殺されぬため、飢えぬため、両の手を血に染め続けました」
ドーラの浮かべている笑みに自嘲の色が浮かぶ。
どこか苦く、悲しげで、それでも笑みは消さない。
「そんな僕の手を握ってくれたのは幼い少年でした。少年は『辛かったら泣いてもいいんだよ?』と人化すらまともに出来ていなかった僕に言ってくれたんです。それだけで……、それだけで僕の凍った心は溶かされてしまったんです」
少しだけ明るさを取り戻したドーラはそこで息を吸う。
「命を張るには薄すぎて、理由にすらならないことかもしれません。それでも僕は護ると決めたんです。大切な心の支えを」
今度は何の気負いも無く自然と笑みを浮かべるドーラの姿に胸が少し痛む。
………似てるな。どいつもこいつも。
類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
「……くっ、はははっ!!」
今まで沈黙を守っていた師匠が急に笑い出す。手では未だにクルミを弄り回している。
「最高だよっ! 気に入った!」
「へぇっ?いたっ!」
ボンボンと思い切りドーラの背中を叩きながら、太陽のように明るく、豪快な笑みを浮かべる師匠。
どうやら師匠はいたくドーラのことを気に入ったらしい。
私としては一人で師匠の相手しなくて済みそうな展開に少し、否、かなり安堵しているのだがそれは秘密だ。
しばらく、逃げ出そうとしているドーラを弄くり回したあと、徐に席を立つ。
「よーし! 私も少し手伝ってやるぞー」
そう言ってオーバースローに振りかぶると手に持ったクルミをちょうど酒場に入ってきた黒装束の男達の一人に向けて投げつける。
弾丸もかくやというスピードで投げつけられたクルミは男の頭蓋を貫通し、壁にめり込む。
出鼻を挫かれた格好となった男達であったが怯むことなく酒場の中に入り布陣を組む。
どうやら暗殺者一行に嗅ぎ当てられたらしい。
「まぁこんな雑魚じゃ手伝いも糞も無いかな」
腰に手をやり、ニヤニヤと笑みを浮かべて立つ姿は何処までも大胆不敵だ。
世界最強、絶対覇者、蹂躙王女。様々な渾名で呼ばれるこの人は何時もこの調子だ。
「あっ! 言うの忘れてた」
はたと手を打ちながらこちらを向くと今度は悪戯っぽく私に笑い掛ける。
「暴れるぞ、デュオ」
………勝手にしてください。
お師匠さまの登場です。
39歳。独身。無職(フリーの傭兵や時たまルポライター紛いなこともします)。
はい、これだけ書くと完全にダメ人間ですw
感想・評価、頂けると嬉しいです。




